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「天才」 第一部 青春  作者: ドライサーの小説の翻訳です
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第2章

 

 その後の交際期間にあった出来事のいくつかは、確かにはかないものだったが、ユージンの心に深い印象を残した。それから間もなく、彼らはスケートをするために集まった。雪が降り、氷が張って、グリーン湖は素晴らしいスケート場になった。霜がとても長く続いたので、氷室があるミラーズ岬では、馬を連れ氷を切るノコギリをもった男たちが、厚さが一フィートもあるブロックを切り出していた。感謝祭が終わると、ほとんど毎日のように学校帰りの少年少女が集まってきて、アメンボみたいに駆け回っていた。ユージンは店で父親の手伝いをしなければならなかったので、平日の夕方と土曜日はいつも行けなかった。しかし定期的にマートルに頼んでステラに連絡をとり、夜にみんなで一緒に出かけることができた。その他にも、二人だけで行こうとユージンが頼むこともあった。ステラが来ることは珍しくなかった。

 

 ある時、高台の湖の近くにひっそりとある集落のふもとにいた。月が昇ると、誘うような月明かりがピカピカの氷の表面に反射した。湖の辺りに立ち並ぶ黒く密集した木々の間から、黄色い家庭的な窓の明かりが見えた。ユージンとステラは減速して向きを変え、スケートをしている人たちから少し離れた。ステラのカールした金髪は、少しはみ出したものを除いて、フランス帽で覆われ、体は腰の下まで、ぴったり密着した形のいい、白いウールのジャージで包まれた。下のスカートは厚手のウールの灰色の混紡で、ストッキングは白いウールのレギンスで覆われた。ステラは魅力的に見えたし、それを知っていた。

 

 ターンしたときに、突然、スケート靴の片方がゆるんだので、足を引きずりながらそのことを叫んだ。「待ってて」ユージンは言った。「僕が直してあげる」

 

 ステラが彼の前に立ち、ユージンは膝をついてねじれた紐をほどいた。スケート靴を脱がせて履かせる準備を整えて顔を上げると、ステラは笑顔でユージンを見下ろした。ユージンはスケート靴を落とすと、ステラの腰に勢いよく抱きつき、頭を彼女のウエストに当てた。

 

「いけない子ね」ステラが言った。

 

 ステラはしばし無言でいた。この美しい場面の中心たる彼女は神聖だった。ユージンが抱きついている間に、ステラは彼のウール帽を脱がして髪に手を乗せた。ユージンの目は涙がこぼれそうだった。とても幸せだった。同時に、それはすさまじい情動を目覚めさせた。ユージンは思いっきりステラを抱きしめた。

 

「ねえ、しっかりスケート靴を履かせてよ」ステラは巧みにあしらった。

 

 ユージンは抱きつこうとして立ち上がったが、ステラは許さなかった。

 

「だめよ、だめ」きっぱりと言った。「そんなことしちゃいけないわ。もしそんなことするのなら、あなたとは来ないわよ」

 

「ねえ、ステラ!」ユージンはせがんだ。

 

「これは本気で言ってるのよ」ステラは譲らなかった。「そういうことはしちゃいけないの」

 

 ユージンは傷つき、半分怒りを感じながらもおさまった。しかしステラの出方を恐れた。ステラは実際には、ユージンが考えていたほど愛撫を受け入れる準備ができていなかった。

 

 またあるとき、学校の女生徒の何人かで、そり遊びのパーティーが開かれて、ステラとユージンとマートルが招待された。雪が降る星空の、それほど寒くはない、すがすがしい夜だった。大きな箱型の馬車が解体されて、車体にスキーが取り付けられて、藁と暖かい長めの衣類が積み込まれた。そりがのどかな小さい家を十軒くらい回った後で、ユージンとマートルも他の子供たちと同じように自宅の玄関先で拾われた。ステラはまだ乗っていなかったが、じきに彼女の家に着いた。

 

