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決戦! vs魔王

 むせ返るような甘い腐臭。

 大きな大きな箱の中、赤黒く、まるで血に塗れたような女神像の姿に息を呑む。


 直後。


「危ない、ステラ!」


 どこに潜んでいたのか、巨大な黒い影が飛び出してきたの!


「っ! いけません殿下!!」


 私を庇って殿下が怪我をするなど、あってはならないことです!


 だけど、殿下は私を押し倒すように後方に飛び退いた。


「う、痛ぅ……」


「殿下!」


「大丈夫だ。問題ない」


 問題大ありです!


「腕が……!」


 引っ掻いたように大きくシャツの袖が破れ、血が溢れ出している。

 どうしよう。そうだ、止血。止血しなくちゃ。


 破れた袖を引きちぎって、肩のすぐ下で縛って。

 手当を。早く。早く。


「大丈夫だ。それよりもステラ、見ろ」


 視線で示された先。小屋の入り口から、大きな影がのそりと現れる。

 扉のサイズにそぐわない巨体をするりとくねらせて姿を見せたのは。


「…………っ!」


 頭が3つある、獅子のような巨大な犬。それは地獄の番をするという伝説の化物を、彷彿させる獣だった。


「魔王……?!」


 これが? 書物に記されていた姿と違う……?!


「いや。その眷属だろう。おそらく、あの状態で力を発揮出来ない魔王を守っているんだ。こんなものを従えているとは」


 あの状態。

 女神像もろともに聖酒につけられた、あの状態?

 すでに聖酒は腐敗が進んでいるようだけれど、それでも、魔王から自由を奪っているというの?


 3つの頭、6つの目がこちらを向いた。

 地鳴りのようなうめき声が辺りに木霊する。


「殿下、お下がりください!!」


 怪我は腕だもの。歩けますよね? どうか、安全な場所まで下がってください。


「しかし、ステラ」


「お下がりください、殿下。庇ってくださってありがとうございました。私は、私の務めを果たします」


 慈悲深い瞳。幼い頃、私が恋したその瞳は今も変わらず温かな慈愛に満ちている。


「ステラ、っ」


「…………」


 私は英雄だ。この聖剣で魔王を倒す。

 あなたが守りたいと願う、この国を守るために。あなたがなによりも大切に思う、この国のひと人を守るために。


 あなたのために。


 触れさせた唇を離して、化物に対峙する。

 化物の口から炎が見える。唸り声が火に変化しているみたいだ。


 手の中の聖剣をしっかりと握り直し、私は化物に向かって走り出した。




 熱い。


 化物の口から吐き出される炎が肌を掠める。唾液のように周囲に撒き散らされた小さな火が、草木を焼いている。

 騒ぎを聞きつけたひと達が遠巻きに集まり始めた。


 化物は、小さな傷を負わせることができる程度で致命傷を与えるには至らない。


 3つの頭は絶えずどれかが私を捉えていて隙がない。大きいくせに敏捷だし。でもね、頭が3つあるせいで、それぞれがそれぞれの動きを阻害しているようにも見えるの。


 振り上げられて前足を聖剣で払って懐に飛び込んでみる。


「はぁっ!!」


「ぐぁおおぅうう!!」


 正面の頭が噛みつこうとするけれど、左の頭が頭上を振り仰いだ勢いに引きずられてその鼻先は私に届かないの。


 ほら、ね?


「やぁ!!」


 く。すかさず喉元を狙ったけれど、右の頭に阻まれてしまったわ。


 タイミングが遅い? でも、何度も繰り返したらそのうち読まれてしまう。


「は!」


 尻尾!!


 鞭のようにしなった尻尾が地面を抉った。


「きゃあっ!!」


 あぶ、危ない! 危なかった!!

 ちょっとお尻を持ち上げる、あの予備動作はリゲルと同じね。あのこの尻尾攻撃も無駄じゃなかったわ。


 熱い。


 髪もドレスもぼろぼろだし、顔だってきっと泥だらけよ。見せられたものじゃないわ。

 それなのに大勢のひとが遠巻きに見ている。

 

 剣を手に大立ち回りをするなんて。しかも相手は化物よ?!


 お母様、卒倒しちゃうわ。それに、お転婆が過ぎてシリウス殿下の婚約者には相応しくないって言われてしまうかも。


 ああ、熱い。


 いっそ雨でも降らないかしら。

 雨が降ったらもっとどろどろになって、視界も悪くなって、誰も私が私だなんて気づかないわ。


 頭がぼうっとする。迫る鋭い爪先に、反射だけで剣を振り上げ応戦する。


 熱いーー!


「ステラ様!」


「ーーっ!」


 怒号のような声に呼ばれて、不意に思考が真っ白くリセットされた。


 イオ?


