第50話 怨恨
「そうね、さっきまでは見たことの無い建物や人がいっぱいいて楽しかったわ。今は自然がいっぱいな場所になったけど、これはこれで懐かしい気持ちになれるから見てて楽しい」
話しかけられたことで磨は視線を車外から大黒に移す。
その顔は相変わらずの無表情だったが、言葉の通り楽しさを感じているという雰囲気を纏っていた。
「いつの間にか結構な郊外まで来てたんだな。……マジで周りは木とかばっかだけど磨って田舎に住んでたのか?」
大黒は少しだけ外の様子を確認し、あくまで自然な風を装って磨の過去を尋ねる。
「田舎……、そうね、きっとあそこは田舎だったわ。あまり外の世界を知らなかったから、その時は意識したことなかったけど」
「へー、あんまり田舎っ子って感じじゃないしなんか意外だな」
「私がどう見られているのかは分からないけど、そう見られるのは田舎に住んでたのがずっと昔のことだからかもしれない。私は生まれてから半分はその田舎にいて、そこからのもう半分は違う所で生きてきたから……」
そう言って俯いてしまった磨を見て、大黒は心のなかで歯噛みする。
(やっぱりまだ昔の事を聞くのは早かったか……。踏み込み方を間違えた、どうして俺はいつもこうなんだ)
人のナイーブな部分に触れるには順序やタイミングというものが大事になってくる。
その触れ方を間違えると心を閉ざされてしまうかもしれないし、何より相手を傷つけてしまうことになる。
もちろん正しい触れ方などは実際触れてみないと分からないし、慎重に行き過ぎても機を逸してしまうだけになるのだが、少なくとも今回は急ぎすぎたと大黒は自省する。
しかし、いつまでも黙り込んでしまうと空気が悪い方向に固まってしまいそうだったため、どうにか話題を変えようと大黒が口を開け閉めしていると運転席から助け舟が飛んできた。
「にしてもここら辺は快適っすねー。家を出てすぐは信号と渋滞にイライラ
してたけど、もう百二十キロ出しても誰ともすれ違わねぇし。いつもこんなもんなんすか?」
「あー……、まあ普段は本当に車の通らない道だな。でも磨もいるんだしあんまり無茶な運転はしないでくれると助かる」
「何言ってんすか。その子が危なくなっても大丈夫なように後ろ座ってんだから、そこはお兄さんがなんとかしてくださいよ」
「危なくならない努力をしろって言ってんだけど……」
大黒は前から聞こえてきた脳天気な声に呆れながらも、空気を変えてくれたことに感謝の念を抱く。
そして再び磨に話しかけようとしたところで、ふと違和感に気づいた。
「……なあ、磨。外が今みたいな風景……というか、車がいなくなったのはいつからだったか覚えてるか?」
「……? 確か……、十分くらい前からだったかしら」
磨は大黒からの急な質問に答えるために、目を閉じて記憶を探る。
その答えを聞き、大黒の違和感は形を持った確信へと変わった。
「ヤバいな……」
「どーしたんすかお兄さん。いきなり意味深なことを呟くとか中学生みたいっすよ?」
「いいんだよ、男なんて中学生から成長しない生き物なんだから。……じゃなくて、鬼川はなんか妙だと感じることはないのか?」
「何がっすか。あたしもったいぶられるの嫌いなんで、とっとと答え言って貰わないとお兄さんのことぶん殴りたくなるんすけど」
「それもったいぶられることだけじゃなくて俺のことも嫌いなんじゃないか?」
鬼川から自分への好感度がどうなってるか不安になりながらも、大黒は現状について説明をし始める。
「確かにこの辺りは車通りが少ない道だけど、さすがにゴールデンウィークにこれだけ車がいないのはおかしすぎる。十分も他の車と会わないなんて異常事態だ」
「ただの偶然じゃないんすか?」
「その可能性もなくはなかったけどな。でも……」
そこで大黒は磨を見て言葉を一瞬詰まらせる。
ここから先は陰陽師の話、磨には聞かせないようにすると決めていた話だったからだ。
だが緊急を要する事態になっているため、大黒はやむを得ず話を続けることにした。
「でも磨の話を聞いて周りを探ってみたら、いつの間にか人避けの結界が張られてるんだ。つまりこの状況は人為的に作られた、恐らくは俺たちに敵意を持ってる誰かの手によって」
「…………はぁー、せっかく休日の気分だったってのに……。で、お兄さんとして心当たりとかは?」
「ありすぎて分からないレベルだな。結界の基点が遠いと言っても、俺に気づかせず結界を張ってるわけだし相当な術者であることは間違いないだろうけど……」
「勘弁してくださいよー。完全にとばっちりじゃないっすか」
「言っとくけど心当たりの中にお前も含まれてるんだからな」
大黒は被害者ぶってくる鬼川に釘を刺す。
素性の分からない磨。敵が多い大黒家の一員である鬼川。そして言わずもがな九尾と共にいる大黒。
今車内にいる三人はそれぞれが誰から狙われてもおかしくない要素を持っている。
そのため大黒は心当たりが多すぎると表現し、敵の正体を突き止めることを先送りにした。
いくら考えても答えが出ない事柄より、何が来ても対応できるように用心する事が大黒の中では優先された。
そしてそれから一分も経たないうちに、それは大黒たちに存在を気づかせた。
『ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ』
薄気味悪い笑い声が閑静だった道路に響き渡る。
それは人間の笑い声のようにも聞こえるが、絶対に人間のものではないと言える不穏さを持っており、思わず耳を塞ぎたくなる不気味な笑いだった。
「……近くに住んでる人の笑い声っすかね」
「こんな笑い方をする人間がいてたまるか。どう考えても人外の類だろ」
「いやいや当主ならあるいはこんな笑い方をするかも……」
「その発言帰ったら純に伝えてやるからな」
「それだけは勘弁してください!」
おどけた会話をしながらも鬼川と大黒の二人は油断なく辺りを見回す。
車を止めて、笑い声がどこから聞こえてくるのか突き止めようとする二人だが、山に囲まれた場所であるため声が反響して中々方向を絞れない。
そして二人が相手の場所を把握する前に、笑い声と共に巨大な何かが車にめがけて飛んできた。
「ひひひひひひひひひひひひっ!」
どぐしゃぁっ! と音を立てて車の上に飛び乗ってきたそれは、四本の足で念入りに車を踏み潰す。
そこには確かな悪意があり、獲物を確実に殺すための知性も感じられた。
踏む。踏む。踏む。踏む。踏む。
何度も何度も繰り返される相手を仕留めるための行為。しかしどうしたことか、一向に血溜まりが形成されない。完全に車は潰したはずなのに肉の感触は全くなかった。
そうなってようやく、その生き物は周りを確認するという行動に出た。