「ここに乗りなさいよ」箱の半分くらいユージンから離れたところにいたのに、マートルが声をかけた。姉の誘いはユージンを怒らせた。「僕のところにおいでよ」ステラが来ないのを恐れたがユージンは声をかけた。ステラはマートルのそばに乗り込んだが、いづらいと気づいて奥へ移動した。ユージンは自分のそばに居場所を確保しようと特別に努力したので、ステラは偶然そうなったようにそこに来た。ユージンはステラの周りに水牛のローブを引き寄せた。彼女が本当にそこにいると思うと興奮した。そりは他の子供たちを拾うために鐘を鳴らしながら町をまわり、それが終わると郊外に飛び出した。そりは雪で静まり返った広大な暗い森林地帯を通過した。小さな白い木造の農家の家が大地に寄り添い、窓がほんのりロマンチックに光っていた。星が無数にきらめいていた。このシーンのすべてがユージンに強烈な印象を与えた。ユージンは恋をしていた。少女は暗がりの中、彼のすぐそばで青白く顔の輪郭をうかがわせた。ほっぺのかわいらしさ、目、髪の柔らかさまで手に取るようにわかった。

 

 おしゃべりや歌でとても盛り上がった。こうやって気晴らしをしている間もユージンは何とかしてステラのウエストに腕をまわして手を握り、じっと目を見つめてその表情を読み取ろうとしていた。ステラはいつもユージンに恥ずかしそうにしてみせたが、必ずしも言いなりではなかった。ユージンはこっそりほっぺに三、四回、口に一回キスをした。暗がりで強引に引き寄せ、唇に長々と濃厚なキスをして相手を怖がらせてしまった。

 

「いやよ」ステラはピリピリして抗議した。「だめだってば」

 

 ユージンは図に乗りすぎたと感じてしばらくおとなしくした。しかし、そのすべてが美しい夜と、美しい彼女は、忘れられない印象を残した。

 

 * * * * * *

 

「ユージンには新聞とかそういう方面の仕事をさせるべきだと思うんだが」父親のウィトラが妻に提案した。

 

「少なくとも今はそうするしかなさそうね」ウィトラ夫人は答えた。息子がまだ本当の自分を見つけていない、とわかっていたからだ。「やがてもっと立派なことをするようになると思うわ。あの子はあまり健康に恵まれていないんですもの」

 

 息子は生まれつき怠け者なんだ、とウィトラは半分疑っていたが確信はなかった。シルヴィアの将来の義理の父親で〈モーニング・アピール〉紙の編集長でオーナーのベンジャミン・C・バージェスが、基礎から一つずつ仕事を学べるような記者か植字工の職をユージンに世話してくれるかもしれない、とウィトラは提案した。〈アピール社〉には従業員が少ししかいなかった。しかしバージェスなら、もしユージンが文章を書けるのであれば記者、あるいは植字工の見習い、あるいはその両方として働かせることに反対しないかもしれない。ある日、ウィトラは往来でバージェスに頼んでみた。

 

「なあ、バージェス」ウィトラは言った。「あなたの職場にうちの倅の働き口はないものかな? 倅はちょっとした書きものが好きなんだ。大したことはないと思うんだが、絵も少し描くと言ってたっけな。倅だって何かを始めるべきだからね。学校では何もしてないんだ。多分、植字なら覚えられるよ。その線に沿って進むつもりなら、どん底から始めても害にはならんだろうしね。最初は給金なんて問題にしないからさ」

 

 バージェスは考えた。ユージンを町なかで見ることはあったが、無気力でかなりの気分屋であること以外には欠点を知らなかった。

 

「折を見て私のところへ会いによこしなさいよ」バージェスはどっちつかずの返事をした。「私の方でユージンに何か世話ができるかもしれませんからね」

 

「そうしてくれるなら、恩に着るよ」ウィトラは言った。「今のところ、倅の奴、大したことをしてないものでね」そして、二人の男は別れた。

 

 ウィトラは帰宅してユージンに話した。「折を見てお前が会いに行けば〈アピール社〉で植字か記者の職をやってもいい、とバージェスは言ってるんだ」ウィトラは、息子がランプのそばで読書をしている方角を向いて説明した。

 

「バージェスさんが?」ユージンは冷静に尋ねた。「僕は文章なんか書けないけど、植字ならいけるかもしれない。お父さんが頼んでくれたの?」

 

