8:〝神聖帝国〟という国
神聖帝国が、〝今の形〟になったのは、百年ほど前の事。
それまでは、数々の国や部族が群雄割拠する戦乱の時代であり、敵は魔の物だけでなかった。
戦いに次ぐ戦いが続き、求められるのはより大きな力。研鑽研究も戦争目的が前提となり、力を入れられるのは、派手で明確な〝結果〟をもたらす攻撃法術の発展研究で、錬成細工のように〝戦争向き〟ではない類に対する関心は、自然と遠のいていった。
始皇帝と四大賢人が、その強大な力を以て大陸南部統一したことで戦乱を平定したものの、その風潮や価値観は、百年たった今でも薄れることは無い。
「かくして、錬成系統の術は〝不要ではないが後回しでも良い〟とされ、今や〝出世街道から零れ落ちた者の最後の滑り止め〟などと称されるような蔑視の対象となった……と、ここまでで訂正はあるかの?」
横目で確かめる燐耀に、アレクシアは黙って首を横に振る。燐耀の話に、一切の間違いは無かった。
「笑えねえくらい勿体ねえことしてるもんだな」
黙って聞いていた蒼真は、口にするのも馬鹿らしいとばかりに吐き捨てる。
「それとも神聖帝国っつうのは、見る目の無い連中の集まりなのか?」
「勿体ないという点は同意出来るが」
燐耀は苦笑交じりに頷いて見せ、
「その認識は、陽出乃国の目線に過ぎんじゃろう。〝原生文化保護の精神〟は、そなたも知っておるじゃろうて」
「何? その、原生文化ほひょ……エット」
言葉を噛んでしまい、耳ざとく聞きつけた蒼真が堪らず吹き出し、
「〝原生文化保護の精神〟だ。しっかりしろいで!?」
「そなたは少し黙っておれ」
そんな蒼真を、燐耀はすかさず引っぱたいて、話を戻す。
「そうじゃな……アレクシアよ、陽出で暮らし始めた頃のそなたはどうじゃった? どのような心情じゃった?」
「……驚イた、トテモ」
よく思い返してみても、それ以外に言い様が無い。魔物どころか、燐耀のような魔王と称しても良いような強大な種族との共存を始めとする文化、文明、思想、価値観──一つ一つ挙げたら、キリがないだろう。何かを目の当たりにするたびに、大なり小なり衝撃を受けていたのだから。
「そなたのように、個人の単位──一人や二人だけなら良かろう。じゃが、これが国家規模となったら、どうなる?」
想像もつかない──〝想像もつかない〟ような大混乱になることは、間違いないだろう。決して、大げさな話ではなく。
そこまで考えが進めば、話も見えてくる。
「……その国や土地ノ文化や、伝統ヲ大切にスルっていう、考え?」
「凄ぇ簡単に……というか、好意的に捉えればそんなところだな。実際は、いらない面倒をしょい込むから手を出したくないってのが本音だろうがな」
皮肉めいた蒼真の言い様だが、恐らくはそれも真実だ。好き好んで面倒事に手を出そうなど、ただの狂気だ。
だとすれば、
「じゃあ……陽出が神聖帝国に侵略シタって話は、嘘なの?」
「はぁっ?」
「ほう……」
図書館で歴史の本に目を通した時から抱えていた疑問を投げると、蒼真と燐耀は驚いた顔を見合わせ、しかしすぐに理解するような色に変わった。
「そんな図式は寡聞にして聞いたことはないのう。その逆であれば、いくらでも聞かされておるが」
燐耀は、遠回しながら実に分かり易い答えを返し、
「仮に、じゃが」
次いで、皮肉も込めて問いかける。
「陽出が神聖帝国を侵略して、その労力に見合うだけの得があるかえ?」
戦争というものは、多大な負担が掛かる。ましてや〝侵略〟となれば、その負担は〝防衛〟の数倍とも言われる。
つまり──そんな負担や労力見合う〝価値〟が侵略相手に無ければ、極めて多大で無駄な浪費となってしまう。さらに言えば、およそ〝戦争〟というものは、戦時中よりも戦後の方が、処理に困る案件が圧倒的に多い。
これらを踏まえ、双方の国力や文明の差異、そして先ほどの〝原生文化保護の精神〟の話も合わせて考えると、
「……無イ」
アレクシアが断言で答えると、燐耀は頷き、
「そうじゃ。神聖帝国を侵略しても、陽出にとっては無意味且つ多大な徒労でしかない」
「もっとも、お前の国じゃ、陽出はどこまでも〝悪の野蛮人〟てされてるようだがな」
意地悪く割り込みながら、蒼真は急須に手にとって茶碗に傾ける。
「〝正義の名の元に悪を討つ〟なんて大義名分で戦うのは、そりゃ気分の良いだろうな……て、ありゃ?」
蒼真の皮肉交じりの笑みが、急に曇る。
碗に注がれたのは茶ではなく、茶渋塗れで冷めきった、濃い緑を通り越してどす黒くなった液体。死にはしないだろうが、見るからに不味そう。
「……飲むか?」
茶を差し出す蒼真の態度は、念のために訊ねてみただけと言いたげ。
「イタダキマス」
「あ?」
アレクシアが少しも迷わず茶碗を受け取って一気に煽ったものだから、蒼真は止める暇も無かった。
「~~~~っ」
苦味なのか辛味なのか、あるいは甘味なのか──〝不味い〟という表現も形容も通り越した、〝味〟と呼んで良いのかも怪しい感触に、アレクシアは激しく噎せ返った。
そんなアレクシアに、蒼真はむしろ呆れるような目を向け、
「……こんなの間に受けるなよ」
「だ、大丈夫……」
笑いをかみ殺す燐耀から差し出された布巾で口元を拭い、アレクシアは苦い息を大きく吐きだしながら笑って見せた。
「毒ミタイな薬、飲まさレタコともアル」
「毒みたいな薬、のう……」
燐耀の笑みが、ふっと消える。
「それも、あのシュトロアの娘の仕業か?」
「チガウ。父や兄」
強力な薬で、しかも原液に近いモノだった。もっとも、その効果は〝法力強化〟であり、法力量が元より常人離れしていたアレクシアには全く効果は無く、そのくせ副作用はしっかりと働いて、一週間絶対安静となった。
「法術を至上とする文化や価値観というのは、まあ理解は示そう。だが……やはり、共感は出来ん。それで才覚を潰すようでは、尚更な」
燐耀は、嫌悪感を隠さずに吐き捨てた。
「……と、もうこんな時間か」
燐耀は、明るさが増した外と時計を確かめて、腰を上げる。
「これでは一眠りもできんな……これ、しっかりせいっ」
半目でウトウトする蒼真を、燐耀はひっぱたいた。
「明るくなったなら丁度良い。用意したあれこれを、さっさと裏山に運びこむのじゃ」




