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K_ingdom

 夏休みが終わり、この日は二学期の始まりだったと思う。

 高専は昔から前後期制なのだが、前期を途中で区切ってしまう夏休みという物が存在し続けているというのは不思議だと俺は思う。しかし夏の一番暑い時に学校に通わなくて済むのは良いことだとも思う。温暖化が最高潮だった三十年ぐらい前よりは真夏日の日数も減って過ごしやすいはずの北海道だが、暑いものは何といっても暑い。夏は花とか蝶とか綺麗で賑やかなものもあるが、俺はどちらかといえばfantasticに物静かな冬の方が好きだ。寒さというのも五月蠅さがないし、雪はかかなければいけないようだけど、今は全自動の除雪機があったり財政の潤った公共組織が除雪機をバシバシ出してくれたりするので、冬がそう大変なものということもない。


「よー、ロト。元気にしてたかー。どっか行ったかー」


 考え事をしていたら話しかけられた。相手の名前は桂・鑑也、同じクラス、背はこのクラス四十人の中で五番目くらいに高いが威圧感を感じさせない、人懐っこい雰囲気を持つちょっと変わってると思う奴。他人からはカツと愛称される。ちなみに俺がロト。トドロキ→ロキ→ロト、と変化生成された綽名は大昔のゲームの主人公を彷彿させる。

「よー、カツ。元気にしてたかー。どっか行ったかー」

 そのまま返してみた。

「そのまま返すよなー」

 そのままの返答だった。

「俺はどこも行ってないな。皆で一回集まったくらいだな」と俺。

「そっかー、詰まんないやつ。もっと遊びに誘ってやったらよかった? あれ以外にもボーリング行ったり藻岩山でロープウェイに乗ったりしたんだぜ」

「藻岩山か……」それは夏休み前に行ったな。ロープウェイは無しだけど。

「行きたかったか? でも、そう言えばー……お前も人と会うからってしょっちゅう言ってなかったか? ……んん? あれ……」

「あぁそれより、宿題はやったのか? 数学Aとか微分問題の嵐で面倒だったよな」――ちょっと奴の思考を遮るように話題を変えてみた。

「宿題? ……何あったっけ?」

「……色々。見せてやるのは今申しこまれた分だけだぞ」

 桂は少し考え込んで、言った。

「全部貸して」

「却下。管理が面倒臭くなるから」

「うわぁー。ちょっと待って」

「待ってやらん」

 そう言うと、桂は如実にうろたえ始めた。そこに他のクラスメイトから宿題を見せてくれと俺に催促が入った。もちろん俺は又貸しはしないという条件で貸し出した。しかし

「待ってくれー。今なにやってないか見るから。俺優先だろ、勇者?」

 ロト→勇者、だった。

「そんなことは一切ない。慌てるがいい、そして落ちるがいい」

 俺の台詞は、周囲から笑いという賛同を得ることができた。

 『落ちる』とは留年のこと。普通の高校ではあまり考えられないペナルティーに、桂のような勉強に意力のない高専生は脅かされている。

「頼むよー」

「知るか」

 がやがやと賑わう教室。これが今の俺の小さな世界だった。



 「どこも行っていない」とそれだけ言うと「何もしていない」とまで言ったみたいだけど、実際はそうじゃない――担当教官が毎回暴走する材料力学の黒板を見ながら俺は思っていた。それどころか、夏休みは札幌圏内ではあるが出かけることもあった。神無・銀と。それと遠野・理暗さんと。誰もいない大通り公園ありえないとか、誰もいないサッポロさとらんど(従業員どこ行った)とか。――あいつと出かけると無人の場所ばかりだ。――他にも、クガネと名乗るシロガネの同い年の従姉妹にもあったりした(そう言えば、俺の家にも俺自身の又従姉妹が来てたな)。仮装大会もどきのこともした。

