リモート聖夜祭
メリークリスマス!
凍てつく空気に最初に気が付いたのは肺だった。
僕はじんと痺れる頭に手をやってから、床に転がった空瓶を一瞥する。
ブラックニッカのウイスキーだ。
昨日、飲み過ぎたんだっけ。よく覚えてない。
なんか寒いな。
ふわりとなびくカーテンを顔に受けながら窓に手を伸ばす。
冷たい。少しだけ、目が冴える。
閉めようとしてもバリバリと音が鳴るだけで、なかなか動かない。淵の辺りが凍っているせいだ。
両手でつかんで力任せに引っ張ると、音を立てて窓が閉まった。
ベッドの布団をたくし上げて身体を起こす。
フローリングの上がうっすらと白い。雪だ。
ストーブを点けに行くと、足の裏がひんやりと冷たかった。
外の景色を見る。地面や木々や枯れ葉や落ち葉も、幻想的な純白に染められていて冬の厳かな感じがした。「ああ、クリスマスだ」なんて、ちょっと期待してしまう。
「このマフラー。喜んでくれるかな」
そうH&Mの白い紙袋から赤い布の帯を取り出す。
いや、でも、ちょっと。恥ずかしいような気もするけれど。
なんて、夕暮れの喧騒に溶け込ませようと吐き出した息は、ストーブが吐き出す排気ガスの音に掻き消されてしまった。石油ストーブの奥から青い炎がちらちらと見える。寒いな、寒いなと身体を震わせていると、息の白さがなくなってきた。
まずはお茶でも飲むか。そうペットボトルの蓋を開けようとするが、ねぼけ眼ではうまく力が入らず、少しだけ時間を要してしまった。ひんやりとした液体が、寝起きの火照った身体に流れ込んでくる。
今年はコロナウイルスの影響で、ほとんどの行事がリモートワークになった。大学の講義もほとんどがリモート授業になったし、お墓参りや帰省もリモートで行う人がいたくらいだ。僕もその例に漏れない。彼女と過ごすクリスマスはリモートにする予定だ。直接会って話をするよりも、画面越しの方が自分の気持ちを伝えられるから。
「彼女の進捗はどんな感じかな?」
僕は黒い台座に載せたパソコンを一瞥する。
そこにはちょうど室内でツリーの飾りつけをしている彼女の姿があった。
声をかけようかな、どうしようかな。なんて、おそらくこちらが見ていることに気付かないであろうタイミングで逡巡していると、彼女はクリスマスツリーを背にしてカメラに近寄ってきた。
「何か忘れ物かな?」
違った。
彼女は脇目もふらず一心不乱にこちらに向かってくる。
これはもう確信している者の足取りだった。
いや、あり得ない。あり得ないはずなんだ。
本来なら絶対にこんなことはあり得ないはず。
そんな僕の動揺など露知らず、彼女は撮影機材に向かってクラッカーを打ち鳴らした。
強力な破裂音。パソコンのスクリーンいっぱいに、火薬や煙や紙吹雪が舞う。
僕は思わず尻もちをついてしまった。どうして。どうして。
どうして僕が"盗撮"していたことがバレたのだろう。
隠し撮りによる『リモート聖夜祭』がバレたのだろう。
「メリークリスマス!」
彼女は微笑みながら米粒サイズのピンマイクを指でつまんでいる。
「聞こえているんでしょう。わざわざ盗聴器に向かってしゃべりかけているんですから」
パソコンの画面越しで、華やかな笑顔を見せる彼女が不気味だ。
「め、めりーくりすます。なんて言っても聞こえないか」
「安心してください。聞こえてますよー」
「そうだよな。聞こえてるはず……。はっ?」
「ずっとわかってて、あえて泳がせていたんです」
「え。盗撮も、盗聴も?」
「はい!」
彼女は華やかにシャンパンを開けた。
コルクの栓を抜く小気味の良い音。
画面の外からグラスを出して、傾ける。
しゅわしゅわと炭酸の爆ぜる心地良い音がした。
「さ、かんぱいしましょ!」
「か、かんぱーい」
僕は徒手のままで、仕草だけを真似して見せた。
今はどんな状況で、何がどうなっているんだ?
