飛翔
父の命をうけて、その日の私の日程は慌ただしくなった。いつものように、別邸の私室でのんびり魔法書を読み解いたり、剣の稽古に勤しんだりするつもりだっただけど、どうやらそうもいかないようだ。
事態は一刻を争う、そういった父の表情はこれまでに無いほど険しかった。おそらく父も、こんな事態を経験したことがないのだろう。ただでさえ。200万という途方もない数の魔物が帝国の北方に集結しつつあるのだ。その数だって、斥候特有の大まかな計測方法による推測でしかない。もしかしたら、実際の数はさらに多い可能性だってある。そうなれば、アダマンテ領の戦力だけでは、かなわない。そこへタイタンネストや、さらに上位の魔物が加わってしまったら、帝国全土の騎士をかき集めても足りるかどうか・・・。
私はすぐに別邸に戻り、戦用の礼装に着替えた。愛用の刺剣を専用のベルトに吊るし、魔法の発動を補助してくれる指輪を左手の全ての指にはめ込む。最後にそれぞれの感触を確かめて鏡をのぞくと、普段とはかけ離れた、威厳にあふれた公爵令嬢の姿があった。
「悪くないんじゃない?」
「自画自賛は結構ですが、あまり無茶をされないように。」
戦支度を手伝ってくれたライラと二人の新人メイドの表情は、私とは違って固く引き締まっていた。
「大丈夫よ。私、そんなに頼りない?」
「そうでは、ありませんが・・・。私どもにとっては、ロウお嬢様が主です。どうか、無事に戻ってきてくださることを約束してください。」
珍しく心配してくれるライラに、私は思わず胸が温かくなる。
「大丈夫だってば。あなたたちの主は、普段怠惰に時間を過ごしているように見えるけど、こういう時のために、力を蓄えているんだから。・・・あなたたち帝国民を守るのが、私の使命の一つだもの。せめて、祈っていなさい。あなたたちの主が、戦場で華々しい活躍をすることを。」
そういって、大仰にスカートをはためかせて、私はメイドたちに背を向けた。彼女たちは何も言わずに首を垂れて、見送ってくれた。
アダマンテ領城の騎士団支部には、すでに多くの騎士が集まっていた。
会うたび会うたび、みんなから挨拶を交わされる。一応彼らの主人であるから、仕方がないことだけど、面倒と思っても返礼を欠かすわけにはいかない。彼らの士気に関わるから。
上に立つ者は、決して狼狽えてはいけない。上に立つ者が狼狽していては、動揺は全部下へ流れていく。たとえどんな状況であっても、私は笑顔でニコニコ笑っていなければいけないのだ。
「みなさん、肩に力が入っていますよ。そんな状態では、戦場に着くころには、体ががちがちに固まってしまいます。今は気を休めていてください。」
そんな他愛もないことを言って、場の空気を和ませるのも必要なことだ。
「ロウお嬢様。」
「騎士団長。お久しぶりです。」
騎士たちの中から、一際豪華な鎧に身を包んだ大柄な男性が、私の元へ来た。彼は、アダマンテ領の全ての騎士たちのトップに立つ男だ。
「お嬢様もお変わりないようで。」
「父より命じられました。翼竜で王領へ向かいます。こちらの指揮は父が行うでしょうが、今は他の州公や商会などと話をつけている頃です。それまで、騎士の編成をお願いします。」
「はっ。騎竜部隊は、いかがいたしましょう?」
騎竜部隊は、私が竜使いで手なずけた翼竜たちの部隊だ。通称、竜騎兵。翼竜は、一度従えてしまえば、そうやすやすと人間を裏切ることはない。実際は、私が指揮をとらずとも、騎士たちだけでその運用は可能だ。
翼竜も魔物の一種だが、そこは獣と同じ。竜使いありきの話だが、人間と共存することはそう難しくない。人間は彼らの餌を用意したり、世話をすることで信頼関係を結ぶことが出来る。それを理解できるくらいには、翼竜は知性ある獣と言えるのだ。
「タイタン級を含めた全頭、前線へ向かわせてください。私のは、小型の白亜型で構いません。」
「了解しました。すぐに準備いたします。」
騎士団長はそう言うと、すぐに部下のものに、小型の真っ白な翼竜を手配してくれた。
――― ドコカデ ミタ カオ ―――
連れてこられた翼竜は、私を見るなりそういった。当然、これは竜使いの力を通しての会話であって、周囲の騎士たちには聞こえていない。
「ふふ、活発そうな子ですね。」
「白亜型は気性が荒いので、お気を付けください。人を乗せて飛ぶことには慣れてはいますが。」
「大丈夫です。私は、この子たちの主ですよ?それじゃあ、後は頼みます。」
翼竜の背中に取り付けられた鐙に足をかけ、騎士団長に肩を貸してもらいながら、勢いよく跨った。最初は乗られていることに嫌がっていたが、こっちが体勢を整えてやると、すぐにおとなしくなった。
気性が荒いというが、その実は、好奇心が旺盛なだけで、こちらを害する気は一切ないのだ。特に小型の翼竜にまたがる時は、足が翼に触れていたりすると、たとえ竜使いを使ってもおとなしくなってはくれないのだ。
「お気をつけて。」
「ええ。行ってきます。・・・お行き!」
声をかけると、翼竜は力強く地面を蹴り上げ、翼をはためかせた。背中に膝を立てて座っている状態なのだけど、その背中から伝わってくる脈動は信じられないくらい力強く、馬に跨るのとは比べ物にならない生命力が感じられる。あっという間に騎士団支部を眼下に置いてけぼりにした。
――― ドコ イク? ―――
翼竜は決してこちらを向いていないけど、その思念はちゃんと届いている。私は一度、翼竜の首を撫でてやった。すると、彼は器用に視線だけをこちらに向けてきてくれた。
「あっち。太陽に向かって飛んで。」
ちょうど日は真南を向いているから、それに向かって飛ぶように思念を飛ばした。すぐに意図を組んだ翼竜は、さらに強く羽ばたいて、大気を切り裂きながら、南へと飛翔していった。