 まぁ今年の夏は充実していたな。

 ちなみに去年の夏は家から一歩も出ないで、アンデルセンの作品を可能な限り読むという謎の企画をした。退屈ではなかった。

 高専は夏休みの初日からfullで授業がある。でも、三日すれば土曜日だ。またシロガネと会える。快適なシロガネの家で何を話そうかと考えながら、俺は軸の捩り角に関する問題を解くことにした。



 *



 そして週末の日。その日は、サー……と細かい粒の夏らしくない雨が、気鬱させるように降っていた。残暑が大気をむっとさせていて、この雨はまるで、暑さにやられた小さな無数の精霊が落下しているみたい、とか俺は考えていた。

 シロガネの家に着くと、いつもどおり遠野さんが迎えてくれた。

「――?」

 いつもと雰囲気が違う。挨拶して、さりげなく観察し続けて気付いた。今日の遠野さんのメイド服は、いつもより肩などのフリルが多くスカートがふんわりしていた。スカートの淵は幅の広い花柄のレースが付いていた。端的に言えば、可愛らしい。遠野さんは密かにロボットだったりするが、見た目は若々しい綺麗な女性だ。堅実で飾り気のないメイド服が似合っていたが、こういった可愛い感じのメイド服も似合っていた。

「その服……良いですね」

 そんなふうにさりげなく言うと、遠野さんは無表情に「お褒めに与り光栄です」と言った。しかし、遠野さんがこれということは、もしかして……

 玄関から居間へと続く、少し長く薄暗いチョコレート色の廊下の先で、俺は予想通りの物を目にした。

「あ、タケル。今日も来てくれたね」

 濡れたような色の木のテーブルを前に、シロガネは銀の車椅子に座って顔を俺の方に向けていた。しかしその服装は、リボンがあちこちについた白と桃色のワンピースドレス――サクヤ(俺の姉)がカタログを見せながら言ってたな――そう、甘ロリという種別に入る服装だった。烏羽玉の髪の上にも桜色のヘッドドレスが乗っていて、白い頤の下でリボンが結ばれていた。シロガネもどちらかといえば大人っぽいchicな装いが似合うし、俺が見る時は大抵そんな服装だけど、こういった甘ロリも似合っていた。――恐ろしいほど。いつも見ているsharpなシロガネとまったく印象が違う。なんていうか、変幻自在だ。女の子は百の顔を持つということか。

「やあ、シロガネ。……か、可愛いね……」

 とりあえず褒めてみた。あれだけ可愛いと何も言わずにはいられなかった。

「そう? 嬉しい! 今そこで照れまくってるタケルも可愛いよ」

 シロガネは心底うれしそうに顔をほころばせた。……本当に、可愛い。

「よせよ、からかうなよ。――男がこんなこと言うのは、すっごい恥ずかしいんだぞ」

「そお? 可愛いなら可愛いって言えば良いのに。――ふうん、でもタケルは言ってくれるのね」

「まぁ……可愛いから素直に言ってみたっていうか……今日は何かあったのか? それとも、これから何かあるのか?」

 俺が問いかけると、シロガネは妖しく笑った。

 質問には答えず、シロガネは俺に座る様に指図した。

「ねぇ、学校はどうだった? 今週から二学期って言ってたよね」

「あぁ……うん、いつもどおりだよ」

「みんな、夏休みに何処行ったとか何したとか話してた?」

「うん。そうだな。俺は何処にも行ってないって答えたけど。他の奴は遊園地に行ったとか言ってたな」

「遊園地」と白銀は復唱。――「やっぱり夏は遊園地行くよね。タケルも行きたかった?」

「いや、別に」ていうか、シロガネと行ったら無人の遊園地だ。おそらく遊具は動くまい。

「私ね、そんなこと全然忘れててさ。というより、遊園地って物を忘れてたよね。でもね、私も行きたくなったの。だからせっかくだし、タケルにはとっておきの物を見せてあげる」

