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6.わたしの光

 

 ついに迎えた100日目。

 朝陽が雪に反射してレイクルイーズの地がキラキラと輝いて見える。

 メルの心も同じように輝いていた。朝からソワソワとユリウスが訪れるのを待っている。

 しかし今日に限ってなかなかユリウスは姿を現さない。


「ユリウス様……なにかあったのかしら?」


 窓に張り付いたまま離れないメルに、ケイトがショールをかけてくれた。


「朝から護衛隊の方々もなにやらバタついていますし、もしかしたら騎士団でなにかトラブルがあったのかもしれませんわね」

「そうね。ユリウス様も騎士団の一員だものね」


 メルはユリウスが来ない可能性を考えていなかった。事情があって遅くなることはこれまでも何度かあったのだ。必ず彼はやってくると信じていた。

 だが時間が経つにつれ、ソワソワした気持ちがジリジリとした焦りに変わっていく。


「ユリウス様……」


 もう何度目になるかわからない彼の名をつぶやいた。


 そのとき、門のところに人影が見えた。メルは窓に顔を張り付けじっと目を凝らす。


「使者様?」


 近づいてくる人影はユリウスではなく使者だった。

 昨日、使者は手紙を読み終えると、辺境伯に話すことができたといってユリウスの後を追う形で馬車を走らせた。どうやら昨夜は辺境伯邸に泊まったらしい。でも――。


「でも、なぜお一人なのかしら? ユリウス様と一緒に来てもいいのに」


 ユリウスは徒歩でこの邸に訪れることになっていたため、置いてきたのだろうか。ユリウスはどうしているのだろう。使者に状況を聞いてみようとメルは窓から顔を離した。ちょうどそのとき、ノックの音が響いた。


「メルティナ殿下。今、よろしいでしょうか」

「はい。どうぞ」


 辺境伯邸から帰ってくるなりメルを訪ねてくるなんて。なにか問題が起こったのだろうか。不穏な影を感じながらも、メルは使者に椅子をすすめて向かい合った。ケイトがお茶を用意するため部屋を出ようとしたが、使者がそれを止める。


「お茶はいいので、あなたもメルティナ殿下の横で話を聞いてください」

「……はい」


 ケイトも不穏な空気を感じ取ったようで、困惑しながらもメルのすぐ後ろに控えた。

 使者は膝の上に乗せた手をグッと握りしめたあと、静かに息を吐く。


「メルティナ殿下。どうか冷静にお聞きください」


 そしてメルの目をまっすぐに見つめた。


「ユリウス殿はお亡くなりになりました」

「……っ」


 メルの喉がヒュッと鳴った。なんだろう。やたらと心臓の音がうるさい。なんだろう。なんだろう。なんだろう。


「姫様っ」


 肩に置かれたケイトの手の重みでメルは我に返った。ハッと短く息を吐き出す。無意識にケイトの手に自分の手を重ねた。細くて少し冷たい手だった。ユリウスとは違う手。


「どういうことですか?」


 メルの声が上ずる。いつもは淡々と話す使者が、今日は息苦しそうに話を始めた。


「昨日、ユリウス殿は辺境伯邸に戻られた後、ずっとご自身の部屋にこもっておられました。そして今朝、いつも出掛ける時刻になっても姿を見せないため、騎士の一人が声をかけに行くと、部屋にはおらずベッドに寝た形跡もなかったと。そこからユリウス殿の捜索が始まったのですが、見つからず」

「それで?! それだけじゃユリウス様は死んだとは言えないでしょう? どこかに出かけた可能性だって……」


 言い募るメルを痛ましそうな顔で使者が見返す。


「100日目を控えた今、ユリウス殿が他所へ出かけるなど考えられません。万が一の可能性もありますので湖の反対側の街まで騎士を派遣し探させましたが、目撃者はいませんでした。そして捜索を続けたところ足跡を見つけたのです」

「足あと?」

「はい。辺境伯邸からこちらに向かう途中には、湖に向かう脇道があります。そこから湖まで足あとが残されていたと」


 メルの頭はこの話のあとに続く最悪の結末を予想してしまった。握ったケイトの手が震えている。いや震えているのは自分の手か。


(うそよ。そんなことありえないわ)


