召喚された聖女様
大聖堂に荘厳な光が満ちた。大神官様が光を抱きしめるように恭しく両手を前で合わせ、その手を天に向けて大きく広げる。光は七色に煌めいて、やがてひとの形になった。
ほうっ……。
静まり返った堂内にため息が溢れる。儀式の成功を喜ぶ安堵からか、それとも、伝承の聖女に対する畏怖の念からかもしれないわ。
肩までの黒髪。大きな黒い瞳。血色の良い健康的な肌の色。なにより、見慣れない衣服を着ている……。
丸首のだぼっとした上着と、同じくだぼだぼっとした足首までのパンツを履いていらっしゃるの。
あら? 足元は裸足なんじゃない? ああ、やっぱり。神官様が靴を持ってきて履かせている。
なんだか、想像していた聖女様と雰囲気が違うような。
年齢は私と同じくらい、18歳前後に見えるわ。遠目にも整ったきりっとした顔立ち。背が高そう。
ちゃんとドレスを着て、おめかししたらきっとお似合いになるわね。
私には似合わない、大人っぽいタイトなドレスも着こなせそう。だぼっとした服なのに、胸の膨らみははっきり分かるもの。いいなぁ。
聖女様はあたりを見回して、驚いたように目を見開いて何かを言っている。神官様たちがわらわらと聖女様を取り囲んだわ。あん。見えなくなっちゃった。
別室に移動するみたい。あ、大神官様が持っているのは使い魔の卵じゃないかしら。あれはきっと、聖女様の使い魔ね。大きめの卵だから、猫や犬系の使い魔を授かったんだわ。
アルナイルというこの国では、子供が生まれると神官様より使い魔の卵を授かるわ。卵は寝ている赤ちゃんに抱かせておくと、数日から数ヶ月で孵って使い魔が生まれてくるの。
犬や猫、鳥が多いけれどリスやハムスターというひともいるわ。大きな動物だと、過去には熊というひとがいたらしいけど、そんなに大きな動物が生まれることは滅多にない。
使い魔は主人に寄り添い助言を与えてくれる存在、と言われているけれど、個体差、能力差がすごく大きいの。
一般的には使い魔自身が必要と思わない助言はしないわ。それに、世話焼きタイプもいれば口出しせずに見守るだけってタイプもいる。
助言できるケースもまちまち。重大な危険が迫った場合は回避するよう助言をくれる場合が多いけれど、勝負事や賭け事は読み合戦になるからアテにならないと言われているわ。
どちらにしても、助言をしてくれるだけで、答えを教えてくれるわけじゃない。使い魔は、なんでも相談できる人生の相棒といったところね。
聖女様の使い魔はどんな動物かしら。あの聖女様ならかっこいいタイプの動物が似合いそうね。大型の犬とか。
さてと。儀式は無事に終わったし、作戦を練らなくちゃ。
破滅なんて絶対に嫌。
だって、せっかくシリウス殿下の婚約者になれたのよ。やっと婚約者になれた。でもまだまだこれからなの。
婚約者といっても私とシリウス殿下は愛し合っているというわけじゃない。私は一方的に大好きだけれど。婚約は、多分に政治的な要素が強いわ。
家柄、教養、容姿。そういった諸々の事柄から王子妃に最も相応しいとして選ばれただけ。
だからこれから私は、シリウス殿下の愛情を得るために頑張らなくちゃいけないの。シリウス殿下が他の誰かに心奪われてしまったら、愛妾をお持ちになられたら、私は形だけの、お飾りの妃になっちゃうんだもの。
そんなの嫌よ!
たくさんお話をして、同じ時を過ごして、愛を育むの。
破滅なんてしてる場合じゃないのよ!!
