25.ブルーノの気持ち
メルは王宮に一週間ほど滞在しゆっくり休ませてもらうことになった。
その際に、領地に戻る前のブルーノと話す機会をもらうことができた。皇太子を陥れようとした人物ではあるが、メルにとっては公爵邸で助けてくれた優しい人物でもある。一言お礼を言いたかった。
「ブルーノ様。公爵邸では困っている所を助けて下さりありがとうございました」
「ティナ・アーベル……いえ、メルティナ殿下でしたね」
ブルーノはカイからメルのことを聞いたのだろう。公爵邸での気さくな態度とは違う丁寧な物腰だった。
「ごめんなさい。だましていて」
「いえ。私もあなたを危険にさらしてしまった。申し訳ありませんでした」
「ううん。今日はあなたにお礼を言いたかったのと、渡したいものがあったの」
メルがブルーノに会いに来た一番の目的と言ってもいい。
「渡したいものですか?」
「ええ。これを」
「これは……」
メルは箱からクリスタルの容器を取り出すと、そっとブルーノに手のひらに乗せた。
「そう。あのとき教えてくれた蝶の香水瓶。あなたが割ってしまったのをお姉さまと一緒に直したものだったわよね」
「そうですが……なぜこれを私に?」
「お姉さまとの思い出の品かと思って。あのとき、すごく優しい顔をして話していたから、あなたにとって大切なものだと思ったの」
「ティナ……いえ、メルティナ殿下。ありがとうございます」
ブルーノは手のひらにある香水瓶を切なそうな瞳で見つめた。
「私は皇太子殿下の腹心となるために生まれてきたんです」
まるで独り言のようにブルーノがつぶやく。
聞き流してもいいのかもしれない。でもメルはブルーノの話を聞きたかった。彼の胸に納まりきれない思いがあふれてきたようにみえたから。
「腹心に?」
「権力欲の塊である公爵はどうしても皇族の学友兼腹心になれるような子どもが欲しかった。しかし当時第一皇妃のご懐妊がわかった時、公爵夫人は子どもを産むことは難しい状態でした。だからあの男は公爵夫人と離縁し、私の母を迎え入れたのです」
「そんなことまでするなんて」
公爵の欲深さにメルは嫌悪感で眉をひそめた。
「母親を追い出して生まれてきた私を長男は許さなかった。公爵は子を産んだ後の母に用はなく放置していましたし、使用人も兄に同情的で、母と私はあの家で針のむしろのような状態だったんです」
険しい表情で話していたブルーノは、それでも香水瓶を眺めると、ふと目元を緩め蝶の羽を優しくなでた。
「でも姉だけは違った。私たち母子をかばってくれた。母が亡くなったときもずっとそばにいてくれた。冷たい邸の中でも小さな幸せを二人で見つけながら暮らしていたんです」
「優しいお姉さまだったのね」
メルは幼いブルーノとその姉の姿を思い浮かべる。二人にとって家族と呼べる存在はお互いだけだったのかもしれない。
「ですがそんな生活も姉が皇帝の第二皇妃になると決まったときに終わりました。第一皇妃が亡くなったあと、公爵が姉を第二皇妃にと強引に進めたようでした。姉は皇妃が務まるような性格ではなかったのに……。第二皇子を出産しても陛下は見向きもしなかったそうです。陛下が気になさるのはいつも皇太子殿下のみ」
ブルーノの手が香水瓶をなでる。まるで姉を労わるように。
「だから公爵の陰謀の手助けをしたの?」
「はい。大勢の使用人に囲まれながらも、陛下の寵もない押しかけてきた第二妃として肩身の狭い思いをしている姉をどうにかして助けたかった。姉が西離宮で幸せに暮らすには陛下に関心を向けてもらわなくてはならない。だから皇太子殿下を廃すことができれば姉の方に関心を向けてくれるのではと、浅はかにもそう思ったのです」
冷静に話を聞けば、ブルーノの言い分は身勝手なものだ。命を狙われたカイはたまったものではないだろう。でもメルはブルーノが本当にカイを殺そうとしたとは思えなかった。
「ブルーノ様はカイを……皇太子殿下を本当に殺すつもりだったの?」
「……いいえ。言い訳にしかなりませんが、殿下のお命を奪うつもりはありませんでした。危険な目にあったことを理由に皇太子の座を降りてくれたらと思っていたのです。だから警備が手薄になるときを狙うことはしても、決して一人になるタイミングを公爵に伝えることはしなかった」
香水瓶を掌に閉じ込めると、ブルーノは力なく肩を落とした。
「殿下はもともと公爵を怪しんでいたのに、私が側近になることを許してくれた。それは私の能力などではなく、公爵家での私の立場を慮ってくれてのことでしょう。私は殿下の信頼に応えたかった。でも冷たい場所にいる姉を助けずにはいられなかった」
ブルーノの声が震える。メルはかける言葉が見当たらず、ただ彼を見つめた。
「結局私は殿下を裏切ってしまいました。それなのに、殿下はまだ私たちに配慮して領地に居場所を与えてくださった。感謝してもしきれないくらいです」
ブルーノの手の甲にポタリと雫が落ちた。メルはたまらず立ち上がると彼の胡桃色の髪をなでた。
「むかし、わたしの大切な人がね、不安そうにしていたときがあったの。そのとき髪をなでてあげたの。わたしも彼から何度もなでてもらったことがあるの。とっても安心するのよ」
ブルーノの身体が一瞬こわばったが、メルの手を受け入れてくれたようだ。メルはブルーノの気持ちが落ち着くまで髪をなで続けた。
「まるで子どもの頃に返ったようでした。でも殿下にバレたら処分を重くされそうです」
メルがブルーノとの面会を終えて退室するとき、ブルーノは照れ臭そうに笑った。
メルはブルーノの冗談の意味は分からなかったが、彼の気持ちが少しでも晴れたならよかったと思った。




