Day2-1
「走れ!」
マサキの声を号令に、タクト達は一斉に駆け出した。足場の悪い森の中、懸命にひた走る。平坦な道と違ってまっすぐ走るだけでも厄介極まりない。足元には大小の枯れ枝が落ちているし、石ころも転がっている。それらがなかったとしても剥き出しの地面はデコボコとしているうえに起伏もある。全体的には緩やかな斜面になっているし、人の肩幅もある樹々が行く手を阻むように無秩序に生えている。それも真っすぐではなく湾曲しているものも多いから厄介だ。スタートは同じだけれども、いつの間にか縦列に並んでいる。先頭を行くのはトモ、続くユッコ、その後に僕。背後を振り返るとすぐ後ろにアキがいた。ちょっと離れてハルナが一生懸命走っている。マサキは背後を気にしながら、ハルナが遅れないようにフォローする。足場の悪さに躓きそうになると、すっと手を伸ばしてバランスをとっている。器用なものだなと思う。
そして、彼らからだいぶ離れたところを白っぽい塊がボールのようにバウンドして追ってきている。吸い込まれそうな青い瞳が白い毛に埋もれるように二つ光っている。特徴的な長い耳が、追いかけてくるのがウサギだと教えてくれる。だけどと思う。あれがウサギであるはずがない。
僕たちが川のそばで水分補給と小休止をしていると、同じように水を飲んでいる野生動物がいた。遠目ではっきりとはわからなかったが、鹿のような動物だと思う。のようなというのは遠目だったのもあるが、シカにしては顔が少しばかり丸いなと僕は思った。奈良公園でみたことのあるシカの顔はもっと四角か三角形をしている記憶している。
だけど、問題はそれではなかった。シカのようなソレをウサギらしきものが集団で襲ったのだ。あれがウサギであるはずがない。ウサギといえば人参をシャクシャク食べるような総省区動物だったはず。仮に肉食だったとしても、ウサギがシカを狩るなどどいう話は聞いたことがなかった。
白いウサギモドキに襲われたシカっぽい獣は慌てて駆け出したが、太もも、足、腰、お尻と食いつかれ、逃げ切れずに倒れこんだ。そこに残りのウサギモドキが群がった。あっという間の出来事だった。
目の前のあり得ない光景に現実感を失って呆然としているところに、マサキが小声ではなれるように指示を出した。ウサギモドキに気づかれないように、そっと荷物を手に取り少しずつ視界から消えようとゆっくりと。しかし、何かに気がついたのか、一匹のウサギモドキの耳がピンと立つと、こちら側を振り返った。かわいらしい外見の真っ白な毛並みが口元を中心に赤く染まっているB級のホラー映画のような滑稽さ不気味さを兼ねている。
ひっと女子三人が小さな悲鳴を上げて身を竦ませる。マサキの逃走の判断は早かった。一瞬の躊躇がもたらす悲劇を想像したのだろう。一目散に駆け出し、今に至る。
「ちょっと、トモ。あんた異世界詳しいんでしょ。どうにかしなさいよ」
「詳しいって言ってもよ俺の知ってる異世界物と勝手違うんだよ。普通だったら、こっちの世界に来るときに神様に特殊なスキルか魔法をもらうものなんだよ!そんで異世界で無双するのが基本中の基本だってのだいたい・・・」
走りながらぶつくさと文句を言い続けるトモを軽蔑のまなざしでユッコが射貫く。
「・・・役立たず」
ぼそりと背後から聞こえてくるのはアキの呪詛の声か。
「ちくしょー、だったら見せてやるよ。神様イベント発生してないけど、きっと俺の中に覚醒された力が存在するはず!」
先頭を走っていたトモが立ち止まり、後ろを振り返ると右手をウサギモドキの群れに向ける。左手は右手首を支えるようにつかんだ。集中するように一瞬目を閉じると、カッと見開き叫んだ。