 遊園地に行きたいという発想から、とっておきを見せる、と何故繋がるのかは不明。相変わらず掴みどころのないシロガネ節だった。

 とりあえずミルクを入れたセイロン・ギャル紅茶に口をつけながらシロガネを観察してみることにすると、シロガネは猫の顔のチョコレートクッキーを食べた後、自分の近くに遠野さんを呼び寄せた。腕を遠野さんの首にかけ、シロガネはぎゅっと立ちあがった。

「……!」

 遠野さんは引きずるようにして、シロガネを部屋の真ん中まで連れて行く。そのあと気遣わしげに離れる遠野さんを尻目に、ふらふらと直立したシロガネは、どこからともなく大きめのナイフを取り出した。メロンくらいは切れそうだ。美しい銀の輝きが放たれると、窓から差し込む太陽の光が色あせ、退けられるようだった。シロガネは不安定な身体とは裏腹の、嫣然とした微笑で俺をみた。

「さぁ、腰を抜かさないようにしてね」

 シロガネは右手で逆手に握ったナイフを、もう一方の腕に桜色のドレスの上から突き立てた。

 ふつり、とナイフは布地を破り突き刺さった。やわらかそうな腕の肉にナイフは深く入り、血が滲んだ。

 ナイフを突き立てたまま、シロガネは自分の腕を縦に割った。ナイフを刺した時も、抜いた時もシロガネは涼しげな顔をしていた。だが……傷つけられた腕からは痛々しく、吹き出るように血があふれはじめた。あっというまに桜色のドレスを赤黒く染めた血液は、布を重く濡らしてぼたぼたと床にほとばしった。

 シロガネは手をこちらに差し伸べた。流るる血で真っ赤に染まった左手を。

「タケル、こっちに来て。じゃないと案内できないわ」

 驚きで腰も抜けた感じだったが、身体は意識せずとも動いた。よろよろと立ちあがり、タケルという俺はシロガネの近くまで歩み寄り、その前で両膝をついた。

「くっく……別に、今日は血をあげるわけじゃないよ。欲しかったら舐めてもいいけどね……」

 そうシロガネが喋る間にも、吹き出るように血はこぼれていく。だが当の本人は平気の平左という様子。

 人の表面を流れるのは静脈の血だ。静脈の血は酸素分が少ない分赤黒い。しかしそれより深い所に流れる動脈の血こそ、真紅。紅赤……鮮紅……。真っ赤な血の色に魅入られていると、俺の鼻は彼女の血の匂いを嗅ぎ取った。

 意識が朦朧としてきた。……まるで……どこかにつれてかれるようだった…………。



 ――…………



「ヨモツヘグリは済んだ。……王国よ……開け、彼を誘え…………」



 *



 感覚はまず、膝を床に着いている触覚から戻ってきた。でもこの床はシロガネの家の、ゼリーのようにひんやりとしたフローリングではなく、重々しい石の感触だった。

 ざわめく周囲の空気を感じた。遠い人のざわめきを聞いた。粘っこくなった口内を感じ、俺は自分の身体という物を思い出した。

 視覚というのは一番重要でありながら、戻ってくるのには時間がかかるものだと知った。やっと目が開いたとき、俺は自分がまったく知らない場所にいることに気が付いた。

 俺がいる部屋は円形で、石をくりぬいたような感じ。石窟といった趣だが、床も天井も壁もちゃんと平面が出され角ができているから粗野なばかりではない。それどころか、天井にシャンデリアがかけられていた。その豪華なこと! 冬の銀樹の如く、繊細で、緻密で、精妙できらきらしていた。葡萄を思わせる、荒々しいあの形はバロックだろうか。

 ――城か、ここは?

