第85話 死者
「仇ぃ? 別にんなもん取りたかねぇなぁ。ちゃんと戦って死ねたんなら兄貴も本望だろうしよぉ」
しかし大黒の想像に反して茨木童子の反応は至極あっさりとしたものだった。
大黒は多少面食らいながらも、茨木童子がそこまで割り切れる理由を聞くことにした。
「な、なんかやけにさっぱりしてるな。酒天童子とは仲良かったんだろ?」
「あぁ、そりゃぁなぁ。平安の時はもちろん、数年前に兄貴が転生してきてからも何回か飲みに行ったりしてたぜ」
「スケールは違うけど言ってることはほぼ人間と同じだな……」
社会人になった人間が昔の同級生と遊ぶ時のような口ぶりで話す茨木童子に大黒は親近感を覚え始める。
「いや、まあいいや。けど本当今でも親交があったなら余計に不思議だ。普通もっとキレたり暴れたりするもんだと思うんだけどな……」
「要するになんだ、お前は俺にキレたり暴れたりしてほしいのか」
「いや違ぇよ! なんならそれは一番避けたいことだし」
迂遠な言い回しをする大黒に茨木童子は首を傾げて、大黒の意見を曲解する。
「じゃなくてさ、俺に恨みはないのかって話だよ」
「…………かっ、か、か、か、か!」
大黒は自分を親指で指して問うたが、茨木童子はそれを聞いて大きく口を開け笑いし始める。
その笑いには悪意や敵意といった負の感情は微塵も感じられず、ただ想定していなかったことを聞かれ、思わず出た笑いにしか見えなかった。
そして笑い過ぎて目に涙さえ浮かべ始めた所で、ようやく茨木童子は笑い終えた。
「はー……、いや悪ぃな。馬鹿にしてるとかじゃあねぇんだぜ。ただ、そんな喧嘩の動機は久しぶりに聞ぃたもんでなぁ」
「……むしろよくある話だと思うけどな」
「あぁ、確かにな。それこそ昔の俺だったら、兄貴がやられちまった落とし前は付けてやるって意気込んでたかもしれねぇさ。だがな、今の俺は、大江山の頭領になった俺は違う。こちとら千年以上生きてんだ、私怨なんかで動くほどガキじゃぁねぇさ」
「…………」
基本的に自分の感情でしか動くことのない大黒は、茨木童子の言葉が揶揄のように聞こえてしまい閉口してしまう。
「だから安心しな、俺はお前に含むところは何もねぇ。もちろん、お前と一緒に戦ったっていうお前の連れにもな」
「流石に知ってたか……」
茨木童子の目がそちらに向かないようにと、共に酒天童子を討伐した刀岐の話を出さないよう気をつけていた大黒だったが、それが杞憂だったことが分かり残念そうに頭を掻く。
「正直お前が酒天童子の話を出した時から、俺を探してた理由は復讐なんだろうなって思ってたよ」
「兄貴がそれを望んでんならしてやってもいいんだけどなぁ。戦ったお前から見てどうよ、兄貴はそれを望むような鬼に見えたか?」
「…………とてもそうは見えなかったな。致命傷を負った時でもこっちを食うことだけ考えてるような何より欲に忠実な鬼だったよ」
大黒は酒天童子と戦った時のことを思い出しながら素直な感想を述べる。
茨木童子はそんな大黒の酒天童子評を聞くと満足そうに笑い、机に肘をついて話を続ける。
「そぅだ。兄貴は寝ても覚めても、食うことと強くなることだけを考えてるまさしく鬼の鑑みてぇな鬼だった。そんな兄貴が殺されて復讐なんて頭によぎるはずもねぇ。むしろ俺がお前を殺しちまったら兄貴に殺されちまうだろうよ。俺の獲物を取るなってな」
「そうかい、じゃあ今度酒天童子が転生してきた時には絶対会わないように努力するよ。……結局さ、酒天童子のことじゃなかったらお前は俺に何の話をしにきたんだ」
「いや、俺がしたかった話ってのは兄貴の話で間違いないぜ。恨み言を言いに来たんじゃぁないってだけでな」
「恨み言じゃなかったら何なんだ。共通の知り合いの話で盛り上がろうってわけでもないだろうに」
「…………」
今まで喋り続けていた茨木童子は喉から声を出すのを一旦止め、残っていたコーヒーを一気に口の中に流し込む。
そして口の端から零れそうになった雫を左手で拭うと、再び話を始めた。
「それもある意味正解だ。俺が聞きたいのは兄貴がお前等とどう戦い、どう傷を負って、どう死んでいったか、だ。お前にとっても兄貴との戦いは死闘だったろうし、盛り上がるぜぇ」
「……それが聞きたいっていうんなら別にいくらでも話すけどさ。それを聞いてどうするんだよ。事細かに聞いても死んだ奴が生き返るわけでもないし、過去を変えられるわけでもない。それとも俺が知らないだけで鬼は仲間の死に様を聞かなきゃならない風習でもあるのか?」
言いながら、大黒は磨の最期の姿を思い出す。
大黒はまだハクに磨が死んだ時の状況を詳しく話していない。言った所でどうにもならないし、聞いた所で悲しくなるだけだと思っているからだ。
死者は過去にしか存在せず、死者のことを気にしすぎるのは現在を生きる自分にとって邪魔な思考でしかない。それが、大黒の価値観だった。
だから大黒は茨木童子が酒天童子の話を聞きたがるのを理解できず、つい余計なことまで聞いてしまっている。