裁定のとき
そこは、一点の穢れも許さないかのような真っ白な空間だった。
白い石の床、白い石の壁、そして白い石の天井。
中央にアーチのかかった大きな泉も白い石で造られている。
立会人はバルコニーのように壁際に囲われた座席で見届けるようね。すでに国王様、王妃殿下、ベテル第一王子殿下夫妻、ロキ第二王子殿下夫妻、そしてシリウス第三王子殿下が着席されているわ。
思っていたよりも、立ち会う方の人数が少ない。もっと、ずらりと王族の方々や高位の貴族の方々がお揃いになるのかと思って、少し怖かったけれど……。
他に立ち会うのは大神官様を始めとした神官の皆様。神官の皆様が準備や進行を担うのも、関わる人数を制限するためかしら。
私は衣服を脱いだ上に与えられた真っ白なガウンだけを纏っている。
髪については特に何も指示が無かったので、緩くまとめて結い上げた。
誘導されて、泉の前に立つ。大神官様の厳かなお声で儀式の始まりを宣言されると、泉に御神酒が満たされていく。
立ち込めるアルコールの匂いに酔ってしまいそう。
全ての準備が整って、大神官様が私を促す。
大丈夫よ。しっかり、胸を張って。堂々と。
私は小さく深呼吸をして、それからガウンを脱ぎ落とした。
真っ直ぐに前を見据えて足を進める。
階段状になっている箇所がある。ここから入ればいいのね。そっと足を浸けて。
冷たいかと思ったけれど、それほどでもないわね。良かった。
予想はしていたけれど、かなり深いわ。一番下まで降りると御神酒の水面が胸の上までくる。
体を隠してくれるのは有り難いわね。進みにくいけれど。
当然だけれど、どこも痛まない。このまま向こう側まで何事もなく渡り切れば私の潔白は証明される。
でも。
私はひとりの神官を目の端に捉えている。前を見据えるふりをして、その神官の動きに神経を集中させた。
今更ながら、怒りが込み上げてくるわ。
シリウス殿下に一目惚れをしたあの日から、それはそれは努力をしてきたのよ。たくさんのお妃候補に名を連ねるだけでも、私には大変だったのに!
それでも! 名だたる御令嬢のみなさんの中から選ばれるという奇跡のような栄誉を得た。努力が実った喜びは、言葉では言い表せないわ。本当に幸せだった。ううん。幸せの端っこを掴んだ、と思ったわ。
これからはますます努力を重ねて、シリウス殿下に相応しい妃殿下に、と決意を新たにしていたというのにこの始末。
いったい、なんの因果なのかしら。
恨むわ。本当に。
私自身の落ち度で失脚するのなら諦めもつくけれど、よりにもよって魔王に加担した疑いをかけられるなんて!
しかもシリウス殿下以外の殿方の前で裸を晒す羽目になってしまったわ!
もう本当に、絶対に絶対に、許さないわよ! シャウラ!!
もうすぐ、アーチ部分に差し掛かる。視界に捉えていた神官がアーチの柱側で控えていた神官に近づいていく。
私はさり気なく、結い上げた髪に指を滑らせた。
その神官は、会話を交わしながらそこにいた神官と位置を入れ替わり、泉に背中を向けてヘリに立つと後ろ手に小瓶を取り出した。
こんの性悪! くらいなさい!!