だけど。
国を破滅させるわけにもいかない。
シリウス殿下はこの国を、国民を、とても大切にしている。より良い国にするために、国王様や第一王子のベテル殿下、第二王子のロキ殿下とともに日々惜しまず努力なさっている。
より良い国を目指すのは国民のためだわ。国民の豊かな生活のため、幸せのためよ。
殿下の大切なものを、私も大切にしたい。
だから、絶対国を破滅させたりしないわ。聖女様にはなんとしても英雄となるべき騎士を見つけていただかなくては。
そのためにはどうしたらいいか。
「要するに、聖女様を落ち込ませることが出来ればいいのよ。そうでしょ?」
ちょんちょんと指先で額を撫でると、リゲルは気持ち良さそうに目を閉じた。
そもそも、私は聖女様をいじめたりなんかしない。だけど聖女様は私にいじめられたと思うのでしょ?
だったら、そう思って頂けばいいんじゃない? 聖女様がいじめだと思っても、客観的に見て私に正当性があればいいのよ。
そうすれば、後で糾弾されても無実だと主張できるわ。
「ねえ、そう思わない?」
薄く開いた瞼の間から緑色の瞳がちろりと覗いた。
「おまえの好きな大衆ロマンス物語に出てくる悪役令嬢みたいだな。ゲスだって散々文句言ってたじゃねぇか」
「う……」
そうなのよね。まさに、お手本にしようと思ったのがそれよ。少し前に巷で流行った恋愛小説。平民出身のヒロインが身寄りの無い子供達のための施設運営に携わることから始まる物語。
運営資金が乏しくて、子供達におもちゃを買ってあげることが出来ないから、ヒロインは得意なお裁縫を活かしておもちゃを手作りするのよ。
ぬいぐるみやお人形はもちろん、拾ってきた木の枝を丁寧に加工して、積み木や輪投げや独楽を作って子供達を喜ばせるの。
ヒロインの作ったおもちゃは、子供を楽しませる小さな工夫がたくさんあって、子供達の間で人気になる。買いたいという人たちに売っていくうちにさらに人気は広まって、やがて貴族の子供達の間でも噂になった。
その頃にはひとりで作るのでなくて、仲間たちと作るようになるのだけれど、ヒロインの噂はその国の王子様の耳にも届いて、好奇心旺盛な王子様はお忍びでヒロインに会いにいくの。
子供達が寂しい思いをしないように、笑顔でいられるように、懸命なヒロインに王子様は心惹かれていく。この手の物語では定番の、「面白い女だな」が出て2人はいい感じになるんだけど……。
王子様との出会いの件は、まあ、フィクションだなって感じよね。現実的ではないけれど、ドラマチックでロマンチック。
ただ、出る杭は打たれるものでしょ?
かねてから王子妃の座を狙っていた公爵令嬢が悪辣な嫌がらせをするのよ。王都に出店したお店に偽の注文をしたり、王子様の声がかりで出席したパーティで恥をかかせようとしたり。
だけど、ヒロインは機転を利かせてピンチをチャンスに変えていく。ここがこのお話の見どころよ。悪役令嬢をぎゃふんと言わせちゃうのよ。ハラハラするけれど、爽快なの。
最後は王子様と結ばれてハッピーエンド。悪役令嬢は夢破れる訳なんだけれど。この悪役令嬢、嫌がらせの仕方がとても巧妙なの。
例えば、ヒロインがミスをするように誘導しておいて、そのミスをこれでもかと責め立てるんだけれど、決して感情的な物言いはせずに理路整然と問い詰めるの。
実際にミスをしてしまっているヒロインは謝る以外ないのよ。
しかも、必ず第三者の目があって、令嬢は当然の注意をしただけだと証言するの。
仕方がないで済まない場合はあるわ。だけど、間違えてしまったものをなぜ間違えたのかと理詰めで問われても、ねぇ?
ヒロインが間違っていて令嬢は正しい。そういう状況を作ってしまうところが、悪役令嬢の悪役令嬢たるところなのだろうけれど、卑怯よね。はっきり言って、下衆だと思うわ。
自分の安全を確保しておいて、相手に嫌な思いをさせるんだもの。
でも、その下衆さが今の私には必要なの!
「他に方法がある?」
「さあな」
「でしょ?」
聖女様には申し訳ないと思うわ。だけど、リゲルの予言の通りなら、聖女様だって落ち込まなければ英雄を見つけられないのだから、これは必要悪なのよ。
悪役令嬢に倣って、聖女様にはしっかりと落ち込んでいただくわ。