055話 「また、しばらくお預けか」
更新です。
響先輩編が終わります。
「また、しばらくお預けか」
「そう、です、ね」
後ろから、脇の下から腕を回すようにして、胸の下辺りで腕組みするように、響は綾を抱いている。
そっと綾の肩に顎を乗せて。
気だるげに呟かれる言葉は、名残惜しむようなため息と共に。
綾はきゅっと響の腕を掴み。
そうしてただ、その言葉に頷いた。
二泊三日の響との温泉旅行。
気がつけばそれも最終日で、ふたりは思い残すことを少しでも減らしてやろうと、のんびりと朝風呂に浸かっていた。
多忙が過ぎる響とこうして直接触れ合う機会は、年にほんの数度しかない。
響が望むことだから、綾はそれに否を唱えることなどありえないけれど。
それでもやはり、別れというのは、とても寂しい。
「ねえ、先輩」
色々と試してみて。
けっきょく普段通りが一番いいという、なんだかなあ、な結論に至った呼びかけの言葉である。
それはきっと分かりきっていたことで、紆余曲折を楽しんでいたのだろう。
「ん」
呼びかけに応え、横目に向けられる視線。
もぞ、と動いた響の頬が、ふにふにと綾に押し付けられる。
反対側にある響の耳をむいむいと弄びながら、綾は言葉を続けた。
「寂しいです」
「そう、か」
ぎゅぅ、と、響の腕を強く握りしめる。
このままずっと離れたくないと、言葉にする必要などなかったけれど。
「離れたくないです」
「私だってそうだ」
「先輩と、ずっと、一緒がいい」
「柊がそれを望むのなら」
「好きです、先輩」
「私も好きだぞ、柊」
返ってくる言葉は、どれもが、綾の欲しいものばかり。
だからこそ、どうしたって、綾は胸が疼く。
綾のための言葉など、本当ならば、口にさせたくはない。
響という人間は、自己中心の化身である。
他人の意識などぶっちぎって、全ての行いは自分の望みのためで。
だからこうして最愛の人との時が限られるなど、響にとっては本来許容することではない。
どこへ行くにせよ、どれだけ忙しないにせよ、傍に伴い、ひとときも離れないようにと独占するというようなあり方が、もともと響にとって自然なことなのだと確信できる。
それを曲げて。
それでも綾の恋人であることが、どこまでも幸福で。
振り向くように口付けを。
せめて、自分もひとときも離れたくはないのだと示すように。
どんなときも、自分はあなたのものだと示すように。
のぼせてしまうくらいに、ふたりは最後の時を過ごした。
そうして温泉旅館での時間が終わってしまえば、あとは空港でお別れをするだけ。
別れの時は刻々と迫り、けれど、空港に向かう車内はとても穏やかな空気だった。
寂しいと、悲しいと、そう思う時など別れてからは延々と続くのに、どうしてそばにいる時を浪費する必要があるのだろう。
「そういえば、EVEと話していて思い出したんだが」
響の所有する人工知性コンシェルジュである、EVE。
響の車は完全自動運転認可車種のため、基本的に運転はEVEに委ねている。
再会の時に嫉妬は一通りやっておいたので、いまさら響の口からEVEの名が出ても気にならない綾である。
膝に枕する響の言葉に、綾は続きを促すように頬を撫でた。
「柊よ。お前の惚れたAI、どんなやつなんだ。聞かせろ」
「惚れた、っていうのとは、少し違いますけどね」
「好きなんだろう?」
「まあ、はい」
響の言葉に頷き、そうして綾は、それを許容の言葉と捉え、あの水色の少女のことを思う。
今まで色々な種類の相手を好きになってきた綾だが、AIを好きになるのは初めてのことだった。
それに、その好きをどうやれば遂げられるのかも、あまり分かっていない。
好かれる、どころかそもそもあれ以降出会うことすらできていないし、なによりあの世界では恋人たちと戯れることがメインの目的だから、彼女のことだけを想う機会は、思えばほとんどなかった。
彼女は、どんな子だろうか。
「……きっと、すごく純粋な子です」
「ほぉう?」
「純粋すぎて、ちょっと心配になっちゃうんですけど」
「ふーむ。相変わらず変わった趣味だ」
「そうかもしれません」
くすくすと笑う綾に、響は歯を見せて笑む。
響は、胸中の嫉妬を綾のももを揉みしだくことで発散しながら、もぞもぞ頭を動かす。
「まあ、その辺についてとやかく言うつもりはないが……あまり増やしてこの私を蔑ろにするなよ」
「当然です」
「ならばよい」
そんなやりとりをしている内に、ふたりはやがて、空港に着いた。
なんとも忙しないことに、響はこのまま国外に飛び立つというのだった。
