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9.危機一髪

今夜は王宮主催の春の夜会。


春の花を連想させるような色とりどりのドレスをまとった貴婦人たちがホールで優雅に踊り、木々のあいだでさえずる鳥のようにお喋りに興じる。

クリームイエローを基調とするこの王宮には春の夜会が一番似合っているとメルは感じていた。


一通りの挨拶を終えたメルは父王の横に戻り、静かに息を吐いた。夜会というのはきらびやかな反面、気疲れも大きい。少し父の隣で休ませてもらおう。


「今夜は盛況ね」

「ああ、そうだな。春の夜会は人気だからなぁ」


夏と冬は領地に帰っている貴族も多いので、比較的こじんまりとした夜会になるのだが、春と秋はそのぶん人が集まってくる。今夜もホールには大勢の貴族が集まって、華やかな熱気に包まれていた。

メルは疲れを追い出すようにもう一度、ふぅと息を吐く。父王はそんなメルを横目に見て、片手を上げた。やってきた給仕からドリンクを受け取ると、その一つをメルに渡す。


「冷たいものでも飲んで、落ち着きなさい」

「ありがとう。ちょうどのどが渇いていたのよ」


メルはごくごく飲みたいのを我慢して、優雅に見えるようグラスを傾ける。春の夜会にふさわしい、鮮やかなイエローのドリンクだった。


(ん? 意外と強いかも?)


口当たりが爽やかで飲みやすかったため、ふつうに飲み進めてしまったが、だんだんと胃が熱くなってきた。


「どうした? 酔ったか?」

「ええ。すこし」

「ここはもういいから、休憩室で休んでいなさい」


そんなにお酒に強くないメルは、父王の言葉に甘えることにした。

父王の侍女に付き添われ休憩室へ入るとソファに座り込んだ。侍女が差し出してくれた水を一口飲んで、熱くなった呼気を鎮める。


「ありがとう」

「わたくしはケイトさんを呼びに行ってまいります」

「ええ、お願い」


侍女はうなずくとケイトを探すために退出した。夜会の途中まではケイトがそばに控えていたはずなのだが、いつの間にか見当たらなくなっていた。こんなときはいつもケイトがそばにいてくれたので、なんだかちょっと心細くなるメルである。


(それにしても体が熱いわね……)


部屋を見渡すとテラスに続く窓があった。風に当たろうと立ち上がったとき、ガチャリと扉があく音がした。


「ケイト?」


しかし扉から入ってきたのは、薄茶色の髪をした男だった。

ノックもなく不躾に入ってきた男を見て、メルは眉を寄せながらも冷静に声をかける。


「申し訳ありませんが、この部屋はわたくしが使っております。休憩なさるなら別の部屋をあたってもらえませんか」


メルの言葉に男は引きつったような不器用な笑みを浮かべた。


「これはメルティナ殿下ではありませんか。もしや体のお加減が悪いのですか? 僭越ながら私が付き添っていましょう」


男がニヤニヤと笑いながらメルに近づいてくる。

気持ちの悪さを感じたメルは後ずさりながらも、男をにらみつけた。


「いえ、結構です。すぐにわたくしの侍女が参ります。あなたはお引き取りを」

「まあ、そうおっしゃらずに。侍女殿が来るまででもけっこうですので、少しのあいだ私と一緒に過ごそうではありませんか」


差し出された男の手を無視して、メルはじりじりと後ろに下がる。王女に対してここまで不躾に迫ってくる男は何者なのか。メルは頭の中の貴族名鑑を必死にめくる。


(この男、いったい何なの?! どこかで見たことがある気がするんだけど、思い出せないわ)


無遠慮に近づいてくる男にメルは語気を強める。


「それ以上近づかないで。大きな声を出すわよ」

「声を上げて人が集まったら、困るのは殿下ではありませんか?」

「どういう意味よ」


にらみつけるメルに怯えもせず、むしろ笑みを深める男を見て、メルの背に嫌な汗が流れた。


「殿下もすでにお気付きなのでは? この場に人が集まれば、殿下と私のあいだに何かあったと思われるでしょう。殿下の名誉に傷がつき、醜聞を抑えるためにあなたは私のもとに嫁いでくるしかなくなるのです」


悔しいことに男の言うとおりだった。未婚の王女が個室で男性と二人きりだったと噂されれば大きな醜聞だ。ここで助けを呼ぶために叫んだとしても、本当に助かるかはイチかバチかの賭けになってしまう。ケイトや近衛などメルに近い者が駆け付けてくれた場合は、噂にならずに助かるだろう。でも他の使用人や招待客が現れた場合は、瞬く間に噂が噂を呼び広まっていくだろうことは簡単に予想できた。


メルは悔しさに唇を噛みしめる。自分は絶対こんな男と結婚したりはしない。そう強く思った。メルの相手は未来永劫ただ一人。


(……ユリウス様)


にらむメルに、ニヤつく男。

硬直状態の部屋に遠くから駆けてくる足音が聞こえた。メルは瞳を揺らして迷う。


(どっち? ケイトなら助かるかも。でもそうじゃなかったら終わる……!)


