010話 島田輝里は恋をしている
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新キャラ登場
島田輝里は恋をしている。
恋のお相手は、同じ会社に勤めるふたつ上の先輩である柊綾という女性だ。
輝里から見た綾という女性は、いろいろな意味で憧れの先輩と言える。
もちろん今では恋愛的なあこがれが真っ先に来るわけだが、輝里はそもそもそれ以前から柊綾を先輩として深く尊敬していた。
尊敬し、憧れ、そうして見つめるうちに、気が付けば恋に落ちていた。
これまでの人生の中で同性相手に特別な感情を抱いたことのなかった輝里はてっきり異性愛者だと思っていた自分がそんなにもあっさりと同性を好きになったことに少し戸惑っていたが、今では頼れる友人のフォローもあってなんとか受け入れている。考えてみればそもそも同性どころか異性にすらそういった感情を抱いたことのないということに気が付いたときは愕然としたものだが、なんにせよ、視線を交わすだけで胸が躍る今の心地はそう悪いものでもない。
さてそんな輝里は、今日も今日とて仕事中の綾に後ろから忍び寄っていた。
もはや日課と言ってもいい、後ろから忍び寄り、そのまま抱き着くという輝里にできる精いっぱいのじゃれあいだ。やっていることは、内容はさておき小学生の悪ガキでももう少しまともなアプローチを思いつきそうな程度の低いものだが、今更初恋などやっている輝里ではボディタッチがいいらしいという聞きかじりの知識をそのまま実践するくらいが限界だった。なにかと相談に乗ってくれる別の部署で働く親友もそれについては否定しなかったので、輝里の中でそれは絶対視されているくらいだ。
そんな訳で輝里は、デスクに向かってなにやら3台の端末を同時に操作しながらかりかりと電子手帳にメモを取っている綾に背後からゆっくりと近づいていく。日課のようなものとはいえ、好きな人に大胆にも自分から触れにいくのだ、初心が過ぎる輝里は緊張から目を見開き、口内はあからからに乾ききっていた。
八重歯がチャームポイントで活発そうな笑顔が可愛いと評される面影はどこへやら、どことなく犯罪臭すらしてくる興奮の面持ちに、周囲の他の社員は『またやってんのかこいつ』と呆れ交じりに輝里を見ている。
最近ではどちらが先に告白するかという賭けがされていたりする二人の関係だが、こういった常軌を逸したヘタレのせいでオッズは現在、綾:輝里=3:7といったところだったりする。
そんなことに気が付く様子もなくじりじりと近づき射程圏内に入ったところで、輝里は額の汗をぬぐう。さらふわの茶髪が揺れ視界の端で踊るのを見て、びくっと弾む。それが自分の髪であることに気が付いた輝里は『驚かせないでほしいっす』とでも言いたげにほっと息を吐き、それから改めて綾の方を見つめる。
綾の髪は短い。それも端末を覗き込むようにやや傾いでいるので、自然とそのうなじが露になっている。冬とはいえ空調が完璧に仕事をしている室内では、それを隠すものなどない。
輝里はなにも特別うなじにこだわりのある訳でもないが、しかしうなじといえばフェティシズムの代表例で、それはつまり否応なく性的な視点を向けやすい場所ということで、しかもそれが好きな人のものであれば多少むらっとくるのもむべなるかな。
ごくり、と輝里の喉が鳴る。
隣のデスクの女性社員が無意識に通報の構えをとるのを、そばにいた先輩が止めた。
「はっ、ボクはなにを……?」
「気持ちは分からないでもないですが」
そんなやりとりに、当然輝里は気が付く余裕などない。
すうはあと深呼吸し、そしてきりっと覚悟を決める。
それを見て、現在部署の最古参、鬼のカズちゃんこと天地博一(53)が鋭く目を光らせた。
―――動くっ!