 そう思った瞬間だった、城のレイアウトが変化し始めたのは。壁は相変わらず剥き出しの石壁だったが、その上に色彩も踊るようなタペストリーが見えざる手で張られ始めた。円形の広間に、壁に沿って柱がずしんずしんと建てられていく。柱は鉛色で、天使だか悪魔だがの顔がレリーフにされていた。シャンデリアの眩しい天井は、その光を励ますように銀と金の装飾が蛇が這うような軌跡で刻まれ始めた。そして気がつけば、俺の膝は豪奢なペルシャっぽい絨毯に沈み込んでいた。

 平凡な――といってもrichだったが――日本の家が、よくわからない西洋の城になってしまったが、俺自身の服装は変わっていなかった。もしかして、シロガネの甘ロリはこれの予告だったのか。……そういえばシロガネは何処に行った。城の内装に気を取られて忘却していたぞ。

「――やっと私に意識が向いたね」

 声、そして衣擦れの音。チェックの模様がついた岩の扉が開いていて、桃の花を思わせるアクセントを鏤めた朱灰のウェディングドレス並に豪奢なドレスを身にまとったシロガネがこちらに歩み寄っていた。――桃って、今は晩夏なんだが。

 しかし――歩いて?

「くっく……タケルには刺激が強かったかな? でもほら、せっかくあんたを王子様役に選んであげたんだから、いつまでも腰を抜かしてないで立ってよ」

「――――」

 絶句した。文字通り。口を開いても息が通るだけで声帯が震えることはなかった。

 とりあえず立ち上がると、さっきまで普通だった俺の恰好もついに肩に飾りのついた深い藍色の詰襟になっていた。……ていうか軍服かよ、これは……。革のブーツが重い。立ちあがると布地がピンと張って身体に緊張を強いられ始めた。

「……何が……あったんだ?」

 もはや甘ロリでもない、どこぞの(何処のだよ)お姫様みたいな格好のシロガネに、やっとのことで質問できた。だがそれを聞いた相手は、抱腹絶倒の高笑いを弾けさせた。

「はは、あー、ははは――いいね、タケルのその反応。可笑しすぎ。うん、それだけ反応してくれると嬉しいな。――ここはね、私の王国、そして私のお城なの」

「シロガネの、王宮……?」

 何故か『王宮』なんて言葉が口を衝いて出た。

 と、その時広間の小さめのマホガニーっぽい扉が開いて、燕尾服の知らない男が現れた。

「姫様、パレードの準備が整いました」

「わかりましたわ、バトラー。今行きます」

 そう優雅な口調で答えたシロガネは、淑女らしくこちらに鈍色の絹の長手袋をはめた手を差し伸べた。

「来て、タケル。こっちで話をしましょう」



 重い、獣くさい緞帳をくぐると、夏のものではない鈍い光と、野球場のような歓声に迎えられた。そこは一部屋くらいの大きさがあるバルコニーだった。御影石の床は爬虫類の闊歩する謎の絵が描かれて、手すりは黒檀に銀の彫金が施されたものだった。手すりの下の壁部分はアールデコの芸術なのか、仄白い陶器の柱が幾重にも蔦が絡まっているように重なっていた。

 シロガネが黒檀と銀の手すりに手をかけ、バルコニーが臨む円形劇場を悠然と見下ろした。その仕草は一枚の絵のよう。黒く長い髪はまったく癖なく背中に流れていて綺麗だった。その背中は大きく開いて、彼女の陶器の如く白い肌が見えていた。背はそんなに高くなく、普通の日本人サイズだからこんな西洋のドレスが似合うのかと思いきや、シロガネは息をのむような着こなしを見せていた。さっきまで来ていた甘ロリをひっくり返したような、一見陰鬱な色合いのドレスだったが、シロガネはどれも同じように――いやまったく違く?――自分の装いとしていた。

「桃の花言葉って知ってる?」

 シロガネがこちらを向いて、ドレスのレースに刺繍された桃花を示しながら問いかけてきた。


「……恋の奴隷」


「おしい! かな? 私の正解は『私はあなたの掌中にある』よ。でもここは私の中、私の王国。『あなたは私の掌中にある』って感じね。どういうことかって? 文字通りよ。ここは私の心の中に作り出した王国で、タケルはここに招かれたの。どうやったかというと、それはタケルがこれまで飲んできた私の血の力。――ほら赤くならない。私の中から生み出された物をタケルは飲んだから、タケルは私の中に踏み込む権利を与えられたの。素敵でしょ? タケルは日本神話を多少知ってるんでしょ? 日本神話でいえば『黄泉戸喫ヨモツヘグリ』に当たることよね、これは。

