なぜかいる嫌な奴
ユース侯爵に、戦闘中の状況記録を任せ、とりあえずいろいろ喋った後は、侯爵に身を案じられ、公館の外のテラスで、少しだけ休ませてもらうことにした。
長時間の連続で魔法の行使、激しく暴れる翼竜に揺られていて、なおかつ気を張り詰めさせていたとなると、心身の疲弊は、想像以上に重たいものだった。体を横にしたら、そのまま深い眠りに付いてしまいそうだったから、あえて寝台には入らず、椅子に座って怪我した手の包帯を取り換えることにした。
汚れた包帯を外していくと、傷跡から固まった血が剥がれて、何と言えないしびれのような痛みが襲ってくる。そうやって痛みに身を任せていないと、本当に眠ってしまいそうだったのだ。
テラスから見るエレオノールの眺めは、素朴なものだが、雪国というのもあって、幻想的なものだった。
夜の闇に包まれた街は、煌々と明かりに照らされており、とても綺麗だった。
「私、初めて戦争に、参加したんだ・・・。」
前世のころからも含めて、こんなにも醜悪な世界を体験したのは初めてだっただろう。血とはいえ、それは指を切ってしまった時のような、小綺麗なものではなく、赤黒く、時には肉片すらも一緒に飛び交ってくる。そんな世界を想像することはできても、実際に経験するのとでは大きく違う。匂いだってそうだ。
血の匂いだけでなく、獣くさい魔物の臭い。それらが歪に混ざり合って戦場に漂っている。何も知らぬ無垢な娘がその場に居合わせたら、きっとそれだけ失神してしまうだろう。
一人テラスで黄昏ていると、誰かが近寄ってくる気配がした。
「こんなところで、一人寂しく休憩だなんて。ほーんとにかわいくない娘ね。」
なんでこいつがここにいるんだ・・・。
「はぁ、シルビア・・・。ずいぶんお早い到着ですね。最も、初戦は既に終わっていますから、ある意味出遅れていると言えますけど。」
「あら、帝国最速の部隊が駆けつけてくれたのに、随分ないい様ね。この私が直々に指揮をとっているんですもの。これくらい訳ないわ。」
最後にシルビアと会ったのはグランドレイブの王城だったはずだが。まさか、あそこから一度オーネット領へ戻って、アダマンテの最北端までを、たった1日半で可能にするなんて。なんてでたらめな軍隊だ。
シルビアの言う通り、オーネット領が有する帝国最速の部隊は、ヴァンレムというウルフ型の魔物を飼いならしており、それらに魔法が使える騎士を乗せているのだ。ヴァンレムは、中型のウルフ種で、大きさはライオン程度のものだ。しかし、駆ける速度はライオンの比ではない。まっすぐな地上の道であれば、その速度は翼竜が空を飛ぶのと同等か、それ以上だと言われている。
ただ、それだけでは帝国最速の部隊は名乗れない。乗っている魔法士が、ヴァンレムの速度を上げる魔法を駆使して、理論上、限界を超える速度で駆けることが出来るのだ。
ヴァンレムの騎兵には、体重制限、身長制限が設けられており、その基準があまりにも厳しく、男性ではほぼ不可能な体形を維持しなければならない。必然的に部隊は女性のみで形成され、シルビア本人も、その中の一人だ。
もっとも彼女場合、乗っているヴァンレムがタイタン級なため、体形維持をせずとも、普通の女性であれば同等の速度を発揮できるのだ。つまり、一人だけずるをしているってことだ!
「ふん。その様子だと、随分こっぴどくやられた様ね。」
シルビアは、私の左手の怪我を見てそういった。まぁ、大した怪我ではないけど、むしろ、私以外の騎士たちは、ひどい有様なのだから、否定をすることはできなかった。
「・・・私、今疲れているのです。放っておいてくれますか?」
「そう。いいわ。あなたは終戦までそこで休んでいなさい。私が、あっという間に魔物どもを葬って差し上げますわ。」
かなり自信があるようだが、彼女の力があれば、それも難しくないのだろう。
ここから、こちらの戦力はどんどん増えていくから、それほど心配することはもうない。シルビアの言う通り、以後戦場へ出ずとも、この戦いの終わりはすぐそこに迫っているだろう。