14.公爵邸~ブルーノ~
ゼーバッハ公爵家での侍女生活は三週間目に突入した。
最近のメルの仕事は掃除以外にも各部屋の洗濯物回収からちょっとしたお遣いまで多岐にわたる。今日も二階の部屋のシーツ交換を終えてランドリールームへ向かおうとしていたら、公爵の私室から腰を押さえて出てくるローエに出くわした。
「ローエさん、どうなさったのですか?」
「ああ、ティナさん。たいしたことじゃないのよ。最近、腰痛がひどくてね。掃除も休み休みやっているの」
「大丈夫ですか? 掃除ならわたしが代わりますよ」
「ありがとう。だけど大丈夫よ。閣下のお部屋の掃除はわたしが任されているから」
ローエは侍女頭に次ぐベテラン侍女で高齢だ。立ったりしゃがんだり腰を曲げたりしながらの掃除は大変だろう。
それにこれはまたとないチャンスでもある。
「ローエさんが一緒に部屋にいてくださってもダメなんでしょうか? シーツ交換とか腰をかがめる場所だけでもわたしがやりますけど」
「そうねぇ……。じゃあ、わたしが机周りを掃除する間に、シーツの交換をお願いしようかしら」
「わたりました。手早くやってしまいますね」
こうしてメルはゼーバッハ公爵の私室に足を踏み入れることに成功した。
今後もローエの掃除を手伝う名目で、一緒に公爵の私室に入れるようにしておきたい。
(落ち着いて。今は怪しまれないようにシーツ交換に徹するのよ)
ベッドルームへの扉を探すふりをして、さっと部屋を見渡したあとは、素早くシーツ交換の作業を進めた。終わった後はベッドルームを見渡しながらゴミがないか確認する。本当にベッドしかないシンプルな部屋だった。
(ここに何かを隠すとかは出来なさそうよね)
すぐにローエのところに戻ると、他に手伝うことがないかと声をかけた。
「それだけで十分よ。助かったわ」
「もしよければローエさんの腰が良くなるまで、シーツの交換を手伝いましょうか?」
「まあ。お願いできる?」
「ええ、大丈夫ですよ。じゃあ、閣下のお部屋へ行かれる時は声をかけてください」
ランドリールームへ向かいながら、シーツを抱えた両手でこぶしを握った。
(やったわ! ひとまず公爵の部屋への潜入を果たしたわ! あとはローエさんの手伝いを継続して信頼を得つつ、チャンスをうかがうわよ)
公爵は自室の掃除を決まった侍女にしかさせない、というのを聞いたときからメルは怪しいと思っていたのだ。もし公爵の部屋を調べることができたら、暗殺計画書とか仲間からの手紙とか、そういう証拠品が出てくるかもしれない。
(カイに良い報告ができると良いんだけど)
メルはそう願いながら残りの仕事にうつった。
それからメルは毎日、公爵の私室のシーツ交換をさせてもらっている。はじめは少なからずメルの存在に意識を向けながら掃除をしていたローエも、メルがシーツ交換をしたらサッサと出ていくせいか、最近はメルに背を向けて作業をしていることも増えてきた。
(なかなかいい傾向よね。あとはあの部屋で一人になるチャンスが訪れたらいいんだけど、なんとかできないかしら)
メルは今、ギャラリーの展示物の埃を払いながら、どうしたら公爵の私室で一人になれるかを思案していた。ふわふわの羽がついたハタキをもってクリスタルの置物が飾ってあるスペースを優しくなでる。置物がゆらりと揺れて、メルは慌てて手で押さえた。
(なんでこんな繊細なクリスタル細工やら香水瓶やらをこんなところに飾っておくわけ?! 掃除しにくくて考え事すら出来ないじゃない)
ギャラリーといっても一部屋設けているわけではない。広くて長い廊下に絵画や美術品を飾って、応接室やホールに向かう客たちにも見てもらおうという魂胆なのだ。
(一つひとつ埃を払うとか、細かい作業って苦手なのよね。もうザーッと拭いてしまいたいっ)
若干イライラしながら羽を動かしていると、バラを模したクリスタル細工の一端に羽が引っ掛かってしまった。
(えっ……あっ! バラの棘に羽が……)
細かく表現されたバラの棘部分に羽が引っかかっていた。羽を取ろうとして軽く動かしたのがいけなかった。棘がカツリと落ちてしまった。
(うそーっ?! どうしよう……やばいよね? 弁償? クビ?)
