邂逅
いったいどれくらい、降下と上昇を繰り返しただろう。ボスにそれをやらせるたびに、彼の背中からさらなる熱量が溢れ出てくる。ここまで本能をむき出しになった姿を見るのは初めてだった。すでに彼から聞こえてくる声は、言葉を成していない。本当なら、群れのど真ん中へ降り立って、力の限り大暴れしたいのだろうが、相手の数が多すぎる。瞬く間に囲まれて、圧迫されて無事じゃ済まないだろう。
それに、既に騎士団も群れとぶつかり合い、乱戦となっている。味方を巻き込みかねない。けど、このまま無尽蔵に戦い続けていられるわけでもない。
再び空へ上昇したときに、ちらりと北を見た。そこには途切れることのない魔物の行列ができている。それを見て、つい舌打ちをしたくなる。今は戦闘中だから、どんな姿を晒しても気づかれはしない。いら立ちに任せた表情だって。貴族として、上に立つ者として、決して弱みを見せないという矜持も、今は必要ない。けど、それで自分自身も不安に駆られていては世話ない話だ。
ボスに攻撃をやめさせ、さらに高高度へ登らせた。
「はぁ・・・はぁ・・・。2万。・・・本当に?大名行列もびっくりね。」
2万という数字が、頭で理解している数字でしかないことに、今さらながら気づかされた。その数を現実に目の当たりにして、いかに自分たちが無謀なことをやっているか思い知らされた。
地上を見渡すと、騎士団は善戦しているようだが、いずれ限界が来る。それが1時間後なのか、半日後なのか、私には見当もつかない。ただ、少なくとも日が沈むまで、サラマンダーは活動を続けるだろう。
「っ・・・。無茶でもなんでも、やるしかないみたいね。」
我ながら馬鹿な事を考えていると思う。話は単純。単騎で味方に影響が及ばない群れの後方で、大暴れするしかない。滅びの真炎のような大魔法はもう撃てないが、ボスと一緒に時間を稼ぐことはできる。無茶であることは百も承知だけど、貴族として戦場に立つ以上、覚悟はできているつもりだ。例え命を失く結果になっても、アダマンテ領の騎士団が来るまでの時間を稼げればいい。そう思って、意を決したとき、当たりがふっと暗くなった。
「えっ?」
まだ夜が来るには早すぎるし、何よりそんな急に暗くなるわけじゃない。
「何?雲?」
不思議に思って、体制を崩さないように空を見ると、そこに雲はなかった。けど、自分の周囲だけが暗くなった理由が分かった。影であることには間違いなかった。けど、その影を作り出しているのは、雲ではなかった。
「あっ、はっ、逃げて!」
とっさのことで、思わず普通に叫んでしまった。竜使いを通さずに人の言葉で言っても、翼竜たち理解できない。しかし、まるで私の言葉を理解したかのように、ボスは怯えた鳴き声を上げながら、強引にその落下体から避けるように体をねじった。おかげでこっちは鐙から足が外れそうになって、落ちるところだった。
「なんだあれ!?」
落下体を見て、戦争とは全く関係ない不安が胸をよぎった。
「翼竜?あんな姿、見たことない。」
落下体は、サラマンダーの群れの中へ落ちて、地上は阿鼻叫喚としていた。
赤黒い甲殻。翼竜とは違い、4足の獣。長い首と尻尾。そして、背中から生えた一対の翼。大きさは、ボスより少し小さいくらいだが、並の翼竜を優に超える体躯を持つ。
帝国で一般的に知られている翼竜は、どちらかと言えば、コウモリが大きくなったと考えればイメージしやすい。一応前足というものは存在するが、翼と一体となっていて、翼脚と呼ばれている。けど、あの魔物の姿形は、翼竜のそれとは大きくかけ離れている。
落ちた魔物は、地上の土煙の中にいて、見えなくなってしまった。周囲のサラマンダーたちも足を止め、その魔物から逃げて行っているように見える。
「もしかして、タイタンネスト!?まさか、この群れに紛れていた?こんな時に・・・。」
魔物の親玉の一体だと考えれば、これだけの群れを先行させて、けしかけたのも納得できる。だけど、なにやら様子がおかしかった。地上に落ちた魔物に対して、サラマンダーたちは威嚇していた。尻尾を蛇のように震わせて、魔物に向かって吠えている。
対して魔物の方は、大きく咆哮を上げたかと思うと、翼を大きく広げて、飛ぼうとしていた。その視線はどうしてか、こっちを見て・・・。
「って、なんで、こっちに来るのよ!」
上昇する速度は翼竜の比ではなかった。私が指示を出すまでもなく、ボスは躱してくれたが、魔物は執拗にこちらを追いかけてきた。空中でのドッグファイトが始まり、私はとにかく、ボスに捕まっているのがやっとで、視界の隅にわずかに魔物を捕えるので精一杯だった。
あれが翼竜なのだとすれば、竜使いを使って、服従させることも出来なくないだろう。しかし、本当に翼竜なのだろうか?
