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082話 どれほど穏やかに思えても、時の進みは一定だ

更新です。

AWのことは忘れないでやってください。

 どれほど緩やかに思えても、時の進みは一定だ。

 永遠を望めないふたりには、当然のように別れの時がやってきていた。


「外は、寒いかな」

「ん」

「風が強いかも」

「ん」

「雪なんて降っちゃってたりして」

「ん」


 あきらめ悪く粘る綾の言葉に、杏が頷く。

 そっけなくも思えるそんなやりとり。

けれどそばに寄り添う姿は、離れがたいという気持ちを言葉にせずとも伝えている。


 そっけないように見えるのは、だってうっかり口を開けば、なにを言ってしまうか分かったものじゃないから。


 例えば行かないでと縋り付けば、いったい綾はどんな表情になるのだろうと。


 そんなことを、杏だって思うのだ。


「……」


 綾の手が、杏の長い白髪(はくはつ)を梳く。

 打って変わって杏の気持ちをあやすように、優しく。

 そうすることで一秒を刻むことができると、そう信ずるように緩やかに。


 杏はただ、目を閉じてその感触を受け入れた。


 目を閉じて優しい手つきに身をゆだねれば、ほんの一秒の間にだって、数えきれないだけの愛情を受け取ることができる。

 あふれかえってしまいそうな、それなのにどれだけあっても満ち足りないような。


「―――そろそろ、行くね」


 綾の手が、離れる。


 目を開けば、柔らかな笑みが触れるほど近かった。


 そっと、唇を触れ合わす。


立ち上がる綾の背を見送る。


玄関に向かう綾の背を見送る。


 開く扉、振り向く綾と目を合わせる。


「またね」


 扉が、閉じる。


 雪化粧に閉ざされた世界がまぶしくて、杏はそっと目を閉じた。



「ただいま」


 をすら言う前に、抱き着いてくる。

 うりうりと頭を押し付けて、それからにぱっと無邪気に笑う鈴。


「おかえりー!」

「はい、ただいま」


 にこりと笑みを浮かべた綾は、鈴の頬をむにむにと弄ぶ。

 最近以前に増してぽっちゃりとしてきているので、やほやほなほっぺたはなんとも触り心地が良い。


 やがてふよんふよんにとろけ落ちた鈴を玄関先に放置して、綾は手洗いなどを済ませる。

 その間に蘇生した鈴がずだだだー!と元気よくやってくるのをふにっと受け止めながら、綾はキッチンに立った。


「今日何食べたい?」

「んにゃー、なんでも!」

「じゃあうどんかなぁ」

「きつね!」

「はいはい」


 るんるんと鼻歌を歌いながらじゃれついてくる杏をあやしながら手早く昼食を作る綾。

 鈴の要望に従ってきつねうどん、ついでにネギをたっぷり乗せてやれば、鈴はきらきらと目を輝かせる。


 ちゅるちゅるり。


 昼食を終えたところで、いつもならば綾にじゃれつきにゃんにゃんする鈴が威勢よく立ち上がった。


「綾!おさんぽ!」

「……うん。いいよ。腹ごなしに近くの公園にでも行こうか」

「着替えてくるねー!」


 どたどたと去っていく背を見送り、綾は目を細める。

 妙なハイテンションも、出不精なはずなのに突然言い出した散歩も、その理由はなんとなく分かる。

 けれど敢えてそれを追求する気はなく、鈴のしたいようにと流れに従うことにする。


 やがて上下ジャージという雑な服装に着替えた鈴が元気に戻ってくるので、綾は苦笑しながら共に外に出た。


 雪の白さはとうに溶け、透明な日差しが照らす街。

 雪解けの空気は冷ややかで、吸えばきりりと肺が張りつく。


「んあー!さっぶー!」

「そんなかっこだからだよ」

「んー、でもなか着てるよ?」


 じじ、とファスナーを少しおろして見せる鈴。

