Day3
目が覚めた。
空はまだ暗く、夜は明け切ってはいない。
いつもの癖で枕元にある眼鏡を探そうとして、崖から落ちた時に壊れてしまったということを思い出した。不便ではあるが、眼鏡がないと何も見えないわけではない。その点を言えばアキのほうが大変そうだ。同じく崖からの落下でコンタクトを落として、割れてしまったらしい。彼女の視力は僕よりもひどい、日常生活に支障はなくても苦労しそうである。
そんな風に思って、眠っている彼女のほうに顔を向けた。すぅすぅと寝息が聞こえてくる。こんな状況でもちゃんと眠れているらしいことにほっとする。いくらアウトドアに慣れているといっても、化け物に襲われた後ではなかなか休めないだろうから。
もっとも隣で爆睡しているトモは別格だろう。
薄暗い空を見上げると、空には雲がかかっていた。木の上のマサキに目配せする。
「もうすこしいいだろ」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で答えが返ってくる。
異論はないので、二人が起きないようにと体を起こしてゆっくりと伸びをする。地面の上に直で寝るのはかなりきつい。地面の硬さもそうだし、地面に体温を持っていかれてかなり冷える。異世界に入ったときに、季節が変わっていた。おそらく秋から夏に。おかげでパーカー一枚羽織るだけで凌げる程度の寒さになったのは不幸中の幸いだろう。
薄雲の向こうに月がないことを改めて確認する。満月のはずが新月となっていた。分かっていたけども、心のどこかでまだ夢じゃないかと月を探してしまう自分がいる。
昼休憩のあと、すぐに下山を開始すればこんなことにならなかったんじゃないか。そんなことを考えてしまう。他の生徒と同じタイミングで下山していれば何も起きなかったんじゃないのか。
ふっと木の上でいるユッコを見てしまう。
視線に気づいた彼女と目が合いそうになって慌てて森の奥に目を向ける。
彼女が悪いわけではない。彼女はただ休憩時間いっぱいを使って絵をかいていただけだ。中学の先輩に巻き込まれる形でバレー部に入ったユッコだが、本当は美術部に入りたかったらしい。色鉛筆を使って描いていた詩ケ岳の景色は繊細でやさしく素直にいい絵だと思った。
彼女がスケッチブックを持ち歩くのはいつものことだし、絵をかくのもいつものことだ。だから、それを責めることはできない。でも、もしかしたら、違う結果があったんじゃないかと、そんなことを考えてしまう自分が嫌になる。嫌なやつだ。
そんなことはわかっている。
誰よりも自分が一番わかっている。
元の世界に帰りたい。
いや、なにがなんでも帰らないといけない。
考え事をしていると、いつの間にかアキが目を覚ました。空もさっきより明るくなっている。雲がある分、うす暗いが太陽もそろそろ顔を出すころだ。
「行くか」
マサキがそう言って木から降りてくる。ユッコとハルナもつづいて降りてくるので、僕はトモをたたき起こす。人のいる場所までの距離がわからないから、明るいうちに出来る限り進みたい。眠たい目をこすり、出発の準備を整える。
リュックに準備した交戦用の石はいくらか残して、そこらに捨てる。全部持っていくには重過ぎる。木に登るためのはしごはそのままだ。緊急時には使えるので、トモと僕でひとつずつ運ぶことにする。先頭を歩くマサキは余計な草木や枝を叩き落すために棒を持っている。
川の近くまで戻り、水を汲んで昨日の続きの道なき道をを歩き始める。昨日から歩いた距離を考えれば、そろそろ道が見つかってもおかしくない。希望的観測に過ぎないのかもしれないが。
周辺の環境は特に変わらない。生えている木々も、空気も、音も。昨日の夜に聞こえた獣の声もあれきりで、夜中にも聞いていない。それはマサキたちも同じのようだ。森の中は、虫の鳴き声や鳥のさえずりが聞こえてくるものの、全体的に言えばとても静かで穏やかで、化け物が出たことが嘘のように思えてくる。
歩いているところと川の間に高低差が生まれ、水を汲むのが容易でなくなってくる。人は水なしでは生きられない。十分な量の水を水筒やペットボトルに入れているとはいえ、いつまでこの状態が続くのかが分からない。先の見えない不安は常にあったけども、水が近くにあるというのは一つの安心感だった。高さは増していき、完全にアクセスが難しくなったころ、その心配は別の形で払拭された。
「橋だ!」
渓谷の間に掛けられた一本のつり橋。全員一斉に駆け出した。相手は建造物なのだから、あわてなくても逃げるわけはない。森の中に出現した文明社会の片鱗に、僕らは希望を見出した。
崖の近くに立てられた2本のポールから伸びる麻を編んで作ったと思われる太いロープが対岸へと伸びている。ロープにつられた30cmくらいの横板が1cmほどの隙間を空けて等間隔に渡してある。見たところ、かなり丈夫に作りこまれている。横板の一部は新しかった。つまり、誰かがここを利用しており、必要に応じてメンテナンスをしているということだ。
「少なくとも人は住んでいるみたいね」
もっとも文明のレベルまではわからない。日本にだって、鉄筋コンクリートの橋がある一方で、田舎にはつり橋も存在しているのだから。
「それで、どっちにいく」
橋の両側には道が続いている。道と呼ぶほど立派なものではないけども、木と木の間が離れていて、草もほとんど生えていないむき出しの土が見える。人が何度も通ることによって作られたものだろう。幅は1メートル程度で車が通るのはまず無理だ。道がある以上、集落かなにかはあるはずだ。だけど、どっちが近いかは完全に運任せ。
