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「天才」 第一部 青春  作者: ドライサーの小説の翻訳です
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第16章

 

 ニューヨークの芸術界は独特である。当時も、そしてその後もしばらくの間、ほとんど一体性がなく派閥化していた。たとえば彫刻家の世界があって、そこには約三、四十人の彫刻家がいた……しかし彼らはお互いを少し知る程度で、互いに相手を厳しく批判し、そのほとんどが身内や友人の陰に隠れていた。イラストの世界とは一線を画する絵画の世界があって、そこにはおそらくは千人、ひょっとするとそれ以上の、画家とされる人たちがいた。そのほとんどは、全米デザイン・アカデミーの展示会で絵を展示してもらうくらい……絵を売ったり、装飾の仕事をしたり、肖像画を描いたりするくらい……の実力を持つ男女だった。アトリエの建物は市内各地にちらばっていた。ワシントン広場、九丁目と十丁目、マクドゥーガル通りと、ワシントン広場から五十九丁目にいたるまでの時々交差する通りの思いがけない場所に、画家、イラストレーター、彫刻家、いろいろな芸術の職人がいっぱいいた。この絵画の世界は彫刻家の世界よりも結束力があって、ある意味では後者も含まれていた。サルマガンディー、キットカット、ロータスなど、いくつかアートクラブがあった。ペン画や、水彩画や、油絵の展示会がたくさんあって、そこの夜のパーティーでは芸術家が顔を合わせて挨拶を交わし、自分たちの世界の親交を深めた。これに加えて、十丁目のアトリエ、二十三丁目のYMCA、ヴァン・ダイク・スタジオなどに住む小さな共同体のグループもあった。時には一時的に意気投合した小さなグループを見つけて、話し言葉で言う「なじんだ」グループに入り込むことができた。そうでもしなかったら、ニューヨークでの芸術活動はとても退屈なものになったかもしれないし、交流する特定の人たちを見つけないまま長い時間を過ごすことになるかもしれなかった。

 

 絵画の世界の隣には、初心者と、編集室の引き立てで立場を固めた人たちでできているイラストの世界が存在した。彼らは必ずしも絵画や彫刻の世界の一部ではなかったが、精神的には同属で、自分たちのクラブもあった。彼らのアトリエはいろいろな地域にあり、そこには画家もいれば彫刻家もいた。唯一の違いは、駆け出しのイラストレーターの場合、一つのアトリエに三、四人が同居しているのが見受けられた。一部は経費節約のためだろうが、仲間思いなのと、仕事でお互いを励ましたり、間違いを正したりできるからだった。ユージンが足を踏み入れたときも、そういう興味深いグループが多数存在した。しかし当然彼はそういうものを知らなかった。

 

 どこで話を聞いてもらうにしても新人だと時間がかかる。どんな分野に参入するにしても、私たちは皆、見習いをしなければならない。ユージンには才能と決断力はあったが、経験もノウハウも友人知人の輪もなかった。街中が見知らぬ人で冷たかった。もし彼が景色として街に夢中でなかったら、ものすごく孤独で不幸だっただろう。ワシントン、ユニオン、マディソンなどのすてきな新しい広場や、ブロードウェイ、五番街、六番街などのすてきな通りや、夜のバウリー地区、イーストリバー、ウォーターフロント、バッテリー公園のようなすばらしい光景は、すべてが変わらぬ魅力で彼の心を奪った。

 

 ユージンはこういうもののすばらしさ……その美しさ……に魅了された。ごった返す人の群れ! まさに人の渦だった! 一流ホテル、オペラハウス、劇場、レストラン、すべてが美しさで彼を虜にした。豪華なガウンをまとったすてきな女性たち、巨大な昆虫のような金色の目のタクシーの群れ、朝夕のこの生命の満ち引きが、彼に孤独を忘れさせた。使えるお金がなく、すぐに仕事で成功する見込みもなかったが、こういう通りを歩き、こういうウインドウをのぞき、これらの美しい女性に見惚れることはできた。あちこちの分野でほぼ一時間ごとにある成功を報じる日刊紙の発表に興奮した。各地でニュースが、作家は本で、科学者は発見で、哲学者は新理論で、資本家は投資で、大成功を遂げたと報じた。すばらしい劇が上演され、偉大な俳優や女優が海外から来て、社交界にデビューした人たちが大きな成功を収めたというニュースがあった。全体的にすばらしい動きがあった。若さと野心は需要があった……ユージンはそれを知った。もし才能があるならば、いつ話を聞いてもらえるかが問題なだけだった。ユージンは自分の話を聞いてもらうときが来るのを一心に待ちわびたが、そのときがすぐにくる気がしなかった。だから憂鬱になった。旅の道のりは長かった。

