第160話 強襲
「どうしました?」
「何か……近づいてくる……!」
言うが早いか、怜はハクを抱きかかえその場から大きく飛び退いた。
直後、ハクがいた場所にドォン!!!! と大きな音を立てて、怜が気配を感じていた何者かが着地した。
「……ふむ、避けたか。体中の骨を砕くつもりで来たのだがな。中々上等な感知能力を持った奴がいるようだ」
「…………!」
男が降りたった衝撃で舞った土煙が姿を隠しているが、中から聞こえてくる声はハクが聞き覚えのあるものだった。
土煙の中で男が不快そうに手を振ると、軽い動作から発生したとは思えない程の風が吹き、男の近くの木々が揺れると共に土煙が晴れていった。
そして何かの間違いであってくれ、というハクの祈りも虚しく土煙の中から姿を現したのはハクが想像した通りの相手であった。
「ひひっ、また会ったなぁ九尾」
「天魔雄神……!」
悪辣な笑みで挨拶を交わしてくる天魔雄神をハクは強く睨み返す。
確かにハクと大黒が目を覚ましたということは天魔雄神も現実で行動を再開出来るということだったが、まさかこんなに早く接触してくるとはハクも考えていなかった。
予想外の状況に置かれて今後どうやって動こうかと思考を走らせ始めたハクをよそに、刀岐と怜は視線を合わせて同時に地を蹴った。
「!」
「……!」
「自己紹介よりも先に斬りかかってくるとは……現代の人間とは随分野蛮なものなのだな」
天魔雄神を挟み込む位置に移動した二人はその首を落とそうとそれぞれの刀を抜いた。
しかし二人の刀は天魔雄神を素通りし、キィンと甲高い音を立ててぶつかり合った。
余裕そうな顔で肩を竦める天魔雄神は二人の刀が重なっている所に立ち、刀岐たちを見下ろしていた。
(想定以上……! 九尾の姐さんから話を聞いちゃいましたがこれ程とは……!)
天魔雄神と向かい合う刀岐は相手の底が見えない力に戦慄する。
今まで数多くの妖怪と戦ってきた刀岐をしても、感じたことのない威圧感。
ひと目見て、正面から挑んだら戦いにすらならないと思い不意打ちをしたにも関わらず、相手が避けた瞬間さえ分からなかったという圧倒的な戦力差。
そして、
(刀の上に乗られてるのに一切の重さが感じられない……何をどうしたらこんなことが出来るんですかねぇ)
――――得体のしれない薄気味悪さ。
天魔雄神の規格外な部分を感じる度に、刀岐の本能は『逃げろ』と警告を与えてきていた。
だが、いついかなる時でも本能を抑え込み、冷静に対処してきたからこそ刀岐は最強の傭兵にまで登り詰めることが出来た。
「木行符!」
刀岐は天魔雄神の足に直接札を貼り、拘束するための術を発動する。
たった一枚の札で天魔雄神の足止めが出来るとは思っていなかったが、自分と怜が体勢を立て直すための数瞬を稼ぐための行動だった。
「俺様に夢中になるのは分かるが後ろにも気を配った方が良い。イカれた人間がお前達の仲間を連れ去ろうとしている光景が見られるぞ」
「!」
天魔雄神はされるがままに縛り付けられたがそんなことは意に介さず、顎で刀岐の後方……つまりハクがいる場所を指し示した。
天魔雄神の言葉を確認するために刀岐が振り向くと、そこでは確かに青白い顔をした男がハクの口を手で塞ぎ、その身を拐おうとしているところだった。
「ふぐぐ……!」
「……バラすのが早い。どっちの味方だ」
うめき声を漏らすハクを脇に抱えた男は、天魔雄神に小声で文句を言いながら森の奥へと走り去っていった。
(竜胆朧……! 天魔雄神が派手に出てきたのはあっしらの目を九尾の姐さんから反らすためだったってわけですかい……! ……こうなったら仕方ない!)
相手の思い通りになっていることに歯噛みしながら、刀岐はここに残るかハクを追うかと逡巡している様子の怜に指示を飛ばすことにした。
「怜さん! ここはいいのであちらに行ってあげてくだせぇ!」
「……分かった…………死なないで、ね」
怜は申し訳なさそうな顔になりながら刀を引き、刀岐の指示通りこの場を離れてハクと朧を追いかけていった。
刀岐の木行符に縛られたままの天魔雄神は二人の後を追う怜を邪魔するでもなく、刀から地面へと足を移しニヤニヤと刀岐を眺めていた。
「……いいんですかい、怜さんを行かせて。そちらさんはあの男に手を貸しているんでしょう?」
「ひひっ、貴様さえここに留めておけば朧も文句は言わんだろうよ。……なにせ数百年ぶりだ、俺様と戦える可能性がある人間を見るのは」
自らの体に巻き付いた幹をバキ……バキ……と軋ませながら砕いていく天魔雄神。
その顔に浮かぶ笑みはより深く、より獰猛なものへと変化していた。
ここで初めて天魔雄神から『敵意』を向けられた刀岐は、背筋に怖気を走らせながらも深呼吸を一つして刀を正眼に構えた。
「過大な評価をどうもありがとうございやす。では僭越ながら、身に余る評価をしていただいたお礼に敬意を持って、貴方を地獄に堕とし奉らせていただきましょう。……覚悟は、よろしいでしょうか」