「絶対こっち。こんな橋渡りたくないから」
「わたしもこっちかな。橋の向こうの道のほうがどっちかというと山っぽいし」
気持ちで答えるユッコと、理論的な意見を言うアキに、トモがバカで返す。
「おまえら、橋があったら渡るだろ。つり橋わたろうぜ」
「なにその、登山家が山上る理由みたいなノリ。絶対無理」
「僕はどっちでもいいよ」
「わたしも・・橋は怖いかなあ」
「じゃあ、このまま橋を渡らず左に行くか」
「俺の意見は完全無視かよ」
「そうね。少数派の意見を無視するのは多数決の弊害ね。仕方ないわね。私たちはこっちに行くから、トモはそっちに行くといいわ」
「いやいや、俺の意見を尊重する振りして、置いていこうとしてるだろ」
「そんなことないわ。魔法が使えるなら付いてきてもいいけど?」
「・・使えるさ」
「ああ、そうだったわね。眠ってMP回復したから使えるようになったんだっけ」
歯がみするトモを、半眼で一蹴する。低血圧のアキの毒は午前中は猛毒になる。寝ぼけ眼に加えてコンタクト抜きで細められた目は普通に怖い。
「まあ、渡りたいならちょっと、渡ってきたら?待ってるよ」
「いやいやいや、それは違うだろ。そういうことじゃないんだよ。いいよ。左だろ。いこうぜ」
マサキの見当はずれのフォローに毒気を抜かれて、トモもあきらめたように首肯する。
橋を背にして進み始める。水はまだまだ十分にある。出発してまだ30分くらいだろうか。ひょっとしたら、昨日休まずに進んでいたら人里にたどり着いたのかもしれない。そんな思いが頭をよぎるが、そんなことは後からいうのは簡単なことだし、野営中危険なこともなかったので、まあいいかと思う。
橋の近くは二人分くらいの道幅しかなかったのが、徐々に大きくなり6人が横に広がっても問題ない程になった。これはいよいよ街が近いかもと、気持ちが軽くなる。気持ちが軽くなると足取りも軽くなる。
「待って、なにか音が聞こえる」
みんなの気持ちが緩んだタイミングで、ハルナが立ち止まった。音がよく聞こえるように、耳に手を添えて集中する。僕らはそれぞれ別の方向に体をむけ、どこから近づいてくるのか目を凝らす。草を踏む小さな音に気づけるのは彼女だけだ。
「あっちからくる」
全員の目がハルナの指の先に目を注がれる。
「走れ」
姿はまだ見えないがマサキの号令に動き出す。ハルナの示したほうと逆のほうに。街道沿いの樹々は上るには適していなかった。背が高すぎて、梯子を使っても届かない。仕方なしに腐葉土の歩きにくい森に飛び込んで行く。
後ろを振り返ると、ウサギモドキの群れが見えた。距離は30mくらいか。森の中の草に隠れてこんなに近づかれるまで気づけなかった。音の発生源を確認するまでもなく、さっさと逃げるべきだったかもしれない。だが、それも後の祭りだ。間違った方向に逃げれば、それこそ危なかったかもしれないのだし。
「急げ」
マサキの声に焦りが混じる。追い討ちを掛けるように、小さな悲鳴と共にハルナが転倒した。木の根っこに足を引っ掛けて、派手に転んでいる。
「早く木に」
マサキがハルナを起こしながら、僕らをせかす。気持ちはあせる。でも、手ごろな木が見つからない。その間にもウサギモドキは近づいてくる。20メートルをきっている。
「見つけた。こっちだ」
トモが加速して、見つけた木に一気に駆け寄る。右脇に抱えていたはしごを立てかけてあっという間に駆け上がる。ユッコもアキもそれに続き、自分の持っていた梯子は放り投げて僕も彼らに続いた。後ろを振り返るとマサキとハルナのすぐ後ろまでウサギモドキの群れは迫っていた。昨日よりも数が多い。
「タクト!ハルナを頼む。時間を稼ぐ」
僕らの10メートルほど手前で、マサキは立ち止まり後ろを振り返る。ハルナが後ろを気にするが、僕は一度はしごを降りて、彼女の手を引いた。立ち止まっている場合ではない。ハルナを無理やりはしごに上らせてながら後ろに目を向ける。
木の棒を両の手に構えたマサキがふっと息を吹き、まっすぐに振り下ろす。正面から飛び掛っていたウサギモドキの脳天を叩き割り、そのまま地面に叩き落す。だが、左右からもウサギモドキは迫っている。マサキは振り下ろした棒を返しの刃で掬い上げるように、右手から迫るウサギモドキに向かって振りぬいた。
ウサギモドキの胴体を綺麗に捉えて、数メートルほど弾き飛ばす。続けざまに反対側から迫るウサギモドキに横なぎの斬撃を叩き込む。
が、間に合わない。振りぬいた棒を戻すより早く、ウサギモドキの牙がマサキのわき腹に突き刺さる。
「いっ!」
悲鳴にならない悲鳴を上げながらも、動きを止めずマサキはわき腹に喰らい付くウサギモドキに肘うちを食らわす。衝撃に耐え切れず、ウサギモドキは口をあけて地面に落下する。
「トモ、石で応戦しろ」
ハルナが上ったのを確認して、僕もはしごに手をかける。
「マサキ、ハルナは大丈夫だ。お前も来い」
3匹を蹴散らせたとはいえ、ウサギモドキの数はまだまだ多い。マサキのすぐそばに次の一匹も迫っている。はしごへと駆け寄ろうとするマサキに迫りくるウサギモドキ、木の上からはトモとユッコが投石を行うが、マサキへの流れ弾を怖がって近くは狙えない。少し離れたウサギモドキへのけん制にはなっているけども、近いものはそのまま迫ってくる。