 中に着たシャツの下には、タートルネックの保温シャツを着ているらしかった。


 無言でそれを戻しながら、綾は鈴の腰に手をまわして抱き寄せる。


「これならちょっとはマシでしょ」

「ん、ありがと」


 頬を染め、はにかみ笑う。

 身体を寄せあい、指を絡めあいながら、ふたりは歩いていく。


「なんか、冬って、ふゆーってかんじ」

「ふふ。そうだね。空気が澄んでるみたい」

「空気清浄機もまだまだだなー」

「息心地いいっていうのかな。わかんないけど」


 すぅ、はぁー。

 なんとなく深呼吸して、顔を見合わせる。

 ふ、と笑いあったふたりは、それからまたのんびりと語らう。


「雪、また降るかなぁ」

「さー?いつ降ってたの?」

「昨日出るときはまだ降ってたかな」

「ふうーん」


 鈴は空を仰ぐ。

 空には、雲一つない。


「しらなかった」


 鈴は足元を見降ろし、それから視線を前に向ける。


「あ、あそこ!行こーよ」


 目についた小さな公園を指して鈴は言う。

 綾はうなずき、ふたりはその公園に向かった。


 休日の公園は、それなりの人数の少年少女の遊び場だった。

 むしろ広場とでも呼ぶべきな広々とした空間では、ゴーグルや銃の形をしたものなど、様々なARデバイスで遊ぶ嬉々とした声が聞こえた。


 そこに連れ立った大人ふたりに注意が向くのはひと時のこと。


 鈴はくるりと周囲を見回し、綾から離れる。

 振り向く笑みは、冬を溶かすほど輝いていた。


「遊んでくるー!」

「はい、行ってらっしゃい」


 許しが出るなりたったかたーと行ってしまう鈴を見送り、それから綾は公園の隅にある自販機でスポーツドリンクを購入し、近くのブランコに向かった。


 ブランコには先客がいて、どこか浮世離れした美貌の彼女はひとりのんびりと揺れていた。

 高校生くらいだろうか、ブランコが妙に似合わない。


「お隣失礼します」


 そう言ってみるが、返答はない。

 まあいいかとブランコにかけた綾は、いつの間にか子供の輪の中で一緒になって笑っている鈴をいとおしげに見つめる。


 しばらくそうしていると、不意に、隣の少女が立ち上がる。


「……行ったことないとこが良いっていうから、遠出した」


 はて、と思うが、あいにくと綾は鈴を見つめるのに忙しく、特に答えなかった。

 相手もそもそも返答を求めていなかったようで、興味深げに綾の横顔を見つめ、それから近くのトイレに向かっていく。


「あ、お待たせみっちゃん」

「いいよ」

「?なにか面白いものでもあった?」

「別に」


 トイレから出てきた快活そうな少女と連れ立って、彼女はそのまま公園を後にした。


 そんなことも、特に気にせず。

 綾の見守る先で、鈴は子供たちとわいわいはしゃぎまわっている。

 けれど運動不足の体に幼年の無尽蔵なスタミナは望むべくもなく、やがて疲れ切った鈴は別れを惜しむ子供たちに別れを告げて綾のもとにやってきた。


「あはぁ、つっかれたぁ」


 土に汚れることなど気にせず綾の腰に抱き着き、ぐでえと伸びる鈴。

 綾は笑みとともにそれを受け入れ、手元のスポーツドリンクを開けて渡した。


「おぉー、ありがとぉー!」


 綾の腕ごと抱き取った鈴は、かぷかぷと溺れそうになりながら喉を潤す。

 650mlボトルの半分ほどを一気に飲み干した鈴は、大きく息をついた。


なんとか息を整える鈴の背をしばらく撫でてやり、ようやく息が整ったところで綾は鈴の頬に手を添える。


「楽しかった?」

「たー!」

「そう」


 見上げる笑顔にうなずき、優しく頭を撫ぜる。

 鈴は気持ちよさそうに目を細め、綾の腿に顔をうずめる。

 そして顔を上げないままに、口を開いた。


「―――思ったより、普通だったな」


 いつもの幼いものとは少し違う、鈴の口調。

