聖女の帰還と断罪の始まり
神殿に女神像が戻った。
信頼のおける上級の執事やメイドの手によって磨き上げられた女神像は、元の美しさを取り戻し、差し込む陽光を受けて光り輝いている。
魔王は再びその内側に封印され、御神酒による聖なる清めを受け続けることでその力を失っている。
新たな瘴気の発生はなくなり、女神像を通してカノの祈りは国中に行き渡り、一連の騒動は間もなく収束を迎える。その見込みがたって、王宮のひとたちもみな表情が明るい。
ずっと、終わりが見えなくて辛かったものね。長い冬が終わって、やっと春がきた。
そんな感じ。
心が華やぐし、体だって軽い気がする。
もちろん、まだまだやるべきことはあるわ。
まずはカノを元の世界に帰すこと。これは瘴気の浄化が完璧に終わったことが確認出来次第、速やかに儀式を行うことが決定している。
カノには申し訳ないけれど、もう一踏ん張り頑張ってもらわないといけないの。
それから、被害にあったひとたちの弔い。
残念ながら、瘴気に当たってしまった人間が、少なからずいる。魔物となった動物と同じく亡骸は残っていないけれど鎮魂のための儀式が執り行われることが決まっているわ。
そうして最も重要なことは、誰が魔王を復活させたのかの追求。
魔王復活が人為的に行われたことは未だ秘匿されている。だから公にはなっていないけれど、犯人は厳罰に処すというのが国王様の意向。
犯人、私はシャウラだと思っているわ。
単に実行犯なだけかもしれないけれど。たとえそうだとしても、真相の究明はもちろん、たとえどんな理由だろうと、誰が背後にいようと、行いに相応しい罰が与えられることを願っているわ。
それとは別に気になっていることがひとつ。
女神像は無事に戻ったけれど、女神像が持っていたはずの盃が、見つからなかったの。
多くの人員を割いて、果樹園中を探したわ。あの、物置小屋は解体する勢いで隅々まで捜索が行われたの。でも無かった。盃はどこにも無かったの。
今はレプリカで代用しているけれど、本物は、一体どこに行ってしまったのかしら。
「カノ!」
その日の午後、浄化を終えたカノとティータイムを一緒にと約束していたの。日当たりのいい中庭で待っていると、上質だけれどシンプルな、カノらしいブルーのドレスを身につけて、カノがやって来た。
「お待たせ。いい天気だね」
香り立つ紅茶と焼き菓子のいい匂い。さっそくいただきましょう?
「浄化は今日で終わりそうと聞いたけれど?」
「うん。確認に2、3日かかるらしいけど、もう終わりだと思う。王子様の方はどう?」
「腕の傷は順調に回復されているわ。傷痕は残るけれど、手が動かないとか、そういった後遺症の心配は無いそうよ」
「そっか。良かったね」
暖かな陽だまりで、他愛のない話を続けて。でもふと会話が途切れてしまうと、静かな寂しさが過るわ。
もうすぐ、お別れね。
「…………」
でも。
悲しいお別れじゃないわ。あるべき世界に帰るだけ。
突然こんなところに連れてこられて、理不尽な要求をされて、嫌な思いもたくさんしたはず。
だけど、カノはこんなに頑張ってくれた。本当にありがとう。カノのおかげでこの世界は平和を取り戻す。滅びずに済む。
二度と同じことがないように、上層部は方策を立てている。カノの世界のひとに再び迷惑をかけることがないよう、シリウス殿下も再発防止策を考えているわ。
だからきっと、いいえ絶対。もう魔王の復活はない。
私、忘れないわ。
伝承とは違ったけれど、優しくて心が強くて気持ちの温かい、素敵な聖女様がこの国を救ってくれたこと。
柔らかな日の光が降り注ぎ、神殿は荘厳な空気に満ちていた。
神殿にあつらえられた玉座に国王様、王妃殿下、さらにベテル第一王子殿下夫妻、ロキ第二王子殿下夫妻、シリウス第三王子殿下がお出ましになられ、さらに緊迫感が増したわ。
神々しく煌めく光の中、召喚されたときに身につけていた衣服をまとい、カノがゆっくりと進み出る。
気負うことのない、普段通りのその様子はとてもカノらしいわ。
国王様が立ち上がり、朗々とした御声を響かせカノに言葉をかける。
「聖女カノ。此度の尽力と功労を讃え、ここに感謝の意を表し聖冠を与える」
