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第2話 2歳未勝利戦①

 八月の陽がじりじりと照りつける札幌競馬場のパドックで、二人組の男が競馬新聞とにらめっこしていた。

 第六レース、二歳未勝利、芝二〇〇〇メートル。札幌記念と同じ条件の舞台で、十五頭の二歳馬たちが初勝利を狙う。

「うーん……二番のブラックアローか、七番のインザフォレストか……」

 山田はいま挙げた黒鹿毛と栗毛の二頭をかわるがわる観察しては、ずっとうなっていたが、ついに、よし、と声を上げた。

「二番だな。ブラックアローの単勝に突っこむ。デビューから二戦二着、一八〇〇と二〇〇〇でこの結果だ。インザフォレストも前走三着だけど、一四〇〇での結果なんだよな。今回はたいした良血も、戦績が安定してるのも他にいないし。あと鞍上の原騎手が好き」

 隣の菅原は笑った。

「そんな簡単にいくかな。豆券じゃそんな堅いの当たったっておいしくない、おれはやっぱり穴馬を狙うよ」

「へえ。どれがいい?」

 問われて、菅原が一頭の鹿毛馬を指さすと。

「五番……ナギノシーグラス? デビューから三着、十着、七着……しかも、芝でナギノポセイドン産駒?」

 ほんとかよ! そう言って、山田は笑った。


 菅原は、職場の同期である山田に誘われて、社会人二年目になってから生まれて初めて競馬を始めた。山田と一緒に競馬場やウインズに行くようになって一年くらい、馬券の買い方やレースの見方、血統ごとの適性がざっくりわかってきたぐらいで、まだたいした賭け方はしていない。

 学生時代からのめりこんでいるという山田ときたら、毎週競馬新聞を買って、月に二度は競馬場へ行く。毎回の賭け額も見ているこっちがひやひやするような、筋金入りの競馬好きだ。

 前走までの成績をもとに比較的堅そうな馬を絞り、そのなかから、パドックでざっと見て気にいった馬に思いきった額をつぎこむ、山田はそんな豪快な買い方をする。

 それに対して、血統知識やデータをある程度活用し、穴をあけそうだと思った一頭の単勝や複勝に少額を賭けるのが、菅原の遊び方だ。

「うーん、どう見ても、おれはこの馬が来ると思えないんだけどなあ……」

「父ナギノポセイドンって、春の天皇賞馬なんだろ? デビューから二戦一六〇〇メートル戦ってのが、適性に対して短かったんじゃないのかと思って。ほら、前走は一八〇〇に距離延長してちょっと順位上げてきてるし」

「十着から七着って微妙じゃね?」

 まだ納得できない表情の山田に、それにさ、と菅原は説明を続けた。

「こいつの新馬戦、動画で見たんだけどさ、直線の途中まで詰まってたんだよ。でも最後は長くいい脚使ってたし、ばててなかったし。今回二〇〇〇まで距離伸ばしたの、いいと思う」

 山田はほほう、と笑った。

「距離適性がといってもこの馬、新馬はマイルで好走してるけどな」

「その日は馬場も味方したんじゃないかと思ってる。稍重だったみたいだけど、ほら、ナギノポセイドン産駒ってダート向きに出るだろ」

 そう言って菅原は、パドックに目をやった。明るい日差しに、まだ若い馬たちの毛並みと筋肉がぎらついている。

 五番のナギノシーグラスの様子も悪くなさそうだった。うつむくように歩くさまはおとなしすぎるように見えなくもないが、毛づやは申し分なく、発汗もない。体格も牡馬にひけをとっておらず、電光掲示板を見ると体重は四八〇キロと出ていて、菅原はますます自信を深めた。

 菅原と同じほうを目で追って、山田もほほーと声を上げた。

「デキはいいが、ちょっと覇気がないんじゃないか」

「なんだと」

 山田を軽くねめつけた菅原は、山田が狙うブラックアローを見てみた。出走馬の中で最も実績面が安定しているその黒鹿毛馬は、闘志いっぱいの様子で厩務員を引っぱるように歩いている。パドックを取り囲む人間たちに怖じる様子もなく、むしろ睨みつけるように観客側に首を向けていた。

「ブラックアローだって落ち着きがないぜ」

 菅原がそうやり返すと、山田は鼻で笑った。

「やる気満々。あの血統はああでないと。父馬もそうだったのさ」

 しかし、と山田はため息をついた。

「それで勝ちきれてないみたいだ。こいつに関しては動画見といたんだけど、追い込みの脚は切れ味抜群なのに、仕掛け早すぎ。馬が騎手の『待て』を聞かないで、それでゴールまでにスタミナ切れ起こすんだよな」

 悩むふうの山田に、菅原はまあでも、と笑った。

「馬連やら三連単やらで流すなら、おれも軸にするのはそいつだな。ナギノシーグラスから流す度胸は、おれもない」

「そうしろよー。ブラックアロー軸でナギノシーグラスは紐に入れたらいいだろ」

 煽る山田に、やだね、と菅原は返した。

「おれは堅実だからな。メイン以外は単勝か複勝の百円二百円にしとくって決めてんだ」

「ギャンブルに金出してる時点で堅実もクソもあるか」

 軽口をたたきあいながら、菅原と山田はパドックに背を向け、馬券売り場に向かって歩きだした。


 菅原にとって、山田は営業部の同期であり、同僚であり、親友だ。繊細でおとなしく、人からもよく真面目だと言われる菅原と、細かいことは気にしない、おおらかな気質の山田は、正反対だからこそ親しくなった。