「『 原初の赤、始まりの時、すべてを滅死、灰燼と化せ、ファイヤボーーール!!』」
・・・・。
きびすを返して走り出す。
「ぶはっはっは!!いまの呪文自分で考えたのか?ちょー腹痛てぇ!!」
「餌になったほうが役に立つと思う」
「うるせぇ、経験値が足りねぇだけだ。このピンチを乗りえたら使えるようになるんだよ」
横を併走していたと思ったら、一気に加速して再び先頭に踊り出る。羞恥心は加速装置になるらしい。
「で、どうすんのよ。バカトモ!」
「俺達の中でだれも力に目覚めてないなら、たぶん第三者の介入がある。美少女魔法使いか、弓使いのエルフか、猫耳冒険者か、だれかが助けてくれる!!」
「人任せかよ!」
「お前等、ふざけてる場合か!真面目に考えろ!木だ。木を探せ」
叫ぶマサキの後ろにはウサギモドキが迫ってきていた。初めのころは100mくらい距離があったはずだが、いまは50mもない。何もない平坦な場所であれば体長40センチ程度の獣より早く走れるかもしれないが、足場の悪い森の中では、野生動物のほうに分がある。
「マサキ落ち着け、森の中で木を探せって意味不明すぎるだろ」
「あー、だから。あれだ!俺達が上れそうで、連中が上れない木だ。つまり、一番下の足場が、俺達の胸辺りならたぶん大丈夫だ」
「あれは?」
2番目に走るユッコが指さす先にあるのは、人の胴体よりも太い木が途中から二つに分かれている。そこを足場にすれば上れそうな雰囲気がある。その上、高さも申し分ない。おそらくウサギモドキのジャンプでは届きそうにもなかった。
「いけそうだな。よし。トモ先に上って、女子に手を貸してやれ」
「オッケー」
ユッコの見つけた木に一足先にたどり着いた。トモはあっという間に上りきる。続くユッコは運動神経もさることながら、長身なのでトモの助けを借りることなく簡単に登る。トモの横を通ってさらに上の枝によじ登ってスペースを空ける。順番的には3番目を走る僕の番だと考えるが、後続を心配して後ろを振り返る。アキは和風女子というお淑やかそうな見た目に反して、女子サッカー部で活躍するほど運動神経はかなり高い。身長こそ平均的な女子と低いものの、なんとかなるだろう。問題はハルナだ。6人の中で唯一運動が全くできない。その上、背がかなり低い。
「タクトすまん。足場になってくれ」
マサキの指示と同時に木の根元で馬になる。考えていることは一緒だ。背中を踏み台にすれば、上にはトモもいるし、上りやすくなるはず。
「乗れ!」
躊躇うことなく背中に足をかけるアキに、少しは躊躇えよと思うが時間が惜しいのは猿でもわかる状況なので無理やりに納得させる。彼女はタクトの背中を足場に木の割れ目に足を無理やりかけることは出来たようだった。
少し遅れてハルナ達が来た。背後に迫るウサギモドキまでもう20mもない。ハルナは同じように僕の背中に乗ったが、少しばかり足が届かない。それを補佐するように後ろからマサキがささえ、上からトモに腕を引っ張りあげてもらう。無事に木の上に立ったハルナを確認して、僕もマサキも木に登った。そのすぐ後を、ウサギモドキの群れが通過する。
「はぁはぁ、どうにか、間に合ったな」
見下ろすと、僕達に飛びかかろうとウサギモドキがぴょんぴょんと跳ね回っている。だが、ウサギモドキの最高到達点は僕達の立つ場所に遠く及ない。
安全圏に逃げられたことにほっと一息つく。ゼェゼェと荒い呼吸をしながらも、みんなの顔からは緊張が解けていた。1番高い枝にユッコが、2段目にアキとハルナ、一番下の二股に分かれた大きな幹にマサキと、トモ、それからタクト。ゆっくり座って過ごすという風にはいかないものの、足場はしっかりとしているし、ウサギモドキが届く気配は全くない。今は興奮して襲い掛かろうと躍起になっているけども、いずれは諦めて去っていくだろうと思う。