はしごを駆け上がり一番低い枝に飛び乗るが、マサキの後を追ってきたウサギモドキもはしごを使い飛び上がる。木の上に立ち上がったマサキの足に牙が突き刺さる。
後続がこれないようにと、はしごをつかみあげると、マサキの足に噛み付いたウサギモドキに叩き付けた。もちろん、足ごと殴りつけているわけだが、許してもらおう。ウサギモドキは「ぐぇっ」と声を上げて後ろ向きに落ちていく。次々にウサギモドキは迫ってきたが、はしごなしには届かない。
ひとまず助かったのだ。
「トモとユッコはそのまま頼む。アキとハルナでマサキの治療をしてくれ。マサキ!悪いけど、もう二つ上れるか?そこだと、ちょっと治療しにくい」
「問題ない」
気丈に言い返すマサキにうなずきを返す。柄ではないけれど、負傷した司令塔の代わりに指示をだす。わき腹と足から血を流すマサキには悪いが、一番下の枝は三人が乗るには細く、安定が悪い。2番目の枝には僕とハルナがいたが、3番目の枝に登れば、幹に背中を預けてしっかり座れるし、2番目の枝にいる二人からの治療がしやすい。
顔をしかめながらそれぞれ場所を移動する。ハルナがリュックから水を取り出して、傷口を洗う。洗ったそばから血がどろりとこぼれ出てくる。ウサギモドキの牙はいずれも鋭く、太いものは小指ほどもある。素人の見立てだけれども、何とかなりそうだ。血はあふれてくるが、その量は多くはないので動脈に傷は付いていないと思う。
アキがリュックからナイフを取り出して、マサキの太もものあたりのズボンを切り裂く。傷口が見えなければ、治療も出来ない。
こちらも怪我の度合いとしてはわき腹と同じようだ。ウサギモドキの歯型が痛々しいが、噛まれると同時に、反撃が出来たのが幸いだった。少しでも遅ければ肉を食いちぎられていたかもしれない。そう思うとぞっとする。
治療を二人に任せて、トモとユッコに目を向ける。すでに2匹仕留めていた。二人で投げるのではなく、ユッコがリュックから石を取り出してトモに手渡している。たしかに、投石に関してはトモに任せたほうがいいのだろう。
一度目の襲撃で学習したので、手当たり次第に投げるということはしない。一匹に狙いを定めると、飛び上がって着地した瞬間を狙って石を投げつけている。百発百中とはいかないが、ほとんどがウサギモドキを掠めているし、5~6発に一回くらいの割合で命中している。二人に任せていて問題なさそうである。
・・・・
あれ、何もしていないの。僕だけか?まあいいや、と視線を戻す。治療も着々と進んでいた。アキの緊急キットには消毒液までは含まれていなかったらしい。無いよりマシ程度のものかもしれないが、傷口を除菌ウエットティッシュでふき取り、ティッシュを貼り付けて包帯を巻きつける。包帯に朱が交じる。わき腹、太ももと治療を終えるころにはウサギモドキの死骸がさらに増えていた。ぐしゃっという不快な音を響かせて、さらに一匹片付けると、ウサギモドキは総崩れとなって森の奥に走り去っていった。
「だいじょうぶか」
「ああ」
痛みに耐えているだろうことはその表情を見れば明らかだ。
「マサキ君。ごめんね。わたしが転んだから」
「ハルナは悪くないよ。あんなところに出てる根っこが悪い。たいした傷じゃないから、大丈夫だよ」
クリクリした瞳から今にも涙が溢れ出しそうである。6人の中で圧倒的に運動神経の悪い自分が歯痒くて仕方が無いという様子である。悲しさと悔しさと申し訳なさといろんな感情が渦巻いているように見える。だが、いちはやくウサギモドキに気づけたのは彼女の功績だ。
マサキはさっきまで皺の寄っていた眉をひろげて、「何でもないよ」というように、ふんわりとした笑顔をつくって、ハルナの頭をポフポフとなでる。
「大丈夫だって。あんなのに比べたら、武田先生のコテのほうがよっぽど痛いし、怖い」
と笑ってみせる。剣道部顧問の武田先生は、長身のマサキよりもさらに背が高く振り下ろす竹刀の一撃で生徒の手首をへし折ったという逸話を持つ恐ろしい人である。もちろん防具はしていた状態でである。有段者の試合ではまれにあるらしいけれども、怪我をしないようにという配慮で木刀から竹刀に代わったというのに、それで骨折していたらひとたまりも無い。マサキがよく武田先生の鬼っぷりと愚痴るので、目にしたことはないけどもその恐ろしさは想像に難くない。確かに、そんな化け物と毎日部活で向き合っていれば、牙むき出しのウサギモドキもかわいく見えるのかもしれない。
「とりあえず先を急ごう。道幅も広くなったし、たぶん近いはずだ」
けが人の号令に全員が従う。大丈夫と本人は言うけれど、休めるならそれに越したことは無い。でも、集落が近いなら、安心できる場所で休んだほうが何倍もいい。
けが人のマサキは先頭をトモに譲り移動を再開する。それが間違いだった。トモ、ユッコ、アキ、僕と続きマサキに手を貸す形で最後に二人が続く。怪我をしたマサキが遅れないかと、時々後ろを振り返りながら進んでいると30分もしないうちにマサキが倒れたのだ。
「マサキ君!」
倒れるマサキに引っ張られるように、ハルナも地面に倒れる。ハルナを助け起こすと、マサキもゆっくりと体を起こし、首を振る。マサキの顔色がヤバイ。土気色をしている。
「すまん、一瞬。意識飛んだわ。もう、大丈夫だから。先を急ごう」
「全然大丈夫じゃないよ」
