表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「天才」 第一部 青春  作者: ドライサーの小説の翻訳です
8/28

第8章

 

 ユージンは夕方の残り時間をミス・ブルーと、正確には一緒にではなく、その近くで過ごした……女性の名前はミス・アンジェラ・ブルーだと判明した。アンジェラは十分に魅力的だったが、ユージンが彼女に興味を持ったのは、見た目のせいではなく、美味しい味が口に残るような、彼に残った気質の何かの独特さのせいだった。ユージンはアンジェラを若いと思った。そして、彼女の純真で洗練されていない、と彼が考えたものに魅了された。実際には若くて洗練されていないというより、彼女は無意識に無邪気さを模倣した。従来の感覚からすればアンジェラは徹底した良い子だった。誠実で、お金に几帳面で、平凡なすべての物事に正直に向き合い、その上、結婚と子育てをすべて女性の運命であり義務であると考える点で徹底して高潔だった。他人の子供で散々苦労してきたので、自分の子供を持ちたく、いや、少なくとも大勢持ちたくなかった。もちろん、幸運に思えたものを手にして自分が漏れ落ちることになろうとは信じなかった。自分も姉たちのように、いい仕事か職業をもつ男性の妻、元気な子供を三人か四人か五人かかえた母親、理想的な中流階級の主婦、夫の要求を満たす侍女になるものだと想像した。アンジェラの中には、決して満たされないと感じるようになっていた情熱の深層の流れがあった。どんな男性にも、少なくとも彼女が出会いそうな男性には、理解できないだろう。しかし自分には愛する大きな能力があることをアンジェラは知っていた。もし誰かがやって来て、それを呼び起しさえすれば……それに値するなら……彼女は熱烈な愛情を相手にお返しするだろう! 彼女はどんな愛し方をして、どんな犠牲を払うのだろう! しかし今のところ彼女の夢は絶対に叶わぬ運命のようだった。あまりに多くの時間が経ち過ぎていたし、ふさわしい相手に求愛されたことがなかった。こうして今、二十五歳になっても、夢を見て憧れを抱き続けていた……自分の理想の相手が偶然目の前に現れたが、これがそうだとはすぐに意識しなかった。

 

 当事者同士がいったん引き合わされてしまえば、性的な親睦が生じるまでに時間はかからない。ユージンの方がある種の知識では年長者であり、ある意味では幅が広く、この先彼女の理解が及ばないほど潜在的な大きさがあった。それでも感情と欲望には、なすすべもなく振り回された。彼女自身の感情は、おそらく彼のものより強かったかもしれないが、違った形で呼び起こされた。星、夜、すてきな風景、自然のどんな美しい姿も、しんみりさせるほどユージンを魅了することができたのに、アンジェラと一緒だと、自然がその特徴を全開にしているのに、ほとんど見過ごしにされた。ユージンと同じで彼女も多感に音楽に反応した。ユージンは文学だとリアリズムにしか魅力を感じなかった。アンジェラの方は、必ずしも非現実的というわけではないが、わざとらしい涙もろいものに最も惹かれた。純粋に審美的な意味での芸術はアンジェラには何の意味もなかった。ユージンにとって、それは感情を理解するにあたって決定的なものだった。アンジェラは、歴史、哲学、論理学、心理学には見向きもしなかった。それらはユージンにとってはすでに開かれた扉であり、いや、もっといいもので、自らさまよう楽しい花咲く道だった。こういう事実があったにもかかわらず、二人は互いに惹かれ合っていた。

 

