言えなかった
木漏れ日が柔らかに降り注ぐ、グリーンの豊富なサンルーム。
静かで、穏やかで、まろやかなその空間に。
こぽこぽこぽこぽ。
ミモザが紅茶を注ぐ音が、やけに響く。そう言えば、アークはどうしたのかしら。今日は一度も見ていないわ。
あら、美味しそうなカップケーキ。それにフルーツも。
可愛らしいケーキに、輝くようなカットフルーツ。
女性同士のお茶会だったら、その細かなデコレーションや美しくカットされたフルーツの様子にひとしきり盛り上がるところなのだけれど。
「…………」
沈黙が重たい。
息が詰まりそうだわ。
席を用意され座らされたイオは、黙ったまま顎を引いて、置かれたティーカップに視線を固定して身動きもしない。
シリウス殿下もそんなイオを黙ったまま、ただただ見つめているのよ。殿下ったら。どうなさったのかしら。お意地が悪いわ。
「……説明はしてくれないのかな?」
「…………」
良かった。喋ってくださった。
イオ? もう観念なさいな。
殿下も。そんな当て付けがましくため息なんておつきにならないで。
「ステラは? いつからイオが本来の英雄であると気付いていたんだ?」
あら。矛先がこちらに。
こほん。
ではまず、私から説明申し上げますわ。
「私は、「私が英雄ではない」ことを知っていました。カノの話ではある言葉が英雄を判定する鍵となっていて、カノはその言葉を英雄から引き出すためにいろいろと、その、苦労をしたようでしたわ。たまたま、私がその言葉を口にしたので、カノは私を英雄だと判断したのです」
違うと言っても無駄だったわ。その言葉を言ってしまったから、私は「英雄」になってしまったの。
「ふむ。それで?」
殿下は優雅な手つきでティーカップを持ち上げる。
ああ、良かった。殿下が先に召し上がってくださらないと、ケーキにもフルーツにも手を出しにくいもの。
食べないと、パティシエが気の毒でしょう?
「私が英雄に認定された後、イオが私を気遣ってくれていることには気付いていました。イオが英雄だと気が付いたのは、聖剣が、イオと共に持ったときのみ女神像の反応を示したからです」
女性の身で英雄に認定された私を、気遣ってくれているのだと思ったわ。でも、聖剣がその反応を示すのは、いつもイオが聖剣に触れているときだと気づいたときに、とても合点がいったの。
本来ならイオが果たす筈だった英雄の務め。代わって請け負うことになった私が、怪我をしたり傷付いたりしないよう、細心の注意を払ってくれていたのよね。
「申し訳ございません、殿下。それから、ステラ様。この度のことは、自分の不徳の致すところと猛省しております」
まあ、イオ? そんな風に頭を下げてはテーブルにおでこをぶつけてしまうわよ?
殿下はさっきまでとは違って、少し表情を和ませていたわ。そうして静かにお尋ねになった。けっして、責めるような口調ではなかったわ。
「なぜなのか、は話す気はないのか? なぜ、英雄の務めを放棄した?」
「…………」
放棄。その言葉はイオには厳しく響いたみたい。
きゅ、と唇を噛み締めて、また、イオは俯く。
「……放棄、しようと思ったわけではありません。使い魔より、自分が英雄であることは知らされておりました。ですが、どうしても、自分には言うことができませんでした」
苦しそうに、絞り出すようにイオは言う。
言えなかったって……、ああ、あれ?
