30.噂の真相
帝国に入ってからは何事もなく順調な旅路だった。メルはある程度犯人像を絞れていたので、メルを招待したシュテファニー皇女や警備を手配したカイの落ち度になることはしてこないだろうと安心して道中を満喫した。そして予想通り無事に王宮までたどり着き、今はカイやシュテフィが過ごしている東離宮に滞在させてもらっている。
到着翌日からシュテフィとお茶をしたり出かけたりして帝都を楽しんでいた。だが即位直前のカイはさすがに忙しいらしい。カイに到着の挨拶をしただけでゆっくりと話すことはできなかった。それでもカイはなんとか時間を作ってくれ、シュテフィの自室で夕食後のお茶を楽しんでいた時に、顔を出してくれたのだった。メルが到着して4日後のことだった。
「メル様。やっとお会いできましたね。滞在中、不自由はしていませんか?」
「大丈夫よ。シュテフィ様にも離宮の皆様にもとても良くしていただいてるわ」
「それはよかった。私もご一緒に帝都を回れたら良かったのですが」
メルへの気遣いを述べつつ、カイは自分もメルと楽しみたかったと大げさに肩をすくめた。その様子が遊びに行けなくなった子どもみたいで、メルは思わず笑ってしまった。
「ふふ。カイ殿下も一緒に行けたらよかったけど、さすがに忙しいでしょ? ちゃんと休めてる?」
「ええ。実務的なことはほとんど終わっているのです。ただ形式的な儀式がいくつかあり、それに時間をとられてしまって。儀式の進行役が話しているあいだは目を瞑って神妙な顔を作りながら寝ていますよ」
「まあ」
「ふふふ」
そのままカイの近況や、離宮滞在中のメルの過ごし方などをひとしきり話した。
(そろそろ話してもおかしくない頃合いかな)
互いの話で場の空気が和んだ今ならメルが気になっていたことを話題に上げやすい。
「あのね……。カイ殿下がわたしを妃に望んでいるという噂が流れてるって聞いたんだけど。それはわたしとコンラッドの婚約話を回避するためにカイ殿下が流したの?」
「その噂はどこで?」
「アバンダ王国の外交官が教えてくれたの。お父様は慌てていたわ」
おかげでメルの婚約話は保留になってくれたが、この噂話を放置しておくと悪影響が出るだろう。カイはそこのところをどう思っているのだろうか。
「結論から言えば、私ではありません。ですが、噂を流した人物に心当たりはあります」
「それは誰なの?」
「私の婚約者であるカリーナ・アルムガルド公爵令嬢です」
「まあ」
「まさか」
そう。実はカイには婚約者がいるのだ。
(まあ、皇太子なんだから当たり前だろうけど。それなのに、わたしへの見返りに自分の妃の座を渡してもいいとか、結婚したいだなんてよく言ったわよね)
シュタルク帝国の皇帝は皇妃を二人まで娶ることが出来る。それゆえの申し出だったのだろうが、一夫一妻制の国で育ちユリウスとの思いを胸に生きてきたメルとしては、どうにもスッキリしない気分だった。
(今回の噂が立って一番ショックを受けているのはカイ殿下の婚約者だろうと思ってたんだけど……)
「カリーナ様が本当にそのようなことを?」
「わたしもそう思うわ。自分の立場が危うくなるような噂を流す必要がある?」
帝国では妃に序列はないとはいえ、そこは実家の力と権威がものをいう。公爵家がいくら大きくても、隣国の王女であるメルが嫁いで来たら、王女を正妃扱いしなければ面目が立たない。そうなれば公爵令嬢は格下の妃になってしまう。メルが来なければ、自分が一番でいられるのに。
「彼女は皇妃向きの人間なのです。つまり、帝国のためになるなら私情よりも国益を優先するような」
「それってつまり、アバンダ王国の王女を皇妃として迎えられた方が帝国の利になるから、あえて自分に不利になる噂を流したということ? 噂で外堀を埋めようとして?」
「ええ。私はそう睨んでいます。本人に問いただしても認めませんでしたが」
