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第5話 終わらない身分差

「わ~、可愛い~っ!」


 私は赤子を胸に抱くと、王太子妃らしからぬ少女のような声を出して、珍しくはしゃいだ。


「この子はハインリヒ似かしら? それとも、ローゼマリーさん似?」


 ハインリヒとの婚姻を経て、約一年後、ローゼマリーは男子を産んだ。


 ローゼマリーは私の言葉を聞いて、困ったような笑みを浮かべる。


「赤子の段階では、まだなんとも言えません。でも、目元が少しだけ、国王陛下に似ているように思います」


 男子の名はマクシミリアン。その瞳の色は『ロイヤル・バイオレット』だった。


「そうね。目元が国王陛下にそっくり」


 私はローゼマリーに笑顔を返す。彼女は赤子の瞳が私と同じだと言いたかったのだろうが、侍女達が控える王宮の部屋で迂闊(うかつ)なことは言えない。


 私は胸元に抱いた赤子に視線を戻し、その青紫色の瞳をじっと見つめた。すると、胸の奥から、今まで我慢していた感情が込み上げてきた。


「……良かった。こうして王宮の中で、この子に会えて良かった……。この子が将来の国王の世継ぎとして、誰にも隠れることなく皆に祝福されて……。本当に、すごく嬉しい……」


 私が赤子を抱いたまま号泣し始めると、ローゼマリーの侍女達がお互いに顔を見合わせて動揺する。そして、何人かが、ローゼマリーに非難するような鋭い視線を向けた。


 侍女達は、ローゼマリーが故意に私に赤子を抱かせて、こうして泣くのを楽しんでいると思ったのだろう。第二王太子妃の私を蹴落とすため、悪質ないじめを(おこな)っていると勘違いしたに違いない。


 ローゼマリーが慌てて、私の(もと)に駆け寄ってきた。


「ユリア様。大丈夫ですか?」


「ごめんなさい……。この子の目を見たら、感極(かんきわ)まってしまって……」


 私は赤子をローゼマリーに渡した後、ポケットから出したハンカチで涙を(ぬぐ)う。そして、侍女達の誤解を解くため、少し大きめの声でローゼマリーに話し掛けた。


「今日は、()()()()()()、このような場を用意していただき、ありがとうございました。マクシミリアンは、とてもハンサムで賢そうな子ですね」


 私の意図を理解したローゼマリーは、淡い笑みを浮かべる。


「お褒めの言葉、誠にありがとうございます。マクシミリアンも喜んでいることと思います」


「きっと、将来は立派な王太子になって、ハインリヒを支えてくれることでしょう。あまりに可愛くて、涙が出るほど()れてしまいましたから、また会いに来ますね」


 侍女達は、本来対立しているはずの私達のやり取りを見て、再び顔を見合わせた。


「はい。是非いらっしゃってください。ユリア様でしたら、いつでも大歓迎です」


 ローゼマリーが私に愛想良く答えるのと対照的に、一部の侍女からローゼマリーを見下すような視線を感じた。仕事として、彼女の侍女であることを受け入れてはいるものの、「公爵令嬢から婚約者を奪った(いや)しい女」という烙印は消えないのだろう。


 ローゼマリーは、彼女の唯一の味方と思われる乳母(うば)にマクシミリアンを預けると、部屋にいる侍女達全員に退出を命じた。そして、乳母を含む従者達が部屋を出た後、彼女はポケットから鍵を取り出した。


「ユリア様。少しだけ、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 私がそれを了承すると、ローゼマリーは王族用の隠し部屋の扉を開け、私を連れて一緒に中に入る。彼女は隠し部屋のランプに火を(とも)した後、椅子に座りながら、開口一番、大きな溜息を()いた。


「はぁ~。私、もう、ここでの生活に疲れちゃいました……」


 ローゼマリーは手をぶらんとさせて、背もたれに身体を預け、椅子にだらしなく座る。


「ふふっ、ローゼマリーさんは相変わらずね」


 私がそう言ってクスクスと笑うと、彼女は椅子に座り直し、不満げに口を(とが)らせた。


「ユリア様、聞いてくださいよ~。私、嫌われているのは分かっていたんですけど、侍女達が私に敵意丸出しなんです。私がどんなに笑顔で接しても、『()びを売るな』と言いたげに(にら)んでくるんです。男爵家ではお手伝いさんが一人しかいなかったので良く分からないんですが、高位貴族の世界では、侍女はこういう態度が普通なのでしょうか?」


 私は軽く首を左右に振る。


「そんなことはありません。本来は、どのような出自の主人であっても、誠心誠意尽くすのが基本です。……しかし、ローゼマリーさんの侍女達の不敬さは、少し度が過ぎているように思います」


「やっぱりそうですよね? この前なんか、王太子妃の私に聞こえるように悪口を言うんですよ。『こんな淫乱な女の侍女じゃなくて、ユリア様の侍女が良かった』って。……ユリア様の侍女になりたいっていう気持ちは分かりますけど、王太子妃の私に、それは言い過ぎじゃないでしょうか」


