2:龍の姫(真)
長大な巨体を強固な鱗で覆い、頭には猛々しい双角がそびえ、口には岩も噛み砕きそうな牙がずらりと並び、強靭な四肢には鉄も切り裂きそうな爪が伸び──そんな禍々しい威容ながら、壮麗な優美さを感じさせ、しかしそこにいるだけで押し潰されそうな威圧は、相手が雲上の存在であり、自身が矮小な存在であることを、問答無用で思いしらせてくる。
理屈ではなく、本能が。
そこにいるだけで他を圧倒する存在感ゆえに、〝魔王〟と同格、あるいは同義に恐れられ、ある者は神の化身として崇めるとも言われる。
その存在の名は、
『龍だとっ?』
エリッサも、さすがに驚愕を隠せなかったらしい。悲鳴じみた問いかけには、畏怖が溢れ出ていた。
『何故こんな場所に……っ?』
『何を驚いておる?』
頭に響いてきたのは、覚えのある女の声──魔力を介した思念でもって、ドゥラグニは意志を伝えてきた。
『この地は、そなたらの言うところの〝混沌の東地〟じゃろう。あらゆる種族が共存共生する場において、龍だけが例外ということはあるまいて』
その威容とは似ても似つかない、軽い調子の態度──そのおかげで、アレクシアは我に返ると同時に、正体に気づいた。
『……リンヨウ?』
『さすがに姿を変えただけでは、そなたの目は誤魔化せぬようじゃな。ともあれ、話は後じゃて』
静かに降りてきた龍──もとい、皇龍の姿をした燐耀は、その巨大な右手でもって、アレクシアと蒼真を諸共摘み上げ、左手は自転車と背嚢を器用に抱えた。
『お、おのれっ!』
結果的に、その場の全員に放ったらかしにされたエリッサは、思い出したように法力を集める。それらは、いくつもの稲妻となって燐耀に放たれ、
『……様子見にしてもなっとらんな』
呆れた思念と共に、稲妻は儚く消えた。燐耀に触れることすらなく。
『雷とはこう使うのじゃ』
轟音──燐耀がこじ開けた法術結界の穴からエリッサの傍に降り注いだのは、天から墜ちる本物の雷。
「──っ」
術によって作られた稲妻もどきなどとは、比較にもならない。
直撃などせずとも、落ちた地面にはすり鉢の様な穴を穿ち、その衝撃と閃光は、エリッサを木の葉のように吹き飛ばした。
幼体でも強靭な肉体と生命力を誇り、成体ともなれば高い知性まで兼ね備えると言われる龍。例え大軍を擁しても屠ることは困難を極め、中には有り余る魔力によって天変地異をも引き起こすという伝説もある。
ただの伝説だと、思っていた──真実を目の当たりにするまでは。
『せいぜい精進するがよい……いや、もう聞こえとらんか』
土煙の中で昏倒するエリッサに向かって告げると、燐耀はさっさと夜天へ舞い上がった。
*****
禍々しくも壮麗な皇龍──その巨大な腕に抱かれて空を駆けるなど、恐らく二度と経験できないだろう、貴重な経験だ。
そんな貴重な時間は、すぐに終わった。空を一直線に飛んできたおかげで、高桐邸まではあっという間だった。
『ほれ、着いたぞえ』
「協力感謝。それと荷物持ちご苦労さん。今度食堂の一号定食奢ってやるよ」
『その言葉、忘れるでないぞ』
蒼真の馴れ馴れしい礼に、燐耀は思念伝いで返しながら、アレクシア達と荷物をその場に降ろす。
『て、しっかりせい……おい、聞こえとらんのか? ほれほれ~』
「……あ……」
皇龍の巨大な手が眼前で振られ、アレクシアは我に返る──それでようやく、自分が尻餅をついていることに気付いた。立ち上がろうにも、足に力が入らない。
「こりゃ重症だな……まあ、当然か」
蒼真は面倒そうにアレクシアを引き起こすと、ふと頭上の巨大な龍を見上げ、
「皇龍サマの無駄にデカい図体と、強烈な魔力に当てられりゃな」
『む……それもそうじゃの』
燐耀の巨躯が淡い光に包まれ、その姿が徐々に縮んでいき、壮麗な亜人の姿に変じた。
「ふむ。これで良いじゃろう」
滲み出る魔力や存在感は、本来の姿の時に比べると、だいぶ小さい。どうやら、〝亜人の姿〟でいることそのものが、強大な力を抑えるための一環なのだろう。
「ところが、良いわけないのよね~」
玄関から顔だけ出した鏡華が、呆れたように嘆息した。
「事情は知らないけど、おかげで結構な騒ぎになってるのよね」
言われてはじめて気づいたが、家の門の前からいくつもの声が聞こえてきた。
「お~い、高桐さんっ? 何があったんだいっ?」
「さっきの、皇龍サマんとこのお姫様よねっ」
「何々!? 何かヤバイことでもなってんの?」
「とりあえず警察呼んだからっ!」
どうやら、龍の姿で住宅街の上を飛び抜けたことが大騒ぎになっているらしい。
「……燐耀ちゃん、さっきからケータイ鳴ってるわよ」
「分かっておる、分かっておるんじゃが……ふ~む」
呼び出し音を鳴らすケータイを握ったまま、燐耀は何かを考え、
「妾は外の騒ぎを納めねばならぬでな。済まぬが、こちらは鏡華の頼む」
と、燐耀はケータイを鏡華に放ると、さっさと門に集まっているご近所方の方へと向かう。
「仕方ないわね……そういうわけよ、二人とも。蒼真はアレクシアちゃんの手当てをしてあげて……はい、もしもし~」
早口に言うと、鏡華はケータイを操作して通話に出た。
「え? 私です私~、高桐鏡華ですってば……ええ、お久しぶりです宗主サマ~……ええ、お嬢様はちょっと出られないんで~、とりあえず今は私が~」
だいぶ馴れ馴れしい態度だが、チラリと見えたケータイ画面の名前には、〝父上〟と出ている。
燐耀の父──つまり、皇龍の王を相手である。
鏡華の肝の太さは知っているが、ケータイ越しとはいえ、ああも馴れ馴れしい態度でいられるとは。
「……つうわけだ、とっとと手当てをやっちまうぞ」
唖然とするアレクシアに、蒼真は、面倒そうに中に入るよう促した。