まるっきり思考が追い付かない。
「お客さーん。私の部屋に隠しカメラと盗聴器を仕掛けたでしょー」
「は、はい」
思わず声が上ずってしまう。
彼女は行きつけのキャバクラの女の子だった。
僕はよく彼女を指名していた。
バイト代のほとんどを彼女につぎ込んでいたと言っても大げさではない。
「私はよくそういうことをされるので、尾行とかすぐに気付いちゃうんですよね」
「そうなんだね。ハハ、意外だな」
口では平静を装いながらも、内心焦る。
接客のときの、あのドジっ子キャラは全て演技だったのか?
僕は、僕は。君を信じてお金を貢いでいたのに。
財布をなくしちゃったとか、バッグをなくしちゃったとか、出勤のときに着ていく服がなくて困ってるとか、それも全部ウソだったのか。もしもそうだったとしたら僕はただのマリオネットじゃないか。君にとっての僕はただの都合のいい道具でしかなかったのだろうか。
「あれ、でも、不思議だなあ。僕はカメラや盗聴器を仕掛けたから、君の姿や声を認識できるけど、どうして君はそんな風に僕と会話ができるんだろう」
画面の中の彼女は笑顔を崩さない。
これが演技なら本当にプロだと思った。
「そんなのは簡単な話ですよー。あなたの尾行に気が付いたなら、今度は逆に尾行し返してやるだけ。次からは背後にも気を付けた方がいいですよ」
シャンパングラスを傾けて、「んー、おいしー!」と言う彼女が、今は別人にしか見えない。
いや、そんな。え? 理解できない。
「それに私が差し入れであげたブラックニッカウイスキーなんですけど、もちろん薬を入れさせてもらいましたよ。アルコールの苦みと香りによって、それくらいやってもどうせバレないだろうと踏んでのことです。おいしかったですかー、まんまと引っかかりましたね!」
え、え。どこどこ?
僕はパソコンから視線を切って、カメラや盗聴器を探す。
そんな、そんなことってあるのか。
「そうです。お察しの通り、私も隠しカメラとマイクをセットさせて頂きました。窓とかも開けっぱなしで出ちゃったんですけど、全然気付かずに夕方まで眠っていましたね。面白かったですよ!」
え、あ、あの。
声が詰まってうまく出ない。
「さあ選んでください。私はあなたが尾行していたときの証拠写真や住居不法侵入の証拠を押さえていますよ。それにあなたの使った隠しカメラや盗聴器も持っています。これを警察に提出してストーカー被害を訴えたらどうなるんでしょうかねえ」
「い、いや。でもあんただって盗聴してるじゃないか。どこに隠したか知らないが、さっき自分でそう打ち明けていたし、それに俺と話せているってことは、その話は本当なんだろう?」
「さて、どうでしょうか? もし本気でそう思うなら法廷で争ってみますか? 加害者はあなた、被害者は私という立場で。それに私が盗聴しているという証拠でもあるんですか? ないのであれば名誉棄損罪で、あなたが罪を重ねるだけですよ。つみな男ですねー」
この女の子は表情が読めない。
僕はそうほぞを噛んだ。
笑顔を絶やさないのはこのためでもあったのか。
「ど、どうしたら許してくれますか?」
「そうですねー。私の傀儡として働いてください」
「かいらい?」
あやつり人形のことか。
そんな、そんなことって。
「これこそ真のリモートワークですね」
彼女の不敵な笑みが画面いっぱいに広がる。
窓の外では雪が舞っていた。
まるで僕の罪をすすぐように降り続けていた。
素敵な夜をお過ごしください!(^^)v