 菅原のほうは山田にたいして、親しみと共に、かすかな羨望を心の奥底に持っている自覚がある。根っからの明るさや動じなさ、今の菅原からはほど遠いのに、こんなふうになりたかったと思うような人間像を、山田は持っている。

 仕事においても、あくまで慎重に神経質に、端から端まで細かくチェックしながらじっくり進める菅原にたいして、山田は、それで大丈夫なのかと心配になるくらい思いきりよく、一見おおざっぱなくらいに、スピード重視で業務をこなしていく。

 結果としては、職場での実績と評価は同じくらいか、いつでも一歩先に物事を進めている山田のほうがやや評価が高い。

 嫉妬や劣等感が親しみを上回ることまではないが、やはり、うらやましいものはうらやましい。本人は「おれはせっかちなんだよ」と言うが、周囲と比べても、山田は、肩の力の抜き方がうまいと思う。適度に抜くところは抜いて、それでも及第点以上は出せるのだ。

(能力が高い証拠なんだよな……)

 学生のときからそうだったが、菅原は、いい意味で手を抜くといったことがどうにも苦手だ。がむしゃらに努力できるねばり強さは長所だと自負してもいるが、それでいて、学業でも仕事でも、ずば抜けた成果を出せたことがない。

 一年前のある金曜日、山田と飲んでいたときに、菅原は酔いにまかせて、つい、そんな自分について愚痴った。すると山田は笑いも励ましもせず、こう返したのだ。

「おまえ、もっと遊んだら?」

 それにたいして「遊び方がわからん、教えてくれ」と返したことは覚えているが、そのあとは少々飲みすぎたせいで、解散するまでに何を話したか細かいことは記憶にない。

 ただ翌朝、目覚めた枕元に、買ったおぼえのない競馬新聞がコンビニの袋に包まれてころがっていた。手に取った携帯電話には、山田からの「明日の件、桑園駅に九時集合で!」という謎のメッセージが残っていた。

 菅原が生まれて初めて賭け事に手を染めたのは、そんな日のことだった。

 

 馬券を購入した山田と菅原はコースに出ると、スタート付近にやってきた。コースもパドックと変わらず、ぎらぎらとした太陽光が照りつけている。菅原は帽子をかぶってこなかったことを後悔した。

「……しかし、おまえが競馬続けるとは思わなかったよ」

 そう言う山田の手には、すでによく冷えたビールのカップが握られている。呆れ顔をしながら、菅原は言った。

「おまえが誘ったんだろ」

「いや、競馬だけじゃなくて、競馬の次はもっといろいろやらそうかなーと思ってたんだけど」

「いろいろとは」

 山田は返答せず、人の悪そうな笑みを浮かべてビールをぐびぐび飲んでいる。これはろくなことを考えていなかったなと確信して、菅原は追及するのをやめた。

 うまそうに息をついた山田は、まあ、と口を開いた。

「おまえの知らなそうなとこへ次々連れてって、気に入ったものがあればいいなー、くらいに思ってたんだけど、ここで落ち着いちまった感じだったから」

「おれも自分でも意外だったよ。賭け事のイメージしかなかったし、スポーツ観戦すら興味なかったからな。でも、やってみるとおもしろいもんだな。データだの、馬の個性だの、コースの特徴だの、推理ゲームみたいで」

「頭使えるのは、醍醐味だよな」

「そうそう。ただ、どうしたって運要素があるから、どうにも収支が上がっていかないのが歯がゆいな」

「歯がゆい?」

「たいして賭けてないからしょうがないかもしれないけど、数字で結果出せないと、予想レベルが上がってないって思えて、もどかしいんだ」

 菅原がそう言うと、山田はため息をついた。

「……おまえはわかってない」

「何言ってんだ」

 菅原が眉をひそめると、山田は、まあいいや、と笑った。

「馬券度外視で応援したくなる馬が見つかってからが、本番だから」

「それはなんとなく理解できるけど、今はそれより予想がおもしろいから、それでいいよ」

「それはそれでひとつの楽しみ方だもんな。いいよ、競馬以外にもおまえにすすめたいもんはあるし、気が向いたら聞いてくれよ」

 菅原はそれには笑いかえした。

「あんまりガラの悪くないやつで頼む」

「スガはちょっとガラの悪いことしてみるくらいがちょうどいいと思う」

「勘弁してくれ」

 笑いながらも、菅原は、山田の言いたいことがなんとなくわかった。競争や向上心抜きに楽しんでいる部分が、自分にはどれだけあるだろうかと思う。仕事でも、遊びでも。

 心のどこかに、山田にはり合おう、同じ舞台で勝てる部分を見つけよう、そう思っている自分がいる。山田のように、適度に力を抜いて、悪い遊びもできる人間になりたい、そんな願望がある。

 楽しみに来たのに、また焦燥感を思いだしてしまった。のんきにビールをあおっている山田から目を離して、菅原は緑のまぶしいコースのほうへ目をやった。誘導馬に導かれ、出走馬が入場してくるのが見えた。

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