 

 最近昼も夜も、彼のお気に入りの気晴らしのひとつは、雨でも霧でも雪でも通りを歩くことだった。街はユージンを魅了した。濡れていようが白かろうが、特に公共の広場は魅力的だった。一度、猛吹雪の中で、パチパチいうアーク灯の下で、五番街を見た。白と黒でその光景を描けないかを確認するために、翌朝急いでイーゼルに向かった。うまくいかなかった。少なくともそう感じた。一時間の試した後で、うんざりして投げ出した。しかしこういう光景はユージンを引きつけた。こういう光景を見たいと思っていた……色鮮やかにどこかに現れるのを見たいと思っていた。食事に使える金が十五セントしかなく、行く場所もなく、話す相手もいなかったこの頃は、成功の可能性は慰めだった。

 

 経済的な自立に情熱を持っていたのは、ユージンの性格の興味深い一面だった。窮地に陥ったときなど、たまにはシカゴから実家に手紙を書いてもよかったかもしれない。今だって父親から多少のお金を借りてもよかったかもしれない。しかし稼ぐ方を選んだ……現状よりも順調にいっているように見せたかった。もし誰かが彼に尋ねていたら、うまくいっている、と言っただろう。実際、ユージンはアンジェラにそういう手紙を書いたが、さらに遅れる言い訳として、十分な資金ができるまで待ちたいと言った。彼はこの間ずっと努力をして、二百ドルをできるだけ長持ちさせ、どんなに小さくてもいいから、もらえるどんな小さな仕事でも引き受けてそれに加えた。出費を週十ドルまで切り詰めて、何とかその金額内に収まるようにした。

 

 ユージンが落ち着いたこの建物は、本当はアトリエのビルではなく、部分的に商売用に転用された古い荒れ果てた下宿用のアパートだった。最上階にはそこそこの広さの部屋が三つと、廊下の端に作った寝室の二つがあって、全部が何か手に技術を持って働いている孤独な人たちでうまっていた。ユージンの隣の住民はたまたま下働きのイラストレーターで、ボストンで修行を積み、生計を立てたくてここにイーゼルを構えた人だった。最初は二人の間でろくに挨拶も交わされなかったが、到着の二日目にドアが開いていて、イーゼルが見えたので、そこで画家が仕事をしていることがわかった。

 

 最初はモデルを使えなかったので、アート・スチューデンツ・リーグに頼むことにした。そこの事務方を訪ねると、彼が出した葉書に返事をくれた四人の名前を告げられた。彼が選んだ若いスウェーデン系アメリカ人の女の子は、彼が頭に描いた物語の登場人物に何となく似ていた。黒は髪、まっすぐな鼻で、とがった顎の、こぎれいな、魅力的な女の子で、すぐにユージンは彼女を好きになると思った。しかし自分を取り巻く環境が恥ずかしくて、その結果自信がなかった。このモデルは結構遠いところにいた。ユージンはできるだけ大急ぎで、出費を最小限に抑えて絵を仕上げた。

 

 ユージンは知性が釣り合うときはすぐに仲良くなったが、そうでない者とは知り合いになろうとしなかった。シカゴでは学校で一緒に活動した結果、数名の若い画家たちと親しくなったが、紹介もなく来ていたのでここには知り合いが一人もいなかった。ユージンは隣人のフィリップ・ショットマイヤーと知り合いになった。彼から地元の画家の生活について聞き出したかったが、ショットマイヤーはすてきではなかったので、ユージンが知りたかったことの詳細をもっと細かく伝えることはできなかった。ショットマイヤーを通して、アトリエのある地域や、個性的な画家や、若い駆け出しはグループで働くことなどを少し学んだ。ショットマイヤーはその前の年にこういうグループに属していた。しかし今どうして独りなのかその理由は言わなかった。彼はマイナーな雑誌のいくつかにも、ユージンがまだ取り引きしたことがないいい雑誌にも、絵を売っていた。ショットマイヤーがすぐにユージンのためにしたことはとても有益だった。作品を褒めたのである。他の人がユージンの前でやったように、ショットマイヤーは画家としての彼固有の特異な才能を見抜いて、すべての展覧会に足を運び、ある日、それがユージンの輝かしい雑誌のキャリアの始まりなる一つの提案をした。ユージンは通りの風景を描いていた……他にやることが何もないときにいつも取り組む課題だった。ショットマイヤーはぶらっと現れて、六時過ぎに通りに押し寄せるイーストサイドで働く大勢の女の子たちを描くときの彼の筆の動きを目で追っていた。ビルの暗い壁、燃え盛るガス灯が一つか二つ、黄色く照らされた店の窓、陰って半分しか見えないたくさんの顔……魂と躍動する人生を赤裸々に暗示したもの……がそこにあった。