可能な限りギリギリの時間を狙いすましているので、乗り込みまであまり余裕はない。
空港のエントランス。
忙しなく行き交う人々の群れからそれるように、ふたりは柱のそばに居る。
「ではさらばだ、柊よ」
「はい。また次は、海にでも行きましょう」
柱に腕を突き、軽く腰を曲げて綾に近づく響。
口付けを交わす。
長い長い、口付け。
永遠に続けたいと思う。
もちろん、そんなことはできないけれど。
名残は惜しみながら、そっとふたりは離れる。
笑みを交わし、そうして響は去っていく。
次にあったときはどんな風に喜んでもらおう。
そんなことを考えながら、綾は響を見送った。
■
『おい柊。しりとりだ。しりとりをするぞ。りからだ。先手をくれてやる』
「りんご。もう少しこう、第一声どうにかならないんですか先輩」
通話を繋げた途端に自信ありげな表情で子供じみたことを言ってくる響である。
なんとも座り心地のよさそうな椅子に足を組んで座り、肘置きに肘を立てるその姿は威風堂々たるもので、綾はくすくすと楽しげに笑った。
二泊三日の旅行がメインではあるものの。
綾と響のデートは、予定上三日確保されている。
そのため、空の上の響とこうしてやりとりをするのは当然のことだった。
ちなみに綾は、自宅近くの駅まで行く無人バスに乗っている。
さすがに時間が時間のため乗客は少々見受けられるため、あまり声はだせず、ささやくような形となる。
『会いたかったぞ柊。ゴーグル』
「おざなりですねー。ループタイ」
『直接会わねば気が乗らん。イスラエル』
「ぶーぶー。ルクセンブルク」
不満げに見せる綾だが、響はまったく気にした様子もなく平然としている。
響は直接会うことをかなり重要視しているので、この程度はいつも通りのことである。
『クルー』
「ところでもしかしてる攻めとかしてますよね。ルアー」
『む。なんだ、これは戦術として確立されていたのか。アール』
意外そうな響の言葉。
綾はぱちくりと瞬き、それからぽんと手を打った。
「ああ、しりとりとかしたことないんですか。ルクス」
『話には聞いていた。スツール』
「先輩ってたまにほんと先輩ですよね。ルート」
興味がないととことん縁がないのが響という人間で、そんなところも愛おしい。
くすくす笑って見せれば、響はふんっと鼻を鳴らす。
『なにおう。トンネル』
「ちなみにる攻め返しというものもあります。ルール」
『ふむ。ルーブル』
ここぞと攻め立てれば、さすがに平静とした様子で返ってくる。
ああダメっぽいぞと思いつつ、綾は思いつく限り頑張ってみる。
「ルチル」
『卑怯者め。ルー』
綾がそういう語句を記憶していることを察したのだろう、心底楽しげに嗜虐的な笑みを浮かべる狩人響。
「ルノワール」
『ルイス・キャロル』
「くっ、だめでしたか……。ルビー」
『ビール』
「……あ、ルシフェル」
『ルー・ガルー』
これ以上ないタイミングで出現した、綾の知らない単語。
やはりここまで綾が知っていそうな分かりやすい言葉ばかりを使ってきたのだと、綾は歯噛みする。
「んもうっ。類似」
『もう終いか?ジャンル』
「くっ」
る返し合戦で負けたので、なんだかとてもしりとりで負けた気になる綾。
それからしばらく頑張ってみるものの、やがて綾の語彙力に限界がやって来て響が勝利することとなった。
『というわけでだ、柊。敗者には当然罰ゲームだな』
「言ってないので無効です」
『却下する』
「ひどい」
敗者には講義の言葉すら許されないらしい。
実際最初からその思惑を知っていた綾なので、やれやれと大袈裟に肩を竦めて見せながらもすでに諦めは終わっている。
『そうだな、とりあえず語尾に「なり」でも付けるか』
「その語尾なんですなり?」
『くはっ』
「……お気に召したようなり」
ひとりで爆笑する響。
どうやら大層面白かったらしくしばらくお腹を抱えて笑い転げていた響は、やがてにまにまと笑みを浮かべながら、なんとも見透かしやすい言葉を放った。
『さて、第2ラウンドといこうではないか、柊よ』
―――そんなこんなで、響とのデートは終わったなりござるにゃあわんがおー。
■
《登場人物》
『柊綾』
・まるで当然のようにスペードを好きとか宣いやがる。まあだからってね。そうそうなにかある訳でもないですが。
『藤崎響』
・恋人をフライト中の暇つぶしに使う人。綾が帰宅するまで延々と弄んだらしいですよ。
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