「せーんぱひぃえ!?」
輝里が飛びついたと同時、綾が椅子ごと振り返り輝里を抱き留めた。
もふっ、とじんわりと温もる布の感触に顔をうずめ、混乱と羞恥により顔が真っ赤になる輝里。
あわあわと見上げれば、悪戯めいた笑みを浮かべる綾がいる。
「な、なにゅ、なん!?」
「たまには私がびっくりさせてみよっかなって」
びっくりした?と楽し気に首を傾げる綾に、輝里はぶるぶると震えるように何度も頷いた。
そんな輝里に綾はくすくすと笑い、輝里を立たせる。
「それで、どうしたのかな?」
「あ、ひぃえ、っと、ぉ」
「最近ちょくちょく来てくれるよね?もちろんきらりちゃんがただお話したいって言ってくれるならとっても嬉しいけど、もしなにか用があるんだったら聞くよ?」
笑みを浮かべつつ、しかしどことなく気遣うようにそんなことを言う綾だったが、輝里にそこまで具体的な要件はない。
頭にあるのはボディタッチしたいという単純な欲求と、柔軟剤の甘い匂いくらいのものだ。
そのためひどく分かりやすく視線を泳がし混乱する輝里だったが、そんな混乱状態にあって正常な思考能力が奪われていたせいだろう、胸の内に秘めていた欲求が自然と口をついて零れていた。
「ご、ごはん?一緒にとか、どうっす……?」
「ごはん?」
「ひぃやぁ!?ぜぜぜぜぜんぜだいじょぶっすけどね!?」
小首をかしげる綾に咄嗟に取り繕おうとして大失敗する輝里。
そんな輝里の目前で、綾がそっと立ち上がる。
訳も分からずなにかを恐れるようにぎゅっと目を閉じ硬直する輝里の頬に、つぃ、と、細い指先がふれた。そしてそのまま、掌が頬を包み込む。
輝里が恐る恐ると目を開くと、綾は笑っていた。
目を細め、唇はゆるりと弧を描いて。頬はわずかに上気し、綾の舌が上の歯列を裏からなぞるのが分かる。
時折綾が浮かべるこの笑みが輝里にはどこか恐ろしく、けれどどうしようもなく、目が離せないほど、見惚れた。
「じゃあ、行こっか」
「ふぇ?」
「ごはん。一緒に食べるんだよね?お仕事ひと段落してる?」
「だ、だいじょうぶっす」
「そっか」
ならいいね、と。
ニコッと笑って見せる綾の表情からは、先ほどの笑みのような得も言われぬ圧力は感じられない。
狐につままれたような気分になりながらも、輝里は「ちょうど私もお昼にしようとしてたんだ」などと言う綾に手を引かれて歩く。
そんな二人の様子に、一人の男性社員が隣の席の同期の社員へと呆れたように声をかける。
「相変わらず、柊のやつ島田っちのこと可愛がりすぎだよな」
「そうだな。島田さんも早く告ればいいのに。……ん?天地さん、って、死んでる……?」
「は?何言って……死んでる……」
「でも見ろ、こんな満足げな死に顔なら……」
「ああ、きっと本望だろうよ」
「ぐっ……馬鹿なこと言ってねえで、さっさと仕事に戻りな……」
「うわ、生きてら」
「ったりめえだ。心臓止まったくらいで死ぬか」
「いやそれ致命傷ですから」
「?」
「どうしてそこで首を傾げて……?」
そんなやり取りがあったとか、なかったとか。
いつものことだった。
それはさておき。
綾と一緒に昼食を摂ることになった輝里は、綾とともに会社のすぐ外にある食堂へとやってきていた。会社の持ち物ではないが提携しており、社員割引きで食事がとれる。バランスなどが完璧に計算されている代わりに日ごとに3種類の定食しかレパートリーのない(アレルギーなどに応じたフレキシビリティはある)社員食堂よりも、綾はこちらでの食事を好んでいるのだった。
普段は社員食堂を利用している輝里だが、綾がにこやかにおすすめをしてくるのでは是非もない。
「ここのうどん美味しいんだ」
「じゃあうどんにするっす……って多!?」
「もともとうどん屋さんのつもりだったんだって」
「なるほど……なるほど?」
その割にはフォーなどというよく分からない料理までメニューにあるという事実にはてなを浮かべつつ、輝里は綾に合わせてきつねうどんを注文した。
間もなくやってきたうどんの、湯気立つ出汁の香りに輝里は目を輝かせる。
「いただきます」
「いただきますっす」
わくわくと手を合わせてさっそく輝里は麺をすする。
ちゅるちゅると滑らかな麺は、すすればしっかりと絡んだ出汁の味わいが口に広がり、噛めばしこしこと腰がある。
「めっちゃ美味しいっすね!」
「気に入ってくれてよかった」
「ぅ」
ぱあとにこやかに笑う輝里は、綾がじぃっと自分を見ていることに気が付いて顔を真っ赤に染めた。
輝里は、綾の視線こういった視線に弱い。
まっすぐに、じぃっと、ただひたすらに、輝里を見つめる視線。
まるでその視線が向けられた場所が熱せられるかのような、そんな感覚に陥る。
綾は実は、自分のことを大好きで仕方がないのではないか、だなんて。
そんなことを錯覚してしまうほどに、強い視線だ。
それが今目の前にあることがなんとも恥ずかしく、ごまかすように出汁をすすりながらぐるぐると思考する。
せっかくの、昼食を一緒にとるという機会。
この機会にぜひともぐっと距離を縮めたいと、輝里は思っている。
そのためにもまず軽い雑談からだろうとは思うものの、無難な雑談とは一体なんなのだろうかとそんな疑問が輝里の頭を埋めていた。
輝里はゲーマーだ。それも結構重度なゲーマーだ。
そんな彼女の会話のレパートリーの9割はゲームが占めている。
普段会話する例の親友であれば輝里のゲームの話もにこにこ聞いてくれるのだが、相手は憧れの綾先輩、思えば好きなものも趣味も何も知らないので、一体どんな会話を振ればいいのか輝里には理解できなかった。
いまどきの女子っていったいなにが好きなんっす……?