 そして他にも違いがあった。伝統的な価値観はユージンには何の意味もなかった。善悪に対する彼の感覚は、常人の理解が及ぶものではなかった。ユージンはあらゆる種類と状況の人間……知的な人、無知な人、清潔な人、不潔な人、陽気な人、悲観的な人、白人、黄色人種、黒人……を好きになりやすかった。アンジェラは一定の道徳的な規範に従って行動する人をはっきりと識別して好んだ。最も一生懸命働き、最も自制心があって、善悪の普通の考え方に一致する人が一番いい人だ、と考えるように育てられた。アンジェラの考えでは現行の基準に何の疑問もなかった。それは律法の社会と倫理の記述のように、存在していた。社会の常識を外れた魅力的な人間は存在するかもしれないが、彼らでは付き合いうことも共感を得る余地もなかった。ユージンとって、人間は人間だった。彼は、大勢の落ちこぼれや、あぶれ者と一緒になって、あるいはその立場になって、楽しく笑うことができた。それが、すばらしく、気分がよく、愉快だった。時には相手がひどく彼を傷つけたりしたが、その嫌な思いや悲劇さえ価値があった。こういう状況だったのに、どうしてユージンがこんなに徹底的にアンジェラに惹かれてしまったのかは謎のままだ。おそらく、このとき彼らは、衛星がより大きな発光体を補うように、互いに補い合っていた……ユージンの利己主義は、称賛と、同情と、女性の甘やかしを求め、アンジェラは彼の気質の温厚さと優しさに誘われて火がついた。

 

 次の日の列車でユージンは、アンジェラととても楽しい話ができた思えた約三時間を過ごした。遠くまで行かないうちから、ユージンは自分が二年前のこの時間にこの列車でどんな旅立ちをしたか、寝る場所を探し求めてどんなふうに大都市の通りを歩き回り、自分を見つけたと感じるまでどんなふうに仕事をして、遠ざかっていたか、をアンジェラに語っていた。今は絵の勉強をして、それからニューヨークかパリへ行き、雑誌のイラストを描いて、多分絵を描くつもりだった。語り始めた時……本当に共感して話を聞いてくれる人を持った時……ユージンはまさに才能を持つ華麗な若者だった。ユージンは自分を本当に褒めてくれる人に自慢するのが大好きで、ここでも褒められていると感じた。アンジェラは目をきらきらさせて彼を見た。ユージンは、彼女がこれまでに知っていた誰ともまったく違っていて、若くて、芸術がわかり、想像力が豊かで、野心家だった。彼は、彼女があこがれていたがまさか目にするとは思わなかった世界……絵の世界……へ乗り出そうとしていた。その彼がここで、これからやろうとしている絵の勉強について話し、パリについて語っていた。何てすばらしいことだろう! 

 

 列車がシカゴに近づいてくるとアンジェラは、シカゴ・ミルウォーキー・セントポール鉄道のブラックウッド行きの列車にすぐに乗らなくてはならないと説明した。夏休みが終わって、学校に戻る予定だったので、少し寂しかった。実を言うと、少し心を病んでいた。キング夫人(かつてブラックウッドにいた学生時代の友人)を訪ねて二週間滞在したが、アレキサンドリアはすばらしかった。少女時代の友人が、いろんなことが最も楽しくなるように気遣ってくれたのに、もう全てが終わってしまった。ユージンともお別れだ。彼は再会について何も言ってくれなかった。いや、今まで口にしなかった。彼が鮮やかな色彩で描くこの世界をもっと見られたらいい、とアンジェラが願っていたところへ、ユージンが言った。

 

「バングスさんが言ってましたけど、あなたは時々シカゴに来るんですか?」

 

「行きます」アンジェラは答えた。「時々劇場とか買い物に行きます」そこに現実的な家計の実利主義の要素が存在することは言わなかった。アンジェラは家族一の買い物上手と思われていたから、大量の買い物をするために家族のさまざまなメンバーからお使いに出された。家事の切り盛りという点でアンジェラは優秀であり、姉妹や友人たちからそういうことをするのが大好き人だと重宝された。彼女はただ働くことが大好きだったから、家族の駄馬の役まわりをするようになっただけかもしれない。やる以上は何事も徹底的にやる性分だった。しかしアンジェラはほとんど家事という小さなことしかやらなかった。

 

「次はいつ頃来ることになりますか?」ユージンは尋ねた。

 

「うーん、わからないわ。冬にオペラが上映されると時々行きますけど。感謝祭の頃になるかもしれません」

 

「その前は無理ですか?」

 

「無理だと思います」アンジェラはおちゃめに答えた。

 

「それは残念だ。この秋に二、三回会えると思ってました。来るときに知らせていただけるといいんですけどね。ぜび、劇場へお連れしたい」

 

