瘴気の姿
瘴気とは。
魔王の復活と共に発生するもの。植物を蝕み、瘴気に触れた動物を魔物に変えてしまう、恐ろしいもの。
聖女の祈りでのみ、浄化することができるもの。
「これ?」
海中を漂うクラゲみたい。ぽよぽよっとしたものがたくさん木に取り付いている。
「そうだ。こうやって木に張り付いて枯らしてしまう。切っても分裂するだけで倒すことが出来ない」
シリウス殿下は苦い表情で瘴気の取り付いた木を見上げた。
瘴気って、もっとこう、黒い靄のような霞のような、そんな感じのものだと思っていたわ。
実際の見た目には愛嬌すら感じてしまうわね。
だけど、取り付かれた木の方はなんだか苦しそう。枝も重たそうにしなってる。実際に木が痛いとか苦しいとか思うわけじゃないだろうけれど、でも、苦しそうに感じるの。
「カノ、頼む」
シリウス殿下に請われてカノが頷く。一歩前に進んだカノが両手を組み祈り始めると、金色の光があたり一面に立ち込めたわ。ぽよぽよっとした瘴気は、その光に包まれて……。
消えていくーー。
光の中、砂が風に攫われるように、小さな小さな光の粒子となってその姿を失っていく。
サラサラと崩れていく音が聞こえるような気がした。
光が収まったときには、ぽよぽよした瘴気はひとつも見えなくなっていたの!
「すごい……!」
すごいわ! 聖女様の祈りって本当にすごい!
見て。さっきまで重たそうに垂れ下がっていた枝が、伸びやかに天を向いている。良かった。
えへへって、カノは照れたように笑ったわ。もっと、誇らしげにしていてもいいんじゃない?
カノにしか出来ない、とってもすごいことよ。この国のひとたちを救ってくれるわ!
あ。キュオンが戻って来た。
シリウス殿下の使い魔、オオカミのキュオンはこの近辺の偵察に行ってくれていたの。
殿下の足下で何か言ってる。どうやら、他にも瘴気に取り付かれた木があるみたい。
「よし、行こう!」
カノが率先して歩き出す。
「大丈夫? 疲れてない?」
「平気平気。ねえ、キュオン。他には? まだまだありそう? ない? じゃ、次で今日は終わりだね。余裕余裕」
キュオンの尻尾を掴もうとするカノを尻尾で叩いて応戦しつつ、キュオンは案内してくれたわ。
「うわぁ‥…」
酷いわね。いっぱいいる。大きな木にびっしり瘴気が取り付いているわ。向こうの木なんて、もう枯れ始めているじゃない。
カノがすぐに祈り始める。あたりに金色の光が湧き上がった。
そのとき、キキッて、イオの使い魔のライデンが警戒したような鳴き声を上げたの。
リデルも尻尾と耳をピンと伸ばしてあたりの気配に耳をすましている。
「来るぞ、ステラ」
リゲルがそう言ってかぱっと口を開ける。
七色の煌めきとともに現れた聖剣は、カノから受け取ったときより、刀身が細くなっているの。柄も私の手に馴染む大きさで全体的に扱い易いサイズと重さになった。リデルの中に収まってから形を変えて現れるようになったのよ。
とても不思議な剣ね。
聖剣を手に構える。
「殿下、お下がりください」
殿下は、祈りを捧げるカノを背後に庇うように立った。キュオンが殿下のすぐそばに控えたわ。その瞳が、殿下と同じように鋭く左右を見回している。
草を踏む音が近づいてくる。
注意深く数歩進むと、イオが私を制するように前に出た。
「自分が」
あら、そう?
「では、援護します」
荒々しい足音と息遣い。魔物は1匹ではなさそうね。イオの背中に緊張が走る。茂みががさがさと大きく揺れ、飛び出して来たのは赤く目を光らせた、体の大きなキツネだった。
「ステラ、今日はご苦労だった。明日に備えて早く休むように」
「はい、殿下」
シリウス殿下はそう言って微笑んだ。嬉しい。英雄なんてどうなることかと思ったけれど、殿下と一緒にいられる時間が増えたし、こうしてちゃんと労ってもくれる。
とても優しい笑顔。ふふふ。頑張り甲斐があるわ!
殿下はカノを振り返って言った。
「では、カノ。部屋まで送ろう」
「ひとりで戻れますけど?」
「そういうことではない。さあ、行くぞ」
「はあ……? あ、ステラ、じゃあまた明日ね!」
カノは不思議そうに殿下を見てから私に手を振った。
「ええ、カノ。お疲れ様」
王宮の居住エリアに戻ったところで2人を見送る。イオは王宮の入り口で別れ、馬を厩舎に戻しに行ってくれたわ。
カノと殿下。2人連れ添って歩く後ろ姿に、切ない気持ちになるのは仕方がないわ。
やきもち焼いてもしょうがない。分かっているけれど、ちょっと胸が痛い。
「…………」
ひとの気配?
振り返ると、神殿の乙女のひとり、シャウラがゆっくりと近づいて来るところだった。
どこかに、行っていたのかしら。
「これはステラ様。いまお戻りでいらっしゃいますか? お勤め、ご苦労様でございます」
「ええ、シャウラ。あなたも」
美しい薔薇には棘がある。シャウラはそんな言葉を体現するかのような美しい微笑みを浮かべて言った。
「王子殿下の婚約者様ともあろう方が、ずいぶんと薄汚れていらっしゃいますのね」
頭の上から足先まで、ねっとりと見回してる。嫌な視線。
「森で、魔物の討伐を行っていたので汚れましたの」
「まあ、そうでしたか。さすが英雄に選ばれるだけありますわ。勇しくていらっしゃること。魔物の討伐など恐ろしくて、私にはとても出来ませんもの。そのお姿も……」
シャウラはすうっと顔を寄せて、私の耳元で囁いた。
「お似合いです」
ムカつく……。
「……そうだわ、シャウラ。いいところでお会いできました。失くなった女神像のことですが」
「……なんでしょう?」
言われたことを丸切り無視してにっこり微笑んで見せちゃう。
シャウラは鼻白んだように、目を細めたわ。
ふーんだ。あなたの嫌味になんかいちいちへこまないわよ。へこんだって、そんな様子見せるわけないでしょ。
「あなたが最後に女神像を見たのはいつです?」
あら。警戒した表情になった……?
「……聖剣授与の式があった、前日です」
「当日の朝は?」
「その日の清掃の当番は私ではありませんでしたから」
「……前日の何時ごろ?」
「朝です。そのあとは聖女様が浄化のお祈りをされていたはずです」
つん、と澄ましてそう言った後、シャウラは突然悲しそうな表情で項垂れた。
「申し訳ございません。私がもっと注意していれば良かったのです。本当に、なんとお詫びしたら良いのか……。本当に申し訳ございません」
え? なに? なんで急に謝り始めたの。瞳に涙まで浮かべて。っは!
通りかかった2人のメイドが、こちらを見てひそひそと話しながら行ってしまった。
ちょっと、待って! まるで私がいじめているみたいじゃない! 違うわよ? 違うのに!
慌ててシャウラを見たわ。シャウラはにんまりと嫌な笑いを浮かべていたのよ! してやったりとでも思っていそう。
「ではステラ様、ご機嫌よう」
その笑みはきっぱり私を馬鹿にしていたわ。スキップでも始めそうな後ろ姿を、私は呆然と見送るしかなかった。