折れてしまった棘を掌に乗せ、メルは頭を高速回転させた。
まじまじとバラ細工を見るが、ぱっと見、棘がひとつ無くなったとはわからない。このまま知らん顔をしたらバレないだろうか。
(いや、でも見る人が見れば、この位置に棘がないのはバランスが悪いと思うかも)
バレた時のことを考えると、黙っておくよりも自首したほうが心証はいいはずだ。いやしかし、もしクビになったら、せっかく公爵邸に潜入できたのが台無しになってしまう。
考えれば考えるほど混乱してきた。
「どうした?」
「ひゃっ」
バレたっ?!
メルがおそるおそる振り返ると、そこには胡桃色の髪をした青年が立っていた。
男はメルの手元をのぞき込むと納得したようにうなずく。
「ああ、割ったのか」
「も、申し訳ありません!」
バレてしまったものは仕方がない。メルは勢いよく謝罪した。ここで誠心誠意謝罪して許してもらい、クビになるのを避けなければ。
「いや、いいよ。俺に謝らなくても」
「え……」
男の言葉にメルは顔を上げる。
(そういえば、この人誰だっけ?)
バラ細工の棘を折ったことを突然指摘されたため、相手を確認せずに思わず謝ってしまった。服装から見て貴族の子弟であることに間違いはなさそうだが。
「俺のことが誰だかわかってないみたいだな。新しく入ったのか?」
「はい。ティナ・アーベルと申します」
「俺はこの家の次男のブルーノだ」
なんと、ゼーバッハ公爵家の息子だったらしい。メルの失態は公爵へと言いつけられるのだろうか。できれば猛省していたと口添えしてほしい。メルは手のひらの中にある折れた棘を見つめて肩を落とした。
「それ。そんなに心配しなくても大丈夫だぞ。直せるから」
「本当ですか?!」
(天の助けが来た?! クビは免れる?!)
メルはブルーノにしがみつかんばかりに詰め寄った。
「お、おう。ちょっと待ってろ」
そう言ってブルーノが自室から持ってきたものはクリスタル用の接着剤だった。
メルの手から折れた棘をつまみ上げると、断面に接着剤を塗り、器用に元の位置に押し付ける。
「このまま触らずに置いておけば、明日にはきっちり固まってるから」
「ありがとうございました! 本当に助かりました!」
メルは両手を合わせて感謝した。
(これでクビは免れたー! 公爵の息子なのに、なんて良い人なの!)
メルから拝むように伝えらえた礼をブルーノは苦笑しながら受け取った。
「いや、俺もむかしここの香水瓶を割って叱られたことがあるんだ。このギャラリーで固まってる君が子どもの自分と被って見えて、つい声をかけてしまった」
「へえ。落ち着いて見えるブルーノ様にもそんなことがあったんですね」
「ああ。ほら、そこのキャップに蝶の飾りがついたやつ。その左羽の先を割ってしまったんだ」
ブルーノが指さしたのは、細身の瓶に蝶がとまっているように見えるデザインの香水瓶だった。メルは注意深く左羽を見てみる。
「うーん、全然わからないですけど」
「この接着剤でくっつけたんだよ。俺が割って青ざめているのを姉が心配してね。二人でこっそり調べてクリスタル専用の接着剤なら濁りなく綺麗にくっつくとわかったんだ。執事に頼んでその接着剤を手に入れたのはいいが、それを父上に報告されて、結局はバレて叱られたよ」
「そんなことがあったんですね。それなのに壊れやすいものをここに飾っておくなんて、勘弁してほしいです」
「たしかにな」
廊下を利用するロングギャラリーに壊れやすいものは置かないでほしい。メルの切実な思いにブルーノも苦笑交じりに同意してくれた。
「でも一緒に悩んで調べ物をしてくれたお姉様は素敵ですね」
「ああ、この家のなかで唯一優しい人だったな」
最後はなんだか含みのあるセリフを残したブルーノは、メルに「今後は気を付けろよ」と言うと自室に去っていった。