想定外です、聖女様
なにも出来ないうちに日が経っていく。
あれからまた2日経ってしまった。シリウス殿下の話では、聖女様の瘴気の浄化作業は問題なく始まったそうよ。
それはそれで、良かったけれど。なんだか焦るなぁ。
やらなきゃいけないことがあるのに、とっかかりが全然見つからない。
思いの外、聖女様に接触する機会が全然ないんだもの。
「日差しが出て参りましたわ、ステラ様。少し外に出てみませんか」
お昼過ぎ。日中は薄曇りで、秋らしい涼しい気配が濃かったけれど、今は雲が晴れて青空が高く広がっている。
ミモザに誘われてお庭に出てみることにしたわ。ダリアはまだ咲いているかしら。
日向の温かさに、風が気持ちいい。
お庭に向かって、王宮の一階部分の外廊下を歩いていたときよ。
たったったったったっ。
なに? 軽快な、足音……?
でもまさかそんな。廊下を走るなんて。
そう思った直後、目の前にひとが飛び出してきた!
「わっ!」
「きゃあ!!」
どしんと勢いよくぶつかって、体が吹っ飛んだような気がしたわ。実際には尻餅をついただけだったけれど。
「ごめんごめん、大丈夫?」
逆光でまぶしい。あら? 柔らかな声音。背の高いシルエット。え、まさか?!
「まあ、聖女様!」
目をまん丸にしてそう声を上げたのはミモザだった。やっぱり。
「ミモザ。一昨日ぶりだね」
「ええ。いえそれより聖女様。走ってどちらへ?」
「ん? 別にどこっていうんじゃなくて、ここに来てあまり体動かしてないから、ちょっとジョギングしてただけ」
ジョギング? その格好で?
ミモザったら絶句してるわ。無理もないけど。
「ドレスって重いからいい負荷になるね。ねえ、立てる? どこか痛めた?」
心配そうに差し出された手に反射的に手を伸ばして……。
はっ。聖女様、手袋してない。人前で手袋を外すのははしたないとされていてご法度なのに。
これはチャンスでは?
女性が手袋をしないなんて、ミモザの言っていた「物笑いの種」に当たるんじゃない? 当たるわよ。きっと当たる。絶対。よし!
敢えて手を借りずに頑張って立ち上がったわ。ああ、やっぱり背が高い。私も小さい方じゃないんだけどな。
「あの、聖女様。手……」
「まああ、聖女様! 手袋はどうなさいましたの?!」
わ。ミモザ、声が大きい! って、ちょっと待って! 手袋のことは今私がっ!
「手袋? ああ、人前に出るときはしてなくちゃいけないんだっけ? 走るのに邪魔だし、誰かに会うわけじゃないからしなかったけど?」
「…………」
ふむ。人前、の定義が違いそうね。
ミモザが唖然としてる。仕切り直しよ。
思い出して。小説の中の悪役令嬢を。堂々と。ゆとりの微笑で。ほんの少し偉そうに。相手が気付かないくらいの威圧感で。
こほん。
「聖女様。ご自身のお部屋から一歩出ればそこは「人前」ですわ。手袋をしないなんて、人前で裸になるのと同じことですのよ。恥じらいのない女性だと思われてしまいますわ」
どうかしら? ちょっと嫌味っぽく言ってみたけど??
「ふ〜ん。そうなの? じゃあ、着けるようにしようかなぁ」
え。軽……。
「しようかなぁ、じゃありません。着けて下さい! よろしいですか、聖女様。女性というものは常に身だしなみに気を付けていなければなりません。ご自身がか弱き女性であることを自覚遊ばして、隙を見せないようにすることが肝要です。それが身を守ることにつながるのです。特に手袋というものは……」
くどいわ、ミモザ。くど過ぎる。キツい言い回しが出来ないからって、同じことを何度も何度も言わなくても。
ああ、ほら。聖女様が私をチラチラ見てる。もう、仕方ないなぁ。
「ミモザ。もうそのくらいにしましょう。聖女様もお分かり頂けたと思うわ。こんなところで長話をしては却って人目についてしまうでしょう? 早く、聖女様をお部屋にお送りした方が良いのではなくて?」
ミモザははっとしたように周囲を見回して頷いた。
「そうですわね。参りましょう、聖女様。ステラ様、申し訳ありませんが」
「ええ、大丈夫よ。私も部屋に戻ります」
そうして下さいとまた頷いて、ミモザは聖女様を促した。
「では、急ぎましょう、聖女様」
「はーい」
聖女様は、軽く肩をすくめてミモザについて歩き始めた。なんとなしにその、すっきりと姿勢の良い後ろ姿を見ていたら、少し行ったところで私を振り返って、聖女様はにこっと笑ったの。
……あれは全然響いてないわ。
「言い方が弱かったかしら」
失敗だったな。せっかくのチャンスだったのに。
「カノに会ったそうだね」
その日の夕方、シリウス殿下はにこにことおっしゃった。
「はい。ミモザと外廊下を歩いていましたら、偶然」
ジョギング中の聖女様と激突しました。
「楽しい女性だったろう?」
楽しい……。ドレスでジョギングは楽しいと言っていいのかしら。
「ええと、はい。元気な方でした」
元気な方、と言ったら思うところがあったみたい。シリウス殿下が「ふふふ」と楽しそうに笑った。
「そうだね。先日も表の庭を案内したら、使い魔と追いかけっこをして走り回っていたよ」
聖女様と、お庭に……?
「……今日も、走っていらっしゃいました。使い魔は一緒ではありませんでしたが、フェレットだそうですね?」
「そう。使い魔ともすぐに打ち解けたようだ。お陰で浄化作業もスムーズに始めることが出来た。そうか。カノは今日も走っていたのか。体を動かすことが好きだと言っていたからな」
「浄化作業は使い魔の助言で?」
尋ねると、殿下は頷いたわ。
「浄化の方法も、英雄の選定も、みな使い魔が方法を教えるとされている。実際、カノもプースから浄化のやり方を教わったと言っていたし、英雄の条件もプースから聞いたそうだ」
そう、なんだ?
聖女様は、こちらに召喚される前はどうやって浄化や英雄の選定をされていたのかしら。
それとも、召喚される先によって方法が異なるのかしら。だとしたら聖女様も大変ね。
「そろそろ、ステラに正式に紹介したいと思っているのだけれど、英雄の選定を急ぐ声が多くてね」
あー……。そうですか。頑張ってはいるんですけれど、なかなかチャンスがなくてですね。
今日は上手くいかなかったし……。
はあ。もっと、頑張らなくちゃいけないわね。
「カノは、心の強い優しいひとだよ。彼女の明るさに、とても救われている」
シリウス殿下……?
大好きなひとが、穏やかな優しい微笑みを浮かべる。
なんでだろう。大好きな表情なのに、なぜだか胸がざわめいた。