 綾は一瞬ぴたりと動きを止め、また動き出す。


「もっとダメダメだと思ってたけど、杞憂だったみたい。まあ、相手が子供だったからっていうのもあるだろうけど」


 ゆるりと、鈴は顔を上げる。

 静かな視線が綾を見ていた。


「好きだよ」


 鈴は言って。


「うん。知ってる」


 綾は頷く。


 その言葉は、単なる事実。

 鈴の好きを、綾は疑ったことがない。

 そしてきっと、これからも疑うことはない。


 だから。


「そっか……よかった」


 ふにゃりと笑った鈴は、そっと綾に口づける。

 

「私、ちゃんと、綾が好きだった」


だから疑うとすれば、それはいつだって、自分だった。


「綾だけだからじゃないよ、綾だから、だから私、綾が好き」


 鈴の言葉に込められた安堵と歓喜を、綾はそっと胸に抱く。


 その生活のほとんどを綾に依存し世界を閉ざしてきた鈴に、自分の抱く好意が単なる依存心でないという自信はなかった。


 いつからその不安が芽生えていたのかは、鈴には分からなかったけれど。

気が付けば、綾のそばにいないときは、いつだってそれは頭の片隅にいた。


だから鈴は、世界を広げて。


広い世界の中で、ただ綾を好きでいるのだと、そう信じることができた。


「それなら、もう、いいの?」

「ううん」


 綾の問いかけに、鈴は首を振る。

 太陽みたいな笑み。


「私、いっぱいやりたいことあるんだ!」

「そっか」

「うん!それでね、いろんなことおはなししたい!」

「うん。私も、鈴のお話聞きたいな」

「えへへ。あ、その前に服とか買わなきゃだし、っていうかそれならバイトとかしたほうがいいかな!?」

「うーん。私が帰った時にいてくれるなら?」

「ならかてきょーとかかなー?……まいいや!それはまた考えとく!そんなことよりあそぼーぜー!」

「ええ?大丈夫?」

「しんだら抱っこしてー!」

「もぉ。ふふ、はいはい」


 結局のところふたりの関係のなにが変わるでもない、そんなある日の出来事だった。



《登場人物》

(ひいらぎ)(あや)

・彼女を残酷だとか、冷酷だとか、そんな風に思ったとして。それは少しも的外れじゃなくて、本人にとってもいいこととは思っていない。それでも綾はそう(・・)で、そして彼女たちは形は違えどそれを受け入れているという話で。まあ、そんな感じです。


柳瀬(やなせ)(すず)

・綾の恋人とかいう閉じたコミュニティと、他のゲームで築いた関係、ついでに公園で遊ぶ少年少女。そんなちょっと広げただけの世界でなにを語るのかと、そんな突っ込みは捨て置いてください。重要なのは鈴が納得することなので。結局鈴と綾の関係がどういうものなのかというのをあんまり明示できていないですが、まあ、変わらず恋人でいるというだけなので気にしないでください。


小野寺(おのでら)(あんず)

・いつまで玄関にいるでしょう。分からないですけど、まあ、身体壊すほどではないでしょう。綾のいない時はほぼ虚無なので、それはもう別れを惜しむけれど、でも、無事に別れられたということは再会できるということで。別れなど要らないと、言うのは簡単なんですけれどね。


小島(こじま)かの子(かのこ)

・遠出してきたらしいです。誰か分からないなら別に思い出す必要もないです。二章からはちょくちょく出番があるので。この時代の学生が休日にちょっとできる遠出の限界がどれくらいかは想像にお任せしますが、まあ遭遇は奇跡的な確率ですよね。


織原(おりはら)美依紗(みいしゃ)

・多分二度とこの近辺には来ないでしょうね。また余計なことをダメな大人から学んだ模様。ちなみにもうリアルで遭遇することはないです(ないです)。


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