許婚
一仕事を終えた私は、すぐにでも見張り塔に戻り、翼竜の背に乗ってアダマンテへ戻ろうとしたのだが、人が少なくなった謁見の間で、ジエトに呼び止められてしまった。
「陛下、なにか御用でしょうか?」
ジエトのみならず、なぜか王弟であるロイオまで、まるで私を待っていたかのように、自身の席についてるのはどうして?なにか、・・・悪いことをしたのかと思うから、こういうのはやめてほしいんだけどなぁ。
「ロウよ。まるで何かを咎められるんじゃないか、というような顔をしているな。」
そういう言い方が怖いのだが、気を緩めてもいいものだろうか。ロイオはロイオで我関せずを貫いているし。
「バロックスの手を焼かせてはいないか?昔と比べれば、貴族の令嬢らしくなったものだが、以前のそなたは、本当に快活な娘だったからなぁ。」
「うっ。そ、それは、本当に申し訳ないと思っています。」
思ってないけど。
「はっはっは。よいのだ。そなたには本当に感謝している。」
「えっ?」
「アルハイゼンの件、本当に申し訳なかった。」
その話かぁ。・・・実を言うと、彼が亡くなってから、ジエトとはそれについて話したことはなかった。いらぬ誤解をされるかもしれないと思ったからだ。父にもよく言われるが、私は別にアルハイゼンと恋仲だったわけではない。次期国王と、その妃として、そう振舞うことを使命として生きていただけだ。まぁ、端から見れば、仲良さげに見えていたのだろう。実際、彼とは、同級生のような感覚で接していたし、仲は良かった方だと思う。たまに喧嘩したりはしたけれど。
「・・・陛下が謝られることはありません。私は・・・、私は大丈夫ですから。」
健気に気高く振舞う。辛い思いをしてもそれを表に出さない。私が身に着けた処世術の一つだ。
「あれ以降、縁談話を、全部断っていると聞いた。」
「ふぇ?あ、えっと。はい、そうですね。今はまだ、考えておりません。」
ジエトが単なる親切心で、この場を設けてくれたということはわかったのだが、ロイオの思惑がわからないため、狼狽えてしまった。当の本人は、相変わらずこちらに見向きもしないが、先月のこと、忘れたわけではないだろうに。
しかし、徐にロイオは席から立ち上がると、ジエトの隣へとやってきた。
「兄者、あまり若者を困らせるものじゃないぞ。すまんな、ロウ殿。兄者は昔から、男女の対応に区別がつかぬ男でな。」
「おい、ロイオ。ここでは陛下と呼べ。確かに私的な場ではあるが。」
「よくいう。ロウ殿を実の娘のように心配していたのは、どこのどいつだ?」
「なっ、お前!」
私は、国王兄弟の普段見れない私的な一部始終を見て、少し呆気に取られていた。ジエトとは、許嫁になった日から、顔を合わせることも多く、話だって何度もしてきた。けれど、ロイオに至ってはまともに話をしたこともないし、ましてや兄弟揃っているところも見たことがなかった。
エクシアは、一応第二王家と呼んでもいい家系だが、この実力主義の帝国において、そんなものは意味をなさない。ロイオがジエトの隣に立てるのは、彼の自身の研鑽によるものだ。
「いや、すまない。ロイオの言う通り、実はそなたのことを心配していてな。あ奴が死んで、酷く落ち込んでいるんじゃないかと思っていたのだ。無事婚姻していれば、我らは親族となっていたのだからな。それに、習慣のように顔を合わせていれば、情だって移るものだ。」
「そんな。光栄でございますが、私ごときのために、お気を煩わせるなど。」
「いや、現に我は、そなたのために何もしてやれない。許してくれ。何か良い縁談でもあれば、力になってやれただろうが。」
うれしい気持ちはあるのだが、今縁談の話をされるのは正直困る。エクシアが、ロイオの腹の底がわからない上、先月の話をされたら面倒なことになる。だが、どうにもロイオの様子は、私が思っていたものとはかけ離れているように見える。
「そうだ、ロイオよ。お前の息子とくっつけてはどうだ?」
「よせ、兄者。あいつにアダマンテの令嬢などもったいない。前にも言ったように、エクシアは俺の代で見切りをつけるつもりだ。俺も、息子の努力には期待しているが、あいつの才能では、国王の座を狙うのは難しいだろう。」
「・・・?」
ロイオは、自身の息子を私と結ばせようとしたはずだが、いったいどういうことだろうか。
婚約によって、他家の才能や魔法特性などを吸収し、自家の血統を良いものにするというのは、この帝国において幾たびも行われてきたことだ。だからこそ、エクシアが私を欲しがったのだとおもっていたけど。
ロイオの態度は、演技のようには見えなかった。もともと実直で表裏のない人間だと聞き及んではいた。腹芸が得意そうには見えない。なら、先月の縁談の目的は何だったのだろうか。
「あの、ロイオ様。」
「ん?なんだ?」
「先月のこと、覚えておいでですか?」
「先月?あぁ、貴族会議の際に、少し顔を合わせたな。それがどうかしたか?」
(覚えていない・・・?)
「あぁいえ。なんでもございません。忘れてください。」
そう言ってごまかしたが、ロイオの態度に変化はなかった。
こんな面倒くさい社会に身を投じていれば、人が嘘をついているかどうかくらい見分けがつくものだ。少なくともロイオに、思惑を隠しているような素振りは見当たらなかったのだ。
「ふー。アルハイゼンめ。こんな麗しい娘を残して逝くとは・・・。」
「陛下、殿下のことを責めないでください。殿下も、好きで病にかかったわけではありませんから。」
「はぁ、わかっている。・・・そろそろ我らも仕度をせねばな。そうだ、ロウよ。この戦の勝利を収めた後に、我が妻の元へ来てはくれないか。」
「お妃さまの元へ?」
「ああ。息子を亡くして、あ奴も傷心している身でな。時折そなたの話もしているのだ。思い出話・・・は余計辛くさせるだけかもしれんが、いつまでも塞ぎ込んでいるわけにもいくまい。」
そういえば、先ほどの謁見中にも姿が見えないから、どうしたものかと思っていたところだ。実の息子を亡くして、辛くない母親など存在しない。私は子を産んだ経験はないが、それでもなんとなくわかるような気がする。なにせ、自分も両親を残してきてしまった身だから。
「では、この戦、勝たねばなりませんね。」
「もとより、負けるつもりはない。ロイオ、お前にも期待しているぞ。」
「兄者こそ、無理して腰を痛めるなよ。」
最初は何事かと思ったけれど、まさかジエトに良く思われているとは思わなかった。彼の言うように、アルハイゼンが生きていれば、私たちは親族となっていたのだ。確かにそれは、残念なことではあるが、今は悔やむ思いもなくなってしまった。アルハイゼンと過ごした時間は、まるで泡沫の夢のような、儚いものになってしまったのだ。