閑話4 人待ちヘπトスさん
更新です。
ちょっとしばらく更新停止します。
ヘπトスの朝は早い。
なにせ寝て起きたらAWである。なんなら寝ずにAWという場合もある。言うに及ばずとも誰であれ理解できるAW廃人である。そのリアルについては今は語らないが、少なくとも充実していないことは間違いなかった。
ともあれ。
朝、ログインしたヘπトスはまず他の『姫百合の園』のメンバーがインしていないか確認し、当然インしていないので舌打ちをして「なによ、またいないじゃないの、意識低いわね」だなんてことをぶつぶつと呟きながら仕方なしに工房に引きこもって作業に取り掛かる。
もちろんクランメンバーのウィンドウは傍らに置いて、いつ誰がインしてきても確実に気が付けるようにした状態で。
ちなみに、こういう特に目的もないときのヘπトスの作業は基本的に競売なんかに出品する装備の制作になる。
今や『姫百合の園』の専属となった彼女なので出品するのはそこまで心血を注ぐわけではない数打ちの武器群だが、それでもプライドにかけてその中でも最上級を目指す彼女の作品は、多少割高であろうともひとたび出品すればみるみると売りさばけるほどに優れたものとして認められている。なんだかんだ、彼女はAWにおける生産職トッププレイヤーの一人なのである。
工房に籠ったヘπトスは、炉に火を灯し、その温度が上がりきる間に素材を並べ立てる。
それは金属だけでなく魔物の牙や毛皮などどう見ても鍛冶の素材ではないような代物が様々あるが、ヘπトスはまったく気にした様子もなく温度の上がった炉にそれらをぽいぽいと放り込んだ。
それらは炉の中でみるみるに溶けて混ざり合い、ひとつになってまとまっていく。
AWにおける鍛冶というものにはいくつか方式があるが、ヘπトスが得意とするのは融合式とでも呼ばれる方式を中心に据えたものである。
多数の素材を一緒くたに合金にして成形するという言ってしまえば大雑把な方法だが、素材の数や性質によって合金の出来が大きく左右されることもあって、自由自在に行うためには膨大なデータと経験とが必要となってくる。
そのほかには、例えば剣を作る際に刃にある金属、鍔には別の金属、柄には木材、というように別種の素材のパーツを組み合わせてシナジーを得る複合式が一般的だ。一応必要な場合にはこの方式も取り入れているヘπトスだが、彼女にとっては素材の統一感や一様性こそが美しく見えるようで、大体は造り上げた素材のみを利用して装備を作成することが多い。
しばらく炉の中の金属塊を睨みつけていたヘπトスは、やがてそれをトングでつかんで金床に乗せると腰に提げていた金づちでそれを叩いた。
かぃん!かぃん!かぃん!と澄んだ金属音が工房に響く。
冷えてくるとまた炉で温め、繰り返しかぃん!かぃん!かぃん!
それを繰り返して出来上がるのは、百人の“剣”というイメージを平均化したような剣っぽい形の金属塊。繰り返しの殴打で魔力的なファンタジー成分の注入されたそれは、今や様々な効果を込める下地としても十分なものとなっている。
赤熱する金属塊が自分の求める水準に至ったことを確認したヘπトスは、今度は事前に吟味しておいた特殊効果を槌に込めて振り下ろす。
「『付加』」
ぎっ!