立ち上がろうとするけども、足に力が入らないのか、明らかに動きが悪い。マサキの横に座り、傷口を確認しようとシャツをめくり愕然とする。捲るまでもなかった。シャツがぐっしょりとぬれ、包帯は真っ赤に染まっている。
ズボンも同じ。ウサギモドキに噛まれた左足だけズボンの色が変わっていた。
「血が止まってない?」
その衝撃に、みんなの動きが止まる。血が大量に流れたことによる貧血で倒れたのだ。おそらく倒れる前もふらふらしていたに違いない。少なくとも、マサキが最後尾でなければ、血に染まっていく服に気づくことが出来たはずだった。
「マサキ、横になれ」
起き上がろうとするマサキを押しとどめて、街道の脇に移動して横にする。足の下にリュックを挟んで血が戻るようにする。それだけでも、顔色は少しよくなる。さらにペットボトルの水を無理やり飲ませる。
アキが血に染まった包帯をそっとはずす。傷口がまったく変わっていない。水で洗えば、牙の形がはっきりとわかる穴が開いていて、そこから「すぅー」と血が流れ出る。拭いても拭いてもそれは代わらない。怪我した直後ならともかく、時間がたてば普通は止まる。傷が深いので止まらないこともあるだろうが、流れる血の勢いは遅くなるものだ。それが変わらないのは異常としか思えない。つまり、ウサギモドキの牙に毒があったのかもしれない。
「どうしよう」
みんな事の重大さに気づいて言葉を失っている。どうしていいかわからず、完全に硬直している。アキはとにかく出来ることをと傷口の再消毒と包帯の巻き直しを行う。さっきよりもきつく。それでもうっ血しない程度にしか出来ない。ただ足はまだいい。傷口の少し上を紐で縛れば多少は出血量が少なくなる。でも、わき腹にその対応は出来ない。
「誰か裁縫セットとかないよな」
ダメもとで確認するけど、さすがにそんなものを持ってきているはずも無い。この血はすぐにでも止めないと本気でまずい。それだけは確かだ。何かないか?脳みそをフル回転させる。
「俺は平気だから、先に進もう」
無茶をいうマサキはこの際、無視するに限る。
「アキ、火をおこしてくれ」
ドラマや映画で見るような手法だ。傷口を焼いて閉じる。そんなことが本当に出来るのかどうか定かではない。所詮、映画の演出なのかもしれない。でも、このまま放置は出来ない。貧血を起こしてぶっ倒れるということはすでにそれなりの血を失っている。人間はどのくらいの血を失くすと死ぬのか、五分の一か六分の一か、記憶にはないが、シャツとズボンについた血の量をみればおそらく一刻を争うはず。
「みんなは薪を集めて、ハルナは傷口をしっかり押さえていてくれ」
それぞれが動き出す。アキはリュックから火起こしの道具を取り出し、準備を始める。木の皮をこすって繊維をほぐしだす。トモ、ユッコ、僕で枝を適当に集めてくる。それほど多くは必要ないのですぐに集まった。アキの動きは手馴れていて無駄が無い。さっと枝を積み重ねて、マッチをこすり火をつけると繊維が燃え、細い枝に火が移る。
ポタッと、火がつくと同時に水滴が落ちてきた。ふっと上を見上げると、水がポツポツと落ちてきた。雨だ。不安そうにみんな空を見上げる。朝から曇っていたけれど、雲が厚くなっているようだ。頭上はまだそれほどでもないけれど、東のほうはかなり暗い。
「大丈夫。木の下だし、土砂降りじゃなければ、焚き火はできるよ」
アウトドアガールの一言にほっと胸をなでおろす。
「ねぇ、あれ」
空を見あげていたユッコが、分厚い雲のほうを指差した。
「煙?」
木々の奥、ほんの少しだけ煙のようなものが見える。霧散しているので確かなことはいえないけども、黒い雲の手前にうっすらと白いもやが見える。
「ちょっと確認する」
言うやいなや、トモがするすると木を上っていく。異常に早い。こいつサルか?野球部じゃなくて木登り部に入ったほうがいいんじゃないのか。そんな部はうちの高校には無いけど。
「間違いない。煙だ。しかも一本じゃない。3本くらい見える」
トモが降りてきて、どうする?というように僕をみる。アキとハルナも下から僕を見上げてくる。ちょっと待ってくれ、僕に決めろというつもりか。そういうのはマサキの役目だろ。そう思って、彼をみるけども、任せたという相槌をよこしてくる。だから、それはお前のポジションだろうがと心で毒づくが仕方ない。まだ、火は小さいし、ナイフを十分に熱するのにどのくらいかかるか想像がつかない。煙が見えるほどの距離ならそう遠くないのだろう。だったら行くしかない。
「トモ、マサキを背負えるか?」
「任せろ」
中腰になり、マサキが乗せる体勢になる。マサキをゆっくりと起こして、背負わせる。楽々とは行かないまでも、安定感は抜群だ。野球部で鍛えられているだけのことはある。
「すまん」
小さな呟きを無視して、トモが走り出す。
「おい、無理するな。お前がばてたら僕らじゃ運べない」
「大丈夫。煙はそんなに遠くなかった。いける」
そうだろうけどさ。
マサキとトモの荷物を持って、トモを追いかける。人一人背負っているとは思えない速度で駆けていく。ハルナは追いかけるのに必死そう。煙は暗雲のほうから出ており、街道もまたそっちのほうに大きくカーブしていた。カーブが終わると道の先に、建物が見える。建物というよりも塀。高さ2mくらいの壁が見えている。街道正面にあるのは門のようだけど、その上に人が立っているのが見えた。
向こうも同時にこちらを認識する。
壁で閉ざされた村に見張りらしき人。受け入れてもらえるかどうかは運次第か?