「ここは私の国だから、なんでもしたい放題。私はここの女王で、そこら辺にいるのはみんな私の心が作り出した僕。ここでは私が思うだけで色んな事が起きる。この目の前の円形劇場アンフィテアトルムでは私が見たいもの、やって欲しい物が見られる。何にする? パングラチオン? マスゲーム? サーカス? それとも罪人の公開処刑? く、くくくっく……」


 シロガネはハイテンションだった。

 とりあえず俺はシロガネの話の流れを無視した、俺が一番気になる質問をしてみた。

「シロガネ、どうして立ってるんだ?」

 シロガネは目を細め淡く微笑した。

「現実では私の身体は確かに故障していて、必要以上に身体を弄りたくないから治さないの。そうすることで家に引きこもることもできるしね。でもね、私は車椅子の生活が好きなわけじゃ全然ないの。私だって勝手気ままに重力に逆らって歩きたい。たとえ翼があっても……。だからこうして私の領分の中では立っているのよ。納得?」

「あぁ……」

「じゃあ、ほら見てよ。とりあえずジムカーナでもやらせるよ?」

 ジムカーナといってもパイロンのコースを車が走るオートクロスではなく、馬で障害物を乗り越えたりする競馬だった。

 連銭葦毛の馬が十頭ほど、直径六百メートルくらいの円形劇場の中に入場してきた。その瞬間、劇場の中に卒然とコースが現れた。観客が湧き上がる。中世風な格好の、襞襟をつけた騎手が観客に向かって手を振り、俺達に向かっては帽子を脱いで一礼した。騎手はすべて男だった。観客席を観察すると、そこにいるのもほとんどが男だった。老いも若きもいて、世界中の人種がそろっているような感じだったが、人類の見本としては五十パーセントくらいの完成度だと思った。

「アニムスって知ってる?」

 アニムスとは、心理学者ユングが考えた言葉で、女性の心にある理想の男性像みたいなもの……だった気がする。――もしかしてシロガネはここにいる男達が自分のアニムスだと言うのだろうかと、俺は先読みした。

 はたしてそのとおりだった。

「ていっても、ここにいる私の僕は、あくまでアニムスのようなものを原料にして、希釈して加工して作り出したものだから、本来のアニムスからはずっと離れているはず。そもそもアニムスというのは女の男性的精神的側面で、それが理想かどうかはともかく、自己には認識することはできない。――て、そんなことはどうでもいいか。それとも、アレ? タケルはもっと女の子が欲しいってこと?」

「いやそうじゃなくて……」

 なんだか状況が途方もなくて、意識が呆然としてきた。そしてさらに、シロガネが悪戯っぽく、色っぽく迫りよってきて俺の腕を取った時、そんなに大きくないはずなのに巧みに強調された胸の谷間が覗いて、俺の精神は突きまわされたミルフィーユとされた。

 それでも冷静を装って、俺は下で繰り広げられているジムカーナに意識を向けることにした。

 曇り空の色をした連銭葦毛の騎馬は、その巨体を震わせてコースを駆け回っていた。鞭のようなスピード感と、槌を振り下ろすがごとく衝撃。なかなかに迫力がある。車のジムカーナ、人の何倍もの重さがあるレースカーが疾走するレースにも、勝るとも劣らない迫力だ。