カイは疲れたようにため息をついた。カイと婚約者はあまり上手くいってないのかもしれない。
「メル様は婚約したくないとおっしゃっていたので、少しはあなたの役に立つかと思い、噂が過熱しすぎないよう注意しながらも放置していたのです」
「そうだったのね。結果的にわたしとコンラッドの婚約話は保留になったから助かったけど。帝国内での反応はどうなの? カイ殿下の迷惑になってない?」
「大丈夫ですよ。おそらくアルムガルド公爵本人もカリーナが噂の発信元だと気づいているのでしょう。彼女が皇妃になることはすでに決まっていることですし、今のところアルムガルド公爵家は動じていません」
「そう……」
カイからの情報はメルが予想していたものとまったく違っていた。
(まさかカイ殿下の婚約者自らが噂を立てていたなんて)
メルはここで話を聞くまでは、カイがメルのために噂を流したのだと思っていた。
(だからその噂を聞いた婚約者がわたしに刺客を差し向けたのだと予想してたんだけど)
嫉妬か権力欲か、あるいはそのどちらもか。カイとメルの噂を聞いた婚約者がメルを排除するために刺客を送ってきたのだと思っていた。
刺客が積み荷を無視してメルを狙ってきた時点で、メルもコンラッドもそう予想したのだ。メルを排除して得をする人物など、カイの婚約者くらいしか思い当たらなかった。しかしカイの婚約者ではないのなら、いったい誰がメルに刺客を送ってきたというのだろう。そして――。
(じゃあ、なんでユリウス様はあの現場にいたの?)
メルはあの日から今日までユリウスのことを考えない日はなかった。ユリウスはメルが帝国に行くことを止めようとしていた。そうしないと、殺してしまうかもしれない――そう言って。
――もしあなたが帝国に来るなら……私は殺してしまうかもしれない
メルはその意味をよく考えた。
今メルを消したがっているのはカイの婚約者とその実家くらいしかない。だからメルはユリウスがアルムガルド公爵家の縁者ではないかと推理したのだ。
(ユリウス様のご両親は帝国出身だと言っていたし、あり得ると思ったんだけど)
ユリウスはアルムガルド公爵家の関係者で、カリーナの邪魔となるメルを排除するように命じられた。だけど直前になって昔のよしみで助けてくれた。そしてもう狙われないように帝国へは来るなとメルに忠告した。
メルはそう推理していた。
(だってユリウス様が自分の意志でわたしを殺すなんてありえないわよ……)
メルは信じたくなかった。
――もしあなたが帝国に来るなら……私は殺してしまうかもしれない
ユリウスは権力者に命じられてどうしようもなくてメルを殺すしかないという立場にいると思いたかった。ユリウスが自分の意志でメルを殺す気があるなんて、絶対に思いたくなかった。
「カイ……カイ殿下の婚約者が本当に噂を流したの? 本当は違ってて、カイ殿下とわたしの噂に嫉妬しているんじゃないの?」
メルの縋るような眼差しにカイは息をのんだ。動揺して見えたのは一瞬のことで、カイはすぐに唇に笑みを乗せた。
「嫉妬はないと思います。彼女は国政には興味を示しますが、私自身には関心がないようなので」
カイの答えにメルはうつむいた。
婚約者が黒幕ならよかったのに。そうすればユリウスはアルムガルド公爵家の関係者だと思っていられたのに。
押し黙っていたメルはカイの視線を感じて顔を上げる。口元は弧を描いているのに、それとは裏腹に真剣な眼差しとぶつかった。
「あなたさえその気になってくれれば、噂のままで終わらせません」
カイの瞳をみれば、どういう意味かと聞くまでもない。カイはメルがその気になれば妃にしたいと告げていた。
わたしにはユリウス様だけだから。
いつもならそう言って断ることができるのに、今日は口を開くことが出来なかった。
――もしあなたが帝国に来るなら……私は殺してしまうかもしれない
メルの脳裏のユリウスの言葉がこだまする。
ユリウスはもうメルを愛してはいないのだろうか。