「トモ、ゆっくり行け」
走るのを止めて、ゆっくりと歩く。門まで50mくらい。上にいたはずの見張りがいなくなり、門がうっすらと開いた。見張りがぬっと顔をだした。
小さい。
距離があるけども、それだけは確かだった。小さいといっても子供ではない。顔はしっかりと出来上がっている。30代か40代。日本人と似たような顔立ちに見えるけども、もうすこし東南アジアに近いような雰囲気もある。顔は四角くく目鼻立ちがはっきりしている。髪は長く後ろで束ねているようだ。着ているものは簡素なものだ。麻かなにかで作られたシャツとズボン、靴は履いていない。文明レベルはかなり低いのかもしれない。気になるのは右手に握られた槍。矢先は向けられていないけども、血の気が引くのを感じる。
「※※※※※※※※※※※※※※※※」
僕らに向かって何事かいうが、まったくわからない。
「ちょっと、トモ、言葉はわかるって言わなかった」
理不尽ともいえる怒りをユッコがぶつける。まあ、現実は漫画のようにはいかないか。だけど、ここをどうにかしなければ、マサキの生死にかかわる。
「トモ、マサキをおろせ」
肩を借りてギリギリで立っている。その状態で立たせるのは忍びないが、マサキが怪我をしているのを見せて同情をあおるくらいしか手は無い。
「※※※※※※※※※」
それを見て、何事か声を出し、扉の向こうに顔を戻すと何か大声をあけた。他の村人を呼んでいるのかもしれない。まずいか?
「※※※※※※※※※※※※※」
さらに、何か僕らに言うと扉の向こうに消えてしまった。わけがわからず顔を見合わせる。
「付いてこいって」
「えっ?」
「ハルナわかるの?」
「ううん。わからないよ。でも、たぶん、そう」
自信なさそうに、消え入りそうな声でうなずく。
「ハルナを信じろって」
こちらも弱弱しい声でマサキが首肯する。ハルナが黒といえば白ご飯も黒いと言ってのけるマサキだが、どちらにしても僕らに選択肢はない。
「入ろう」
決断をあて口にする。扉を開き、マサキを担いでトモが中に入る。村人が集まっていた。さっきの見張りの男と同じくらいの背丈の男が5人。着ているものも同じだし、髪型や顔つきがほとんど同じなので、区別が付かない。槍を持っていたので、辛うじて見張りの男と判別が付く程度だ。特に槍を向けるわけでもなく、やっぱり敵意は感じない。
「※※※※※※」
別の男が声をかけ、歩き出す。
「付いてこいって」
ハルナが通訳する。僕らは出来ることもないので、男に付き従っていく。門から入ってすぐには簡素な家がいくつか建っているが、その先はただただ畑が広がっているのが見えた。家のひとつに案内されるまま付いていく。家の中も外からみたまま、簡素なつくりだった。土間とちょっとあがった床の間の二つ。木製の床、本人たちが裸足の生活のため、床の間も砂埃が多い。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
男がしゃべり、僕らはハルナをみる。
「怪我を見せて、何があった?って言ってるんだと思う」
状況からしたらそういうことをしゃべってそうだけども、ハルナは本当に聞き取ってそうなのが不思議だ。マサキを床の間に寝かせて、傷口を覆う包帯を剥いていく。さらに、身振り手振りでウサギみたいなのに噛まれたというが、いまいち伝わっている感じがしない。すると、ユッコがリュックからスケッチブックを取り出して、さらさらと絵を描いた。ウサギモドキが、マサキの足に噛み付いているところだ。異常に早いし、異常に上手い。その絵をみて、驚いた顔をするが、状況はわかったらしい。家の外で様子を見ていた別の男に何かを頼んでいるようだ。あのウサギモドキの毒?に効く薬か何かがあるのかもしれない。
程なくして、男が戻ってくる。その手には大葉に似た葉っぱが握られていた。薬草?なのかもしれない。家主にそれを渡すと、乳鉢のようなものに水を入れてその薬草をつぶすように棒ですりつぶしていく。少し黄色い粘り気のある液体を垂らしながら、ぐるぐると回していく。
その間に、マサキの傷口はむき出しになり、水で綺麗に洗い流される。緑色のネバネバの薬が出来上がると、布にべったりと塗りつけて傷口に貼り付ける。わき腹とふとモモに同じ処理を施す。それ以上の処置は無かったので、アキが再び包帯で巻きつける。
入り口から別の人がさらに入ってきた。女性のようだ。男の人で150cmをきるハルナと同じくらいなのに、女性はさらに低い。140cmもなさそうである。手に持っているおわんを突き出してくる。足に塗られたのと同じような緑色の何か。飲み薬なのだろうけども、飲みたくはない。マサキはにおいと見た目にうっと顔をしかめながらも、諦めたようにくいっと喉に流し込んだ。傷口の痛みに耐えていた時よりもひどいしかめ面になる。
「※※※※※※※※※※※※※※※」
「しばらく横になってろ。って言ってると思う」