「なあ、俺思うんだけどさ。最近ゾンビモノのドラマとか映画はやってるよな」
呼吸が整ったところで、トモがわけの分からないことを言い出した。脈略のない発言はいつものことなのだが、いまここで?と思わずにはいられない。見た目こそウサギのような獣とはいえ、襲われそうになって命からがら逃げきて、開口一番にする話なのかと。全員の残念な人を見る目を受けながらも、気にすることもない精神力は称賛に値するが。
「でもよ。実際にゾンビが出たとしたら日本って生き残るの厳しくないか?アメリカならそこら中に銃があるかもしれないけど」
「アメリカ人もみんながみんな銃を持ってるわけないだろ」
「ひどい偏見ね。日本人だって丁髷で刀持ってるわけじゃないんだし」
「いや、持ってるよ」
と、アメリカ人の父親をもつユッコが肯定する。
「ほらみろ」
と得意げに胸をそらせてどや顔をする。
「さすがに全員じゃないけどね、叔父さんが持ってるの見せてもらったことあるし、州によっても違うけど持ってる人は多いと思うよ」
「でもさ、日本じゃ基本的に手に入らないだろ。警官くらいは持ってるかもしれないけど、街中に銃砲店なんてないしさ」
「で、何が言いたいのよ?」
「いま銃があればなって話だよ。ここがアメリカなら6人いれば一人くらい持ってるだろ?」
「バカなの。大事なことだから2回言うけど、バカなの?」
「もう、ユッコ、いまさら何言ってるの?トモがバカなのは日本中が知ってることよ」
「あのね、トモ君。わたしは銃を持ってる人と、一緒に遠足は行きたくないなぁ」
辛辣な二人をフォローするようにハルナがポツリと漏らす。
遠足-タクト達6人は高校の学校行事としての登山で近くの詩ヶ岳に来ていた。標高1607mの山で、上るのはキツ過ぎず楽すぎない。それでいて頂上からの景色は圧巻なのだ。余りに美しさに多くの詩歌が詠まれたのが山の名前の由来となったらしい。特にこの時期、紅葉狩りに多くの登山客が訪れる。高校の年間行事の一つとして、9月か10月の満月の日に訪れることになっていた。満月の日が登山日になるのは、昔は一泊二日のキャンプをやっていたころのなごりらしく特に意味はない。
「無いものねだりをしても仕方ないだろう。この凶暴なウサギを殺す必要は無いだろ。木には上ってこれないんだ。そのうちいなくなるだろう」
現実的な話にマサキが戻す。いつだってマサキは現実的で真面目なのだ。長身でルックスも悪くなく、それでいて文武両道、剣道部では主将だし、クラス委員もやっている。中学校の頃は生徒会長も務めていた。そんな彼を周囲の女子がほうっておくはずも無い。タクトとマサキは小6から友達付き合いをしているが、毎年たくさんのチョコレートを貰っているのを知っている。告白されたことは数知れず、でもそのほとんどに興味を見せることはなかった。が、最終的にマサキを射止めたのはのんびりしたしゃべり方が特徴のハルナだ。150センチに届かないミニマムな彼女は、180センチを超えるマサキの横にいると大人と子供にしか見えない。手をつないで歩いている姿は、ロズウェル事件の宇宙人を彷彿とさせる。丸いほほがいつも以上に上気している。走るのが苦手な彼女はまだまだ呼吸が落ち着かないようだ。
「それも一つの方法だろう。でも、俺としてはさっさとこいつ等をどうにかしたほうがいいと思う。というよりも、しなければならない」
珍しく真面目くさった顔をして宣言する。
「?どうした?」
「腹がいてぇ」
「えっ、いま?」
