決別
魔獣は、私たちが何度も攻撃を加えても一向に動きを見せなかった。いや、実際には魔獣の羽はわずかに羽ばたいていて、そこから鱗粉が振りまかれてはいるのだが、ピスケスから飛び立とうともしないし、胴体も身じろぎ一つしない。アレンが魔獣の背中のいたるところで爆発を起こしているというのにびくともしない。いっそ足の方から切り崩せば体制を傾けるかもしれないが、地上にはまだ大勢の住人と、フロストたちがいる。あっちの状況も気になるし、このまま引き下がるわけにもいかない。この鱗粉がどれくらいで人を蝶のような姿に変えるかはわからないけど、アレンはともかく、私に残された時間はそう長くはないだろう。蝶化してしまえば、私も意識を失い、あの住人達のようになってしまうだろう。
「アレン。このままじゃ埒が明かない。最後の力を使って、こいつをどうにかする。あなたは下に戻ってフロスト様に避難するよう伝えて!」
「―――おい、待て。最後の力ってなんだ?それを使ったらあんたはどうなる?―――」
勘が鋭い、というより、彼には私の思考回路を知られてしまっているのだろう。最後の力、というのは比喩ではない。体力的な話でもないし、本来であれば並の人間には不可能なことだ。
限界突破とか、言葉で言うのは簡単だけど、人の体はそれが出来るようには作られていない。骨が折れている状態で歩くことが出来ないように、意思の力だけでは体は動かない。
けれど魔法は違う。魔法によって自身に強制力のある命令を下せば、魔法を解かない限り、体は壊れ続ける。これからしようとしていることはそういう類のことだ。
「どっちにしろ、このままこいつの近くにいたら、蝶化して私もあの人達みたいになってしまう。だったら、最終手段を使ってでも止めるしかないでしょう!」
「―――一旦撤退して、体制を立て直せばいいだろう。吸い込んだ鱗粉を魔法で吐き出させて、何度もそれを繰り返せば継戦は可能なはずだ。―――」
「フロスト様や、騎士団を置いて一人逃げろって?そんなことできるわけないでしょう!私は帝国公爵家の令嬢よ!命を賭して、臣民を守る使命がある。それを投げ出すわけにはいかないわ!」
その使命を全うしようとして、既に臣民を手にかけてしまったのだ。そんなことを言える資格なんてないのに。でもだからこそ、このまま逃げ出すわけにはいかない。
「お願いわかって。これから私は、禁術をつかう。それでもこいつを倒せるかどうかはわからない。だから、フロスト様に伝えて。住民を救うには、もう魔獣をどうにかするしかない。一人一人解呪をしていられる状況じゃない。犠牲を払ってでも、本体をどうにかするべきよ。だから・・・。」
「―――・・・・・・あんたに死なれるのは、こっちとしても困るんだがな。―――」
「・・・そういってくれるのは、すごくうれしいわ。でも、私は・・・・。」
死にたいわけではない。むしろ、死にたくない。痛い思いをしたくない。苦しい思いをしたくない。せっかく手に入れた第二の人生を、無下に扱いたくない。でも、この二回目の人生で、私は貴族としての誇りを植え付けられた。使命を全うする能力と行動力を学んだ。今の私にとって、この世界が故郷だ。前世の私であれば、選択しないようなこともする。記憶はあれど、同じ人間ではないのだ。
だからこそ、命を賭けることをためらったりしない。
「―――・・・いいだろう。ーーー」
「アレン・・・ありがとう。」
彼は、魔獣への攻撃をやめ、一度こちらを見つめた後、すぐさま地上へと飛んでいった。
禁術とはいっても、まだ死ぬと決まったわけじゃない。ほぼ瀕死にはなるのは確実だろうけど、その魔法を使うことで命を落とすわけじゃない。
「・・・でも、どの道この高度から落ちたら、助からないでしょうね。」
魔獣の背中から落ちれば、魔法がなければ地上への無事の着地は困難だろう。もっとも、禁術をつかってしまえば、魔力はそこを付いているだろうから、どうにもならないと思う。
私は大きく息を吸って、吐き出した。鱗粉をかなり取り込んでしまうが、今は息を整えられればいい。刺剣を構えて、その刃の背に左手を添える。件の禁書から読み解くことのできた最後の魔法。実際に使うのは初めてだし、どうなるかは私にもわからない。でも、禁書に書かれていたことが嘘でなければ、この局面を打開できるはずだ。
私は、もう一度大きく息を吸って、禁術の詠唱を唱えようとした。しかし、翼が羽ばたく音が聞こえてきて、私を覆う影に包み込まれた。振り返ると、龍の姿のアレンがそこにいた。その恐ろしい大顎を開けて、私に猛烈な速度で突撃してきていた。
それが何を意味しているかを理解したのは、私の腕が、彼に食い千切られた後だった。




