神殿の乙女たち
待ち合わせ場所を会場の手前にしたのは正解だったわ。
出来るだけ人目につかない通路を選んで、と。
「入って!」
誰にも見られずに、という訳にはいかなかったけれど仕方がない。
「リゲル、ミモザに遅れるって伝えて。会場の手伝いをしているはずだから」
黒い影がするりと動く。
目の端でそれを確認しながらクローゼットを開けた。
カノが着られそうなアフタヌーンドレス。私には似合わないって言われたけれどわがまま言って作ってもらって、でもやっぱり似合わなくて着るのは諦めた、あのドレス。
嫌な予感がしたのよ。届けてもらって本当に良かった。
「ねえ。そのドレス、カノが自分で選んだの?」
目当てのドレスを引っ張り出しながら聞いてみる。
「そうだよ。新しいドレス作ってくれたっていうからさ。元々あったドレスより、こっちの方が好きなデザインだし。似合わない?」
似合ってるわ。背中のざっくり開いたタイトなドレス。スリットも大胆に入っているけれど、健康的な雰囲気のせいか変ないやらしさは無い。ドレスの裾の広がり方とかも上品で素敵よ。何より、鮮やかなブルーがとても似合ってる。
でもね。
「露出の多いドレスは夜のパーティで着るものなの。とても似合っているけれど、そのドレスはまた今度にしましょう。それから、光るアクセサリーもね。こっちに着替えて」
哀しい顔をしないで。
「見て。素敵でしょ? 総レースのドレスよ。マーメイドスタイルに憧れて作ってもらったのだけど、私には着こなせなかったの」
淡いブルーの総レースにところどころピンクと紫の刺繍が入っているの。カノは背が高いし、スタイルもいいからとても似合うわ。丈は少し短く見えちゃうけれど、これくらいなら大丈夫。
「ネックレスとイヤリングはこっちを付けて。ああ、付けてあげるわ。少し屈んで? 淡水パールよ。ほら、可愛い」
素敵! すごく似合うわ!
カノは照れたようにそっぽを向いてボソリと呟いた。
「胸がキツい」
うるさい。我慢して!
会場では、神殿の乙女たちによる舞が披露されていた。
本当なら聖女様も舞を見ることが出来るよう準備されていたはずだけれど、ミモザが時間稼ぎのためにプログラムの変更を手配してくれたのね。
ミモザに裏手から入れるように手引きしてもらってホールに入ると、シリウス殿下が待ち構えていた。
「ステラ、カノ、良かった。さあ」
シリウス殿下は私たちを見て、ほっとしたように微笑んだ。
「素敵だね、カノ。良く似合っている。ありがとう、ステラ」
カノの手を取りエスコートする殿下にお辞儀とともに微笑み返す。
すぐにカノを紹介するアナウンスが響いて、どよめきと拍手が鳴り渡った。
ああ、疲れた。でもまだこれからだわ。殿下がずっとカノのそばにいられる訳じゃないだろうし。
カノのフォローを頼まれているんだもの。このまま放置って訳にはいかない。
だけどちょっとだけ休憩しても良いわよね。
殿下、カノをエスコートして行っちゃった。婚約者は私なのに。
聖女様のエスコートって殿下でないとダメだったのかしら。他にも相応しい貴族男性、いたんじゃない?
殿下の部下の方とか。
「…………」
はあ。もう、やだ。泣きそう。ん?
大きな影が、するりと体を寄せてきた。この大きな狼は、シリウス殿下の使い魔のキュオンだわ。
慰めてくれるの?
しゃがんで頭を撫でたら、気持ち良さそうに目を閉じて、それからぺろんと私の顔を舐めたの。
ふは。くすぐったい。
キュオンは大きいから、殿下はあまり連れて歩いたりしない。今日は何か特別なのかしら。ねえ、キュオン?
すりすりと寄せてくる頭を抱きしめて、豊かな毛に頬をつける。ふふふ。ふわふわ。もふもふ。気持ちいい。
ありがとう、キュオン。ちょっと元気出たわ。
コツ、と靴音がして振り返ると、殿下が驚いたような表情で首を傾げていた。
「キュオンは俺以外の者にあまり触らせないんだ。驚いたな」
あら、そうなの?
「殿下。聖女様は?」
「イオをおいてきた」
イオ・クライン様。殿下付き騎士団のトップの方ね。ちょっと強面で、剣の腕は素晴らしいけれど、ものすごく堅物。
「さあ、おいでステラ」
殿下が私に手を差し伸べて、そして微笑む。
ああ、良かった。忘れられちゃったかと思った。ちゃんと、迎えに来てくださった。
「ステラのおかげで助かったよ」
殿下がそう言って笑顔を見れてくれるだけで、沈んだ気持ちが嘘みたいに消えていく。
「お役に立てて良かったです」
殿下のエスコートでパーティが開かれている表側へ出た。カノは大勢のひとに囲まれて入れ替わり立ち替わり挨拶を受けていたわ。
だけど、英雄は見つからない。分かっていた結果だけれど、ため息が出た。
翌日。
「ねえ、リゲル。カノは何をしているのかしら」
「見たまんま。木登りだろ」
なんで?
カノは表のお庭の、一番大きな木にするすると登って、太い枝の上に腰掛けると足をゆらゆら揺らしていた。
すごい。あんな木に登れるなんて。しかもすんなり登っていったわ。でも、危ないんじゃないかしら。あの高さから、もし落ちたら。
あら? 庭師が気づいたわ。血相変えて何か言ってる。ああ、あんまり大騒ぎになる前になんとかしないと。
「カノー? 危ないわよー」
「ステラ」
庭師を下がらせて下から声をかけると、カノはにこっと笑ってそのまま飛び降りた!
「ちょ、危なっ、きゃあ!」
びっくりした! なんて事するのよ? カノはぴょんと着地して、得意そうにドヤ顔をしたわ。
「なあに? このくらいなんでもないよ。驚き過ぎ」
なんでもなくないわよ。猿じゃないんだから。あんなに高いところから飛び降りてけろっとしてるなんて、すごく運動神経がいいのね。
「怪我したらどうするの。レディはそういうことしないのよ。それに、お供はどうしたの?」
今日のカノは、私が手配したシンプルなデザインのドレスを着ている。デザインはシンプルだけど、ちゃんと上質なドレスよ。
このドレスで木に登るなんて。
「断った。基本的な身の回りのことは自分で出来るし、最低限必要なことは覚えたから。それに、ステラがいるからね」
カノはそう言ってにかっと笑う。
「…………」
昨日のドレスの件があるものね。
カノの好みに合わないドレスばかり用意しておいて、パーティの直前にカノの好みそうなドレスを1着準備する。
カノに自らそのドレスを選ばせるために。
だけどそのドレスはイブニングドレスだった。
昼のパーティに夜の装いで出席させて、大勢の前で恥をかかせようって魂胆よ。
異世界から招かれた聖女のカノには、浄化作業という大役を優先して行ってもらうため、こちらの世界のマナーや常識を押し付けないという方針がお偉方の間で決定している。
聖女様がどうしてもイブニングドレスを着たいと言ったと言えば、お世話がかりの神殿の乙女たちにお咎めは無いでしょうね。
私がやった嫌がらせよりも、ずいぶん手の込んだ陰湿な嫌がらせだわ。
よくこんなこと思いつくわよね。呆れるし感心する。
カノがドレスの種類やパーティの習慣に詳しくないと知って考えたのかしら。
まさしく、あの小説の悪役令嬢みたいよ。
だけど、どうして?
神殿の乙女たちが、どうしてカノにこんな嫌がらせをするんだろう。