私は髪の中に忍ばせていたものを取り出し、その神官に投げつけた。
「ーーーーっ!」
それは、小さな水風船の中に御神酒を入れた物。狙い通り神官の手に当たり、水風船は弾けて、小瓶は蓋が開く前にその手からこぼれ落ちた。
はっと振り返ったその目は驚きに見開かれ、一瞬後。
「つ、ああああっ!」
御神酒に濡れた手を押さえ、悲鳴を上げた。
その手はじゅうじゅうと煙を上げ、焼け爛れていく。
「なに?! なんでっ! あああ! 痛い!!」
神官に扮したシャウラは手を押さえて蹲った。
「それは御神酒よ。主神クレーターの加護を受けた聖なる御神酒。魔と交わった者には、触れることの出来ないものよ」
神官様たちが駆け寄ってくる。そもそもシャウラは神官じゃない。部外者の侵入に、大神官様は目を吊り上げた。
「シャウラ・スカイラー。なぜここにいるのです? それにその手はどうしたことです?」
「これはっ……。あの女が、何かの薬品を私に浴びせたのです! あの女に厳罰を!!」
大神官様は私とシャウラを交互に見て、国王様を仰いだ。
「聖酒で確認せよ」
「っ!!」
国王様のお声にシャウラは息を飲んだ。
大神官様はシャウラの腕を素早く掴み、袖を捲らせると露わになった白い腕に御神酒をかけるよう指示したわ。
「やめて! 嫌! あああーーっ!!!」
御神酒を浴びた腕は赤く腫れ上がりみるみる爛れていく。
魔王に与したものは誰か。それはこの場にいる誰の目にも明らかだったわ。
「ステラ・ウィラード。そなたの潔白は証明された。ご苦労であった。この後はゆっくり休むといい。シャウラ・スカイラーについては審問を行う。手当てののち、速やかに審問の間に連れてまいれ」
国王様はそう言って立ち上がられた。
私は頭を下げ、国王様をはじめとする王族のみなさまが退室されるのを待った。
泉から出たところで、声をかけてくれたのはミモザだった。
「お疲れ様でございました、ステラ様。ご立派でしたわ」
まあ、ミモザ。いつの間に? もしかして、シリウス殿下が手配してくださったのかしら。
素早くガウンを着せてくれたミモザは、少し目を潤ませている。
どこから持ってきたのか椅子が用意されていて、そこに私を座らせると、丁寧に足を拭いてくれて靴を履かせてくれたわ。
「うううぅ、どおしてよ! どおして私がこんな目に! 言われた通りにすればステラ・ウィラードを破滅させらるって言ってたのに! そうしたら私が、私がシリウス殿下とっ! うぅあああ!!」
連行されることを拒否するようにシャウラが暴れている。
「私が」、シリウス殿下と、ですって?!
聞き捨てならないわね。
「ステラ様?!」
シャウラは駄々をこねる子供みたいに蹲って悪態をついている。手負の獣のような様子に、神官様たちは手出しできずにいるわ。
私はシャウラの前に立って彼女を見下ろした。
シャウラは私に気づいて、ゆっくりと視線を上げたわ。その瞳は憎悪に燃えて、憎々しげな感情を剥き出しにしていた。
「たとえ私がシリウス殿下の婚約者として不適格となっても、あなたが殿下の婚約者に選ばれることは無いわ」
「…………っ!」
ぎり、と歯軋りする音が聞こえた。
「私の方が美しいわ! あんたなんかより、スタイルも良いし、ダンスだって誰よりも上手に踊れるわよ!」
残念ね? そういう問題ではないのよ。
「いいえ。あなたは選ばれないわ。何故ならば、あなたは神殿の乙女だから」
意味が分からない、とシャウラは馬鹿にしたように笑った。
「はあ? ……どういう意味よ?!」
「長い歴史の中で、王族に嫁いだ神殿の乙女はただのひとりもいないわ」
「……?」
「調べれば分かることよ。身分や教養、容姿に優れた神殿の乙女は過去に何人もいるわ。だけど、神殿の乙女を妻に娶った王族はひとりもいないの。理由は明らかにされていないけれど、何かあるのだろうと察せられるわ。だから、王族に嫁ぐことを望む令嬢は神殿の乙女にはならない」
「?!」
知らなかったのでしょう? 若い女性の憧れ、上級貴族が妻にと望む人気の職業だ、と信じて疑わない。
もちろん、間違ってはいないわ。でも、妻にと望むのは上級貴族までで、王族は違うのだということに思い当たらないところが、浅はかだと思うわよ。
「あなたは、神殿の乙女になった時点で、シリウス殿下の婚約者にはなり得ないの。誰に唆されたのか知らないけれど、騙されたのよ、あなた。可哀想に」
「……ぅああああ!!」
掴みかかってきたシャウラを、駆けつけて来た騎士が取り押さえる。
暴れるシャウラを押さえつけ、連行していく様子を確認して、私は彼女に背を向けた。
シャウラを唆し、魔王を復活させた者が別にいる。
それが誰かは審問で明らかになるだろう。自分を騙した相手を、シャウラがかばうとは思えないし、義理立てもしないでしょうから。
むしろシャウラのことだから、自分を騙した相手のことを積極的に話すのではないかしら。
シリウス殿下……。
その者を捕らえることができれば、事件は解決だわ。
あと少し、ですね? 殿下。