ハルナのなぞの通訳をうけて、マサキは横になる。やっぱり血の気が引いていて相当つらそうだ。僕らはどうしていいのかわからず、そのまま固まっている。言葉は通じないだろうけど、助けてくれたらしいのは間違いなので、頭を下げて「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えた。入り口から様子を見ていた村人たちもさぁーと離れていく。
「助かったんだよね」
「たぶん」
「ねぇ、ハルナ。あの人たちの言葉わかるの?」
「うーん。どういったらいいのかな・・・」
困ったように首をかしげる。
「言葉がわかるんじゃないの。ただ、何がいいたいのかわかるような気がするというか・・・」
しどろもどろにハルナが感じている感覚を説明する。
「あのね。うちの田舎、東北なんだけど・・・」
それはみんなが知るところだ。彼女のイントネーションは標準語とちょっと違う。それを気にしていつも自信なさそうにしゃべるのだ。僕らはそれを気にしないけど、中学のころに引っ越してきたときには、イントネーションの違いでからかわれていたらしい。
「でね。田舎のおじいちゃんとかおばあちゃんとか、方言きつくて時々全然何言ってるかわからないんだけど。でもね、何が言いたいのかはわかるの。そういう感じに近いと思う」
「つまり、彼らの言葉、訛がきついだけで、日本語ってこと?」
「うーん。そこまでは・・・」
自信なさそうにうつむく。言葉がわからなくても、身振り手振りと状況、雰囲気である程度推測することは可能だろうけど、その能力がハルナの場合は高いということかもしれない。
「でもね。さっきのおじさんも、門のおじさんもわたし達に向かって『ツァッテ、コー』って言ってたでしょ。なんとなく響きが『付いて来い』って似てるなって」
似てるか?
「ツァッテコー、ツァッテコー、ツイッテコー、ツイッテコイー、ツイテコイー。確かに」
「いやいや、いくらなんでも、強引過ぎるって」
「そうか」
「それより、よく聞き取れるよね。わたしにはさっぱり。ちょっと声くぐもってるしさ」
確かに。と賛同する。本当にハルナは耳がいい。川を発見したときもそうだし、ウサギモドキの足音に気づいたのもハルナだ。ここがどこであれ、言葉の問題は大きい。漫画やアニメ、ラノベの異世界物はほぼ言葉の問題はクリアされている。それが、所詮は空想上の産物だということを思い知らされる。
これは現実だ。
コミュニケーションが取れないのは問題が大きすぎる。言葉が本当に日本語に近いなら、習得するのもまったく違う言語に比べれば早く済むかもしれない。それでも、相当時間がかかることが予測できる。一日でも一時間でも、一秒でも早く元の世界に帰りたいのに、情報収集以前に問題が山済みということだ。
マサキを寝かせたまま、いろいろと話をしているとこの家の主らしき男が再び戻ってきた。木の板の上に、おわんが6個乗っている。ふんわりと甘いにおいがする。
「※※※※※※※※※※※」
相変わらず何を言っているかわからないが、『食べろ』ということだろう。彼らの言葉を聞き取ったハルナが手帳に書き記す。横に意味を添えて。一番上の行にはさっきの「ツァッテコー:付いて来い」と記されている。貴重な翻訳辞書となる。いちど聞いた異国の言葉をおおよそ正確に聞き取れているのがすごい。
受け取ったおわんにはおかゆのようなものが入っていた。スプーンですくってみると、やっぱりおかゆっぽい。崩れかけた米粒のようだ。さらに、葉物野菜がいくらか入っていた。
「いっただきまーす」
とトモが一口目を食べ始める。警戒心とかかけらも無いらしい。まあ、わざわざ毒物なんて混入するとは思えないけれど、うらやましい性格をしているなと思う。トモが口を付けたことで、僕らも安心してスプーンを口に運んだ。
「うまい」
まんまお粥だった。ほのかに感じる塩気がうれしい。昨日の肉に掛けることのできた塩気もしょうゆもほんのわずかだった。一口、二口はそれでよかったが、その先は味の無い肉を食べるしかなかったのだ。朝から何も食べていないのもあって、ただのお粥がとてつもなくおいしく感じる。みんなも勢いよく掻きこんでいく。マサキも体を起こして食べ始めていた。ずいぶんと顔色がよくなっている。付け直した包帯が赤く染まっていないことから、血も止まっているようだ。本当に助かったようだ。回復したらしい様子に、ハルナの頬が綻んでいる。安心したのだろう。彼女もゆっくりとお粥に口にする。
「おかわり!」
元気よくトモがおわんをおじさんに突き出す。
「アホか!」
スパーンと小気味いい音を立ててユッコの突込みが後頭部を直撃する。あいつはアホだからしょうがないが、ある意味感心する。普通はできないって。おじさんは気にした様子も無くおわんを受け取ると家のそとに出て行った。そしてすぐに戻ってくる。満杯になったおかゆとともに。
「ありがとうな。おっちゃん」
そういって受け取ると、トモは上手そうに二杯目のお粥を食べ始めた。ある意味、こいつのずうずうしさがうらやましく思う。そして、日本語でしゃべりながらもなぜかコミュニケーションが成立しているのもおかしい。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
