王子との逢瀬、その1
帝国の王子が、どんな人であろうとも、それに会うためには相応の準備が必要になる。
御髪、服装、心構え。人を聞かざるあらゆる面で最善の状態にしなければならない。心構えの方はいつでもどこでも準備が整うけど、御髪と服装には時間がかかってしまう。
「お嬢様、本日はどのようになさいますか?」
王城で過ごすために、同じく派遣されたライラが、鏡の前に座る私の髪をとかしながら聞いてくる。
「いつも通りでいいよ。」
「またですか?あまり同じような格好ですと、王子殿下に呆れられてしまわないでしょうか?」
「・・・あのお方は、令嬢の身なりに一々口を出すような方じゃないわ。気にしなくていいから、楽に過ごせる格好にして?」
そういうと、それはそれで困るというような表情をされたけど、ライラはすぐに他のメイドたちも呼んで、普段着ている礼服を着せてくれた。髪も、特に飾りをつけることもなく、髪結いのための簪を一本刺しただけで済ませてくれた。
殿方に会うのに、コルセットも化粧もしない貴族の娘など、前代未聞だけど、元々童顔だし、13の女子にはその方が自然に見えるだろう。もっとも、あの人にその手の趣味はないだろうけども。
着替えた格好は、王城で過ごすよりも気楽な格好で、あからさまに体が軽くなったように感じる。初めて王子殿下のお誘いを受けた時は、もっと窮屈な格好だったから、今ではこの逢瀬にもそれほど気負わなくなっている。
「触媒の指輪は、準備できてる?」
「はい。こちらにご用意しております。」
そういうと、ライラはきれいな専用の小箱に納められた五色の宝石がつけられた指輪と、刺剣を収めたケースを持ってきた。
「それにしても、触媒と剣を持ってきてほしいとは、王子殿下は何をされるつもりなのでしょうね?」
「わからない。してほしいことは言って来ても、したいことは一切口にしないから。」
自由過ぎるというのは、時に迷惑千番だ。せめて何をするかくらい言ってくれないと、こっちは向こうの言いなりになっているような気分になる。まぁ、王子相手に口答えをするわけにもいかないのだけど。
「それじゃ、行ってくるね。」
「私どもはお付きしなくてよろしいですか?」
「うん。大丈夫。」
アルハイゼンに会うには、まず初めに王城にある彼の私室へと向かわなければならない。けれど、いつもながら当人はそこにはいない。いるのは彼の侍女だけだ。侍女に殿下の居所を聞き、ついでに案内させるのが習慣となっている。
これには侍女の方も困っているようで、彼女曰く、じっとしていられない質なのだとか。無垢な野良猫目め。それを当人の母親に直接行ってしまったことには、うっかりしていたけど、これでは言い逃れはできまい。付き合わされるこっちの身にもなってほしいものだ。
侍女に案内されたのは、王城のリンクス家が管理管轄している庭園だった。ここ王城がある、グランドレイブ山脈の高所は、平均気温が低く、植物の育ちが悪い中で、リンクス家は魔法の力を用いて巨大な庭園を作り出していた。他所の人間の出入りは禁じられているから、ここへ入れるのは今の私にとっては幸運というものだが、逢瀬のお誘いをする際に、ここにいると直接言ってくれればいいのに。
「殿下、ロウご令嬢がいらっしゃいましたよ?」
侍女が庭園の空へ呼びかけると、どこからか返事をする少年の声が聞こえた。すぐにアルハイゼンは、庭の奥から顔を出し、とても王子とは思えない恰好をさらけ出した。
「まだ随分な格好ですね。」
襟を着崩し、僅かにはだけた胸元。裾を捲ったズボン。とても王族の姿ではない。
「おぅ、来たかロウ。」
「来ましたよ。庭にいるなら初めからそうとおっしゃてください。お付きの方を煩わせることもないでしょうに。」
「お気遣い感謝します、ロウ様。」
侍女は大げさに頷いて肯定して見せた。
「魔法触媒は、ちゃんと持ってきたか?」
聞いてない、と。ほんとこの男は、どうして人の思いを察しないのだろうか。野良猫でさえも、人を気遣うことくらいはするだろうに。
「今日は、お前の魔法を見せてもらいたくて、ここに呼んだんだ。」
彼はそう言って、私の手を取ると庭の奥へと連れていかれてしまった。後ろ目に侍女を見やると、彼女は呆れた様子で一礼をしていた。
やや強めに引っ張られて連れていかれたのは、青い色の花が並んだ花壇だった。ただ青いだけじゃない。薄い青や紺色、花の中心が色違いの花。全体的に青が多い花壇だった。花壇は私たちの背丈を優に超えるほど高く並べられていて、まるで花の洞穴に入ってしまったかのような場所だった。
「以前お前が話していた、幻影の魔法。あれを使って、ここを夜空みたいにできないか?」
いきなり何を言い出すかと思えば、そんな戯れのために、わざわざ魔法を使えというのか。
「夜空って、こんな明るいうちに、そんなことできませんよ。」
周囲を花が渦巻いて囲われているとはいえ、草蔓の隙間から差し込む日の光は、隠し通せない。いくら魔法を使ったからと言って、輝く夜空を顕現させることはできないだろう。
「夜空っていうのは、比喩だよ。それくらい美しい光景になるってことだ。花の方は、俺が魔法で輝かせる。」
アルハイゼンの表情は、こちらの意図を全くくみ取っていない。私は、本気で戯れの域を出ないと思っているけど、彼は本気でことを楽しんでいるようだ。