宝石をあしらった豪華なティアラはカノの服装には正直似合っているとは言い難いものだったけれど、カノの献身と努力に相応しい、素晴らしい輝きを放っていたわ。
ティアラ以外にも、王妃殿下よりネックレスが、ベテル第一王子殿下からブレスレットが、ロキ第二王子殿下から指輪が、シリウス第三王子殿下からはブローチが贈られ、カノは宝石だらけになって、なんだか困ったような、正直に言えば嫌そうな顔をしているの。
ふふ。本当に、カノらしいわ。
ああ、大神官様の祝詞が始まった。
神官様たちの声が続く。カノの足元から聖なる光が湧き上がり、緩やかにカノを包む。
たくさんの人が固唾を飲んで見守る中、眩い光に護られるようにその姿は見えなくなり……。
光が収まったときには、もうそこにカノの姿は無かった。
ありがとう、カノ。
最後に振り返ってくれたカノの笑顔、私、絶対忘れないわ。
これから先、何度も思い出すわ。懐かしく有り難く、思い出すわ。
ありがとう、カノ。ありがとう。
「続きまして、英雄の表彰に移ります。英雄ステラ・ウィラード、前へ」
宰相様のお声に背筋を伸ばす。
「はい」
カノが立っていたその位置に足を進める。ああ、でも。カノのようには無理だわ。私、すごく緊張してる。
カノは本当におおらかで心が広くて堂々としていたけれど、私は返事の声すらひっくり返ってしまいそう。
なんと! 私もお褒めの言葉をいただけるそうなのよ。その話を聞いたときから緊張していたの。
ああ。どうしよう。口から心臓が飛び出そう……。
頑張って、ステラ。堂々と。出来る限り美しく。自然な微笑みを絶やさずに。
そうして、国王様が私をご覧になった、そのとき。
「疑義がございます!!」
その声は響き渡った。
ぎょっとしたわ。本当に心臓が出ちゃうかと思った。
声の主はすぐに分かったわ。シャウラよ。
私は、国王様に失礼にならないよう頭を下げ、ゆっくりと振り返った。
「ステラ・ウィラード様の功績について、疑義がございます!」
シャウラはもう一度、はっきりとそう言ったの。
疑義? どういうこと?
宰相様が国王様を仰ぎ、国王様は表情を変えずに頷かれた。
「シャウラ・スカイラーの発言を許可する。疑義の内容について述べよ」
宰相様に促され、シャウラは一歩進み出た。
「発言を許可いただき、ありがとうございます。では、疑義の内容について申し上げます」
シャウラは真っ直ぐに国王様を見上げて、小鳥のような美しく軽やかな声で言葉を紡ぐ。
「ステラ・ウィラード様には、魔王側に与した疑いがございます」
……なんですって?!
ざわりと儀式に立ち会っていた高位の貴族たちがざわめいた。
「……それはどういうことか」
宰相様の問いに、そのざわめきが収まるのを待って、シャウラは答えた。
「まずは聖女カノ様に対する嫌がらせでございます。聖女カノ様は、ご自身の好みではないドレスをステラ様に押し付けられとても心を痛めておられました。私を始め多くの神殿の乙女たちがその様子を確認しております。魔王討伐の邪魔をするためだと考えられます」
シャウラの後ろに控える神殿の乙女たちがうんうんと頷く。
私はそっと唇を噛んだ。でないと、叫んでしまいそうよ。
……カノの好まないドレスを用意していたのはあなたたちの方じゃない!
「次に、女神像の盗難です。紛失した女神像を最初に発見されたのはステラ・ウィラード様とのこと。女神像を盗み、隠した本人だからこそ、その場所を知っていたのではないでしょうか。聖剣の導きなどと仰られているそうですが、他の誰もその導きを知りません。その導きが真実であるということが証明出来ましょうか?」
シャウラは十分に間を取って、芝居っ気たっぷりに聴衆を見回した。
「女神像については未だ盃が発見されていません。私はステラ・ウィラード様がお隠しになっているのではないかと考えています。ステラ・ウィラード様の居室を捜索されることを進言いたします」
馬鹿なことを。
だけどシャウラは、誰もを虜にする美しい微笑を浮かべて私を見据えたの。そうして、自信満々に言ってのけた。
「やましいことが無ければ、拒否する理由はありませんわね、ステラ様?」
「もちろんです」
応えた直後、ぞっとしたわ。
シャウラが、にやりと禍々しい笑みを浮かべたから。
その笑みは一瞬で消えたけれど、そら恐ろしいものを感じたの。
まさか……?!