「そうだよ」ウィトラは言った。「いつか会いにいくといい」

 

 ユージンは唇を噛んだ。これは自分がだらだら過ごしていることに意見してるんだ、とユージンは受けとめた。順調にはいっていない、それは確かだ。それでもやはり植字は、彼のような気質の人間にとって明るい分野ではなかった。「学校が終わったらそうするよ」ユージンはそう締めくくった。

 

「学校が終わる前に話をつけた方がいいぞ。その時期になると他にもそういう職を希望する奴が出て来るかもしれないからな。その仕事で自分の腕を試したところで損にはなるまい」

 

「そうするよ」ユージンは素直に言った。

 

 ある晴れた四月の午後、ユージンはバージェス氏のオフィスに立ち寄った。オフィスは公共の広場にある三階建てのアピールビルの一階にあった。太って少し禿げているバージェス氏は、鉄縁の眼鏡越しにユージンをじろじろ見た。ほんの少ししかない髪は白髪だった。

 

「それで、きみは新聞の仕事をやりたいと思ってるんだね?」バージェスは尋ねた。

 

「そこで自分の腕を試してみたいんです」若者は答えた。「それが気に入るかどうかを確かめたいんです」

 

「今すぐにだって言えるけど、その可能性はとても少ないな。お父さんが言うには、きみは物を書くのが好きだそうだね」

 

「確かに好きですが僕に務まるとは思いません。植字を学びたいと思います。もし物を書く仕事をいただけるのでしたら、ぜひやりたいです」

 

「いつから始めたいと思ってるんだい?」

 

「そちらさえよければですが、学校が終わってからです」

 

「それは大した問題じゃないな。実際に人が不足しているわけじゃないからね、だけどきみくらい働かせることはできるよ。週五ドルでいいかい?」

 

「構いません」

 

「じゃ、準備ができたらおいで。私に何ができるか確認しておくよ」

 

 バージェスは太い手を動かして将来の植字工を追い払うと、黒いクルミ材の机に向かった。机は薄汚く、新聞紙で埋め尽くされ、緑色のシェードをかぶった電灯に照らされていた。ユージンは部屋を出た。新しい印刷用インクの匂いと、それと同じくらい強烈な生乾きの新聞の匂いが鼻を突いた。面白い経験にはなるだろうが、どうせ時間の無駄使いだと思った。彼はアレキサンドリアをあまり重視していなかった。いずれそこから出ていくつもりだった。

 

 アピール社のオフィスは、この地球上の他のどの地方新聞社のオフィスとも違いはなかった。一階の正面は営業所で、奥に大型の平台印刷機が一台と業務用印刷機が数台あった。二階には植字室があり、高い箱戸棚の上に活字の入ったケースが並んでいた。この新聞社も他の多くの地方新聞社と同じように、まだ活字を手作業で組んでいた。正面にはいわゆる編集者だか編集長だか社会部長の薄汚い仕事部屋があった……この三役全てを、バージェスがその昔どこかからか連れてきたケーレブ・ウィリアムズという同じ人物が兼任していた。ウィリアムズは小柄な細身の屈強な男で、黒く尖った顎髭を生やし、片目が義眼で、黒い瞳がずれて相手を見据えた。おしゃべりで、仕事から仕事へと飛び回り、いつも緑色の目ひさしを目深にかぶり、茶色いブライアーパイプを吹かしていた。彼には大都会の新聞社勤めの経験で積み重ねた知識が山ほどあった。間違いなく、海図もない波乱の海を航海した後で、妻と三人の子供を連れてここに錨を下ろしていて、勤務時間が終わると喜んで誰彼構わず生い立ちや経験を話してくれた。地元のニュースを集めて、記事を書くか編集するには、午前八時から午後の二時までかかった。彼は通信員を大勢かかえていたようで、その連中が周辺の要所々々から毎週ニュースを送って寄こした。AP通信が電信で小さなネタを配信してくれた。そして、二ページ分が、小説、家事のヒント、薬の広告など、彼の時間と負担を省けるいろんなものからなる『片面刷り』ができた。彼のもとに届いたニュースの大半は、編集で軽くあしらわれた。「シカゴなら、こういったネタは重宝したものさ」ウィリアムズは近くにいる誰にでも言ってきかせた。「だが、ここじゃ掲載できん。実際、読者はこんなものを期待しちゃいない。読者が求めているのは地元のネタなんだ。私はいつだってちゃんと読み応えのある地元のネタを探している」