「……ステラの言う、鍵となっている言葉を、か?」
「はい。それに、その言葉を言わなくても自分が英雄であることは変わらないのではないかと考えていました。聖剣は無くとも、魔王を倒せば良いのだ、と。まさか、ステラ様が英雄の認定を受けられるとは、思いもしませんでした」
殿下は頷いて、ゆっくりと私を見たわ。殿下に見つめられることは嬉しいのだけれど、今回ばかりは少し困ってしまうわね。
ええっとですね。誠に言いにくいのですけれど。つまり、ですね。
…………。
「……カノ曰く、「お前、面白い女だな」です」
「…………」
まあ、殿下。ぽかんとしていらっしゃいますわね。少し幼く見える、その表情はレアですわ。
「異世界に召喚されて、こちらの事情をご理解くださって、健気にも聖女の務めに励まれるカノ様に、その様なことを申し上げる機会に恵まれませんでした。かと言って、合言葉のように唐突にただ言えばいい、と言うものでもないと使い魔が言うのもので、それで言いあぐねているうちにステラ様が先にその言葉を仰ったようで……」
イオ。その言い方ではまるで私が本人には言い難いことを言ったみたいではありませんか。
「私は「カノは面白いひとね」と。ドレスでジョギングをしたり木登りをしたりしていましたし、愉快なお話で楽しませてくれたのでそのように申し上げたのですわ」
そう。イオと違って、私はたまたまその言葉を言う機会があったというだけですのよ、殿下。
殿下は言外の私の訴えにも理解していると言いたげにうんうんと頷かれたわ。
「なるほど、分かった。それで、英雄の登場を待ち侘びていたカノが、ステラを英雄に認定したのだな」
そうです。その通りです。
「驚きました。本当に。ステラ様に万が一のことがあったらと思うと、なんとかしてカノ様にあの言葉を言うべきだったと後悔しました。無事に魔王は討伐出来ましたが、殿下に要らぬ疑念を抱かせる結果となりまして、重ね重ね、殿下にもステラ様にも申し訳なく、お詫び申し上げます」
そうしてまた深々と頭を下げる。あ、今ごつんって音がした。ぶつけたわね、おでこ。
「よく、分かったよ。イオは頭を上げなさい。その件についての沙汰は追ってする」
「はっ」
低く応じてイオが顔を上げた。やっぱり。おでこが少し赤くなっているわ。
…………。
赤くなっている、と言えば。殿下も左の頬が赤いように見受けられるのよ。ほんの少しなんだけれどね。
気のせいかしら。いえ、やはり、赤い、ような?
「良く分かった、けれど。ならばステラ、君が暇乞いをするのはなぜた?」
真っ直ぐに見つめられて、たじろいでしまう。
「それは……」
だって、このままでは不貞を追求されてしまうもの。それが分からない殿下ではないと思うのだけれど。
口ごもる私に、殿下は「ん?」と優しく微笑んだ。なにか困っていることがあるなら話してごらんと穏やかな瞳はそう言っているようで、どうしよう、涙が出そう。
本当はお側にいたい。誰に何を言われても、シリウス殿下の婚約者の座は死守したいと思ってここまで来たの。
幼い頃から想い続けた、お慕いし続けた、大好きなシリウス殿下。離れたいはずがない。
じんわりと目頭が熱くなって、大好きなシリウス殿下の凛々しい顔が、波紋が広がるように揺れて歪む。
驚いたように目を丸くする殿下に、きっぱりとした声をかけたのはミモザだった。
「恐れながら申し上げます、殿下」
「ミモザ?」
「殿下はお忘れでしょうか。ステラ様は「執事風情の若い男と相引きをしていた」という嫌疑がかけられております。失礼を承知で申し上げますが、その嫌疑の原因は殿下ご自身にあるもの。ステラ様が殿下に愛想を尽かされるのも当然かと」
ま、まあ、ミモザ! 言い過ぎよ! 愛想を尽かすなんてとんでもないわ!
慌てて殿下を見ると、殿下は小さくため息をついて困ったように微笑んだわ。
「ステラ。その件は申し訳なかったと思っている。シャウラ・スカイラーがそのことを言い出したとき、俺の家族は全員、その若い男は俺だと察したらしくてね。母上からも、何がなんでもステラの名誉を回復させろと命じられている」
王妃殿下が?
シリウス殿下はそう言って左の頬を撫でたわ。
「ステラ。どうか、考え直して欲しい。ステラにかけられた嫌疑は、必ず俺が晴らしてみせるから」
「殿下……!」
本当に? 私、殿下のお側にいてもいいの?
殿下はとろけるような甘やかな笑みを浮かべて、力強く頷いてくれた。
ああ! 殿下! 嬉しいです。諦めていたのに、夢のよう……!
「でも、どうやって……」
溢れそうになった涙をそっと指先で払いながら尋ねると、
殿下はにんまりと、まるで仕掛けたイタズラを披露するような笑みを浮かべたの。