何がそんなに楽しいのか、どうせ聞いても答えてくれないだろうから、言われるがままに幻影の魔法の準備を始めた。どうせ一回やれば、気が済むんだから、盛大に彩ってやればいい。
「それじゃあいくぞ。」
「・・・はい。」
小指の指輪と、親指の指輪に魔力を込める。幻影の魔法のほかに、冷気の魔法も加えて、幻想的な空気を生み出すのだ。とはいえ、どちらも大した魔力は必要としないし、詠唱をかけるほどのものでもない。質量を持たない幻影なんて、魔法の基本的な使い方の一つだ。
触媒の指輪に魔力が満ちると同時に、左手を横一線に薙ぎ払うと、二つの指輪から、眩い光と銀色の冷気が周囲に現れた。私が魔法を放つのと同時に、アルハイゼンも無数の光の玉を生み出し、花壇に咲く花の中へと操り、放っていった。
足元には冷気が漂い、花たちは光を放ち、そして周囲を覆う蔓は、確かに夜空のようにきめ細やかな砂のような輝きにあふれていた。
「おお。おおおぉぉぉ!」
それを見たアルハイゼンの目は、まるでこの世に存在しないものを見ているかのような、活き活きとした少年の目をしていた。
「ロウ。やっぱりお前の魔法はすごいな。こんなきれいな魔法は、俺は見たことがない。」
「お褒めに預かり、光栄でございます。」
たしかに、詠唱も必要としない簡易魔法だけど、誰でもできるというわけではない。冷気は、水の属性の適正がなければ使えないし、輝く砂も、光の属性の適正が必要だ。
魔法は全部で6属性。火、水、雷、風、光、闇。人はそのうちの一つを得意とし、それを適正としている。けれど、私は全ての属性に適正があり、全属性を同時に操ることも可能だった。おかげで、幼いころから奇跡に愛された娘、などと言われたりもしていた。魔法に長けた者でも、全ての属性を操るのは容易ではなかったからだ。
「それで、殿下。今日は、これをやりたかったのですか?」
「あぁ。あ、待て、これだけで終わりじゃないぞ?」
彼はそういうと、私の手を取って、花の洞穴の真ん中へ立つように促した。
「そこに立っててくれ。ちょっと待ってろよ?」
アルハイゼンは何やら懐から、質のいい紙と同じくらいの大きさの鏡を取り出した。
「この鏡に向かって、閃光魔法を撃ってくれ。そうすれば、この紙に今の情景が映し出されると思うんだ。」
突拍子もない考えだ。この世界の住人であれば、こいつは何を言っているんだ?とあきれた様子で言っただろう。しかし、私も詳しくはないけれど、もしやこの人は写真の技術を考え付いたのではないだろうかと思っていた。カメラの仕組みを知らないため、なんとも言えないけど、たぶん彼は同じようなことをしようとしていると、それだけはわかった。
「はぁ、構わないですが・・・。」
言われるがままに、強い光だけを放つ魔法を、アルハイゼンが持つ鏡へ向けて放つと、鏡の手前にある紙が、焦げるように影が映ったように見えた。
しかし、それは目の錯覚であって、紙はすぐに元の白い紙に戻っていた。
「・・・だめか。いい考えだと思ったんだがな。」
「何をしようとしたのかはわかりませんが、あまり奇行には走らないでくださいね?」
「奇行だとぉ、ロウ、お前は私の味方じゃないのか?」
敵か味方かと問われれば、どちらともいえないが、彼の突拍子もない発想力に付き合わされるのは、今回が初めてではない。最初は飛行魔法の実験と称して、風の魔法で彼の体を浮かしてあげたり。新たな筆の開発と称して、木を炭になるまで焼いて、砕いて水と混ぜたものを樹脂で固めたり。いろいろやらされてきたのだ。
前世の記憶を持っている私としては、発想自体は悪くないとは思うけど、明確な助言をできるわけでもないから、ただただ付き合っているだけに過ぎない。
「この紙に景色を映し出して、どうするつもりだったのですか?」
どうせ新たな発明を、とか言うと思っていたのに、今回ばかりは、いかにも正当な理由があるようだった。
「紙に景色を閉じ込めることが出来れば、大事な人の姿を永久に残すことが出来るだろう?」
「・・・・・・。」
「父上も、母上も、いずれは亡くなってしまう。残された者は、いつか亡き者となった人の顔すら忘れてしまう。俺は、それがとても悲しいことだと思うんだ。」
死んでいく人の顔を忘れないため。確かに人は、死ななくても、しばらく会っていないだけで、人の顔を忘れるものだ。例え友であっても、家族であっても。
彼の今回の奇行の動機があまりにもまともだったので、私は心底驚いていた。確かに写真の技術が確立されれば、とても素敵なことだと思うけど、この世界でそれを成すには、まだまだ足りないものが多すぎることを、私は知っている。
もっとも、魔法でどうにかなると踏んだアルハイゼンの考えは、私の知っていることより早く問題を解決するかもしれないけど。
「その話、陛下たちにはお話ししたのですか?」
「うん?どうして父上たちに話すんだ?」
「・・・きっと喜ばれると思いますよ?」
本心はわからないけど、少なくとも、彼の中に両親の顔を忘れたくないという思いがあるからこその、今回の実験だったのだ。
「俺は、お前にも喜んでほしいんだけどな。」
「・・・は?」
「未来の妃になる、予定の、大事な友だ。こんなにも楽しい時間を共に過ごしている。そんなお前の、今のそういう表情なんかも、残しておきたいと思っただけだ。」
「・・・・は、はぁ。」
・・・・・・やっぱりこの人は、野良猫みたいだ。