「さっきの川で水を飲みすぎたかも。おなかがギュルギュルいってる。あーちょートイレ行きてぇ」
「バカなの」
「ユッコ、そんなのは世界中が知るところよ」
バカのランキングを上げて嘲笑する。
「行けば」
「無茶言うな。降りたら死ぬわ」
「美少女魔法使いが助けに来てくれるよ」
「もしくは、弓使いのエルフ?」
「お前達、からかうなよ。トモ、大丈夫か?」
「別にいますぐ漏らすほどじゃないけど、あんまり持ちそうにない」
真面目なマサキは本気で心配そうにしている。トモのバカっぷりもいつものことだが、マサキの真面目ぷりもいつもどおりだ。こんな異常な事態にあっても人間性というのは変わらないらしい。そういう意味では、ユッコやアキの口の悪さも変わらない。この世界に迷い込んだばかりの取り乱しようからすれば悪くはないのかもしれない。
「そうか、諦めるまで待とうと思っていたけど、しょうがないな。どうにかする方法を考えよう」
何か使えるものがないかとマサキが周りを見渡す。目の前のウサギモドキは全部で12匹。一匹一匹の大きさはタクトの知っているウサギと同じか、それより少し大きいくらいか。大体バスケットボールくらいだろうか。一匹であれば、おそらく大した問題ではない。でも、複数同時に襲い掛かられるとたまらない。川原では自分の体よりも大きな鹿のような動物を集団で狩っていた。ウサギモドキは疲れを知らないのか、ずっと木の上にいる僕たちに向かって飛び跳ねている。知性は低そうだ。だけど、飛び跳ねているウサギモドキの後方に司令塔らしき一匹がじっと動かずに此方を見据えている。トモの言うように拳銃でもあれば、いいけども距離がありすぎて届かない。すぐ近くまで飛び掛ってくるウサギモドキを一匹ずつやる方が現実的か?
「トモ、つかんでいる枝、折れそうか?」
トモがつかんでいる枝を揺すってみる。太さは手で握れるくらいなので直径5センチ程度だろう。
「折れるとは思うけど、思いっきり力かけるのはちょっと怖いな。折った勢いで落ちたらひとたまりもない」
「落ちればいいのに」
ぼそりとユッコが毒を吐く。それを無視してマサキが続ける。
「アキ、なんか枝を切るような道具あるか?」
「あるよ。ちょっと待ってね・・・これなんだけど。ワイヤーソーって言って、木にくるっと引っ掛けて両側から引っ張る感じなんだけど」
彼女が取り出したのは両端にはリングが付いている50センチ位のワイヤーだ。彼女の家族は月一ペースでキャンプに出かけるほどのアウトドアファミリーだ。学校の登山では必要ないと思えるような簡易的な緊急キットのようなものがアキのリュックには入っていた。トモが受け取ったワイヤーソーに指を引っ掛けて交互に引っ張る。要するにのこぎりと基本的に変わりはない。ワイヤーはガサガサとしているので少しずつ木の枝に切込みが入っていく。
「つーか、これかなりつらいわ。力入れると漏れそうだし」
「ここで漏らさないでよ」
「代わるか?」
「いや、大丈夫。後ちょっと・・・」
と半分ほど切断したところで、トモが体重をかけてへし折った。それをマサキに渡す。枝の長さは全長で2メートルくらいある。余計な枝を折って、一本の棒にする。幹の分かれているところにたち、左手で幹をつかんでバランスを取ると、右腕一本で棒を握り真下へと振り下ろす。ぶおっと風を押し出す音がするけども、ウサギモドキには命中しなかった。剣道部主将といえども、足場が悪いし片腕では本来の剣速は出せないようだ。その上、足元の敵に届くようにと棒を長めに作らざるを得なかったのも失策だったかもしれない。たぶん、重すぎるのだ。剣道で使用する竹刀とは比較にならないのだろう。