 

 バージェス氏は広告部門を担当した。実際には自力で広告を頼んでまわり、広告主が望む形できちんと活字に組まれ、その日の都合と先方の権利と要求にかなうようにきちんと配置されるのを確認した。そういうことにかけては仕切り屋で、やたらと愛想がよく、やり方まで指導した。時々社説を書き、ウィリアムズと一緒に社の見解がどうあらねばならないかを決め、編集者に面会しにオフィスに来た訪問者の応対をし、あらゆる既知の問題を調停した。郡の一定の共和党指導者の言いなりだったが、彼自身の気質も性分も共和党だったからそれは自然に見えた。多少貢献した報いに郵便局長に任命されたが、局長職の恩恵よりも新聞の方が実際に儲かっていたので断った。共和党指導者の裁量でまわってきた市や州の広告は何でも受け入れ、とても上手にこなした。ウィリアムズは、彼の政治的な関係が複雑なのをある程度知っていたが、それがその勤勉な魂を悩ませることはなかった。道徳を説いたりしなかった。「私は自分と妻と三人の子供の暮らしの面倒をみなきゃならんのです。他人のことで頭を悩ませることなく、自分がやっていければそれでいいんだ」そういうわけで、この職場は実に穏やかに、効率的に、そしてほとんどの面で快適に運営された。働くにはいいところだった。

 

 十一学年目が終わって、十七歳になったばかりのときにここに来たウィトラは、ウィリアムズ氏の人柄に感動し、彼のことが好きになった。植字室の室長と呼ばれていいかもしれない立場で働くジョナス・ライルと、端物(はもの)印刷が急増した時にいつも臨時で働くジョン・サマーズのことが好きになった。ジョン・サマーズは、五十五歳、白髪頭で、割りと無口で、肺が弱く、酒飲みだとすぐにわかった。サマーズは日中何かにつけて職場を抜け出し、五分から十五分いなくなった。誰も何も言わなかった。ここには仕事の重圧がなかった。やるべき仕事は済ませてあった。ジョナス・ライルはもっと面白い人だった。十歳若く、力強くて、いい体格で、それでいて個性的だった。やや無気力なところがあり、達観していて、少し文学をかじっていた。やがてユージンは知るのだが、彼は全米の各地……デンバー、ポートランド、セントポール、セントルイスなど……で働いたことがあり、あちこちの経営者のことを随分覚えていた。新聞で特別な著名人の名前を見るといつも、ウィリアムズや、後に仲良くなってからはユージンのところへ新聞を持っていって言った。「こいつとは知り合いでね……どこそこで郵便局長(あるいは何々)だったんだ。あれから随分と出世したものだなあ」ほとんどの場合、ライルはこういう有名人を個人的には全く知らなかったが相手のことだけは知っていた。知人の名声がこんな世界の片隅にまで響いてくることが彼を感動させた。ウィリアムズのために大急ぎで慎重にゲラ刷りを読み、素早く活字を組む、自分の仕事に忠実な男だった。なのに世界のどこへ行ってもものにはならなかった。所詮、彼は機械に過ぎなかった。ユージンには一目でそれがわかった。

 