 大きな広い背中が、目の前にある。その手に握られた大剣が化物の爪を受け止めていた。


「しっかりして下さい! 周囲にあった、急を要する瘴気の浄化が完了しました。間も無く、カノ様もこちらにみえられます」


「イオ……」


 カノが来る。聖女のカノが。


「助太刀いたします。大丈夫です。ステラ様なら出来ます」


「……ありがとう」


 そうだ。英雄だからって、私はひとりじゃない。聖女であるカノと力を合わせて魔王を倒すんだわ。

 イオも力を貸してくれる。


 前座相手に、弱気になってちゃだめよ!!


 魔王を倒して、この国を救うんだから!!!


 呼吸を整えて、聖剣の柄を握り直して。

 本当はもう握力も怪しいの。聖剣がとても重たく感じる。持っているだけで精一杯よ。

 だけど。負けるわけにはいかないから!


 ぶん、と風を切る音に神経を集中させて、両手でそれを切り払う。


「ぎゃああああぉおおんっ!!!」


 切り離されて尻尾が勢いよく飛んでいった。


 6つの目が、憎々しげに私を睨む。その口が一斉に炎を吐いた。


「ステラ様!」


 イオが私を庇おうと立ち塞がる。その体に炎が迫った、その瞬間。


「!!」


 清らかな光が炎を包んで、その勢いを止めた。

 カノの祈りだ! カノの聖なる力が邪な力を抑えている。


「今です、ステラ様!」


 力強い声に後押しされて前に出る。動きが緩慢になった化物の、振り上げられた前足をイオが受け止める。その開いた喉元に、聖剣を力一杯突き入れた。


「ぐがっ、ぁ…………」


 滴り落ちるどろどろとした血を掻い潜りながら剣を引き抜くと、その喉からひゅーひゅーと苦しげな呼吸が漏れ聞こえ。


 どおん、とその巨体が横倒しになった。


 立ち上がろうとする四肢が空を掻き、苦しげにもがく。持ち上がらなくなった頭を無理やり動かし睨む目を、イオの剣が潰した。

 ほっと、詰めていた息がこぼれ出たわ。全身から力が抜けそうだった。


 一瞬の静寂の後、周囲から歓声が上がりかけて。


「まだです、ステラ様!」


 はっとしたようにイオが背後を振り返ったの。あの、小屋を。


 みしみしと小屋が揺れていたわ。それに気付いてざわめきかけた周囲が静まり返ったの。


 誰もが、小屋を見ていた。幾多もの視線が集中する中、小屋を破ってそれは這いずってきた。


 頭は山羊。体は人間の男性。その背には、輝いていただろう羽根の、朽ちた跡……。


『うぅぁぅぉおおお……!!』


 声、とも唸り、とも言い難い耳障りな音を出し、その目は暗赤色に鈍く光っている。憎しみが溢れ出すような暗い瞳。


 これが、魔王!?

 

 右足が膝の下で千切れている……。女神像に拘束された体を自ら引きちぎったのかしら。

 あ。傷ついた背中と足から瘴気が湧いて出ている!


 このままではまた瘴気が増えてしまうわ!!


「ステラ様! 魔王は弱っているようです。今のうちに!」


「ええ!」


 頑張って、ステラ。ここが正念場よ。魔王を倒すことこそが、英雄である私の本懐。


 ずっしりと重たく感じる聖剣を振り上げ構えると、腐敗した葡萄で汚れた魔王は、敵は私と認識したようだった。


『うぅぅゔぁああああ!!!」


 恐ろしく不気味な唸り声をあげて、ぶん、と痩せた腕を振り回す。長く鋭い爪を躱して聖剣を振り下ろし、逆の手が襲いかかってくるのを既の所で避ける。


「ーーっ!」


 髪が……!


 首のすぐ横を掠めた魔王の爪が乱れて下りた髪を散らして。

 元々弱っていたからか、カノの聖なる力の効果か、徐々に魔王の動きは鈍くなって。


 今だ!!


 わずかな隙、魔王の心臓めがけて聖剣を突き出した。


「!!!」


 な、剣先を掴んで……?!

 魔王の左手が剣を受け止め、聖剣は魔王の掌を貫いたけれどその体には届かない。


「ぐ! うぁっ!!」


 魔王の右手が私の首を掴んで引き寄せる。間近に迫った恐ろしい顔が、にたりと笑った。


 ぞっ。


「う! ぐうぅ!!」


 苦しい。首が……! 息が……。


 みしりと骨が軋んだ。そのとき。


「ステラ様!」


 イオの大剣が魔王の右腕を切り落とした。


『があっ!! ぎぁあああ!!!』


 イオの右手が私の右手に添えられる。大きな手が私の手ごと聖剣を握り、その力で聖剣を押し込んでいく。


 肉を切り裂き骨を断つ感触はおぞましいものよ。

 2度と味わいたくないわ。


 だけど、これでやっと終わったと、魔王の断末魔を聞きながら思ったの。


 とても疲れたわ。大変だった。あちこち擦り傷だらけよ。切り傷だらけだわ。もしかしたら大切な顔にも傷がついちゃったかもしれない。

 でも、終わったのだと思ったの。



 このときは。


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