「ユリウス殿は湖に落ちたと思われます」

「違うわ……。なんでユリウス様が夜中に抜け出してまで湖に行くの。おかしいでしょ?」

「おそらくですが、ユリウス殿ははやく100日目を迎えたかったのではないでしょうか」

「どういうこと?」

「それは……」


 まるで苦渋の決断をするかのような使者の表情にメルは戸惑う。そんなに言い辛い理由なのだろうか。


「それは、夜中の0時を回ればそこからは100日目になります。だからすこしでも早く達成しようと0時過ぎに出発したのではないかと。そして暗闇のなか方向感覚を誤り、そのまま湖へ足を踏み入れてしまったのではないかと予測されます」

「そんな」

「姫様!」


 ガタガタと震えが大きくなるメルをケイトが抱きしめる。


(湖に落ちた? ユリウス様が?)


「助けに……」

「姫様?」

「助けに行かなきゃ。わたし! ユリウス様を助けに行きます!」

「姫様! 落ち着いてください」


 震えながら立ち上がろうとするメルにケイトが縋り付く。再びソファに沈んだメルは、それでも立ち上がろうと必死にもがいた。


「行かなきゃ! ケイト、離してっ。わたしが行かなきゃ! ユリウス様を助けなきゃ」

「姫様! 落ち着いてくださいっ。今行っても、もう」


 ケイトを振りほどいて立ち上がろうとしていたメルの手が彼女の頬に当たる。パシッと鋭い音がして、メルは我に返った。


「あ……ケイト、ごめんなさい。わたし……」

「わたくしは大丈夫です、姫様。どうか落ち着いてください」

「メルティナ殿下」


 動揺を抑えきれないメルに使者の低い声がかけられる。彼は悲し気にメルを見つめていた。


「殿下。湖はすでに騎士団の方々が探しておいでです。落ちたと思われる場所と、その周辺を探っていますが遺体はまだ上がっておりません」

「ユリウス様はまだ湖のなかに……」


 冬の冷たい湖の底にユリウスはいるのだろうか。昨日別れた彼は照れた顔で笑っていたのに。手を振るユリウスの姿がだんだん小さくなる。小さくなって、湖の底へ消えていく。暗くて冷たい水の中に落ちていく――。


「姫様!」


 メルの意識も暗闇の中へ落ちていった。





 意識を失ったメルはそのまま熱を出してしまい、ベッドから起き上がれるようになったのは一週間後のことだった。


 寝込んでいる間も夢に見るのはユリウスのこと。微笑むユリウスの柔らかな色をした金髪が揺れる。メルが触れようと手を伸ばすと、ユリウスは背を向けて遠ざかっていくのだ。あの日、別れたときと同じように。メルがどんなに行かないでと叫んでも届かない。メルの足はその場から動かず、焦燥感に駆られて必死に手を伸ばす。

 そんな夢を見たかと思えば、今度はユリウスに別れを告げられる。帝国に行くことになったからメルと結婚できなくなったと言うのだ。戻ってくるまで待っているとメルが言ってもユリウスは首を振るばかり。彼とメルの道はすでに分かたれたのだと告げて暗闇に消えていく。どうしようもなくツラい夢だった。


 だが目覚めてもユリウスがいない現実が待っていた。

 メルはすっかりふさぎ込んでしまった。そんなメルのそばには常にケイトが寄り添ってくれた。メルまで儚くなってしまうのではないかと気が気ではないらしい。

 たまに辺境伯や護衛隊長が来てくれて、ユリウスのことを話してくれた。念のために湖以外も捜索を続けてくれたが、彼の遺体は見つからなかったらしい。


 メルは何度も本当はどこかで生きているのではないかと期待した。


 でもそのたびに、それはあり得ないと気づいてしまう。ユリウスは心からメルとの婚約を望んでくれいた。あと1日で婚約が認められるのに彼が自ら消える理由がないのだ。何者かに襲われたのではとも考えたが、彼の部屋には争った形跡はなく、消えているのは防寒着とメルが渡したスヌードだけ。誰かに呼び出されたのではという推理も、ユリウスに恨みを持つ人物や、彼を害して得をする人物がいなかったため立ち消えた。そうやって辺境伯と騎士団が検証していった結果、使者が語ってくれた予測に落ち着いたのだ。


