押し寄せる悪意
張り切り水棲馬の背に乗って、あたしたちはミュニオとミフルが待つ丘の上に帰還する。
「とうちゃーく!」
「……あ、あぅ……」
走って行って帰ってきたのではなく、飛んで行って降りて(落ちて)きたんだけどね。最初の囚われエルフであるマナフルさん奪還の後、最初のジャンプで家屋の屋上へ、二回目のジャンプで城壁を飛び越え、ちょっと走ったかと思えば最後のジャンプで丘の上だ。
到着というより墜落が正しい表現だと思う。
「シェーナ、怪我はない?」
「あたしたちは大丈夫だけど、マナフルさんの状態がひどい。診てくれるか?」
「わかったの」
マナフルさんを毛布に包んだまま、荷台のクッションに横たえる。すぐにミュニオが傷や状態を見ながら、何やら魔法を掛けてゆく。青白い光が過ぎた後に肌が綺麗になってゆくところを見ると、治癒前の洗浄とか消毒とか、そんな感じのものなのだろう。邪魔しないように、あたしたちはミュニオから少し離れる。
「あれ、シェーナ大丈夫? 足がプルプルしてるよ?」
「するわ! ジュニパーのジャンプすっげー高くて怖いんじゃい!」
「でも、すっごい気持ち良かったよね?」
「……まあ、そうな」
怖いけど、彼女の気持ちは、わかるのだ。何もかも地上に置き去りにして飛んでる間は、“自由って、こんな感じかな”って、思うくらいに。あれは、怖くて不安で切なくて、だから、気持ち良い。
「まあ、いいや。ジュニパー、いま敵の襲撃があったら、ミュニオには治療を続けてもらいながら移動する。そんときは、あたしが荷台で射撃を担当するから運転を頼める?」
「もちろん」
ジュニパーたちほどの視力がないあたしは、ランクルの屋根の上に登って双眼鏡を使う。
砦の様子を確認するが、監視塔にも城壁上の通路を巡回する見張りにも、まだ目立った動きはない。こちらから視認できないだけで、そろそろ惨状は露見しているはずだ。五、六十の盗賊連中を銃殺したのだから、バレない方がおかしい。
早く残りの四人を取り返したいところだけど、いまミュニオは治癒に掛かり切りなので、彼女の手が空くまでは動けない。こういうジリジリする時間は、無駄に浪費すると精神的にも良くない。
「ジュニパー、できる限り水分と軽食を取って。食欲なくても、食べといた方がいい」
「ありがと」
「ミフルも、ほら」
ミューズリーをチョコで固めた甘いエナジーバーを何本かと、五百ミリリットルのミネラルウォーターを渡す。なんでこんなものくれるんだろうと戸惑っているようだけど、食えるときに食い、飲めるときに飲んでおくのが修羅場の基本だ。この分だと、全員が戻ったら、すぐ移動することになる。食事や休憩は、たぶんかなり先だ。いざというときガス欠なんて、洒落にもならない。
それで思い出した。いまのうちにランクルにも給油しておこう。ディーゼル燃料の携行缶を出して、給油口から二本分、四十リットルを流し込む。
ムチャなプランが祟って、思ったより消費が早い。爺さんから追加の燃料を入手しておいて正解だった。
給油を終えて振り返ると、ミフルがエナジーバーと水を持ったまま固まっていた。
「どうした、いまのうちに食っとけ」
「みんな、ぶじに、もどるまで、わたし、ひとりだけ、もらうのは」
「違う。それは甘いけど、お菓子じゃない。すぐに力が出る、食事の代わりだよ」
たぶんアメリカ産のそれは派手なパッケージで、思わず声が出るほど甘い。効果的なエネルギー補給にはなる。疲れてるときには、そこそこ美味い。
「これからは治癒や戦闘の手伝いで、ミフルにも働いてもらう。そのとき動けるように、いまのうちに食べて、力をつけておいてほしいんだ」
ジュニパーはボリボリと嬉しそうにエナジーバーを食べながら、油断なく警戒は続けている。ゴキュゴキュと水を飲み干して、ふと荷台の気配に振り返った。
ミュニオの作業が終わったらしい。
「治癒魔法は掛けたの。もう命に別状はないけど、しばらく安静が必要なの」
「ありがとミュニオ」
「シェーナ、敵に動きが」
注意を促すジュニパーの声に、あたしたちは揃って砦の方を見る。城門が開いて、騎馬の集団がこちらに向かってくる。双眼鏡で確認すると、数は三十ほど。その後ろから、盾を持った徒歩の武装集団が五十近く、出て来るのも見えた。
「全部で七、八十ってところだね。城塞内部の連中と交戦力を引き離せたのは都合が良い。いまのうちに残りのエルフを救出しよう」
「ここは、わたしに任せるの♪」
むふんと胸を張るチビエルフを見て少しだけ不安になる。病人と子供を抱えて単身、動かせないランクルを守ることになるのだ。
「ミュニオ、一応確認だけど。あたしたちが離れて、大丈夫か?」
「大丈夫なの。この山に入れば、馬は速度が落ちるの。道はひとつだけで、ほら」
いいながら、ミュニオが指したのは砦からこちらへ登ってくるための道筋。いまいる高台の、前にあるのは砦を見下ろす切り立った崖。ここに到達するためには、北側から回り込む必要がある。こちらの背後を衝く方法もあるにはあるけど、それには南から大きく迂回する――あたしたちがランクルで登ってきたルートだ――ことになるため、取れる選択肢は実質ひとつしかない。
北側から登ってくる道は、樹木が重なる麓を抜けると、しばらく見通しの良い緩斜面が続く。強力な長距離攻撃を放つ弓兵や魔導師を抱えた軍でもなければ、剣や槍を届かせるまでに数分……いや十数分の突進を要する。何も遮蔽のない場所を、357マグナムと攻撃魔法で武装した砲台ミュニオのところまで、のろのろと向かってくるわけだ。自殺行為というか、自動屠殺機械のような光景しか浮かんでこない。
「だから、心配ないの。なにも。ね?」
お姉さんな顔したチビエルフは、ふわりと微笑みを浮かべて、手にしたカービン銃を愛おしげに抱き締める。
「任せて。……ここは、わたしの出番なの」