などといまどきの女子らしからぬ思考をぐるぐる回していると、不意に「きらりちゃん」と綾に声を掛けられる。
「ひゃいっす!」
「そんなに飲んでたら、おつゆなくなっちゃわない?」
「へ?」
ふと気が付けば、飲み進めていたうどんのつゆはもううどんを浸してすらいない。
どうやら気が付かずにぐいぐいと飲み下していたらしい、口内にやけどのひりひりを今更ながらに感じ、輝里は気まずそうに器を置いた。
「あー、えっと、先輩って趣味とかあるっす?」
「趣味?」
間抜けな失態のおかげで幾分落ち着いた輝里が、いっそのことと直接的に質問をする。
綾は不思議そうな表情をしつつもその質問を受け取り、そして軽く首を傾げた。
「趣味っていうか、まあ、ゲームとか結構やるかな?」
「マジっすか!?」
まさかまさかの答えに、輝里は目を輝かせる。
脳内では、いつか見た雑誌の『一般的に、人は趣味が同じ相手には好感を抱きやすいものです』などという文言が燦然と輝いている。
それになにより、輝里にはとある作戦があった。
成功すればぐっとお近づきになれるに違いないと確信する輝里史上最大の作戦なのだが、ゲームが趣味というのなら成功の確率は増し増しだ。
これが俗にいう運命っす!?などと一足跳びに胸躍らせる輝里に、今度は綾が尋ねる。
「きらりちゃんもゲームとかする?」
「めっちゃやるっす!趣味と言って間違いないっす!趣味を聞かれたら真っ先にゲームっす!」
「あはは。そんなに?」
「っす!」
なにせ綾の趣味と同じなのだ、自然頷きにも渾身の力がこもっていた。
そんな輝里に綾は目を細め、そしてふと思いついたように手を合わせる。
「そうだ。それなら、もしかして『Another World』とかやってる?」
「ぬぇ!?」
綾の口から出たゲームの名前に、輝里は言葉にならない声を上げる。
ぱくぱくと口を開閉する輝里に、綾は首を傾げた。
「やってるの?」
「や、やってないっす、けど、えっ、先輩はやってるっす……?」
「うん」
「まじっすか」
恐る恐る尋ねればあっさり頷いた綾に、輝里は唖然とする。
なにを隠そう輝里の作戦というのが、AWを利用したものだった。
綾を誘って一緒にプレイすることでプライベートな時間を共有するとともに仕事ではなかなか見せられないかっこいいところを全力でアピールしてやろうという魂胆で、思い立ったが吉日と購入し、届いたのがつい昨日のこと。今日の夜からさっそくキャラ育成に取り掛かって鍛え上げ、いずれは初心者な綾に手取り足取りあわよくば……などというあほらしい妄想まで繰り広げていたのだが、綾がすでにAWをやっているとなれば目論見は初手からすでに頓挫しているようなものだった。
そんな輝里に、綾は残念そうに言う。
「そっかあ。私も昨日からなんだけどね?もしやってるなら、一緒にできないかなって思ったんだけど」
「やるっす!」
その言葉は、ほとんど反射のようなものだった。
身を乗り出す輝里に、綾は目を見開く。
「ちょ、ちょうどわたしもやりたくて買ったところなんっすよ!今日からできるっす!いけるっす!むしろおねがいしますっす!」
まくし立てたところで、はたと輝里は自分を顧みる。
そして周囲から驚きの視線が集まっているのを見ると「あぅ」と顔を真っ赤にしてすごすご椅子に座った。
「きらりちゃん」
やってしまった、と縮こまる輝里に、綾が呼び掛ける。
どんな状況でも綾の呼びかけを無視することなどありえず、輝里は顔を上げる。
そして輝里が見たのは、つい先ほど見たような、圧倒的な笑みだった。
「きらりちゃんがいいなら、一緒にやりたいな」
「もももちろんっす!」
「うれしい」
ほんのわずかに頬を染めて言う綾に、輝里の胸が弾む。
気が付けば、また口内がからからに乾いていた。
「じゃあ帰って、ご飯食べたらすぐとか、大丈夫?」
「もちっす!最速でくうっす!」
「急がなくて大丈夫だよ?夜は長いから。最初の街の広場でいいかな?あ、『Abyss』の方で先にフレンド登録しとこっか」
