8:〝異郷〟という異世界
それまでの固い道は、無くなっていた。代わりに鈍色の光で象られた薄い帯状の道が伸びており、その上を浮揚機は走っていた。
地上からは遠く、道を歩く者たちがまさに小粒に見えるほどの、高い場所を。
そして周りには天楼──高い場所にいるアレクシア達すら悠々と見下ろし、見上げても頂が見えない、まさに天まで届かんばかりの建物。それも、一つや二つではなく群れを成してそびえ立っていた。
「あんなもの、どうやって……」
神聖帝国で最も大きな建造物と言えば、神の代弁者として帝国を統べる聖帝がおわす、帝都の大聖宮──それを目にして圧倒された記憶は、あっという間に塗り替えられ、上書きされてしまった。
「奇跡じゃなクテ、そういう技術なんダ。専門家ジャナイから、詳しいことは知らナイけど~」
ふざけた調子で言うソーマの言葉の半分以上は、アレクシアの耳には届いていなかった。
「それに、モット凄いのがアルぞ」
ソーマが舵輪を回すと、浮揚機は天楼の間を抜け、トンネルを経て海沿いの道に入った。光の帯が、元の固い道に変わる。
「あっ、丁度イイところに来タ……港の方を見ロ」
ソーマが示した先──海岸に沿って設けられた広大極まりない港には、巨大な船が団を成して停泊している。
船、なのだろう──アレクシアが知っている船とは似ても似つかない形で、大きさに至っては〝城〟と言っても良いような巨体ばかり。
その船団の中から三隻、港から出航していく。
「アマカゼ級高速突撃艦──陽出軍の、戦闘飛翔艦の一種ダ。これから海の見回りに行くンダロウ」
「飛翔?」
その言い回しに引っかかるが、答えはすぐに出た。
動き出した三隻が、港から充分な距離を取った位置で、海面から離れたことで。
「ぇ……?」
文字通り、飛んだ──城のように巨大な船が、である。
海面を離れた三隻は、前進しながら高度を上げていき、やがて轟音と振動を放ちながら、雲の中へ消えていった。
「……一種、と言ったわね。あんなモノが、他にも種類があるってこと?」
「モチロン。今のは軍艦ダケド、旅客用トカ貨物用トカも色々アル。大きなさダケなら、五百ラーマくらいは普通ダ」
「五百ラーマって……」
神聖帝国最大を誇る皇衛艦ですら、六十ラーマそこら。
そもそも、およそ〝船〟と名のつく代物が動き回る場所は水の上であって、空を飛ぶ乗り物など、人類を一人乗せるのがやっとの飛行杖や飛行盤くらいがせいぜいである──神聖帝国においては。
「……どんな奇跡を使ったら、あんなのを作れるのよ。それとも、神や魔王と契約でもしたの?」
「奇跡じゃナイ。知恵、技能、物資、意思……様々な種族が様々なモノを出し合って、補い合って、より良いモノを築イテイく。コレが、陽出の共存共栄ってヤツだ。で、その極め付けが、アレダ」
次にソーマが示したのは、沖合に浮かぶ島──否、それは島というより、
「……木?」
一見すれば木──ただし、〝巨木〟とか〝大樹〟と括れるかも怪しくなるほどに、恐ろしく巨大な。街中の高い建物も天を突くばかりだったが、それすらも小さく見える。周囲にいくつもの船が浮いているが、それもまるで玩具だ。
「ソッチノ言葉にすれば、〝海の庭園〟ってトコだな。陽出が国を挙ゲテ作ってイル、海上都市ダ」
「海上都市……じゃあ、あれは元々ある島や木じゃなくて、人類や魔物が作ったっていうの?」
「ソウダ」
*****
〝海の庭園〟を横目に海沿いの道をしばらく進み、海を一望できる高台にやってきた。
茜に染まる夕空と海、水平線に沈んでいく太陽──その絶景は、内陸部出身の内陸部育ちで、生まれてこの方海など見たことのないアレクシアの目と心を奪うには、充分すぎる光景である。
しかも、それを背景にした巨樹が、沖に鎮座しているとあっては。
「ホラヨ」
と、ソーマがアレクシアの眼前に差し出したのは、果物やら甘味物やらを薄く焼いた何かの生地で巻いた、何かの菓子──と思われる。
「クレープってイッテ……物は試しダ、食エ」
「は、はあ……」
それはいいが、フォークもナイフも無しにどうやって食べるのかと思っていると、ソーマは、自分のをそのまま大きくかぶりついた。
恐る恐る口に含んでみると、
「あ……」
経験したことのない味わいだが、なかなかどうして癖になりそうだ。こんな時でもなければ。
「で、陽出の街をざっと見て回ってイカガでしたか、フローブランのお嬢サマ?」
ソーマは、行儀悪く自分のクレープをもごもごとやりながら、訊ねてきた。
「どうって……」
頭が追い付いていない──何もかも違いすぎて。
魔族との共存共栄──神聖帝国で口にしようものなら、即死刑台送りだ。
他を食らい滅ぼすだけの存在であり、故に神の敵であり、即ち人類の敵であり──それが神聖帝国における、魔族という存在だから。
アレクシア自身、そのことに疑問を抱いていなかった。
ただただ、野蛮な者達が跳梁跋扈する世界だと思っていた。
「何度も言うケド、ここは神聖帝国ジャない。お前の言う〝魔族〟って連中を攻撃するノハ犯罪ダからナ。捕マルからな」
アレクシアに、ソーマは冗談めかして更に言った。
神聖帝国ではない──追い付かない頭でも、その事実は改めて理解した。
否──思い知った。
馬より早い乗り物を平民が所有し、空飛ぶ船を建造し、海の上に街としての巨樹を生み出し──そんな高度な文明の国なのだと。
自分が足を踏み入れたのは、異国どころか別世界だと。
自分が暮らしていた神聖帝国とは、根本的に違うのだと。
「……おい、しっかりシロ」
と、ソーマが肩をゆすられて、アレクシアは自失するほど愕然としていた事を、ようやく自覚した。
「あと、ほれ……まだ半分以上残ってるのに落とすなよ」
と、食べかけのクレープを差し出される。それで初めて、自分の手からクレープが消えていることに気づいた。
「え、ああ、うん」
思い出したようにクレープを口につけるが、味など感じられなくなっていた。