「どうして?あの子、声が聞こえない。」
例え我を忘れていても、言葉として聞き取れないだけで、ボスたちの声は今も聞こえている。だが、あの魔物からは声そのものが聞こえなかった。この力を以てして、意思疎通が取れないというのは、不可思議なことだ。
それになんだか、あの魔物は、苦しんでいるようにも見える。襲い掛かってくるものの、飛び方が変だった。まっすぐ飛べていないというか、視線がまっすぐこちらを向いていないのだ。目が回っているように、ふらふらと飛んでいる。それでもボスに引けを取らない速度で飛んでいるのだから、あの魔物の潜在能力はとてつもないものだ。
空中戦を繰り広げていると、糸が切れた人形のように、魔物は羽ばたきをやめ、再び地上へ落ちていった。だが、逃げ回っていたせいで、今度はよくない場所へ落ちてしまった。騎士団とサラマンダーが戦線を作り出している傍だ。
「まずい。あれじゃあ、戦線が崩れる。」
案の定、空から乱入してきた物体に、騎士団は慌てふためいて、引かざるを得なくなっていた。そして、サラマンダーの侵攻も、落ちた魔物から逃げるように散っていく。やはり、サラマンダーはあの魔物に畏怖しているようだ。まっすぐに南へ向かっていた群れが、左右に広がっていく。騎士団はそれに対処するために、同じく戦力を横に広げざるを得ない。
落ちた魔物は、目の前のサラマンダーたちに襲い掛かっている。敵なのか味方なのか、もうめちゃくちゃだ。だが、散っていくサラマンダーは徐々に北へ逃げて帰っていく。あの魔物がそんなに恐ろしいのか。確かに、ボスからも、あれを恐れる声が届いている。先ほどまで殺戮の限りを尽くし、我を忘れていたのに。
――― ニゲル ニゲル コワイ トブ ニゲル ―――
他の竜騎兵たちも、各々制御が効かないほどに、パニック状態になっていた。このままでは、乗っている騎士たちが振り落とされかねない。
「っぅ。・・・ごめんね。我が意に従え!竜戦隊。」
竜使いの力で無理やり服従させた。パニックだった翼竜たちは、さっと静まり返り、私が思うままに編隊を組みなおさせた。本当はこんな事したくなかったけど、あの魔物をどうにかしなければ、サラマンダーが逃げ出したとしても、戦場を滅茶苦茶にされる。
「ロウお嬢様!」
「あれをどうにかします。総員、魔法攻撃の準備を!」
背中に乗る竜騎兵は直ちに、攻撃態勢に入り、私は翼竜たちを操って、全方位からあの魔物を叩けるように配置させた。
騎士団の者が標準で使用可能な簡易魔法、魔擲槍。魔力で生成された槍を放つ魔法だ。詠唱も必要なく、触媒となる道具があれば、大半の者が使える。当然、竜騎兵は特別に訓練されたエリートだ。使えない者はいない。
魔擲槍の威力は、使うものの魔力に比例するが、どれだけ出し惜しみをしたとしても、着弾すれば小屋一つ吹き飛ばすほどの威力がある。それを300人同時に放てば、あの魔物でもひとたまりもないはずだ。
なおもふらふらと飛び上がってきた魔物を、取り囲むように翼竜を動かし、
「放て!」
ソラン兵長の掛け声とともに、竜騎兵たちは一斉に魔力の槍を投擲した。無数の青白い槍が、魔物の体に向かって飛んでいく。獲った!そう思ったとき、魔物は、今までにないほどの咆哮を戦場へ轟かせた。
まるで空気の振動が目に見えるようで、その轟に視界も、聴力も、思考力さえも奪われてしまったかのようだった。そしてなぜか、魔力の槍がかき消されていた。300本、全部。
くらくらする頭を必死に回して、次の手を考えようとした。だが、いったいどうやって魔法をかき消したのかすら見当がつかない。いったい何が起きたんだ?