おじさんが何か言う。まったくわからないので、ハルナのほうを向く。
「たぶん、おかわりするかって聞いてると思う。ちょっと自信ないけど・・・」
そういいながらも、聞き取った言葉は手帳に書き付けていく。そこそこ長いセンテンスだった気がするけど、やっぱり聞き取れているようだ。
「じゃあ、お願いします」
といって、僕もおわんを差し出した。おなかが空いているのも事実だったが、ハルナの解釈があっているのか確かめてみたかったのだ。もちろん、違っていてもやり取りが成立することもあるので、確信は得られない。でも、出来る限りサンプルはほしいと思う。
おじさんは僕の空のおわんを受け取ると、予想通りお粥を入れて戻ってきてくれた。
「※※※※※」
受け渡すと同時に、違う言葉を掛けてくる。ハルナは聞き取った言葉をメモする。そんなやり取り続けながら、僕らは食事を終えて、全員でお礼をいっておわんを返却した。返却したおわんがさらにお粥をいれて返されたらどうしようかと思ったが、こちらが満足したことは伝わったようだ。言葉は通じないけども、最低限の意思の疎通は出来ていることにほっとする。
トモが発言の許可を求めるように手を上げた。
「はい!トイレ行きたいです!」
女子の視線が痛い。トモの精神はダイヤモンドでできているようだ。
「いやー、飯食ったら、あるだろ。お前らだってそんな目をしているけど、そのうち絶対いきたくなるだろ。早いか遅いかの違いじゃないか」
トモの言い分は正しい。アホだけど、正しい。そして、問題は『トイレ』という単語がわからないこと。
「ユッコ、申し訳ないけどトイレが伝わる絵描いてくれるか」
顔色のよくなったマサキは頭の回転も戻ってきたらしい。怪我したときの様子をユッコの絵で伝えていたことを認識していたらしい。確かに、彼女の絵ならある程度のことは伝えられそうである。ちょっと嫌そうな顔をしながらも、ユッコはスケッチブックを取り出して、簡単な絵を描く。便器の絵ではなく。トイレで行為をしている絵を描かせるのは、さすがに申し訳ない気持ちになる。トモがその手を持って、家の外に向かった。
そして、10分後戻ってきた。そこから滔々とこの村の便所について語ってくれた。便所の場所は普通にこの家を出て左手にまっすぐ行くと、電話ボックスくらいの建物があり、そこでするらしい。予想通り、ボットン便所でトイレットペーパーはなくトモが川のそばで使った葉っぱがおいてあったそうだ。さらに、水がちょろちょろと流れており、それで水を桶に入れてお尻を洗うらしい。最後に灰をカップ一杯トイレの中に投げ込むのだそうだ。におい消しか、消毒か、なんらかの意味があるのだろう。身振り手振りだけで、それだけの情報を仕入れてきたのだから、なんていうかすごい。尊敬はしたくないけども。
「ちなみにな。トイレは『カバ』っていうらしいぜ」
仁王立ちで自信満々にそう宣言していた。ハルナの辞書にトイレの項目が追加されたのは言うまでもない。
「みんなありがとう。おかげで助かった。」
全員が落ち着いたところで、マサキが改めてそういった。
「気にすんなって」
「そうだよ。実際助かったのっておじさんたちのおかげだし。うちらは何もしてないよ」
「マサキが、いなきゃそもそも全員やばかったと思うし」
「そうだよ。それよりさ、体のほうは大丈夫なの」
「ああ、鈍痛はあるし、血が足りないからちょっとぼおっとするけど、気分はだいぶ楽になった」
「そっか」
「よかった」
「それで、これからだけど、どうする」
そう、それが問題だ。みんな一瞬言葉に詰まる。話し合わなければならないことは多い。でも、何から手を付けていいかがわからない。そんなところだろう。
「とりあえず大まかな指針を決めようか」
「つまり?」
「元の世界へ帰るか否か?俺は帰りたいと思う」
「わたしも」
「僕も。もっと言えば、出来る限り早く帰りたい」
マサキと目があう。僕が帰りたい理由を知っているからだろう、二人だけにわかる程度に小さくうなずきを返してくる。
「当然でしょ。こんなわけのわかんないところやだよ」
「うん。おちおちキャンプもできないのはいただけないわね」
アキはちょっとずれた肯定。これで5人の意見は一致した。しかし、
「俺は・・・正直微妙だな。異世界歓迎だし、漫画やゲームの世界にあるみたいなのって憧れるじゃん。猫耳の獣人とかいるなら会いたいし。でも、この村見ると、ちょっと微妙だよな。俺が思い描いている異世界じゃないなら、元の世界のほうがマシって言うか。だから、とりあえず保留」
真面目に答えているけども、発言内容に女子が引いている。剣と魔法の世界に憧れはある。だが、ウサギモドキで死に掛けた現実を考えるとゲームのような気楽さは無い。どこまでも楽観主義でいられるトモがうらやましい。
「お父さんとかお母さんは?」
「うっ、・・・それをいわれると痛いけど」
「トモ君。私たちともお別れってことだよね」
「それは別にいいんじゃない」