 ユージンに植字の技術を教えたのはライルだった。初日に彼は、活字ケースのます目や置き場の原理や、ある文字が他の文字よりも使いやすく手元に置かれている理由、ある文字が量を表す理由、大文字が特定の目的で使われたり使われなかったりする理由、を説明した。「今〈シカゴ・トリビューン〉では、教会、船舶、書籍、ホテルといったものの名前はイタリック体を使用している。私が知る限り、新聞でそういうことをするのはそこだけだ」ライルは言った。活字の塊、植字架、ゲラ刷り、ページをまたぐ記事、とはどういうものなのかがすぐにわかった。指で触れば鉛の量がわかるようになるとか、ベテランになると一々考えなくても活字がほとんど本能的に所定の置き場に戻る道を見つけるとか、ライルは楽しそうに伝えた。自分の知識を真剣に受けとめてもらいたかったのだ。元々ユージンは何事でも学ぶことを尊んだので、この真剣な気遣いはただただうれしい限りだった。彼は自分が何をやりたいのかわからなかったが、何でも知りたがっていることだけはよくわかった。だから、しばらくはこの職場が彼の関心事だった。植字工とか記者とか地方の新聞に大きくかかわる者になりたいわけではなかったが、人生について学んでいた。ユージンは、開いた窓から自分にその存在を示す世界に笑顔を向けて楽しそうにデスクで仕事をした。自分が組んだ活字のニュースや論評や地元の広告の面白そうな部分を読み、世界が自分のため用意してくれるかもしれないものを想像した。かといってまだ大きな野心はなく、希望はあったが同時に少し悲観していた。知り合いの若い男女が往来や街角をぶらついている姿が目についた。テッド・マーチンウッドが父親の馬車で通り過ぎたり、ジョージ・アンダーソンが労働と無縁の人物のような態度で往来を行くのが見えた。ジョージの父親はたったひとつだけホテルを所有していた。釣りだとか、ボートに乗るとか、かわいい女の子とどこかをぶらつきたいと頭で考えはしたが、残念ながら女の子はそう簡単に彼を好きになりそうもなかった。彼は内気過ぎた。金持ちなのはすてきなことに違いないと考え、そういう夢を見た。

 

 ユージンは熱く自分を語りたい年頃だった。恋をして激しい感情に駆られても、恥ずかしくて手控えてしまう年頃でもあった。ステラに、些細なことに思えそうなことを言って、自分の強さを見せることしかできなかった。しかしステラにとって最も嬉しかったのはその些細なことであって、強さではなかった。ステラはこのときでさえ、ユージンが少し変わり者で少し相手の気持ちを気にし過ぎるところがあると思い始めていた。それでもステラはユージンのことが好きだった。ステラがユージンの彼女であることは町中に知れ渡った。小さな町や村では、在学中に交際するとだいたいそうなってしまう。ユージンがステラと一緒に出かけるところが見受けられた。父親は彼をからかった。ステラの両親はこれを子供の恋愛程度にしか思わなかった。ユージン以外の男子が言い寄ってきてもみんな軽く受けとめる傾向があったのに気づいていたので、娘の方はあまり本気ではないと見ていた。ユージンの感傷的な態度にステラはすぐに嫌気がさすだろうと考えた。さすがに親が娘を見る目に狂いはなかった。数名の女子高校生に開かれたあるパーティーで、『田舎の郵便局』ができた。キスすることだけが目当てのただのゲームのひとつだった。当てっこには一連の罰ゲームがあって、しくじった者が郵便局長となり、誰かに『手紙』を取りに来させる。『手紙』とは暗い部屋(そこに局長がいる)で好きな人か、自分を好いてくれる人にキスしてもらうことである。郵便局長になった者には、好きな相手を呼び出す権限というか強制力……これについてはどう感じてもいいが……がある。

 

 このときは、ステラがユージンの前に当たってしまい、キスをするために誰かを呼び出さねばならなかった。真っ先に思い浮かんだのはユージンだったが、やることがストレートなことと、彼の真剣さにステラが潜在的な恐怖を感じたので、口にせざるを得なかった名前はハービー・ラターだった。ハービーは、ステラがユージンと初めて会った後で出会ったハンサムな少年だった。ハービーはステラの目にはまだ魅力的に映らなかったが愉快だった。ハービーがどんな相手か確かめるために、ちょっかいを出したくなった。これが最初の手っ取り早いチャンスだった。

 

 ハービーは浮き浮きした足取りで中に入った。ユージンはたちまち嫉妬に狂った。ステラがなぜ自分にこんな仕打ちをするのか、ユージンには理解できなかった。自分の順番が来るとユージンはバーサ・シューメーカーを呼び出した。バーサのことは好きだし、一応優しい女の子だったが、彼の評価ではステラとは比べ物にならなかった。本当は他の女の子としたいのにバーサとキスするつらさは大きかった。ステラはユージンが出てきたときに、目で不機嫌なのがわかったが無視することにした。ユージンは楽しんでいるふりをしていたが、明らかにやる気をなくして沈んでいた。

