4:あの夜の出来事
あの夜──エリッサの取り巻きたちに、半ば攫われる形で連れてこられた廃屋に、エリッサはいた。禁術を用意をして。
家名に恥じぬ天才的な法術師としての才能を早くから開花させ、様々な上位法術を体得していたエリッサは、既存の法術では満足できなくなっていたらしい。禁固から禁術書を勝手に持ち出して、それをアレクシアで試そうとしたのだった。
結果──術は失敗した。
エリッサの使った禁術は、いわゆる精神汚染──受けた者の理性を侵食し、崩壊させ、狂わせる術であった。発動すると、その場にいる全員の精神どころか、肉体にまで影響を与えかねないほど、恐ろしく強力な。
エリッサにとって誤算だったのは、崩壊したのが、アレクシアではなく取り巻きたちの方だったこと。
無事だったのは、術者であるエリッサと、膨大な法力量が結果として強固な防壁となったアレクシアのみ。
合わせて五人の取り巻き達は──その姿を歪に変貌させ、狂った魔物と化してしまった。
アレクシアがはっきりと覚えているのは、エリッサが強力な攻撃法術を使ったことまでで、次に目を覚ました時には、全てが終わっていた。
曰く、
『アレクシアが功を焦るあまり禁術を盗み出した』
『エリッサがそれを止めようとするも、禁術は発動してしまった』
『五人のうち三人が天に召され、一人は廃人、生き残った一人も二度とまともに歩けない体になってしまった』
『実はアレクシアは、この五人に影で虐げられており、復讐も兼ねていた』
などという筋書で、アレクシアは大罪人の烙印を押され、死刑宣告を受けた。
父は見放し、母は諦め、兄は唾棄し、姉は安堵し、教師や同級生らは、同情と侮蔑の嘲笑を投げた。
非の打ちどころのない神童と、神童になり損なった出来損ない──アレクシアに味方する者など、誰一人いなかった。
*****
長い話し終えたアレクシアは、大きく息を吐き出した──吐き出してから、自分が深呼吸したことに気づいた。
時計を見れば、小一時間は経っている。長い話をしたつもりはなかったのに。
『……念のために訊くが』
燐耀は不快を我慢するように訊ねた。
『そのエリッサとやらは、そなたや取り巻きを贄にして、何を得たのじゃ?』
『〝帝室法術師〟の候補になったみたい』
帝室法術師──皇帝直属にして、神聖帝国の最高峰とされる法術師達の最精鋭。
その実力は一騎当千──帝室法術師一人に対し、並の術者が束になっても適わないとされ、候補に挙がるだけでも相応の実力を持つ術者の証明となり、大きな栄誉とされる。
元々候補入りも確実と言われていたエリッサだが、事件を鎮め、犯人をその手で捕らえた功績が認められ、予定が繰り上がったのだった。
その話は、他ならぬエリッサが持ってきた。
本来なら他人に見せるべきでないはずの辞令の文書まで持ち出して自慢してきた。
拷問でボロボロになったアレクシアを、格子越しに嘲笑しつつ。
「まあ、その何だ……大変だったな」
蒼真は、ただ淡々と陽出語で言った。どうやら、神聖帝国語では上手い言葉が見つからないらしい。
「もう少し気の利いた気遣いが出来んのか。いらんことは、滝のように吐き出すというのに」
「今の胸糞な話で何言えってんだ。俺はそこまで悟ってねえんだ。リン子、手本見せてくれや」
「だからリン子ではないと言っとろうがっ!」
「何だよ、お前もだいぶカリカリしてるじゃねえか」
噛みつく燐耀に、蒼真は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「帰ったら、天凰様の雷がもう一発落ちるんだぜ。今のうちに、少しくらいは頭冷やした方が良いんじゃね?」
「ほほ~ぅ……?」
暗い笑みを浮かべる燐耀の角が、乾いた音を立てながら稲光を帯びる。
「その雷を落とされる原因となる無茶をやらせた身で、面白い言を吐くではないか~? ならば景気づけに、今、この場で、特大の雷でも落としてやろうか? んん~?」
「だから後で奢ってやるって言ってんだろ。こんな部屋ん中でぶっ放すなや」
蒼真は、さすがに危機を感じたらしく、今更のように諌めにかかるが、燐耀は暗い笑みのを更に深くし、
「心配するな。その辺りは充分に調整や加減をしよう」
雷の動きが、激しさを増していく。
「どこが調整だの加減だってんだ……ああ、悪かったっ! 悪かったからマジでやめろっ! ウチが吹っ飛んじまうってのっ!」
蒼真が、さすがに悲鳴交じりにその場で土下座した。
冗談でも何でもなく──燐耀から溢れ出した魔力の量と密度は、仮に雷に変換したら、蒼真やアレクシアはもちろん、この部屋どころか家ごと吹き飛ばしかねない。
「……良いじゃろう。あの蒼真の素直な詫びなど、数年に一度あるかないかじゃ。それに免じて、この場は納めてやろう」
燐耀が大きく息を吐き出すと、濃密な魔力は一瞬にして消える。
「……ったく面倒くせえお姫様だ……」
伏せたまま、ポツリと悪態をつく蒼真。それを聞きつけたらしい燐耀の眉が跳ね上がり、
「ほら貴方達。じゃれ合うのはそこまでよ」
と、手を叩きながら割り込んできたのは、障子の間から顔を出した鏡華だった。
「そろそろゴハンにするわよ。続きは後にしなさい……リン子ちゃんも食べてくでしょ」
「鏡華、そなたもか。妾は、リン子ではなく燐耀じゃと何度言えば」
「あらごめんなさい……で、どうするの?」
「……もちろん、ありがたく馳走になるつもりじゃ」
激昂を押さえるように息を吐き出しながら、燐耀は頷いた。
神聖帝国のそれとは違うが、鏡華の料理は絶品である。アレクシアも、食事はここに来てから楽しみとなっていたが、まさか龍の舌をも虜にしていたとは。
「んじゃ、今度の一号定食を奢るのはチャラってことで」
「それはまた別の話じゃ」
と、どさくさ紛れに言う蒼真に、すかさず振り返った燐耀は誰もが見惚れる素敵な笑顔で却下した。
「どさくさ紛れの誤魔化しなど、妾に通用すると思うたか? 戯けが」
「ったく、面倒な上にせこいお姫様もいたもんだ」
蒼真は、今度は隠そうともせず忌々しげに吐き捨てた。