 メルは邸から出ることがなくなった。日がな窓辺に座り、門を眺めて過ごす。ある日ひょっこりユリウスが現れる気がして。それを見逃さないように。メルはずっと眺めていた。





 そうしているうちに雪が解け、春が来た。

 王都の父王より手紙が届き、メルの誕生日までに帰っておいでと書いてあった。


(本当はユリウスと一緒にお祝いするはずだったんだけどな)


 メルはユリウスがいないならば、どこで誕生日を迎えようが変わらない気がした。だが、どんなにメルがぼんやりしていても、周りの空気はにわかに活気づいた。王女が療養を終えて1年ぶりに王都へ帰るのである。帰り支度、辺境伯やお世話になった騎士団や護衛隊への挨拶などメルの生活が徐々に動き始めた。


(レイクルイーズが見たい)


 メルは最後にどうしても湖を見てから帰りたかった。ユリウスの瞳の色をした湖。彼が眠っているかもしれない湖を。


 ケイトと護衛とつれて林を歩く。ユリウスが隣にいない違和感が一歩進むごとに胸に迫って、メルは頻繁に目を瞬かせた。悲しみに震える心に気付かないふりをして、足早に歩く。この地にはユリウスとの思い出がたくさん詰まっている。今のメルはまだツラすぎて思い出に浸ることはできなかった。

 無言で歩き、ようやく見えてきたブルーグリーン。湖の水面に林の緑が映り込んで、神秘的な色合いをしていた。本当に彼の瞳のようだ。


 ――あなたは私の光なんです。


 ユリウスの言葉がよみがえる。

 湖はキラキラと光を反射していた。だけどその美しさもメルの心には響かない。メルにとってレイクルイーズの象徴は湖ではなくユリウスだったのだ。


 ――あなたは私の光なんです。


 彼にそう言ってもらえて嬉しかった。ユリウスのなかで光のように存在できるなら、こんなに嬉しいことはない。でも本当はユリウスこそが光だった。家族から離れて知らない土地にきたメルの心に光を灯してくれたのは彼だったのだ。彼こそがメルの光だったのに。


 ――あなたは私の光なんです。


 メルは湖に背を向けて歩き始めた。ユリウスにサヨナラを告げずに立ち去ることにした。


(さよならじゃない。まだ消えていないもの)


 メルの心にはまだユリウスがいる。まだ彼が灯した光は消えていない。彼の言葉も、彼の仕草も、彼の瞳の色も髪の色も、メルは全部覚えている。だからメルは大丈夫だ。ユリウスを思って生きていける。


 それでもどうしようもなく胸が苦しくて、のどが熱くて。必死にこらえていた涙がぼたぼたと流れ落ちてしまった。メルはユリウスの背を無くしてしまった。彼の背に隠れて泣くことは、もう一生できないのだ。その現実をまえに、また涙があふれた。


 婚約は二人のものだったのに。メルは条件の重さをユリウスだけに負担させてしまった。彼の言葉に甘えて。メルは温かな邸で待っていることしかしなかった。条件が少しでも良くなるように父王に訴えられるのはメルだけだったのに。メルの気持ちが通じるまで、何度でも手紙を送り続けることだってできたのに。メルはただ待っているだけだった。



 もうこんな後悔はしたくない。これからはメルが動くのだ。



 ケイトが差し出してくれたハンカチで目元を押さえながらも、メルは自分の足で歩いた。







 そうして王都に戻ったメルは、それから6年間一度もレイクルイーズを訪れてはいない。


 メルは決めていたのだ。

 王女としての務めを果たしたら、いつかレイクルイーズに戻ろうと。そこでユリウスの思い出とともに生きていこうと。


 メルは決めてしまったのだ。


(わたしの伴侶は生涯ユリウス様だけよ。 ユリウス様以外と結婚するなんてありえないんだから!)



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