ディア・ハンターズ
「……はい、というわけで始まりましたチキチキ川渡りトライアルなんですけれどもね」
「シェーナ、どうしたの急に」
「“どうして”は、こっちが訊きたい」
現実逃避から戻ってきたあたしは、目の前に流れる怒涛の激流を見てゲンナリした呻き声を漏らす。
オアシスから北上すること数日、距離にして三百キロほど来たあたりか。いきなり砂漠の只中に現れた河は見るみる幅を広げて、いまや対岸まで十メートル近い。
乾き切って枯れ果てた砂の海ばかり見てきたというのに、いきなりこれか。しかも、川べりが砂だから水流でグズグズに崩れて渡るどころか近付くこともできない。流れは東西に走っているから、迂回するにしても東西どちらかに延々進むしかなさそうだ。
そうしたところで北側に渡河できる保証はないんだけど。
「参ったねえ。どっから現れたんだ、この大量の水」
「たぶん、山の上の方で雨が降ったんじゃないのかな」
「やま?」
ジュニパーが指したのは、北東方向の地平線。右手側に向かうと何千哩だか先に険しい山脈があってどん詰まり、みたいな話は以前ジュニパーから聞いた記憶がある。朧げにだけど。いくら目を凝らして見ても、遥か彼方にあるらしい山脈は蜃気楼の彼方に煙り、雲なのか山影なのかもわからない。というかたぶん、あたしの視力では見えてない。
「そこから流れてきた水が、こうなるの?」
「うん。砂漠は樹木がないから、保水力がないんだって」
なるほど。さすがにジュニパー先生は物知りである。だったらこの状況の解決法も知ってるかと思えば、“安全な場所で水が引くのを待つ”という、現実的で安全で最も効率的な方法を提案された。
「ジュニパー、“ほすいりょく”って、水を蓄える力でしょう? それがないってことは、この水、流れたら消えちゃうの?」
「うん。たぶん、半日も掛からない」
すげえな砂漠。日本育ちのあたしには、ある意味ファンタジーだわ。
「でもこれ、気付かないと鉄砲水で流されたりしない?」
「する。“てっぽーみず”っていうのは聞いたことないけど、窪地だと思って野営してたら枯れた河で、流されて死んじゃうのは昔からよくあるんだって」
あるのか。まあ、あるよな。そんなに頻繁に起こるもんでもないんだろうし。
いまも、大量の木片と思われるものが流れてゆくのが見えた。四角く製材されていたから、天然の樹木ではなく馬車か何かの残骸だろう。
悪路が得意のランドクルーザーといっても、無理に突っ込めば同じようになる未来しか見えない。ここはおとなしく、水が引くのを待つか。
河から十メートルほど離れたところにある少し高くなった場所に車を停めて、夜営の準備に入る。準備といっても、テントを張って焚き火をするくらいだけど。
「ちょっと早いけど、ご飯にしようか。どうせ明日まで、ここでゆっくりするしかないんだしさ」
「はーい」
「それじゃ、ご飯の後で、みんな浄化魔法するの♪」
ミュニオお姉さんは相変わらず安定の女子力である。焚き火で調理とかすると煤っぽい感じになるからね。
もともと綺麗好きというのもあるみたいだけど、彼女は戦闘で魔力を温存する状況でもない限り、定期的にあたしたちをキレイにしてくれるのだ。
「わたしがお芋の皮を剥くの」
「肉は、ウサギで良いか?」
「待って」
ジュニパーが河の向こうを指す。馬に乗った男たちが四人、何かを追いかけているようだ。それぞれ雑多な服を着ていて、見たところ兵士ではなく民間人に見える。
「帝国の人間か?」
「う〜ん、エルフやドワーフや獣人では、ないみたいだけど」
ジュニパーが言葉を濁したのは、被占領地がほとんどだという中部以北で、どこまで“帝国の人間”と呼ぶのかが微妙だからだろう。
追ってるのは、鹿だ。細長い角を持った、馬より少し小さいくらいの鹿。
「あれが爺さんたちのいってた、“ツノの長い鹿”か?」
「そうみたいなの」
「変わったツノだね。走りにくそう」
男たちが射ってきた矢をヒョイヒョイと避けて跳ねると、鹿は河に飛び込んだ。自殺行為じゃないかと思ったけど、中洲状の場所で身体を震わせ、さらに大きくジャンプしてこちら岸に上がってきた。
あたしたちを見て足を止めたところに矢が降り注ぎ、後脚を射抜かれた鹿はキュンと小さく鳴いて倒れた。
こちらに向かってきた矢はジュニパーが払い落としてくれたが、角度からして何人かはあたしたちに当たるよう意図的に射掛けてきたようだ。
自分たちが逃した鹿を余所者にくれてやるのが悔しくてか、鹿に小馬鹿にされたのが許せなくてか。
対岸から、男たちの下卑た笑い声が響く。
「良かったな、ガキども! そのクソ鹿は俺たちが、恵んでやるよ!」
バカみたいに笑って、男たちは馬に向かおうとする。
ミュニオは鹿に駆け寄り、あたしとジュニパーは大型リボルバーを抜いた。自分でも心のどこかで“何してんだ”と思いながら。対岸に立つ男の脚に銃弾を撃ち込む。
「あ、ああああぁッ!」
甲高い悲鳴を上げて転がる男を見て、仲間たちは揃って弓を構えた。さっきの腕を見る限り、あいつら鹿には避けられていたが、精度も飛距離も連射速度もそこそこ高い。
弾幕張るのに慣れてるって、もしかしたらどこかの弓兵崩れなのかもしれない。
「な、なにすんだ、てめぇ⁉︎」
「こっちのセリフだ、クソが」
あたしたちはふたりが銃を向け、相手は三人が弓を引き絞る。あたしは笑い、静かに撃鉄を起こした。
「来いよ。さあ、射ってこい。そいつから殺してやる」