「うーん……タケルが見るんだったらもっと良い物があるんじゃ……?」

 シロガネが一人不満げにぼやいていた。

 これ以上心臓に負荷をかけることはしないでくれ、そう思った時にシロガネは思考の結論を見出していた。

「そう! 高専といえば『ロボコン』よね。私知ってる」

 シロガネがそう言った瞬間、ジムカーナの進行が凍結し、塵を吹き飛ばすように撤収されはじめた。

 『ロボコン』とは各高専にあるロボットテクノロジー部などと呼ばれるロボットを課外活動で制作する部活が、年に一度あたえられたテーマに沿ってロボットを作り競わせる行事だ。各企業からの援助があり、年末くらいにNHKで放送されている。昔は北海道の高専の数が少なく、地区大会で競い合うことがないなどの理由で北海道のレベルは低かったが、三十年くらい前からの北海道の急激な成長に伴う二高専の増築に伴い、今や北海道の高専の勝率はかなり高くなっている。――が、俺はあまり興味のない事柄だったりする。

 さて、目の前に展開し始めた光景は俺が知っている『ロボコン』――ではない。劇場の両翼の入り口から二メートルくらいの異形鋼材や大型のモーター、バッテリーなどが運び込まれていた。何十人もの屈強な男たちが、レーザー溶接やボルト締めで組み立て始めた。大型の――どうやら高さにして十メートルはある機械になりそうだ――そのロボットは二機あった。もちろん、対戦させるためだろう。単純な骨組み構造の、銀色のボディーに、一方には赤、他方には青とカラーリングしてそれらは完成した。

 巨大な腕と、巨大な足だった。上半身と下半身と言ってもいいが、特に上半身には頭も腹も無かったので不適切かと思われる。腕も足も左右一対として組み立てられていた。腕が赤で、足が青。この二つはロボコンで行われるような障害物競走や金魚すくいをしてくれそうにはない。二つのロボットの機能はおそらくたった一つ――ぶつかり合うことだ。

 円形劇場の両端、俺たちから見て三時と九時の方向に操縦者らしき者が立った。腕の操縦者は上半身に装着型のコントローラーを、足の操縦者は下半身にコントローラーを装着していた。そして十二時の方向に審判が現れ、試合開始の合図をした。

 赤い両腕と青い両足が動き始めた。足はそのままバタバタと歩行していたが、腕の方はのそのそと地面を掻いて動いた。――実際の音響としては、足の足音が「ずしぃん、ずしぃん」という感じ、腕の移動音は「ずぅぼ、ずぅぼ」という感じだった。両者とも見た目分の重さがあるようだ。良く見ると、構造も理論的っぽい様子。――シロガネの想像力で出来ているとしたらシロガネの博識具合に敬意を示したいところだが、どうにもそうは思えなかった。何となくだが、俺はこれらの知識がよその心から運ばれてきたんじゃないかと、漠然と思った。そのシロガネは喜々としながらロボットの挙動を見つめていた。

 それはさておき、「腕」と「足」は順調に距離を縮めていた。

 初めに動きを作ったのは「足」だった。バランスをとる手がないのに器用に片足を上げた「足」は、「腕」を蹴り飛ばさんとその足を重厚な動作で振り抜いた。

 キックは早い。が、「腕」の反応も早かった。移動を直ちに止め、左腕をあげてキックを受けとめた。ボディが押されたが、右手でその場にしがみついていた。

 一方、キックを止められた「足」は今度こそバランスを崩した。絶妙な動作で蹴りだした右足を戻そうとするが、「腕」が手を高く上げて足を戻さない。そうしている間に、腕の右が伸び、「足」の地面に付いている左足を払おうとした。

 どうやら、「足」の方が分が悪い。

 「腕」が「足」を投げ飛ばしたとき、俺はそう思った。

 しかしそのパワーバランスを取るためか、「足」には反則技が付いていた。――ジェット噴射だった。投げ飛ばされた空中で、「足」は尻に当たる部分からの噴射により姿勢を立て直した。