ほかに方法もないのでマサキは続けざまに何度も棒をウサギモドキに向かって振り下ろし続けた。すると、一振りがウサギモドキの側頭部を掠めた。飛び上がった瞬間を叩き落され、ウサギモドキの白い毛並みに朱が混じる。地面に落ちたウサギモドキは首を2度3度横に振ると、目つきを鋭くさせて、「シャー」っと威嚇の声を上げる。
威力が足りないのだ。きれいにヒットすれば倒せるとは思う。しかし、そう簡単に行くとも思えない。それでも、何度となく振り続けていたマサキだけど、ウサギモドキを仕留めるよりも腕が限界に来るほうが早かった。徐々に振り下ろされる棒の速度が下がり、振り上げるのが苦しそうである。
「だめか」
諦めることなく何かないかと周りに目を走らせ、最後に僕の前で動きを止める。
「なんかないか」
マサキは6人のリーダーとして指揮能力は高い。もちろん、ただの高校生の仲良しグループに指揮能力など必要はないけども、何をして遊ぶのか、どこに行くのか、みんなの意見をまとめたり、日常の些細な場面でも、リーダーシップというのは意外と発揮されるものなのだ。だからこそ、ウサギモドキを見つけた時に、彼の号令をもとに全員が一斉に駆け出すことができた。
頭の回転は早く、判断力もあるマサキの欠点は、真面目過ぎる性格が災いするのか、柔軟な発想が足りない。そして、困ったときにどういうわけか、僕に助けを求めようとする。柔軟な発想が欲しいなら、トモを頼れと思う。柔軟通り越して奇抜だったりするけども。
「・・・靴下。長めの靴下がほしい」
「きもっ」
「なんてこと、ここにはバカだけでなく、変態もいたのね」
「タクト君がそんな人だとは・・・・」
「ち、ちが・・・」
ちがう、誤解だ!そう言いたかったけども、女子三人の軽蔑のまなざしが突き刺さり、声にならなかった。バカにされながらも平然としているトモの胆力を心の底から尊敬する。バカだから気づいてないだけかもしれないけどと、心の中でトモをディスったところで、幾分落ち着いてくる。一呼吸おいて続きを口にする。
「靴下と、小銭と、靴紐が欲しい」
「なるほど、そういうことか」
全部を説明するまでもなく、マサキが理解を示す。彼がカバンから小銭を取り出し、靴紐を外し始めたところでほかのメンバーも動き出す。マサキが動けばみんな動く。わかっていることだけど、なんとなく釈然としないなぁと思う。
「で、なんに使うの」
唯一ハイソックスを履いていたユッコが脱いだ靴下を手に相変わらずの不愉快そうな眼を向けている。靴下フェチではないし、少なくともお前の靴下には興味はねぇとは思うもののそれを口にすれば何言われるかわからないので、黙ってマサキに目配せする。こっちのやりたいことは理解しているらしいので、任せるのが一番だ。
「ユッコ、申し訳ないけど貸してくれ。武器を作るんだ」
なぜか僕のほうを睨みつけたまま靴下をマサキに手渡す。真面目だからか、それとも彼女持ちというステータスが安心感をもたらすのか。世の中には彼女持ちの変態もいるだろうに、不公平極まりない。大体僕が何をしたというのだ。
マサキは受け取った靴下に、みんなから集めた小銭をすべて入れる。6人分の小銭でも女子のこぶしくらいのサイズの塊が出来上がる。靴下の先端に集まった小銭がこぼれないように、靴下をわっかにして縛る。縛り口に靴紐を3人分ほど直列に結び付けると、かなりの長さになった。
解けないことを確認して、ぐるぐると振り回す。忍者が使ってそうな鎖分銅の手作りバージョンともいうべき小銭分銅は風を切る音を立てて勢いよく回転する。当たればひとたまりもないだろう。当たればだけど。