宰相様が国王様を仰ぎ、国王様は先ほどと同じように表情を変えず頷かれた。
宰相様が控えていた騎士に指示を出す。
心臓が痛いくらい暴れてる。
ここしばらく、リゲルの様子がおかしかった。部屋の中を落ち着かない様子で見回して……。
あれは、いつからだった?
まさか。まさか……!
バタバタと足音が響いて、指示を受けた騎士たちが戻ってきた。その手に持っているのは。
「ありました! ステラ・ウィラード殿のクローゼットにこの盃が!!」
ざわり。
広がったざわめきとひそひそと囁き合う声。まるで針のむしろだわ。
「ステラ・ウィラード、説明を」
宰相様が私を見つめる。
ステラ、しっかり。毅然とするのよ。
「私の、預かり知らぬことでございます」
「白々しいですわ、ステラ様。ステラ様のお部屋にありましたのよ」
「私の部屋で、鍵がかかるとは言え、絶対に侵入が出来ない部屋ではありません」
「誰かが侵入して隠したと仰るのですか? 一体誰が?」
「分かりませんが、私の部屋に隠されていることを知っていた人物ではないかと」
つまり、あなたよ。
紛失した女神像を見つけられたのは盗んだ本人だから。その言葉を当て擦られたことに気づいたのでしょうね。シャウラはムッとした表情で一瞬黙ったけれど、すぐに勝ち誇ったような表情を取り戻し、国王様に向き直った。
「最後に動機です。ステラ・ウィラード様はシリウス第三王子殿下の婚約者に選定されておきながら、実は想い合う恋人がいるのです。執事風情の若者と相引きしておられる姿を複数の者が目撃しております。大変、仲睦まじい様子であったと」
「ーー!!」
「公爵令嬢の身分で、王子殿下との婚約を断ることは出来ません。ステラ様は恋人への想いを遂げるため、魔王の力を借りてシリウス殿下を亡き者にしようとしたのです。実際、シリウス殿下は魔王の手によって大きな怪我を負われました」
どうしよう。
その執事風情の若者はシリウス殿下そのひとだけれど、殿下のお忍びの姿を、あれは殿下本人だと私が暴露してしまうわけにはいかないわ。
冷たい汗が、背中を流れ落ちた。
「ステラ様ご本人も、まさかご自分が英雄に任命されることになるとは予想されていなかったのでしょう。また、国を滅ぼすことまでは望まれていなかったのだと思います。ほど良きところで魔王を倒すことを計算に入れ女神像を発見、シリウス殿下には傷を負わせるに止まりましたが、これ以上は長引かせられないと諦められたのだと思います」
こんなことになるなんて……。
ざわめきはいつの間にか消え、ゾッとするほど神殿内は静まり返っていたわ。
リゲルの言葉を思い出す。
そうよ。リゲルが言っていたじゃない。私が英雄に選ばれたとき、それでも「星の動きは大きく変わっていない」と。
あれは、断罪される私の未来に変化はないと、そういう意味だったんだわ。
殿下……。
見上げた視界が滲む。
一度は破滅を覚悟したときもあったけれど、こんな未来は想定外よ。
どうしたらいいんだろう。何を言ったら……。
殿下……?
シリウス殿下の穏やかな瞳が私の視線を捉え、それからゆっくりとその瞳が動いた。
なに? 女神像……? 女神像がなにか……。女神、像……。
「ステラ・ウィラード、疑義の内容について述べたいことはあるか」
そう仰ったのは国王様だった。宰相様ではなく、国王様が、直接そう仰ったの。
決して詰問するような調子では無かったわ。私からも公平に意見を聞こうとしてくださっていることが窺えた。
その瞳は、シリウス殿下の瞳ととてもよく似ていたの。
「私は、私の潔白を主張いたします」
震えないようにお腹に力を入れて、きっぱりと言い切る。
国王様は小さく頷くと仰った。
「どのように潔白を証明する?」
「魔女の裁定を!」
私の答えを聞いて、シリウス殿下が微かに微笑んだ。