「うん、アホだし」
「むしろいないほうが平和」
「ちょ、お前らひどい。いいよ。おれは猫耳と結婚して幸せに暮らすから!」
「トモは俺たちと別行動したいのか?」
「いや、別にそういうわけじゃ・・・」
「お前が本気で猫耳と結婚したいって言うなら止めないし、応援するよ。でも、出来れば、相手が見つかるまで俺たちと一緒に行かないか」
「真面目か!」
「こんな世界に突然迷い込んで、森の中には凶暴な獣もいて、命を落としかけたわけだけど、俺一人じゃ、人里にたどり着けた自信はない。ここにいる誰が欠けてもダメだったと思うんだ。アキがいなければ、サバイバルのやり方も道具もなかった、ハルナがいなければ水場を発見できたかもわからない。この村でも言葉を真っ先に理解しているし。ユッコがいなければ、村人とこんなにもスムーズに意思の疎通も出来なかっただろ。トモのおかげで魔物を撃退することが出来た。それに、お前の楽観主義にはみんな救われていると思う」
「楽観主義って言うか、ただのバカだけどね」
「おかげで暗くならずにすんだんだと思うよ。それからタクトは俺と違っていつも冷静だし、本当は俺なんかよりよっぽどリーダーに向いていると思う。いいアイデアも浮かぶしな。俺たちがここまでこれたのはみんなのおかげだよ。だからさ、トモにも出来れば一緒に行動してほしいんだ」
照れくさいことを真面目に語られて、胸が熱くなるのを感じる。恥ずいし、ほんのちょっとだけうれしくも思う。
「・・そこまで言うなら、ケモ耳かエルフの嫁が出来るまではお前らに付き合うよ」
「エルフでもいいんだ」
「妖精も可」
「つまり、トモはずっと僕らと一緒ってことだね」
「どういう意味だよ」
「わかるだろ」
「くそっ、こうなったら猫耳とエルフと妖精でハーレム作ってやるからな」
「なら、トモも俺たちと行動を共にするってことでいいな。よろしく頼むよ」
「・・・なんか微妙にマサキが一番ひどくないか。」
相手をしていたら話が進まないと思っているのだろう。適当に受け流して先に進める。
「で、元の世界に戻る方法を見つけなきゃいけないわけだが、トモが前に言ったように、召還魔法みたいなので呼び出されたとしたら、誰が何の目的で、呼び出したのか調べなきゃいけないし、そもそもそういう魔法があるのかどうかすら俺たちにはわからに。とにかく、なんにしても、俺たちには情報が足り無すぎる。この世界のことをもっと知る必要があるわけで、そのためには言葉を覚えなきゃいけない」
「うん」
みんな真剣な表情でうなずく。それがどう考えても真っ先にクリアしなければならない問題だ。
「この村以外に町があるのか?どのくらい遠いのか?その町の規模は?どうやって行くのか?安全に移動する方法があるのか?知りたいこと、知らなきゃならないことは無数にある。情報を得るためにもまずは言葉だ」
「でもさ、どうやって覚えたらいいんだろう。ハルナがずっとメモしてるけど、それだけじゃあ足りないよね」
「うん。でも、やれることはそれしかないと思う。いっぱい会話して、どんどん単語を拾って単語と単語を組み合わせてどうにか会話できるようにならないと」
「つまり、しばらくこの村に滞在するってことだよね」
「ああ、それしかないと思う」
「でも大丈夫かな。おじさんたち親切そうだけどさ。そんなに裕福な村じゃないよね」
彼らの服装、簡素な作りな家。出された食事も、彼らと同じものかどうかはわからないけど、お粥だけだといってしまえばそうなのだ。赤の他人、しかも6人の食事を賄える余裕があるとは思えない。それに、対する対価が何もない。
「そこは運次第かな」
「怪我の治療と食事のお礼に村の仕事手伝うってのはどう?」
「賛成。さすがにこれだけのことしてもらったのに、何もしないのは申し訳ないし」
「うん。いいと思う」
「ちなみに、マサキは動けるのか?」
「うーん。ちょっとまて」
そういって立ち上がり、歩いてみる。痛いのか、引きずっているけど歩けないわけではないようだ。
「まあ、なんとか」
「何とかってレベルなら、まったく動けないことにしよう。で、歩けるようになるまで滞在させてほしいとお願いして、その間村の仕事を手伝う」
「おまえ、えげつないな」
「親切な村人をだますなんて信じられない」
「真っ黒」
「タクト君・・」
トモの罵倒、あきれ顔のユッコ、なぜか頬を染めるアキ、ハルナの優しい目が何気に一番傷つく。
「ほかに手があるなら聞くよ」
性格の悪さも、自己中なことも十二分に理解している。でも、それが最善だと思う。
「でも、それをどうやって伝えるのよ」
「そこはユッコの仕事だろ」
みんなの視線がユッコに注がれる。さすがに無茶な注文か?と思うが、ユッコの画力というか表現力はマジですごい。台詞のない絵をいくつか描いていく。マサキが怪我で歩けないという絵。畑仕事をしている様子の村人、そして、僕らがそこに混ざっている絵。これなら伝わりそうである。
戻ってきた村人に絵を見せて、身振り手振りを加えたコミュニケーション。僕たちの村での生活がここから始まった。