 

 ステラに二度目のチャンスが巡って来て、今度はユージンを指名した。ユージンは行きはしたが半分ふてくされていた。ステラをこらしめたかった。ステラの方では、暗がりで会えばユージンが抱きついてくると期待して、両手がユージンの肩がありそうなあたりまであがっていた。ところがユージンは片手でステラの片腕をつかみ、唇に冷淡なキスをした。もしも彼が「どうしてなんだよ?」と問い詰めるなり、ギュッと抱き締めて邪険にしないでほしいと頼んでさえいたら、この関係はもっと続いたかもしれない。しかしユージンは何も言わなかった。ステラは反発して明るく出て行った。パーティーが終わってステラを自宅へ送り届けるまで、二人の間に気まずい緊張があった。

 

「今夜はしょんぼりしてるわね」二人とも一言も口を利かないまま二街区歩いてからステラが言った。通りは暗く、二人の足音がレンガの舗道にうつろに響いた。

 

「えっ、僕は気分爽快だよ」ユージンは不機嫌に答えた。

 

「ヴァイマーさんの家はとってもすてきよね、あそこはいつ行っても楽しいわ」

 

「ああ、楽しさ満点だ」ユージンは人を馬鹿にした態度で応えた。

 

「ねえ、つっかからないでよ!」ステラは怒った。「あなたにとやかく言われる筋合いはないわ」

 

「へえ、ないの?」

 

「ええ、ないわよ」

 

「まあ、そっちがそう感じているなら、ないんだろうね。僕はそう思わないけど」

 

「まあ、あなたがどう思おうが、私にはどうでもいいことだわ」

 

「へえ、どうでもいいんだ?」

 

「ええ、どうでもいいわよ」ステラの頭があがった。怒っていた。

 

「じゃ、こっちもどうでもいいや」

 

 家に着く寸前まで再び沈黙が続いた。

 

「来週の木曜日のパーティーには来るのかい?」ユージンは尋ねた。ユージンはメソジスト派の夜会のことを言っていた。ろくに気にしていなかったが、ステラに会って家まで送るのにはいい口実だった。明らかな破局が迫っているのではないかと不安に駆られて尋ねた。

 

「行かない」ステラは言った。「行くもんですか」

 

「何でさ?」

 

「行きたくないもの」

 

「しょうがないな」ユージンは責めるように言った。

 

「私に関係ないでしょ」ステラは答えた。「あなたは態度がでかすぎるのよ。とにかく私はあなたのことがあんまり好きじゃないんだわ」

 

 いやな予感がしてユージンの心臓は縮んだ。

 

「好きにすればいいさ」ユージンは意地を張った。

 

 二人はステラの家の門にたどり着いた。物陰でキスをするのが……相手が抵抗しようが、少しの間しっかり抱き締めるのが……ユージンの習慣だった。近づく間に、ユージンは今夜もそうしようと思ったが、ステラはその隙を与えなかった。門に着くと、すばやく開けて滑り込むようにして中に入ってしまい「おやすみなさい」と言った。

 

「おやすみなさい」ユージンは言った。それから相手がドアにたどり着いたところで「ステラ!」と声をかけた。

 

 ドアが開き、ステラはさっさと中に入った。ユージンは傷つき、悲しみ、参ってしまい、暗がりで立ち尽くした。どうしよう? 向こうから彼のところへ来るまで二度と口をきかず見向きもしないとか、それとも追い詰めてとことん争ってやるとか、知恵を絞りながらぶらぶらと家路についた。ステラが悪いのはわかっていた。寝るときはそのことで深く悲しみ、目が覚めると一日中それがついて回った。

 