メルは意を決して窓に飛びつくと、鍵をあけて素早くテラスに出る。サッと見回すが、庭に降りる階段はついていなかった。


「メルティナ殿下!」


急にテラスに飛び出したメルの行動に驚いた男が慌ててこちらへ駆け寄ってくる。メルはテラスを囲む手すりに足をかけると勢いをつけて乗り越えた。

ドスンと膝から着地してしまったが、幸いにもドレスがクッションになってくれたおかげで擦りむいた程度だ。


「メルティナ殿下っ?!」


男が焦ってテラスに出てくる。メルは急いで立ち上がると、そのまま庭へ駆け出した。男と二人でいる所を見られなければ、あとは何とでもなる。そう思い、走りながら庭の地図を思い浮かべた。


(ここからなら、王族専用の庭が近かったはず。とりあえずそこまで逃げきれれば)


子どもの頃と比べて室内で過ごすことが多かったせいで、自分が思うよりも体力が落ちているようだ。走っているつもりが、早歩き程度の速度になってしまっている。はあはあと息を弾ませながら、そろそろ休んでもいいだろうかと振り返った。


(うそ?! 追ってきてる?!)


自分の荒い息遣いのせいで、追手の足音に気付かなかった。どんどん近づいてくる追手のシルエットに、メルは慌てて走り始めた。だが、疲れた脚は思うように動かずもつれてしまう。


(しまった……!)


転ぶ! そう覚悟した。

だが、傾いていくメルの体を勢いよく引き戻す腕があった。


「メルティナ殿下」


はあ、とメルの頭上で安堵の息を漏らす、その声の持ち主は。


「コンラッド様?!」


メルは体勢を整えてもらいながらも、驚いて目を見開く。


あの男じゃなくて良かったという恐怖からの解放。そしてコンラッドが来てくれた安心感。メルの膝がいまさらながらガクガクと震えはじめた。

もしかして先ほど部屋で聞いた足音はコンラッドのものだったのかもしれない。


(なんだぁ。あのまま待っていれば助かったのね。ムダに頑張っちゃった)


メルは肩で息をしながら、力の抜けた笑いをもらした。


「メルティナ殿下、お抱えしてもよろしいですか?」

「ううん。少し待てば歩けるようになるから、大丈夫。悪いけど、ちょっと待ってね」


コンラッドに支えてもらい、足の震えが治まるのを待ってから、メルたちは部屋に戻った。

そしてそこで衝撃の事実を明かされたのである。





「えっ?! あの男、お父様が仕向けた罠だったの?!」





自室に戻ると父王が待っていた。

メルが襲われそうになったのを聞いて、心配してきてくれたのだろう。そう思うとメルの胸が温かくなった。


しかし聞かされた真実は違っていたのだ。


はじめは自分が仕組んだことを黙っていようと思っていた父王も、メルが震えるほど怖がっていたとコンラッドから報告を受けて、気が変わったらしい。

メルを怖がらせたままでは可哀そうだと思ったのか、このままトラウマ化して男嫌いになられては困ると思ったのか。実は……と白状したのだ。


「実は『メルをコンラッドに惚れさせよう大作戦』だったのだ」

「は?」


マヌケなうえに聞き捨てならない作戦名にメルの眉がピクリを上がる。意図せず声が低くなってしまったのは仕方がない。


「いや、メルや。そんな怖い顔をしないでくれ。これもおまえのことを思ってやったのだよ」

「は?」

「いや、だからな? メルが休憩室で男に襲われそうになる。そこにコンラッドが颯爽と登場してメルを助ける。己の危機にあらわれたコンラッドにときめくだろう? 助けてくれたコンラッドに惚れるだろう? そこに騒ぎを聞きつけた招待客が集まれば、もう結婚一直線だ。つまりは、そういうことだったのだ」

「そういうことだった、じゃないわよ!」


メルに強めのお酒を渡したのも、侍女がメルを休憩室に一人残していったのも、ケイトがそばにいなかったのも、すべて父王の仕業だったらしい。ちなみに休憩室にあらわれた男は父王付きの侍従だった。


(どうりで、どこかで見かけたことがあると思ったはずよ!)


もしやと思ってケイトとコンラッドを見やると、二人はそろって首を横に振った。

どうやら二人は父王とグルではなく、巻き込まれただけらしい。


「まさかメルがテラスの柵を飛び越えて逃げるとは思わなんだ」

「なにが、まさかよ! 知らない男から迫られたら怖くて逃げるに決まってるでしょ! もう許せない! 出て行ってー!」


メルはぐいぐいと力任せに父王の背を押して扉の方へ追いやる。コンラッドも他の近衛も、さすがに呆れた顔をしながら父王を連れて出て行ってくれた。


部屋に残ったのはメルとケイトのみ。

ケイトは黙ってクッションを差し出してくれた。メルはそれをむんずと掴んで、父王が出ていった扉へと思いっきり投げつける。


「もう! 信じられない!」


怒りが収まらないメルのために、ケイトは気分の落ち着くハーブティーをいれてくれた。それを一口のみ、ふーっと息を吐く。

遅い時間だが、このままでは眠れそうにない。気を紛らわすために、机に置きっぱなしにしていた本でも読もうかと手を伸ばして、ふと封書が届いているのに気が付いた。


「あら。これは」


封書の中身を確認して、メルはにやりと口角を上げた。

何の気なしにやっておいたことが、今ここで役に立とうとは。


「ふ、ふふふっ」

「姫様? もしや怒りを通り越して、笑うしかなくなったのですか?」


急に笑い出したメルに、ケイトが戸惑いの目を向けてくる。ケイトを安心させるために封書の中身を見せてあげた。が、逆にケイトの驚きや戸惑いが強くなってしまった。


急な話なので仕方がない。メルだって今の今まで本当に実行に移す気はなかったのだ。

でも――。


(お父様がそうくるなら、こっちだって相応にやってやるんだから!)


「来月からシュタルク帝国に留学するわよ!」



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