徐々に回転させている小銭分銅のひもを伸ばしてウサギモドキに届かせようとする。小銭分銅の起こす殺人的な風切り音に、ウサギモドキは警戒心をあらわに、僕らのいる木から距離をとる。さらにひもを伸ばしたところで、がすっと小銭分銅が木の引っかかった。
「まあ、そうなるよな」
「何予想済みです。みたいな顔してんのよ。私の靴下まで使わせてさ。バカトモの魔法並みに役に立ってないし」
聞き捨てならない評価に、だったらお前も何かアイデア出せよ。とは口にできないヘタレなわけだけど。
「マサキの勘違いだよ。確かにそれも思ったけど、どう考えても場所がわるい。マサキ、そいつをトモに」
「おれ?」
急な指名にトモが驚く。
「トイレに行きたいなら、死ぬ気でぶつけろ。紐ついてるから何度でも使えるだろ」
と、本来のアイデアをようやく口にする。マサキは賢いけど、ちょっと残念だったりする。同級生の高校生男子を相手に、かわいいとは思えないが多少の間抜けさがなければ、友達やってないと思う。勉強もスポーツもできて、性格もいいし可愛い彼女までいる。それだけ聞けば完璧超人過ぎて吐き気がする。
「なるほど、やっぱり俺様がいないとダメってわけだな」
マサキとは別方向の残念さを発揮して、ふっふっふと不敵な笑みを浮かべるバカが一人。小銭ボールを掌の上で転がして、つかみやすいポイントを探り出す。何も考えずに、トモに委ねたわけではない。野球部員の象徴ともいうべき坊主頭をしているが、僕たちの高校野球部にそんなルールは存在しない。野球部といえば坊主だろというイメージだけで勝手にやっている。
「ベンチウォーマーに何ができるのよ」
「いやいやいや、お前ら試合応援に来てくれたろ。だったらわかるよな」
「出てなかったよね。暑い中せっかく応援行ったのに」
「フルタイム出場してたわ!」
「トモ君、ヒット打ったよね」
「さっすが、ハルナっち。見ててくれたんだね」
「もちろんだよ。あれ、でも、守備のときはいなかったよね」
「キャッチャーだよ。ちゃんと説明しただろ」
「トモにキャッチャーは無理だろ。バカだし」
「バカには、キャッチャーできないの」
「ハルナっち。とりあえずバカって部分を否定してくれ。そしてバカじゃないからな」
「キャッチャーって司令塔だろ。トモが指示?そもそも、サイン覚えれるか」
「くっそ、どこまでもバカにしやがって。いいか、見てろよ。マサキの敗因はな、姿勢の悪さからまともな攻撃ができないことだろ。キャッチャーの肩をなめるなよ。座った姿勢でも余裕でピッチャーのところまで投げれるんだ。上半身の動きだけで、しとめて見せるぜ」
バカがちょっと格好よく見える。より近いところのほうがいいからと、僕のところまで降りてきたトモが上半身の力だけで、小銭ボールをウサギモドキに投げつける。ボスッと音がして地面に当たる。ウサギモドキにこそ当たらなかったが、威力は十分と思われる。狙いも悪くはない。
靴下のひもを引き戻して、2投目。
空を切り裂いて、小銭ボールが飛んでいく。くくりつけられたロープがまっすぐに伸びる。ウサギモドキが気づいて飛びのこうとする。だが、一瞬遅い。右目の上あたりを捉えて、ウサギモドキを弾き飛ばす。
動かない。
血はそれほど多く流れない。死んでいるかどうかまでは、判断はできない。でも、動かない。
「な!」
ドヤ顔。腹が立つがやれる。と確信に満ちたものがみんなに芽生える。
「トモ君すごい」
素直に感嘆の声を上げるハルナと違って、ユッコとアキはちょっと悔しそうだ。
続く3投目、4投目は当たらない。それでもマサキが棒で狙ったのに比べて遥かに可能性を感じられる。
5投目、6投目、7投目。
耳を掠めたり、ほほを掠めたり、惜しいところには行くものの必殺には至らない。
