少女の末期
「……シア……おい、アレクシアっ」
「っ!」
アレクシア──それが自分の名前だと思い出し、それを取っ掛かりに我に返る。そして、全身に走った痛みに、思わず呻いた。
「随分と痛めつけられたもんだね」
声のするように力なく目を向けると、格子の向こうで見覚えのある顔が、聞き覚えのある声で淡々と言った。
その声を切っ掛けに、アレクシアの頭は少しずつ働きを取り戻していく。
「お前の公開処刑が決まったよ」
しかし、働きを取り戻した頭に響いたのは、絶望の宣告だった。
「わ、私じゃ、ない……っ」
何度繰り返したか分からない言葉を、今更のように呟く。
「お師匠様、私じゃないんですっ!」
そして堰を切ったように叫び、格子の向こうにいる師に向かって縋りついた。
「お願いです、お師匠様っ! 私は何も」
「で、こいつが最期の施しだとさ」
弟子の必死の叫びなど気にも留めず、師匠は格子の間から盆を差し込み、
「羨ましいほど豪華さね。存分に味わいなよ」
用は済んだとばかりに、踵を返した。
「ま、待ってください、お師匠さ、ぐぅっ?」
格子の間から手を伸ばそうとして、アレクシアは激痛に呻く。
腕と言わず足と言わず、数々の拷問のせいで、全身がボロボロだった。
「私が出来ることなんて、この程度さね」
弟子の悲鳴も懇願も、師は振り返ることも無かった。
「にしても、大概に酷い人生だったね。その意味でなら、お前には同情はしてやるよ。次は、少しでも幸せになりなよ」
言葉通りの同情と憐みを込めて、しかし他人事のような慰めの言葉を残して、師は通路の暗闇の中に消えていった。
痛みを押して呼び止める気力は、もうアレクシアには無かった。
「……そう、よね」
真実か虚偽か──そんなことは、もはや重要ではない。
必要なのは、罪と罰を被る者。その生贄としては、アレクシアなど格好の材料だっただろう。
そんなことは、最初から──ずっと前から分かっていたことだった。
いつか、こんな日が来ると。
そしてそれは、今、この時だった。
「……はは」
もしかしたら、あるいは──そんな儚い望みを胸に、必死に頑張ってきた。
「あははは」
頑張ったなりの、成果や結果を示してきた。
それは認められた。しかし、称えられることは無かった。
それどころか、かえって罵倒され、非難を浴びることの方が多かった。
出来損ないが出しゃばるな──と。
「あはははははははははははっ!」
全ては無駄だった──それを理解してみれば、何もかもが解放された気分になった。
憚らずに大笑い出来るくらいには。
「神よっ! これが貴方の恵みですかっ! 試練という名の思し召しでございますかっ!」
至高にして全能なる創造主──崇拝すべき〝神〟に対して、祈りではなく恨みを吐きつけるくらいには。
「どうして貴方は、いつもお答え下さらないのですかっ! お見捨てになるのが、貴方の答えだとでも仰るのですかっ! だとしたら、貴方はとんでもない脚本家で、私はとんでもない道化だわっ! あははははははっ!」
答えは返ってこない──返ってくるはずはない。
とっくに分かっていた──神が救ってくれることは無い。
願いを聞き届けることは無い。
答えることなど、あり得ない。
「はははっ、あははは、はは……はぁ……」
息が切れて笑いが途切れ、恨みを吐き出しきって──残ったのは、どうしようもない虚しさと、全身を苛む痛みだけ。
「あ……」
その時になって気付いたが、師匠が置いていった盆の上には、酒瓶と子洒落たグラスが一つ。
ここに放り込まれからは、石のように固いパンがひと欠片と、濁った水くらいしか口にしていない。
それを思えば、ありえない好待遇である──それだけならば。
「……そういうこと」
少し調べてみれば、明らかに毒入りだった。酒瓶の中はもちろん、グラスにもしっかりと塗られている。
ここまであからさまでは、用意した連中もアレクシアが気づくことも予想済みだろう。
つまり、これは選べということだ──この場で死ぬか、死刑台で死ぬか。
「これって……」
否──選択肢は、もう一つあった。
アレクシアが手に取ったグラスには、奇妙な紋様が描かれている。
一見すると、異様な形の模様だが、アレクシアはそれが、何らかの法術式であることを読み解いた。
知ってる者しか読み解けない、とても独特な形の。
「なんで……」
これを持ってきた師匠が仕込んだのは間違いないだろう。
では──どうして師匠は、こんなものを仕込んだのか?
そもそも──どうした師匠が、わざわざ毒入り酒など持ってきたのか?
『私が出来ることなんてこの程度さね』
この程度──アレクシアの濡れ衣を晴らせなくても、ちょっとした仕掛けくらいは出来るということだ。
同情した師匠が、可愛い弟子のために施しを与えた──という可能性が、アレクシアの脳裏に浮かび、
「……無いわね」
すぐに否定した。
どちらかと言えば、新しく作った法具を死刑囚で実験台にしようと言うのが大きいだろう。
その証拠に、思わせぶりに法具を置いておいて、具体的な説明が全く記されていない。使い方も効能も。
使ってみてのお楽しみ──などと言わんばかりに。
「……大概に酷い人生、か~」
グラスを手の上で回しながら、師匠の言葉を繰り返す。
曰く──栄えあるフローブラン家の唯一の汚点。
曰く──出来損なった神童。
他にも様々に、そして散々に言われた。そんなアレクシアを、親兄弟には見限り、親族は蔑み、同期生はオモチャにし、最期は濡れ衣で死刑台に送り。
思い返してみれば、確かに不遇極まりない人生だった。ここまでくると、どこの三文物語の悲劇の少女だと思う。
「……良いのよ、これで……」
絵に描いたような、あるいはそれ以上の悲劇かもしれない。
かといって、このまま生きていたところで、辛いだけの毎日が続くだけだ。
それを考えれば、これで良いのかもしれない。望む形ではなかったにせよ。
「……うん、そうよ。これで良かったのよ……」
そう思うえば、それまでの陰鬱な気分が大きく薄れ、気持ちが軽くなっていく──そうでなければ、押しつぶされてしまうと、この時はまだ自覚していなかった。
「……分かりました」
アレクシアの意志は固まった。
今の自分に残された選択肢は、今すぐ死ぬか、明日死ぬかの二択のみ。
「やればいいんでしょ、やればっ! やってやろうじゃないですか性悪お師匠様っ!」
一騒ぎでも起こして、皆の鼻を明かしてやっても良い──アレクシアは術式を起動した。
途端に、板を中心に光が爆発した。