――― 〇&%)♯>+* ◇ノヲ オ$♯&( ―――
その時初めて、あの魔物の声が聞こえた。ただ、ジャギジャギとノイズのような妙な音が混じっているけど。
「何?何を言っているの!?」
竜使いによる声が聞こえるなら、こちらの意思も伝わるはず。魔力を込めた刺剣を魔物へ向けて、命令した。
「服従せよ!」
――― ツノ{‘* タノ”)$( ツノヲ!? ―――
声は変わらず聞こえてくるが、竜使いに反応しない。けど、さっきよりも声が鮮明に聞こえている。ツノ。角?
「角が?なんだって?」
こちらの言葉にはやはり反応せず、挙句ボスへ向かって突進してきた。
意表を突かれたのか、ボスは躱しきれなかった。私は魔物の方を操ろうとするのに必死で、ボスに指示を出すのが遅れて、空中で思いっきり衝突してしまった。その衝撃で鐙から足が抜け、手に持っていた手綱も話してしまった。
一瞬の浮遊感。頭の中でこれから起こるであろうことがありありと思い浮かんでくる。それを回避しようと、必死に手を伸ばすと、魔物の固く鋭い甲殻に指先が届いた。力を込めると、人の手ほどの大きな鱗をしっかりと掴んでいた。しかし同時に激しい痛みが襲い、手から赤い血が垂れてきた。
鱗が鋭すぎて、握っただけで人肌を切ったようだ。そんな痛みなど気にせずに、私は刺剣を魔物の甲殻へ突き立てた。はじかれると思っていたのだが、どうにか剣先が鱗を貫き、何とか魔物にぶら下がることが出来た。
ボスはぶつかった衝撃で地上に落ちてしまったようだ。こっちの魔物はというと、何かに苦しみ悶えながら、空を飛んでいた。いや、天に向かって上昇していた。
どうやら、ちょうど魔物の背中辺りに剣を突き刺したらしい。ごつごつとした甲殻に足を掛け、どうにかバランスを取ることが出来た。
――― ツノヲ タノム コレヲ オトシテクレ ―――
ようやく、彼の声が鮮明に聞こえてきた。しかし、その声は翼竜の者とは思えないほど流暢なものだった。
「あなたは・・・いったいぃ・・・。」
とんでもない速度で高度を上げている。気圧が急激に上がり、耳の奥が激しい痛みに襲われる。空気も薄くなり、意識が、・・・飛びそうになる。
――― ツノヲ オッテクレ タノム!!! ―――
消えゆく意識の中で、彼の後頭部を見た。彼の甲殻と同じ色の角が伸びている。そして、それとは別の、紫色の気味悪い色をした、バラの棘のような角が、生えて、いや、突き刺さっていた。
あれを、どうにかすればいいのだろうか?意識も飛びかけている中で、もはや考えている暇はなさそうだった。
左手をかざし、薬指にはめた指輪に魔力を集中させた。指輪の黄色い宝石から、光が放たれると、徐々にそれは鎌のような形に変わり、その切っ先が紫色の角に向かって飛んでいった。
「斬!」
光の鎌は、見事に異質な角を叩き切り、粉々に砕いた。その瞬間、体が上へ引っ張られる感覚が消え去り、ふわりと浮かぶような感覚がした後、私の体は真っ逆さまに落ちていった。
角が砕けた途端、魔物の動きが止まったのだ。天へと向かって飛んでいた力もなくなり、魔物も私と一緒に、自由落下を始めていた。しかし、その時私はもう、意識を保っていられなかった。体が落ちる感覚だけが、今起きている状況をしらせてくれていて、そして、ここで命果てるのだと、眠りながら悟ることしかできなかった。