特殊能力を籠めようとすると、金属塊は軋むように鳴く。
能力を込めるということはそれだけ素材に負担をかける行為であり、素材と効果の相性や素材そのものの許容値をしっかりと見定めて行わなければこの剣の素は粉々に砕け散ってしまう。
一振りひとつの能力を込め、それが終わってからしっかりと問題ないことを確認したヘπトスは、また金属塊を炉に沈める。
取り出したそれを、今度は成型する段階だ。
成形といっても、数打ちの武器であればその作業には実は大きな苦労はない。
なにせ、事前に3Dモデルを作成しておけば槌の一振りで変形してくれるからだ。
ゲームだからこその簡易的処理。システムさまさまである。
「『造形』」
土を振り下ろせば、金属塊はみるみる内に形状を変えて豪奢な長剣となった。
それをたった一度焼き入れだけしてしまえば、あとは刃を研いで完成である。
今のところ、焼き戻しなどを行うことでの影響はないというのがAWでの定説だ。
恐らくは初期工程で込められたファンタジー的パワーによる作用だろうと様々な理屈を重ねて語るプレイヤーもいるが、それとは別でヘπトスはいくつかの比較実験から影響がないということだけは確認済みなので省いている。
合計三十分強という短時間で出来上がったあかがね色の長剣を持ち上げたヘπトスはそれをしげしげと眺め、自分の求めるだけの性能を有していることを確かめると次の一振りに取り掛かる。
結局午前いっぱいを作業に費やしたヘπトスは、リアルでささっと朝食兼昼食を摂ってからまたすぐにAWへと戻ってくると、しばらくの間ホームのソファでそわそわしながら紅茶を嗜む。
せわしなく紅茶を口に運び、時折前髪を気にしたりなんかしてちらちらとウィンドウに視線を向けるその様はまるで恋人でも待っているのかという様相だったが、特に約束をしている訳でもない。ただ、昼というキリのいい時間帯なのでそろそろ誰か来るのではないかとそんなことを思って待っているだけである。
「誰も来ないじゃないのよ!」
そして紅茶を十二杯ほど飲み干したところで、ヘπトスはキレてティーカップをぶん投げた。
破壊不能オブジェクトであるティーカップは、壁に叩きつけられて無残にも転がる。
それを慌ててテーブルに戻してから、ヘπトスは地団駄を踏んだ。
なにせ誰も来ない。
自分は午前中からずっといるのに。
別に誰一人として今日来るとも言っていないのだが、そんなことは知ったことではないのだ。というか、自分がいるんだから誰か来るのが当然とすら思っている。
しばらくむきー!と叫び倒したヘπトスは、そのいら立ちを装備作成に向けることにしてまた工房に籠る。
けれどそれから数分も立たないころに、ホームの方に誰かがログインしてきた。
ウィンドウを見てみれば、リコットがインしてきたらしい。
ヘπトスはぱぁと目を輝かせ、ここぞとばかりに大きな音を立てて金属塊をぶん殴る。
ひたすらに自分の存在を主張したいらしい。
そうしていると、なんと続いてリーンまでログインしてくるではないか。
扉の向こうの音は槌の音で聴こえないが、リーンは結構ホームでのんびりしていることも多い。
今すぐに扉を開いてやりたい衝動を押し込めながら、ヘπトスははてさていつ出て行ってやろうかと考え込む。
なにせ、すぐ出て行ったらまるで待ち受けていたみたいだ。
それではまるでかまってちゃんである。
かといって遅すぎて、さあ冒険しようかなという気分のところに行っても手を振って見送ることになりかねない。
もちろんついていくという選択肢はない。
基本的に職人というのはあまり外に出ないことがかっこいいと思っているヘπトスなので、よほど理由がない限りは、少なくともメンバーと一緒には冒険に出ないようにと心がけているのだ。
だから狙うは、一息ついて、さてどうしようかと考えている丁度その時くらい。
そこがもっともコミュニケーションを発生させやすいタイミングだとヘπトスは思う。
ひたすらに金属塊を叩きながら今か今かと時期をうかがい、そしてヘπトスは満を持して扉を開いた。
無人だった。
「……」
扉を閉じる。
振り向けば、無残に砕けた金属の塊が不満げにジュッと鳴った。
平日のヘπトスは、割とそんな感じだった。
―――ちなみに。
「ようやく来たわね!?あなた最近気が抜けてるんじゃないかしら!?」
「ごめんねヘπトスさん。あ、せっかくだし一緒に冒険します?」
「なんですって!?仕方ないわね!付き合ってやるわ!?」
その日の夕方はユアが来て一緒に冒険をしたので、なんだかんだ満足いく一日になったらしい。
つまりまあ、ヘπトスというプレイヤーは割とそんな感じだった。
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