第78話 決裂
「帰ろう……」
磨の遺体を焼き終わっても、しばらく踞ったままだった大黒だったがようやく立ち上がり家路につく。
体はまだ妖怪化の名残が残っているため、人避けの結界を解除した後は隠形して人目につかないようゆっくりと歩を進める。
いくら悔やもうが磨を死なせた現実がなくなるわけではない。
ハクと自分の日々を守るために磨を死なせた。ハクがいれば他にはなにも要らないはずだ。
大黒はずっとそう自分に言い聞かせながら歩いていく。
ハクのことだけ考えていないと、もはや大黒は動くことすら出来ない。
そして、きっとハクなら自分のやった事も理解して受け止めてくれるはず、そんな淡い希望を持ったまま、とうとう大黒は自宅に着いた。
鍵を開けるのにも時間がかかり、鍵を開けた後も扉の前で逡巡していたが、大黒は意を決して扉を開ける。
するとそこではハクが待っていた。
その姿を見て大黒は息を呑む。
酒呑童子と戦った後も同じ場所でハクは待っていたが、その時と違うのは正座ではなく立って待っていたことと、表情に一切の余裕がないことだった。
「ハク……」
「や、やっと帰ってきましたか……。心配してたんですよ……?」
ハクは泣きそうな顔で笑いながら大黒を出迎える。
ハクも家から急に結界の数が減ったことや、今の大黒の姿から『何か』があったことは察しがついている。
それでもきっと大黒なら全てが丸く収まるように解決してくれているはず、と信じて自分からは何も聞かず、ただ大黒の言葉を待っていた。
少しの静寂が流れる。それを壊したのは、大黒の明るい声だった。
「い、いやー! ごめんごめん! 目的地にはちゃんと着いたんだけどさ、そこでちょっとハクを狙う陰陽師に襲われてたんだよ。ほらあのハクを大黒家に連れ去った男がいただろ? なんかあそこから情報が漏れてたらしい、もしかしたらこれから騒がしくなるかもな。あ、大丈夫。今回のやつはちゃんと始末しといたから!」
ハクの目は見ず、大黒はペラペラとまくし立てていく。
笑顔は歪で、声は上擦っている。無理をしているのは明らかだった。
その大黒の振る舞いを見てもまだハクは諦めず、大黒が触れなかったことを尋ねることにした。
「……色々大変だったことは分かりました。ですがそれよりも、磨は、磨はどうしたんですか? まだ姿は見せませんが一緒にいるんですよね?」
「……磨、な。その前にこの刀を見てくれよ、今回の戦利品だ。両方ともそこそこ珍しい呪具だけど、特にこっちの方はレベルが違う。ハクの力を封印してる呪具と比べても遜色ない。まあ、これのせいで窮地に陥りもしたけど」
大黒は飢餓ノ剣をハクの前に差し出して自慢気に笑う。笑っている、ような顔を見せる。
「……そんなことは聞いていません。磨はどうしたのですか」
「…………いやさぁ、聞いてくれよ。磨って実は妖怪だったらしいんだ。正確には元妖怪だけどな。少し前に人間にされて、その後ここに来た。変化の類でも無いから全く気づかなかったよ。妖怪の残滓とかも無かったからかハクですらも磨を人間って断言してたもんな。あんな技術があったなんて本当驚き……」
「私は! 磨が何だったのかなんて聞いていません! 磨はどうしたのか聞いてるんです!」
いつまでもはぐらかそうとする大黒に業を煮やしたハクは、血が出るほどに拳を握りしめて大声で叫ぶ。
もう逃げることが出来ないと悟った大黒はポツポツと磨の死について語りだした。
「……磨は死んだ。いや、死んだというか死なせた。なんつーか今日襲ってきた敵のスパイ……昔風に言うと間者か。だったらしくてな、助けようと思えば助けられる状況だったけど無理して助ける理由も無いだろうと思ってさ」
大黒はあえて露悪的に表現する。
何も言わずに受け止めてほしい、そうでないならいっそ何も出来なかった自分を責め抜いてほしい、と思いながら。
だが、大黒の言葉を聞いて泣き崩れたハクから出た言葉はそのどちらでもなかった。
「ああ……、貴方が、もう少し私を信じてくれていたなら……」
顔を覆ったままハクはそう口から零した。
ハクは大黒の言葉を額面通りに受け取ったわけではない。
大黒の言う通り磨が敵だったとしても簡単に見捨てるはずがないし、大黒が子供を助けるためには全力を尽くす人間だということも知っている。
だからハクも大黒を責めるつもりはなかった。それでも出てきてしまったのは、もしもあの時こうしていたら、という仮定の話。人間なら一度は考えてしまう夢物語。
もしも、大黒がハクを結界に閉じ込めず一緒に出掛けていたなら呪具の呪いは解けていた。そもそもハクがいたら不意打ちすらされていなかったかもしれない。
もちろん、ハクは磨に何が起こったのか正確には知らない。それに一緒にいたとしてももっと状況が悪くなっていた可能性だってある。
それでもなお、ハクは困難なことがあるなら二人で立ち向かいたかった。
大黒が結界の霊力を使うほどの緊急事態、そんな時でも大黒はハクを閉じ込めるために結界を残していた。
その結界は大黒がハクを信用しきれていない何よりの証拠だった。
結界が無かったらハクは自分の元からいなくなってしまう。その思いはいつも大黒の心の奥にある。
いつもハクを好きだと言っているのに、二人の間には言葉もいらないとすら思い始めていたのに、心の底ではハクを信じていなかった自分の薄汚い人間性。
ハクの言葉でそれを思い知らされた大黒は、泣いているハクに言葉をかけることすら出来ず、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。