029話 島田輝里は恋をする
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きらり☆レボリューション
視線を背後に感じない。
それはたいして特別なことではない。そもそも視線を感じるなどという概念がまず不確かなもので、雪の降る夜の道で背後からの視線を感じられるような第六感は仮想の中にしかきっとない。
けれど、それでも。
それでもその感覚が、酷く胸を締め付ける。
すでに向けられていない視線、感覚ではなく理性がそれを告げていて、それを認めたくないからと感覚などという幻想にすがって、それなのに、その感覚すらもが冷ややかに事実を告げてくる。
どれだけ思い描こうとしても、自分を見つめるその正面からの姿を思い描けない。
まだ見つめられているのだと、その意識が自分に向いているのだと、そう思い込むことはできなかった。それがあり得ないということに関しては絶対的なまでの確信があった。
冷たい夜風は、自分を現実に追い立てようと背を押した。
ふすふすと雪を踏む感触をスニーカーの向こうに感じる。
踏みしめるたびにほんのわずかに滑るような頼りない足元。
駆けてきた自分の足跡が二歩ごとに広がる。
わき目もふらずに駆けるさっきより、静かに歩く今の方が足を取られそうな不安があった。
夜風にふらつけば心配してくれるだろうかとそんなくだらないことを思う。
きっとそれはありえないだろうと考えた。
転んでなるものかと意地になって気を使って歩いてみても、そんなものには少しの意味もない。
エントランスの前について。
自動扉の向こう、受付の視線がひととき向けられ、おや、と表情が変わるのを見て。
このままこの寒さを抜け出すことが、どうにも我慢ならなくて。
それからようやく、振り向いた。
当然のように、もう、その姿は影も見えない。
街灯の下を踏み荒らす足跡が続くその果ては、闇の中へと消えていた。
夜闇の向こう、その背を思う。
何度だって見た背中。
いつだって見つめていた。
だからその姿は、馬鹿らしくなるほど簡単に想起できる。
自然と、そこに、余計なものまで加わって。
描きたくなくとも描かれる、傍に寄り添うふたりの背中。
恋愛経験がなかろうと、夜に待ち逢うことの意味くらい分かる。
たとえどんなにかまととぶっていたって、きっとあの顔を見てしまえばもうどうしようもなかっただろう。自分だって分かっていたつもりが、本当につもりでしかなかったのだと、それを嫌というほどに理解させられてしまった。
それは自分など眼中にもないはずだと、そんな不可解な納得に唇をかむ。
嫉妬した。
片思いだなんてどうでもいい。
恋人でないなどどうでもいい。
なぜなら見てしまったのだ。
よそ者なんかに目もくれず、ただ単に、好きであるというだけの横顔を。
まるでそれを受け取ってもらうことが当然というようなその顔を。
自分にはできないその顔を。
嫉妬した。
自分は片思いなどと甘んじているのに、あそこにいた女は当然に両想いを知っているのだ。
AWで見たものとも異なる絶対的な現実の中で、向けられる好意を知っていた。
それを嫉まずいられるだろうか、それを妬まずいられるだろうか。
はじめて明確な恋敵を認識して、湧き上がる感情が内蔵を縮めた。掻きむしりたくなるような違和感が喉のところを這い回る。ぐるぐるとお腹の中で渦巻く言葉になり損ねた気持ちのせいで、吐き気すらもが込み上げる。
今。
今、この瞬間、そして今日、明日、あれが今自分の大好きな人のそばにいるのだと、そう思うだけで発狂しそうだった。
それなのに相手は、自分を恋敵とすら思っていないのだ。
だって彼女は愛されているから、だって彼女はもう選ばれているから。
嫉妬した。
自分の中にそんな気持ちがあったことを初めて自覚した。
恋しい人に恋人が六人いるだなどというその状況を、ようやく今実感できた。
あのときも、あのときも、あのときも、あのときも、あのときも、あのときも、全部が全部、自分に向けられていたはずの視線が全部違うところに向いていたように思えてくる。
自分に確かに向けられていた好意が、ぬるま湯のような心地よいだけのものと思えてくる。
いや実際、そうなのだ。
一度だって、きっと。
きっと自分は、その視線を得てなどいない。
嫉妬、した。
遠慮なく、ひたすらに、燃え尽きるほどに熱い、視線。
それを、ただ、向き合うだけで、向けられるということ。
自分もそうなりたいと、強く願う。
今なら分かる、今更分かる。
片思いなんて、そんなおもちゃになど価値はないのだ。
なにせ恋人がいる人間の恋人になろうというのだ、どうして受け身でなどいられるのか。
前提が間違っている。
好きになってもらうなど、そんな微笑ましいものではない。
好きに、させる。
相手からの愛情表現の、タガを外す。
触れることへの遠慮も、語ることへの躊躇いも、なにもかもを、取り払う。
そうでなければ、きっとダメなのだと思う。
六人もの敵がいる。
そのなかで唯一になろうと思うなら、それを前提としなければきっと届かない。
AWで会った二人を思い出す。
互いに同じ人の恋人でありながら、仲が悪いようには見えなかったし、実際そうなのだろう。
彼女たちは、つまり、受け入れている。
六分の一。
どんな理由でかは分からない。
それでも確かに受け入れていた。
分かる、きっとそれでもいいと思えるほどに、それは一途な思いなのだろう。
好きということ、好きを向けられるということ。
他に誰がいようと、他になにがあろうと、向けられる好きを疑っていない、向けている好きを疑っていない。
見ていれば確信できる。
あの二人はきっと、そしてあの一人も、他の三人もまたこれまでもこれからも、そうあり続けるのだ。
そんなことを、思う。
思えば、思うほど。
それが妙な信憑性を感じさせればさせるほど。
胸中に湧き上がるそれは嘲りにも似て、しかしやはり、どうしようもなく、それは嫉妬だった。
そんなバカなことが、あってたまるか。
ぶる、と身体を震わせる。
ジャケットも着ないで出てきてしまったせいで、流石に真冬の空気に長くは耐えられない。そうしたいとも思わない。
気が付けば握りしめていた拳を、不器用に解く。
かじかんだ指先に血を巡らせるように、ぐっぱぐっぱと空を握る。
手が凍り付いてしまわないようにと、こういう寒い季節には身体をずっと動かしていたくなる。
はあ、と吐いた息が宙で凍てつき白く濁り、そうして昇っていくのを見上げる。
告白をしようと、決めた。
勢いというのなら、間違いなく勢いだった。
あんなものを見せられて、半ば自棄になっていることは間違いがない。
しかしたとえ落ち着いてみたところで、好きだと伝えることをためらう理由はもはやないだろうと確信していた。
自分は常人であると知っている。
あそこまでの極端な一途さなど持てるわけがない。
こんな寒々とした空の下、待ってなどいればきっといつか凍り付いてしまう。
それを苦痛と、そう思うから。
それを思えば痛む胸に、指先の苦痛を忘れられるから。
だから、この恋を成就させるために、立ち止まってなどいられない。
どんなことがあっても、関係を進めることをためらわない。
―――島田輝里は恋をする。
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《登場人物》
『島田輝里』
・好きな人が他の女とよろしくしてるの見てキレた。こっちゃ明らかに片想いしてんだからちょっとは自重しろよオラァッ!直接言わねえと分かんねえみてえだなおぉん?!理不尽極まってるよ。キレるときは表面上は冷え切ってるタイプ。漫然とただ、好きだなあとか想ってるのはやめにしよう。ただひたすらに、好きというだけであるために。
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