 ユージンは、植字と、報道の原理をある程度学びながら急速に成長しつつあった。言われた仕事をこつこつと真面目にこなした。ユージンは窓の外を眺めながら絵を描くのが好きだった。しかし最近になって、ステラをよく知り、つれない態度のせいで喧嘩をするようになってからは、そっちに関心が行かなくなった。出社して、エプロンを着用し、前日から繰り越された地元の投書や、彼あてに新たに送られた電信の原稿に取りかかることには、建設的な価値があった。ウィリアムズは地元のニュースの担当にユージンを記者として起用しようとしたが、仕事が遅い上に事実の全貌を掌握することがほとんどできなかった。インタビューのやり方がわからないらしくて、他の情報源から補足しなくてはならないような話を持ち帰る始末だった。実は報道というものを理解していなかった。ウィリアムズではそれを部分的にしか彼に理解させられなかった。ほとんど活字ケースでの作業だったが、いくつか学んだことがあった。

 

 まず、広告というものがわかり始めてきた。地元の商人は毎回同じ広告を載せた。そして、そのうちのほとんどがその内容を大きく変えなかった。ユージンはライルとサマーズが同じ広告を扱っているのを見た。月が変わっても広告の主要な部分の特徴は変わらないようで、組版に戻す前にほんの二言三言を変えただけだった。どれも寄ったりで驚いた。やがて校閲をまかされるようになると、少し変えることができたらなあ、とよく思うことがあった。言葉ばかりなのでかなり退屈に思えた。

 

「何でこういう広告に小さな絵を入れないんですか?」ある日ユージンはライルに尋ねた。「そうすれば少しはましに見えると思いませんか?」

 

「さあ、わからんね」ジョナスは答えた。「それだってかなり見た目はいいからな。ここいらの連中はそういうのを望まないのさ。そういうのを凝り過ぎだって思うんだよ」ユージンは雑誌の広告を見て一応は勉強していた。彼にはそっちの方がずっと魅力的に見えた。どうして新聞広告は変えられないのだろう? 

 

 

 しかしこの問題で彼に悩む余地はなかった。広告主と応対するのはバージェス氏であり、広告のあり方を決めるのは彼だった。バージェス氏はユージンやサマーズには決してそういう話をしなかったし、ライルにも毎回話すわけではなかった。時々ウィリアムズに字体やレイアウトをどうするかを説明してもらうことがあった。ユージンはかなり若かったのでウィリアムズは最初彼にあまり注意を払わなかった。しかししばらくしてここに有望な人材がいるのがわかると、それからは物事……ある記事のスペースが短いのに他の記事が長い理由とか、郡のニュースと、アレキサンドリア周辺の小さな町のニュースと、市民に関する話題は、トルコのサルタンの死を正しく報じるよりも経済的にはるかに重要である理由……を説明するようになった。最も重要なことは地元の名前を正しく知ることだった。「決してつづりを間違えるな」彼は一度注意した。「名前の一部でも極力省略するな。客はそういうのにものすごく敏感なんだ。気をつけないと購読をやめちまうんだよ。何が問題なんだかお前にはわからないだろうがな」

 

 ユージンはこのすべてを胸に刻み込んだ。基本的にはこれは少し小さいことに思えたが、彼は物事がどう扱われるのかを知りたかった。実際には、ほとんどの場合、人は少し小さく見えた。

 

 彼の関心を引いたものの一つは、紙が印刷機に置かれて流れていくのを見ることだった。組版の固定を手伝ったり、組版がどんな風に組み付けられて位置合わせをされるのかを見るのが好きだった。印刷機が稼働する音を聞いたり、生乾きの新聞を郵送台や正面の配送カウンターに運ぶのを手伝うのが好きだった。新聞の発行部数はあまり多くなかったが、この時間の人生には少し活気があって、彼はそれが好きだった。手や顔が縞々になっても気にしなかったり、髪が乱れたのを鏡で見る感覚が好きだった。少し不器用でのろまなことが多かったが、役に立とうと努力し、新聞社のいろいろな人に好かれるようになった。この時期は丈夫ではなく胃の調子が悪かった。本気で心配しはしなかったが、インクのにおいが肺にさわるかもしれないと考えていた。基本的にここは面白かったが、なにぶん小さかった。外にはもっと大きな世界があることを彼は知っていた。いつの日かそこへ行きたかった。ユージンはシカゴに行きたかった。

 


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