英雄と殉死者と犠牲者と・・・
西の空に太陽が沈み始めると、サラマンダーの動きは極端に鈍くなっていった。すでに、掃討戦に移行し、逃げ惑うサラマンダーを追っかけまわしている最中だ。開戦時から戦闘を続けていた、北部州の騎士たちは、拠点に戻っているし、私たち竜騎兵の仕事も無くなっていた。代わりに、数えきれないほどの魔物の死体を、火の魔法で焼く仕事を淡々とこなしていた。
「ロウお嬢様。ここは我らに任せて、少しお休みになられてはいかがですか?」
傍に控えているソラン兵長が、心配そうにこっちを見て気遣ってくれた。肉の焼ける煙の臭いと、鼻をつんざくわずかな腐敗臭は、明らかに人体に影響がありそうなものだが、それは彼らだって同じことだ。竜騎兵を率いるものとして、そこから目を背けるようなする気はない。
「ご心配は不要です。私も、最後まで付き合いますよ。同じ部隊の所属ですから。」
「しかし、怪我もされております。せめて、傷の手当てをされてください。」
「いいえ。それは、皆さんも同じです。私一人が、特別扱いされるわけにはいきません。」
私は、現場に立たずに部下に仕事を任せるような、悪役上司ではない。貴族として、人の上に立って使命を全うするよう心がけているのだ。それに、実際には彼らは部下ではない。彼らの所属がアダマンテ領騎士団というだけで、私と彼らの間には、身分による差しか存在しないのだ。もっとも、それも前世の私からすれば、ほとんど気にするような事柄ではないし、身分が高い人間だから、休もうなどという気になるような薄情な性格ではない。
「それに、今は同じ戦場を生き抜いた者同士。亡くなった同胞を弔う気持ちを共有したいのです。」
当然のことだが、誰一人死なずに、この戦いが終わったわけじゃない。北部州の騎士たちからも、当然竜騎兵からも犠牲者は出てしまった。私のような貴族の娘が、彼らにしてあげられることなんて何もない。心の中にあるわずかな罪悪感を隠して、せめて彼らの魂が、安らかに天へと帰っていくことを願うばかりだ。
「お嬢様に弔っていただけるなど、此度の殉職者は、果報者ですな。」
「ふふふ、私は女神か何かではありませんよ?・・・戦場へ立つと決めた私の矜持ですから。死んでいった騎士たちの意思を、私は引き継いでいかなければならないのです。」
「・・・これからも、お供いたします。この命、尽きるまで。」
「ソラン兵長が命を落とすような戦いでは、きっと私も、命を落としているでしょうね。」
「おっと、それはいけませんな。何が何でも生き延びて、あなた様をお守りせねばなりませんから。」
こういう返しが一番返答に困る。うれしい言葉だけど、それはつまり、ソランは私には生き残る価値があると言っているようなもの。結局、騎士たちの中で、私は一人の兵隊としては映っていないのだ。
魔法のある世界だからか、それとも血筋が重視される社会だからか、人の価値が客観的に見えてしまうのは、前世にはない心苦しい概念だった。人は生まれを選べないのに、生まれた時にある程度、人としての価値が決めれられている。
価値のない人間に人権がないという話ではない。帝国にも個々を尊重する価値観はあるし、平民が迫害されているわけではないけど、頭ではわかっていても納得できないことではある。でもだからこそ、ノブレスオブリージュを体現せねばならないと私は思っている。
ソランと他愛もない会話をしていると、竜騎兵の一人が足早にやってきた。
「ユース侯爵様から、言伝を預かっております。ロウ閣下。エレオノールの公館までお越しください。」
「ユース侯爵が?」
これはタイミングが悪い。このまま引継ぎをするまで、現場には立っているつもりだったけど、そうもいかないらしい。ソランには申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「我々のことはお気になさらず。お嬢様は、お嬢様のすべきことをなさって下さい。」
「・・・はぁ、仕方がないですね。ソラン兵長。後の指揮をお願いします。作業が済み次第、騎士たちには、相応の休暇を与えてやってください。もちろん、翼竜たちにも。」
「お心遣い、痛み入ります。確かに引き受けました。」
去り際に、翼竜たちに声をかけてから、私は一人現場をあとにした。
エレオノールに着くまでの間、多くの騎士たちが、座り込んで休んでいた。その多くが体のいたるところを負傷ししていて、痛々しい姿を晒していた。亡くなった者たちの埋葬所に立ち寄り、僅かばかりの祈りを捧げてきた。遺体は鎧を着たままで、一見殉職しているようには見えないが、あの冷たい鉄の中には、酷い状態の体が収まっているのだろう。中には、四肢のどれかがかけている者のいる。
惨いものだ。この世界に転生して、私は初めて戦争を経験するけど、想像以上に精神的な苦痛が大きかった。平静を保っていられるのは、この世界に順応しているからだ。前世の私では、きっと、恐怖に心を奪われていただろうから。
エレオノールの城壁内へ足を踏み入れると、同じ地域とは思えない熱気が、冷えた顔面を撫でてむずかゆかった。雪国らしい趣の州都は、いたるところに篝火が焚かれており、まるでサウナにでも入ったかのように温かかった。中の人々も、活気にあふれる平民たちが、騎士たちのルクスの世話をしていたり、炊き出しを行っている者たちもいる。先ほどの砦と比べて、全体的に笑顔が多い。この明るさを砦にも持っていけたら、少しは騎士たちも心が休まると思うけど・・・。
