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43.日記

 

 辺境伯夫人からユリウスの母の日記が届けられた翌日。

 ユリウスの隣でメルが編み物をしていると、邸内が慌ただしい空気に包まれた。


「どうしたのかしら」

「すこし騒がしいように感じますね」


 メルが編み物から顔を上げれば、ユリウスもまた首を傾げた。


「来客でしょうか」

「レイクルイーズに来客なんて、辺境伯くらいしか思いつかないけど。王都から急使でも来たのかしら」


 父王の滞在は明日までの予定だ。帰りを待てないほどの何かが起こったのだろうか。


「まあ、どちらにせよお父様にご用事でしょうし、わたしたちはこの部屋でのんびりしていましょう」

「そうですね」


 編み物の進行具合をユリウスに見せながら、おしゃべりに興じていると、焦りの表情を浮かべたケイトがやってきた。


「メル様、ユリウス様、大変です!」

「どうしたの? そんなに慌てて」

「先ほど、じょ……上皇陛下がお忍びでいらっしゃいました!」

「なんですって?!」


 今は父王と二人で話しているようだが、あとでこちらに来ると言っているらしい。


「上皇もこちらの様子を探っていたのでしょう。国王陛下が私を受け入れそうだと気づいて慌てたのではないでしょうか」

「急に来られたのは驚いたけど、お父様が王都に帰る前で良かったわ。政治的なことが絡むなら二人で話し合ってもらったほうがいいし。わたしたちはユリウス様に執着するのを止めてもらうよう話してみましょう」


 それからケイトに手伝ってもらい、部屋に上皇を迎え入れる準備を整えた。ユリウスの手元には例の日記が置かれている。


「上手くいくと良いわね」

「ええ、きっと上手くいきます」


 お互いに緊張を含んだ視線を交わし、勇気づけるように微笑み合う。

 そのとき部屋にノックの音が響いた。ケイトが扉を開けると、上皇と父王がそろって姿を現した。形式的な挨拶をしたあと、それぞれ席に着く。メルはそっと上皇に視線を向けた。


(即位式の時は遠目で拝見しただけだったから気付かなかったけど、近くで見るとユリウス様の瞳の色に少し似ているのね)


 ユリウスは明るいブルーグリーンだが、上皇の瞳は青味が強い。どちらかというと、カイの瞳に近いだろうか。


 上皇はメルの視線など気にも留めず、一心にユリウスを見ている。だがその瞳に息子の怪我を心配している色はなく、ただユリウスの顔を注視しているだけに見えた。

 メルはチラリと父王に視線をやる。父王は軽く頷くと、口を開いた。


「そういえば、辺境伯夫人から昨日贈り物がありましてな。マルガレーテ・フォルスト伯爵令嬢の遺品を息子のユリウスに届けてくれたようだ」

「グレーテの……」


 フォルスト伯爵令嬢の名に上皇が反応する。彼女の愛称を愛しそうに口の中でころがした。


「その中から母の日記が出てきました。あなたとの出会いも書いてありましたよ。上皇陛下」


 ユリウスが日記の表紙を撫でると、上皇の視線は日記に釘付けになった。


「読んでみたいですか? あなたへの思いが書かれてありましたよ」

「ああ! もちろんだ」


 上皇の声が弾む。ケイトがユリウスから日記を受け取ると、それを上皇の席まで届けた。上皇は奪い取るように日記をつかんだかと思えば、今度はそっと膝の上に日記を置いた。震える手で日記を開き、その文字をなぞる。


 もう上皇の意識からは、隣国の王が同席していることも吹き飛んでしまったのだろう。熱心に読み始め、やがてあるページに来ると、その手が止まった。上皇の表情が驚愕に染まり、困惑に変わる。信じられないものを見るように、同じページに何度も視線をさまよわせた。


 そして恐る恐る次のページをめくっていき、衝撃の事実に呆然とした。


(やっぱり、そうなるわよね……)


 あの日記には、ユリウスの母が上皇に出会ってからのことが書かれてあった。


 そこには、突然皇帝に見初められた困惑。侍女として後宮に入ることになった嘆き。幸せな結婚を見込めなくなったやるせなさ。皇妃である従姉を裏切ることになった苦悩。後宮での侍女生活の辛さ。そういうものが赤裸々に綴られてあったのだ。


 その日記を読んだ時、上皇の態度から二人は甘い恋人同士だったと思っていたメルやユリウスは大いに驚いた。愛し合っていたと思っていたのは上皇ただ一人。ユリウスの母であるフォルスト伯爵令嬢は権力に翻弄されただけだった。


 妊娠したとわかったフォルスト伯爵令嬢は、帝国にいては生まれてくる子の命に係わると判断し、隣国の親戚を頼って辺境伯領まで逃げてきたのだ。父を知らないユリウスへの申し訳なさもつづられており、メルは日記を読ませてもらいながら胸が痛かった。


「これで目が覚めましたか?」

「……」

「上皇陛下が抱いていた甘く切ない思い出とは違う、母の現実が書かれていたでしょう」

「私は、いったい……」


 日記から顔を上げた上皇は迷子のような表情をしていた。だがユリウスは冷たい表情を崩さない。


「あなたは確かに母を愛していたのかもしれない。だがそれは母の望んだものではなかった。母はあなたの愛に頼らず自分で幸せになる道を模索したんだ」


 上皇は自分が信じてきた思い出が崩れ去り、放心状態になっていた。とうてい信じたくない現実が日記として突き付けられた。愛しい人の真実を受け入れるには、酷な内容であった。


「私の愛がグレーテを不幸にしたというのか……」


 かすれた声で上皇がつぶやく。返事を求められていないとわかっていたが、メルはユリウスのために口を開いた。上皇に伝わってほしかった。


「生涯を共に歩みたいなら、自分が幸せになるために相手を愛するようではダメなのだと思います。相手が幸せになるように愛する必要があるんです」


 メルの言葉に上皇がピクリと反応する。ゆっくりと視線を上げると、どこか頼りなげな顔でユリウスを見た。


「そうか……。私はグレーテを愛して幸せだったが、彼女は違ったのだな。私はグレーテが幸せになるようには愛せなかった……」


 上皇はそう言うと、しばらく日記を見つめていた。そうして極穏やかな声でつぶやいた。


「ユリウス。おまえの願いを叶えよう」


 突然の申し出にメルとユリウスは顔を見合わせた。






 その日のうちに上皇はひそやかにレイクルイーズを発った。

 ユリウスは母の形見として日記と装飾品を渡そうとしたが、上皇はその装飾品をみて「自分が渡したものがない」と肩を落とした。結局、日記だけを持ち帰っていった。


 その後、ユリウスは上皇の子と認められた。だがすでに成人しており、皇族の教育を受けていないことから、皇位継承権はないと発表された。加えて、幼き頃から育ったアバンダ王国で辺境伯の養子になることが決められた。


 ユリウスがアバンダ王国に来ることで、帝国での無用な争いを避けられることになった。ユリウスは辺境伯の養子になれるのならば、上皇の子と認められなくてもいいと言っていたのだが、そこは上皇が押し通した。出自不明の人間が辺境伯の養子になるよりも、上皇の子だとわかっていた方が、ユリウスの社交のしやすさにつながるだろうとの配慮からだった。


 それを聞いたときメルは上皇が「相手が幸せになるように愛する」ということを実践しようとしているのではないかと思い、ユリウスと二人で微笑み合った。




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