 ユージンはどんな娯楽にもほとんどお金を使わなかったが、ここは思い切って使ってもいいと考えた。彼女はちょくちょく来るわけではないのだ。それに、近いうちに昇給があるかもしれないと考えていた……そうなると事情は変わってくる。彼女が再びやって来る頃にはアートスクールで別の分野を自力で開拓しているだろう。人生が希望に満ちているように見えた。

 

「そう言ってもらえるとうれしいわ」アンジェラは答えた。「じゃ、行くときはお知らせします。私なんてただの田舎娘ですよ」ひょいっと頭を上げて付け加えた。「あまり都会に出ることなんてないんです」

 

 ユージンは、告白がずる賢くなくばか正直だと彼が考えたもの……素朴で貧乏だと自分で認めてしまう彼女の率直さ……を気に入った。ほとんどの女の子はそんなことをしないのに。アンジェラはこういうことまで長所にしてしまった……少なくともこれらは彼女の告白としては魅力的だった。

 

「それ、守ってくださいね」ユージンは彼女に念を押した。

 

「心配は無用よ。お知らせするのを楽しみにしてますから」

 

 駅が近づいてきた。ユージンは、彼女がステラほど美しさにおいて遠い存在でも繊細でもないことや、明らかにマーガレットほど情熱的な気質ではないことをいっとき忘れた。不思議なほど冴えない髪と、薄い唇、独特な青い目を見て、正直で飾らないところがいいと思った。ユージンは彼女の旅行鞄をひろいあげて彼女が列車を探すのを手伝った。別れ際にユージンは優しく手を握った。アンジェラはユージンにとても親切で、とても気を遣い、気が合い、関心を持ってくれた。

 

「じゃあ、忘れないでくださいね!」アンジェラを普通列車の席に座らせてからユージンは明るく言った。

 

「忘れません」

 

「時々手紙を書いても構いませんか?」

 

「いいわよ。楽しみにしてるわ」

 

「じゃあ、そうします」ユージンはそう言って外に出た。

 

 外に立って、列車が走り出す間、窓越しにアンジェラを見送った。ユージンは彼女に出会ってうれしかった。清潔で、正直で、素朴で、魅力的な、理想の女性だった。これこそが最高の女性のあり方だった……よく出来た清純な人……マーガレットのような火の野性的な要素も、ステラのような無意識で冷淡な美しさもなかった。ユージンは付け加えようとしたができなかった。美しさにおいてステラは完璧であるという声が彼の中にあって、思い出すと今でも少しつらかった。しかしステラは永久にいなくなった。これについては疑いの余地がなかった。

 

 それから数日、ユージンはこの娘のことばかり考えた。ブラックウッドってどんな町だろう、彼女はどんな人たちと過ごしているんだろう、どんな家に住んでいるんだろう、そんなことばかり考えた。きっとアレキサンドリアの彼の家族のような、親切で素朴な人たちに違いない。彼が見た都会育ちの人たち……特に若い娘たち……と、裕福な家庭に生まれた人たちに、ユージンはまだ魅力を感じなかった。彼らは、彼が望めるものからあまりにも遠くて、かけ離れ過ぎていた。ミス・ブルーのようなよく出来た女性は、世界中のどこにいても明らかに、きっと宝物に違いなかった。ユージンはアンジェラに手紙を書こうと思い続けた……このとき彼には他に女性の知り合いが一人もいなかった。そしてアートスクールに入る直前にこれを実行した。楽しかった列車の旅を思い出します、いつ頃いらっしゃいますか、とちょっとした手紙を書いた。一週後の返信に、十月の中頃か下旬にシカゴに行こうと思います、連絡を楽しみにしています、とあった。ノース・サイドに住むオハイオ・ストリートの叔母の連絡先を教えて、また連絡すると言ってきた。彼女は今、学校で一生懸命働いていて、自分が過ごしたすてきな夏のことを考える余裕さえなかった。

 

「かわいそうな()だ」ユージンは思った。彼女ならもっといい運命に巡り合ってもいいものを。「彼女が来たら、きっと会いに行こう」ユージンは思った。これには思うところが多かった。すてきな髪だったよな! 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