公館では、アダマンテ領の騎士団の者がいて、その中には、騎士団長もいた。
「ロウお嬢様。よくぞご無事で。」
「ご苦労様です。騎士団長。あなた方のおかげで、命拾いしました。まさか、こんなにも早く駆けつけてくれるとは思っていませんでしたよ。」
アダマンテ領、帝国騎士団団長、シェレカン・ワーグバーグ。父が最も信頼を置く騎士で、古くからの付き合いだという。
「バロックス様が、事態を想定して、我々を先に行かせてくださったのです。」
そんなことだろうとは思っていたが、それはそれとして、領城から1万もの騎士を率いて、この帝国最北端までこうも早くつけるのは、彼とその配下の騎士たちの練度によるものだ。途中から雪道に変わるこの道中を一日足らずでたどり着いたのは、まさに奇跡だ。
「・・・お嬢様、これからどちらに?」
「ユース侯爵と、状況の整理をするため、ここに。どちらにいらっしゃるか、ご存じですか?」
それを聞いた騎士団長は、傍付きの者を呼んで、救急道具を持ってこさせた。
「その前に、どうか傷の手当てを。その状態では、体に毒です。」
あの魔物の鱗で切った傷は、手がかじかんでほとんど痛みを感じなかったから、すっかり忘れてしまっていた。改めてみると、綺麗に切れてはいるけれど、かなりの時間放っておいたから、血が固まって痛々しい見た目になっていた。
「できれば、お召し変えもしたいところですがね。魔物の血は、人間に有害なものが多いです。」
「はぁ、そうですね。ここに来てしまった以上、おとなしく手当てを受けるとします。」
自分一人が特別扱いされるのは、やはり気持ちの良いものじゃない。私が女であるというのも理由の一つなのだろう。そういう余計なお世話をしたがる気持ちはよくわかるけども。
傍付きに従って、お湯で手を洗い、匂いのきつい酒で消毒をされた。手がしびれほどの刺激で、手をぶらぶらさせてやりたくなったが、手首をがっちりつかまれているから、我慢するしかない。そのほかにも、顔や露出していた肌にかかった返り血を拭ってくれたり、この地域特有の防寒具を持ってきてくれて、至れり尽くせりだった。
ようやくユース侯爵の元へたどり着いた時には、既に外が暗くなっていた。
「すみません侯爵様。こんなに時間がかかってしまって。」
「お気になさらないでください。ご無事で何よりでした。早速ですが、前線での出来事、整理するために、どんな戦いだったかお聞きしたいのですが・・・。」
戦闘の記録は、今後のために常に記録しておくことが大切だ。年中魔物が進行してくるわけじゃないから、実際に戦ったものが、その経験を記しておかねばならないのだ。
サラマンダーの侵攻ルートや、その速度、体の強度や、戦闘時間。様々な項目を記していき、もちろん途中で乱入してきた、あの魔物についても話した。
「その魔物は、結局、襲ってこなかったんですね?」
「はい。今思い返しても、不思議な魔物でした。翼竜に似ているのに、私の竜使いにも、反応しませんでしたので。」
「ふむ。それは妙ですな。てっきりあの魔物が、タイタンネストかと思ったのですが。奴を仕留めれば、サラマンダーの群れも瓦解すると踏んでいたのは、考えが甘かったのかもしれません。」
実際、あの魔物が現れてからは、私もそう思っていたのに。彼は、サラマンダー隊に助力するどころか、敵である私を助けてくれた。もちろん、魔物がどこまで思考し、行動していたかはわからないけど。
「とにかく、これについても、しっかり記録しておかなければなりませんね。長年魔物の侵攻を目にしていますが、私でも、あんな姿の魔物は初めて見ましたので。・・・ふむ、翼竜でないならなんと呼称しましょう・・・。」
それについて、私は思い当たる言葉がある。それは、前世の記憶がある私だからこそ、思いつくもので、この世界の住人達に、それを告げるのは無理があるかもしれない。
ドラゴン。あるいは、龍と。
「・・・そうですね。りゅ、いや、アンノウン、とでも言いましょうか。」
「アン、ノウン?どういう意味です?」
「正体不明っていう意味です。仮称として、そうしておきましょう。」
「なるほど。では、そのように。」
龍という存在は、前世ではおとぎ話の空想上の生物。けど、ここでは伝説として語りづがれる獣。いるかどうかわからないという設定的なことは、確かに同じだけど。こっちの世界では洒落にならないことになる。翼竜だって、見方を変えれば龍の一種と考えても相違ない。あの魔物が正真正銘の龍だというなら、彼が人にもたらす絶望は計り知れない。
「それで、被害はどのくらいに?」
「はっ、北部州の騎士たちは総勢6700人います。今回、戦いに参戦てきたのは4000人程度ですが、736名の殉死者を出しました。想定以上の被害です。」
736名。参加できた人数も4000だったからか、人員被害もそれに伴って増えてしまったのだろう。想定では、500人未満に抑えて戦えるはずだったが、敵の数も味方の数も想定通りにならなかったのだろう。それでも、中盤のアンノウン乱入も含めて考えれば、少ない犠牲で乗り切れたといえるだろう。
戦争は、始まりが一番苦境となる。一度始まってしまえば、慣れによって淡々と進んでいく。どれだけ戦死者が出ても、最後に勝利を治めれば、全て報われていく。
帝国騎士の全力の内、たった736人と考えれば、ほんのわずかな犠牲だ。・・・それ以上のことは、私が考える必要は、ないんだ。