「お願いするっす!」
それぞれ携帯端末を取り出し、『Abyss』アプリでフレンドコードを交換する。
「ふぉおお……!」
フレンド欄に増えた『ユア』の名前がまるで神々しいものでもあるかのように輝里は端末を掲げた。
仕事用に交換したSNSのアカウントよりもプライベートに近いような気がして、ただそれだけで縮まったような気がする距離に輝里は胸がいっぱいだった。この調子でいずれは輝里と綾だけを相互にフォローする恋人用アカウントにまでたどり着いてやると妄想を繰り広げる輝里に、そして綾は最後に告げた。
「あと、一緒にやる人がふたりいるけど、いい?」
「う゛ぇっ」
輝里の妄想ははかなく霧散した。
■
《登場人物》
『柊綾』
・上げて落とす。酷いことしやがる。相手視点にしてみるとこう、綾が比較的まともっぽく見える不思議。今作はもともと(リメイク前は、という意味です)一人称だったんですけど、それを傍から見るとどんなもんじゃいなという試みで中心すら輝里に当ててみました。するとどうでしょう、まるで普通の人です。まあすでに恋人がふたり登場してるのに別の女に粉かけてんだからやべえやつではあるんですけど。
『島田輝里』
・知れず地獄に足を踏み入れる綾の同僚。綾を好きになった時点で運の尽きだよ。あるいはもっと前、綾に好きになられた時点で、でしょうか。なんいうか、情緒が小学生っていいますか、こう、微笑ましい目で見るには社会人二年目って微妙かなって。見た目的にはゆるふわふわ小動物。髪とか。そして語尾が『っす』。きょうび聞かないですよね。今作における恋愛パートはこいつが主役。なぜならまだ恋人じゃないからね。他の恋人連中は基本関係とか変わらない、お付き合いの範疇での出来事しかないので、必然的にスポットは輝里に当たります。もっとも、輝里の関係性だってどうなるか分かったものじゃないですが。
『ゆかいな仲間たち(会社)』
・通報したガール宮崎空&その先輩鳳神無、最古参にして隠れ(隠れてない)百合紳士天地博一、綾に社食のA定食一週間の島崎徹&輝里に食堂のもちもちプリン十人前の一一二三、今は語られることのない輝里の親友、その他大勢。ボクっ子空&丁寧語神無ペアは席が遠いけど気が付けばどちらかがどちらかの近くにいる。別に教育係とかでもないのにべったり。食事はもちろん出社も退社も一緒。でも付き合ってないし、別にそういうピンク色な雰囲気は特にない。でも多分しようと思えば普通にできるし、したところでそこまで関係性は変わらなさそう。謎。早く付き合えばいいのに、なんて思いながら綾と輝里を見ているが、自分たちのことは特に意識していない模様。博一さんはなんというか、この綾たちの時代にあっても未だに生きている百合紳士。実際現代にだって異性愛を愛でる風潮が当然にあるんですし、同性愛が一般化しても百合紳士は永久に不滅だと思います。にしても生ものはどうかとおもいますが。推しカプは綾×きら。異論は認める。女の子の仲良し日常モノも百合と捉える広い心の持ち主なので空&神無も推しているが、神×空か空×神かという深淵なる命題に未だ結論を出せずにいる。カプ厨がよぉ。ちなみに『鬼のカズちゃん』は節分の時に鬼のお面をつけて孫娘(3歳)同伴で出社してきたという衝撃の事件に由来する(『かずちゃん、だっこしてーな』『ほっほっ、かずちゃん頑張ってしまおうかのぅ』)。真面目君な徹&チャラっぽい一二三は席が隣なので自然とよく話す。徹は彼女がいるらしいが、一二三の方は独り身が気楽でいいとかなんとか。それぞれ綾と輝里にベットしているので綾と輝里の絡みにはアンテナを立てているが、最近はどっちでもいいからさっさと付き合ってほしいと思っている。徹が博一の隣の席ということもあり、結構その三人は仲が良かったりする。他部署などはその三人組を食堂で見かけるたびに首を傾げている。……三人称だとこういうことしやすいのよね。特に綾の一人称とかさあ。
ご意見ご感想批評批判いだけるとありがたいです。