 そしてそこからドロップキック。――超迫力。「腕」は大きく弾かれ、その移動跡は深く抉られていた。

 「腕」の骨組は少したわんでいた。しかし壊れて動けなくなるまで戦いは続くだろう。

 ――いかれている。

 となりでexciteしているシロガネ。俺は気が滅入るのを感じて、目を閉じた。

 あくまでも瞬きのために。

 だがその瞬間、世界は闇の底に消えた。



 *


 再び世界に光が生まれた時、そこにある風景はささやかな小部屋のものだった。

 白が基調の、グレープフルーツの香りが漂う部屋。調度品はアンティークかつ少女趣味で、ほおずき柄のレースのカーテンはなかなか可愛いと思った。

 細い足の純白のコーヒーテーブルを前に、俺は鉄製のワイヤーチェアーに座っていた。冷たい触感がした。テーブルにかけられた淡い紫のクロスはなにも載せていない。部屋には白い箪笥があったり、壁に小さな額縁があったり、殺風景ではなく、しかしごちゃごちゃしてもいなかった。居心地のいい部屋だった。

 ふわ、――ほおずきのカーテンが踊った。カーテンが隠していた、下辺を床につける大きな窓から、車椅子に座ったシロガネが現れた。シロガネはコスモスのアクセントが付いたワンピースを着ていた。その下には何も着ていない。――何故かそう思った。――車椅子は茶色の木造の物で、シロガネが現実に室内用として使っているものだった。

「……楽しんでもらえなかったみたいね」

 シロガネは寂しそうに言った。微笑していたが、影のある表情だった。

「いや、あの変なロボコン以外は……楽しかったよ」

 つ、と沈黙は訪れた。音のない風がカーテンを揺らし、その微かな音が聞こえた。

 シロガネが俺と向かい合う位置でテーブルについた。

「シロガネは……いろいろやりたいことがあるんだな。…………シロガネは、独りなんだな。……」

 言葉が続かなかった。

 しかしシロガネは、俺が表現できなかったところも聞き取った。儚く、花のようにほほえんで言った。

「私の事、哀れんだ? ――これまでずっと、私は私を一人であるようにしていた。リアはいるけど、あれは私の人形だから、厳密には話し相手にもならない。――現実は思い通りにならなくて、思い通りにしようとも思えなかった。自分の中に王国が作れてそこに閉じこもれるなら、私はそれで良かった。何も欲しくない。どうせ二十歳になれば私は孤独さえも束縛される。翼があろうとなんだろうと、現実を変えようとすれば骨が折れる。――でも、それはタケル、あんたに会うまでのことだったよね。――私は今、一人じゃない。タケルを友達にしているんだよね」

 ごめんね、とシロガネは言葉を打ち切った。

『二十歳になれば私は孤独さえも束縛される』、それは将来を決めていないシロガネだから、彼女の父親が決めた結婚という未来。俺もあったことのあるその許婚者は、曲がったところの無さそうな全うな人間だった。年は俺達より五歳くらい上。しかしシロガネは必ずしもその人と結婚する必要はなく、望みさえあれば簡単に未来は変わる。シロガネの言うことは、シロガネの中だけの悲劇っぽいストーリー。――だけど、俺はそのことを言わない。可能な限り俺はシロガネの人生に口出ししたくないから。責任を持ちたくなかったから、シロガネの傍観者でいようと思ったのだ。――それに、自分の可能性くらい自分で見つけ出さなければ意味がないだろう。

「……今日は疲れたから、そろそろ帰るよ。今度、ゲームセンターでも行こうぜ。色々教えるからさ」

 俺はそんな、気易いことを言ってみた。

「タケルは他の人がいたほうが良い?」

 シロガネの言うのは、彼女のやる不思議な人払いのことだ。

「ゲームセンターは賑やかなのが華だしねぇ……。ん、でも、シロガネの好きでいい」

「そう……じゃあ、考えとく。――じゃあね」

「あぁ、じゃあな」

桂君の紹介がないなと思ったらここにありました。話の順番をシャッフルするというのはあまり面白くないですね。

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