 ローゼマリーは少しだけ視線を下げる。


「それに、食事の席で高位貴族の皆様とご一緒だと、必ず嫌味を言われます。先日、いつものようにハインリヒ様が食事に手を付けたのを確認してから前菜を食べたのですが、侯爵夫人から『第一王太子妃様はやはり手がお早いこと。すぐに食べてしまわれる』と言われました。……これって多分、性的な意味なんですよね?」


 私が気まずそうに(うなず)くと、ローゼマリーは二度目の大きな溜息を吐いた。


「この一年、他にもたくさんの攻撃がありました……。さすがの私も心が折れそうです。貴族学園時代のユリア様の嫌がらせの方が優しかったです」


 ローゼマリーの言葉を聞いて、私は苦笑した。すると、彼女は慌てて釈明する。


「すっ……すみません! 変な意味じゃないです! 王宮の陰湿ないじめとは違って、ユリア様の嫌がらせには心がこもっていたな~と思って。……って、これも変な意味じゃありません!」


 私は吹き出すようにして、声を出して笑った。ローゼマリーは相変わらず弁明を続けるが、私はそれを片手を上げて制止する。


「ふふっ、分かっていますよ。あなたの本当の姿を見ていれば、あなたが純真無垢な人間であることに疑いの余地はありません。私はあなたのことを理解していますから安心してください」


 私はそう言った後、(あご)に手を当てた。


「しかし、この状況はなんとかしないといけませんね……」


 ローゼマリーは(つら)そうにして目を伏せた。


「一応、マクシミリアンの乳母(うば)が良い人なので、それがせめてもの救いです。年長の彼女は、時々、他の侍女達を注意してくれます。ただ、あまり効果はないようで、侍女達が乳母の悪口を言っているのも知っています。本当に申し訳ないです……」


 私は彼女に言葉を返す。


「悪口や嫌味で済んでいるうちは良いのです。しかし、そのうち高位貴族に(そそのか)された侍女達が、ローゼマリーさんに危害を加えるようになるかもしれません。マクシミリアンの成長にも悪影響ですし、早急に何か手を打たないと……」


 私がそう言うと、ローゼマリーがテーブル越しに、ズイっと私に顔を近付けた。


「それでですね、実はハインリヒ様に相談して、特別な許可をいただいたんです。今日はそのお話をさせてください」


「えっ? 特別な許可? 何の許可をもらったのですか?」


「出産で疲れた心と身体を休めるため、しばらくの間、第二王太子妃様のお屋敷で休養を取る許可です」


 私はローゼマリーの言葉を聞いて、しばらく固まった。


「……よくハインリヒが許可を出しましたね。彼の中では、私はあなたをいじめていた悪女でしょう?」


「はい。プライドを大きく傷付けられたハインリヒ様は、相変わらずユリア様を嫌っておいでです。今のところ、ハインリヒ様がユリア様に夜伽(よとぎ)を求めることは無いと思います。その点はご安心ください」


 私は、ローゼマリーの包み隠さない率直な答えに、苦笑(にがわら)いする。


「ですが、私が婚姻前の数か月間、ユリア様のお屋敷に通っていたことを従者から聞いたようで、ハインリヒ様は私達が仲良くしていることに薄々気付いているようでした」


 ローゼマリーは寂し気に視線を下げる。


「一方で、私が王宮でいじめを受けていることにも気付いているみたいです……。ことあるごとに、私を気遣(きづか)ってくださいます。でも、いじめの確たる証拠がないのと、婚約破棄騒ぎの影響でハインリヒ様の権威が地に落ちてしまったので、何もできないでいるようでした」


 彼女はそう言った後、パッと顔を上げて私を見た。


「それで、勇気を出して、『週に一度は王宮に帰ってきますので、しばらくの間、ユリア様の屋敷で休養させてください』とお願いしてみたんです。ハインリヒ様は最初、受け入れを渋っていらっしゃいましたが、私が深く頭を下げて頼み込むと、『それでローゼマリーの気が休まるのなら問題ない。それに、(きさき)同士が仲良くするのは悪い話ではないしな』と苦笑いしながら、許可を出してくださいました」


 私はローゼマリーに困った笑みを向けた。


「あらあら。婚姻早々、(きさき)が二人とも王宮からいなくなってしまうなんて、ハインリヒは本当に気苦労が絶えない人ですね」


 私がそう言うと、ローゼマリーは申し訳なさそうに視線を下げる。


「全て私のせいです。私の考えが浅はかだったんです。だから、ハインリヒ様は何も悪くなくて……」


 私は泣きそうになるローゼマリーの言葉をさえぎった。


「私はハインリヒやローゼマリーさんが悪いだなんて言っていませんよ。逆に、ハインリヒを見直したんです。あなたがここまで耐えられたのは、力及ばずとも、彼が陰で守ってくれていたからだと思います。私が言うのも変ですが、ローゼマリーさんは良い人と結婚しましたね」


 私がそう言うと、ローゼマリーは懸命に泣きそうになるのを(こら)えながら、精一杯の笑顔を見せた。

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