5:決めるのは自分自身
燐耀も唸らせ、楽しみの一つとなっているはずの鏡華の絶品料理──なのに、今夜の夕食は、何故か味が分からなかった。体は正直なので、味は分からなくても、しっかり平らげていたが。
「さて」
食後の茶を半分ばかりすすったところで、鏡華は言った。
「それじゃ、これからの話よ」
「だな」
「うむ」
蒼真と燐耀が頷く一方、アレクシアは首をかしげた。
「これカラ?」
「当たり前だろ。あの、エロスだかエレベータだっけ? 見るからに執念深くて陰険でしつこそうな奴だぜ」
明らかに無理やり名前を呼び間違えている上に、言い放題の蒼真。
「あの程度で諦めるわけねえだろ」
そして、全くもってその通りであった。
エリッサは、決して引き下がることは無い。見下している相手なら、尚更。
「……根本的な話なんだけど」
返す言葉を探して口ごもっていると、鏡華が静かにこちらを見据えていた。
「アレクシアちゃん。貴方はどうしたいの?」
「どうしタイって」
「神聖帝国で色々あったんだろうけど、今の貴方はもう、宙ぶらりんな状態よ。つまり、貴方自身でどうにでもできる……というか、どうにかしなきゃいけない。自分で決めなきゃいけない」
笑みはなく、しかし真面目と言うには柔らかく、しかし無表情というには温かみがあり──そんな表情は、アレクシアは見たことが無かった。
「ワタシは……」
蒼真と燐耀に縋るような目を向けるが、蒼真はあっさりと目を逸らし、
「これじゃ話が全然進まねえな」
と、つまらなそうに吐き捨てると、さっさと席を立って居間を出ていってしまった。
「先ほども言ったが、協力や手助けは吝かではない。同情も、いくらでもしよう」
そして燐耀は、穏やかに、しかし厳しく言った。
「じゃが、まずそなたが決めて動かぬようでは、どうしようもないのう」
言い残して、燐耀も席を立って出て行った。
「じっくり考えなさい……と言いたいけど、そう時間も無いわ。どうするにせよ、急いだ方が良いわよ」
そして、鏡華も食事の後片付けを始め、その場には残ったのはアレクシアだけ。
いつまでもそうしてるわけもいかないので、アレクシアも自分の部屋に戻った。卓に向かい、今日の復習と明日の予習もそっちのけであれこれ考えて──結局、頭の中がまとまらないまま堂々巡りを繰り返し、小一時間が過ぎた。
『自分で決めなきゃいけない』
鏡華の言うように、これはアレクシア自身の問題。言われなくても分かっているのに。
「……は」
思わず笑いが漏れる。
エリザヴェータ・シュトロア──若くして帝室法術師の地位を約束された稀代の天才法術師。その才覚は、紛れも無く本物である。
〝出来損ない〟如きにどうにかできる相手ではない。比べることすら無意味。それが紛れも無い事実であることは、ついさっき証明された。怪我だけ(・・・・)で済んだのは、蒼真の機転と皇龍という埒外の存在のおかげだった。
「あはは……はぁ……」
無理に笑って、しかしすぐ虚しくなり、笑いはため息に変わる。吐き出した勢いで視線が動き、
「あ……」
視界に入ったのは、一冊の絵本。陽出語の読み書きを学ぶ一環で、鏡華が貸してくれたのだった。
アレクシアは、何となしに手を伸ばしてそれを開いた。
*****
最初に目を通したときは、言葉の拙さもあって読み進めるのがやっとだった。今なら物語の内容もすんなり頭に入ってくる。
題名は〝船乗り少年の冒険〟──分かりやすい名前の通りの内容だった。
貧しい漁師の少年が、ある外国から来た船乗りとの出会いをきっかけに、海に、そしてその向こうにある未知の世界にあこがれを抱き、そこを目指すことを決心する。
それは決して簡単ではなかったが、少年は不屈の精神でもって工夫を凝らし、完成させた自作の船で、冒険の航海へと旅立っていった。
よくある物語である。似たような絵本や冒険譚は、神聖帝国にもいくらでもある。絵本ということもあり、今のアレクシアなら読み終わるまでに十分とかからなかった。
その筈が、
「……」
そんな場合でもないのに、アレクシアは、それを何度も読み返す。
何度も。
何度も。
「……やはり、そうでしたか……」
「っ!」
障子の向こうから聞こえてきた燐耀の声に、アレクシアはやっと現実に立ち戻る。本を閉じて障子を開けると、燐耀が庭先でケータイを片手に何かを喋っていた。
「そのことですが……いえ、実行はもうしばらくお待ちを……申し訳ないが、細かいところはお任せいたします……ああ、妾は今夜は高桐の屋敷に厄介になりますゆえ……では」
燐耀はケータイの通話を切ると、こちらを振り返り、
「盗み聞きとは、そなたも悪よのう?」
「……っ」
アレクシアは、思わず息を呑む。
制服ではなく浴衣に着替え、髪を結い上げたおかげで晒されたうなじに、風呂上がりの湿り気──更に際立った艶めきに、視線を逸らせない。
人だ魔だ男だ女だ──無意味な括りである。
〝極致の美〟──アレクシアの知る言葉で表すなら、そんなところか。
「む? 何じゃ?」
「イエ、何でもナイ……燐耀は、帰っタンじゃ」
「そのつもりじゃったが、何やら面白いことになりそうじゃからの」
「とか何とか言ってるが、親父さんが怖くて帰りづらいってのが、一番だろうがな」
茶請けを手にやってきた蒼真が茶化すように言うと、燐耀は睨むのは一瞬、憐れみの目を向け、
「何を他人事のように言うておる。いずれそなたにも、父上からご下問があるぞ。遅くても、明日中にはのう」
「……だよなぁ~」
それまでのふざけた調子はどこへやら──蒼真は、疲れたように肩を落としつつ、その勢いで茶請けを降ろし、急須を傾けて碗に茶を注いで皆に配る。
受け取ったそれを啜ると、程よい温かみと深い味わいがジワリと全身に伝い、面倒な事や嫌なことを一瞬でも忘れかける。
「さて……そろそろ、あの娘と迎え撃つ算段を立てようかの」
が、燐耀によって、すぐに現実に引き戻された。




