2:仕事帰りの大事な私事
気合を入れないと潰される──ゼルの言葉が、決して冗談でないことは、すぐに証明された。
ゼルの指示を受け、エリィの下で働き始めた瞬間、怒号や罵声が次々に降りかかってきた。その内容を細かく挙げたらキリは無く、仕事を覚える以前に、考える暇も無い。
「ちょっと~遅いわよ~」
「あ~これじゃないわよ~」
「私はどんくさいけど~、詩愛ちゃんはもっとどんくさいわよ~」
特に、その場を仕切っているエリィなど、間延びしていながらも厳しく言ってきた。
それはもう、ネチネチと。
それでも──それをすんなり受け入れられるのは、それが納得出来るからだ。
彼らの行動に悪意や害意は欠片も無く、全ては〝より良いモノ〟をという、矜持や理念が元になっている。
神聖帝国で受け続けてきた〝愛の鞭〟だの〝試練〟だのと称して与えられてきた悪意の仕打ちが、どれだけ無為の行為だったと思えるほどに。
そんな無為を、言われるがまま甘んじて黙って受け続けていた自分も、どうしようもない〝出来損ない〟だったのだろう。
そんな〝出来損ない〟が、そんな考えをするようになるあたり、数ヶ月そこらで自分も随分と変わった。
否──遠くに来てしまった、というべきか。
「ちょっと~? 何アホ面して突っ立ってんの~? アレはどうしたのかしら~?」
「は、はい~っ!」
感傷という名の現実逃避で一息つく時間は終わってしまった。
エリィのじっとりとした重苦しい怒りに、アレクシアは弾かれた様に動き出し、工房の中を駆け回っていく。
それはもう、脇目を振る暇も無かった。
*****
ともあれ──アレクシアは勤務初日は無事に乗り切った。
作業自体は簡単な雑務や手伝いばかりだったし、この三ヶ月に比べればどうということはない。
『明日からはみっちりがっつりやるわよ~』
三ヶ月前──アレクシアの決意に対する鏡華の素敵な笑みと、蒼真や燐耀の同情的な視線を深く考えなかったことを、アレクシアはすぐに後悔した。
みっちりがっつり──その言葉を、鏡華は容赦なく実行した。
丸一日机に向かって鏡華の付きっきりの勉強で、それをある程度進めると、免許だの資格だのを得るための講習会への通学が加わり、それらの実技の中には体力勝負も多々あり、帰って来れば鏡華の厳しい講義が待ち受け──この三ヶ月は、アレクシアにとって最も思い出したくない〝三ヶ月〟となった。
とはいえ、その成果は充分すぎるほどあった。まともな陽出語の会話が自然に出来るようになったのと、伝手で就職先を紹介してくれたことには感謝しかない。
「よ~し、今日の仕事はここまでだ。テメェら、後始末までちゃんと終わってるな。だったら五分以内に帰れよ。でないと、今夜一晩誰もいない作業場でカンヅメになるからな~」
ゼルは冗談めかして言ってるが、他の工員達が言うには、半分は冗談ではないとのこと。
防犯対策として、ここの出入口や窓は、設定した時間内は外からも中からも明けることが出来なくなってしまう仕掛けが施されている。なので、よほど重要だとゼルが認めた仕事でもない限り、もたもたしてると本当に閉じ込められてしまい、翌朝はゼルの怒号と拳骨で仕事を始めなければならないという。
「お疲れ~」
「明日もよろしく~」
工員達の挨拶や労いを受けつつ、アレクシアは出退勤表に記入し、手早く帰り支度して工房から出た。夕日がやけに眩しくなるくらい疲労感も酷いが、しかし倒れるほどでないのは、〝地獄の三ヶ月〟の賜物だろうか。
「何だ新入り、まだいたのか。まあ、丁度良い。今の内に言っておくぜ」
工房から出て来たゼルが、アレクシアに気づいて荒っぽく声をかけた。
「お前が何を抱えて、どんな身の上なのかは知らねえし、詮索する気も無え。けどな、何か引っ掛かってる事があるなら、小さい内にしっかり解決しとけ。そういうのはな、放っておくとどんどんデカくなって、いずれ取り返しがつかなくなっちまうって、相場が決まってるからよ」
「……は、はい」
伊達に職人工房で親方をやっているわけではないらしい。詳しいことは知らされていないはずなのだが、他者をよく見ているようだ。
「よし、いい返事だ……返事だけはな」
と、ゼルは鼻を鳴らして視線を工房来客用の駐機場に向ける。
そこに止められた、黒い自動浮揚機を目にして、アレクシアは疲労感を緊張感で押し込めた。
向こうも気付いたのか、黒い服に身を包んだ人間が四人、浮揚機から整然とした動きで降りてきた。
「細かいことはその時に説明するが、明日から仕事の段階をどんどん上げてくぞ。モタモタしてる暇も、余計な事に気を遣ってる場合も無えから、せいぜい覚悟しとけよ。じゃあな」
ゼルは、黒服に目線で会釈をして見せながら立ち去り、入れ替わりで黒服の一人がアレクシアに歩み寄り、
「アレクシア・フローブランさん、ですね」
「はい」
「では、後はお任せします」
アレクシアの本名での誰何は、同時に合言葉でもあった。黒服は頷くと、アレクシアと浮揚機を残して、音も無く立ち去る。
その浮揚機の運転席に、アレクシアは乗り込み、用意されていた免許取り立てであることを示す緑の徽章を窓に張り付け、座席と周囲確認用の画面を調整。
一般市民が扱う浮揚機よりも高級な代物のためか座席の感触も明らかに上質だ──などと、どうでも良いことを思っていると、
『……』
後方視認用の鏡越しに、後席の娘と目が合った。
『少し痩せたかしら、エリッサ~?』
と、些かワザとらしい砕けた調子の神聖帝国語で話しかけてみる。すると、
『……黙れ……っ』
殺意を乗せた怨嗟が返ってきた。