 

「いやぁ」あるときショットマイヤーは言った。「そういうのって僕には本物に見えるな。そういう人混み、見たことあるもん」

 

「あるのかい?」ユージンは応じた。

 

「きみならそれを口絵に使ってくれるどこかの雑誌が見つかるはずだ。それをもって〈トゥルース〉にあたってみたらどうだ?」

 

 〈トゥルース〉は、ユージンや西部の他の多くの人たちが高く評価する週刊誌だった。毎週カラーの見開きを掲載し、時々こういう風景を使うことがあった。どういうわけか、ユージンはいつも、やることが定まらないとき、行動を起こさせるこういう後押しを必要とした。ショットマイヤーの言葉のおかげで、ユージンは仕事に一層熱を入れた。そして出来上がったら〈トゥルース〉の事務所に持ち込むことに決めた。アートディレクターは何も言わなかったが、ひと目でそれを承認し、編集部に持ち込んだ。

 

「これなんですが、それなりに見どころがあると思います」

 

 男はそれを得意げに編集長のデスクに提出した。

 

「ううん」編集長は原稿を置きながら言った。「こいつは本物だな? 誰が描いたんだ?」

 

「ウィトラという名の若い奴で、ついさっきここへ来ました。私には本物に見えます」

 

「うーん」編集長は続けた。「その後ろの顔が連想させるものを見てみろ! えっ? ドレの作品の大衆を少し感じさせるな……いいんじゃないか?」

 

「いいですよね」アートディレクターは繰り返した。「何ごともなければ将来は有望だと思います。彼の作品で少し中心のページを組んで見るべきでしょう」

 

「そいつはこれにいくら要求するかな?」

 

「さあ、本人はわかってませんね。ほとんど何でも引き受けるでしょう。私の方で七十五ドル渡しておきます」

 

「よかろう」アートディレクターが絵を取り戻すと編集長は言った。「そこには何か新しいものがある。そいつをつかんで放すなよ」

 

「そうします」同僚は答えた。「まだ若い奴です。そういう奴はあまり励まされることを望みませんよ」

 

 男は真面目な顔をして退出した。

 

「これはかなり気に入った」男は言った。「この分のスペースなら見つけられるかもしれない。住所を教えてくれたらすぐ小切手を送るよ」

 

 ユージンは住所を教えた。心臓が胸で盛んにドキドキ鼓動していた。ユージンは値段について何も考えていなかった。現に彼は思いつきもしなかった。頭の中にあったのは、見開きのページを飾る絵だけだった。結局ユージンは本当に作品を〈トゥルース〉に売却したのである! 今、彼は正直に、少し前進したと言えた。今ならアンジェラに手紙を書いて伝えることができた。雑誌が出版されたら彼女に数冊送ることだってできた。これ以降は実際に目標がもてるようになった。一番よかったのは、自分は通りの風景を描ける、と今わかったことだった。

 

 灰色の石畳を踏むどころか地に足がつかない心境でユージンは通りに出た。頭を後ろに投げ出して、深呼吸した。自分に描けそうなこういう感じの他の風景を考えた。夢が実現し始めていた……ユージン・ウィトラは〈トゥルース〉の見開きページを飾る画家になった。すでに想像の中では、これまで夢見たすべてのシリーズに取りかかっていた。駆けつけてショットマイヤーに伝えたかった……うまい食事をおごってやりたかった。彼を愛しているといってよかった。平凡な下働きのなのに、その彼がユージンにやるべき正しいことを提案してくれたのだ。

 

「おい、ショットマイヤー」恩人の入口から顔をのぞかせてユージンは言った。「きみと僕とで今晩食事をしようぜ。〈トゥルース〉があの絵を買ってくれたんだ」

 

「よかったじゃないか」同じフロアの仲間は、ねたみの欠片もなく言った。「いやぁ、うれしいな。あそこならあれを気に入ると思ったんだ」

 

 ユージンは泣いていたかもしれない。かわいそうなショットマイヤー! いい画家ではないが、いい奴だった。ユージンは絶対に彼を忘れることはないだろう。

 


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