8、9、10・・・・18投目、ぼごっと、地面と激突するのとは違う音が響く。気持ちのいい音ではないが、勝利のサウンド。2匹目のウサギモドキが動きを止める。入れ替わるように、生き残ったウサギモドキの動きが活発になる。仲間が殺されて怒っているのだろう。距離を置いてにらみつける1匹を除き、四方から跳躍を繰り返し、木の上へのアクセスを試る。決して届かないのはわかるはずなのに、諦める用には見えない。そのうちの数匹は、木の幹を使って2段ジャンプを試み始めた。僕らの立つ枝には届かない。だが、間近に迫るウサギモドキの形相はすさまじいものがある。口を大きく開き、僕らの知っているウサギとは違う、鋭くとがった犬歯を持った顎が空中で、音を立てて閉じられる。
トモの投球も止まらず続けられるが、先ほどと打って変わって動き続ける標的を仕留めるのは至難の業だ。すでに、30回を超えた投球に、疲労は隠せない。額から汗がたれ落ちる。
「トモ、しばらく変わろう。」
マサキが絶妙なタイミングで、声をかける。
「いや、まだいける」
2匹目以降、なかなか当たらず悔しいのだろう。ムキになっているのがわかる。だが、トモの腕より気になるものがある。
「とりあえず一息つけよ。靴下がそろそろ限界っぽい。破れたらおしまいだ」
はっとしたように、トモは振りかぶっていた腕を手元に戻して、小銭ボールに目を落とす。かなりほころんでいる。
「ユッコ、反対側の靴下も貰っていいか」
「しょうがないね」
靴下ボールを新しくしている間に、トモは水を飲んで息を整える。どうやら腹痛の波は息をひそめているらしい。ウサギモドキは疲れを知らないのか、相変わらず飛び跳ねている。そのうち届くんじゃないかと、そんな気がしてくる。
「出来たらよこせ。一発で仕留めてやるぜ」
マサキが作り直した小銭ボールをトモへと戻す。
「トモ、もっとタイミングを見極めろ。着地の瞬間を狙え。キャッチャーなら落下地点くらい予測できるだろ」
「そういういい方されたら、外すわけにはいかないなっと」
そういって、投げたボールは見事にウサギモドキを行動不能にする。複数の目標をやみくもに狙っていては簡単には当たらない。でも、対象を絞って飛び上がったウサギモドキが着地する瞬間を狙えば止まっている標的と変わらない。いくら化け物じみたウサギモドキでも、飛び上がれば放物線を描いて着地する。こんなわけのわからない世界でも物理法則は正常に働いているのだから。
コツをつかんだトモのピッチングが冴えわたる。
『キィユーーーーーーーーーーーーーーーー』
連続して二匹ほど仕留めたところで、耳障りな声が響く。一度も飛び跳ねず、後ろに控えていた一匹が叫んだのだ。司令塔なのだろう。ウサギモドキが一斉に振り変えると、同じような声を上げた。嫌な音だ。
感情の見えない暗い瞳でこちらを一瞥すると、森の奥へと消えていった。さっきまでの凶暴さが嘘のように、走り去るウサギモドキは丸い尻尾がかわいらしく、牧歌的でさえあるのが皮肉だった。
「助かったのかな」
体感で1~2分。ウサギモドキが去った後も、僕らはその場を動かなかった。マサキが恐る恐る地面に降り立ち、周囲を見渡して安全を確認する。全員が木から下りてくる。
「いったん、さっきの川辺に戻ろうか」
森の中よりも見通しがよくて安全だろうし、川沿いに歩いて人里を探すというのが当初の計画だ。だが、水を飲みにくる動物に遭遇するという危険もはらんでいることが先ほどの一件で判明した。それでも、選択肢はないと思う。
登山に来ているので水筒やペットボトルは各自持っている。でも、なくなったとき、すぐに補充できるとはかぎらないのだから。
「で、だれかティッシュ持ってない?」