紅の鷹
小一時間もすると、帝国軍の駐留する城砦が見えてきた。
軍の施設というよりも、盗賊の隠れ家とでもいった方がしっくりくる薄汚い代物だ。丸太で組まれた壁に囲まれ、崩れかけた石造りの建物が二軒、少し離れて並んでいる。御者台のデブが槍を持った門番に合図を送ると木製の門が開かれ、馬車はそこを潜ってなかに進んでゆく。車輪の音を聞いて中央の建物から出てきた男たちが四人、荷台に積まれた女たちを見て口々に嬉しそうな声を上げた。
「おおおお、やったかマスカー!」
「ああ、戦果は十三匹だ!」
「てめェ、狩りの才能だけは本物だな! いいぞ、今夜はヤリまくりだ!」
「早く見せろ!」
「俺は、そこの赤毛だ! 誰も触るんじゃねえぞ!」
こいつらの規律は、乱れてるなんて生易しいもんじゃない。辺境に駐留しているとはいえ正規兵だろうに。まあ、そのお陰であたしの目的が達成できるわけだけど。
「“市場”」
あたしの言葉でピタリと時間が止まり、ボロ雑巾に包まれた小娘も傍で動きを止める。
「待たせたな、爺さん」
荷台の真ん中で女たちを押し退けるようにして、見慣れた異物が現れていた。
使い込まれた木製の演台。仕立ての良い三揃いのスーツを着た、初老の男。白い口ヒゲを蓄えて、短く揃えた白髪を綺麗な七三に分けて。穏やかそうな笑みを浮かべてこちらを見ている。どっかの貴族の筆頭執事ですといわれれば一瞬だけ信じそうになる、この男。プライベートの話は聞いてないし興味もないけど、初めて会ったときから、あたしの勘が告げていた。
――こいつ、絶対カタギじゃない。
「やあ、シェーナ。また波乱万丈の冒険をしているようだね」
「うるさいよ。誰が好きこのんで奴隷狩りに捕まったりするもんか」
「ふむ。何か、理由があったんだろうね。わたしには、わかりかねるが」
こいつ。テメエがいったんだろうが。人狩りに追われてボコボコに殴られて半死半生で路地裏に転がって助けを求めた幼気な女子高生のあたしに向かって。
“カネさえあれば何でも渡そう”
「御託はいいんだよ。さっさとブツを出しな」
食って掛かるあたしを気にも留めず、爺さんは好々爺然とした笑みを浮かべながらヒラヒラと手を泳がす。
「いっただろう、シェーナ。わたしはビジネスマンだ。君とわたしとの間にあるのは、カネと物とのやり取りだけ。お互いの結末が幸せなら、次に繋がる。ただし不幸せならそこで終わりだ。わかるね?」
「ああ、イヤってほどにな。見ろよ、あそこにあるのが、アンタのカネだ」
兵士たちが飛び出してきた建物の一階、開かれたままの扉の奥に樽が並んでいる。どこかから奪ってきた戦利品か押収品なのだろう、武器や甲冑がまとめられ、金銀財宝とまではいかないが貴金属らしきものも置かれている。
「……見たところ程度も状態も、そう期待できそうにないがね。まあいい、これはサービスだ」
爺さんはペーパーナイフみたいな刃物で、あたしの手足を縛っていた縄を切る。偉そうにいわれるほどのサービスかと思わんでもないけど、さすがに拘束されたままでは文字通り手も足も出ないところだった。
「さあ、ではビジネスの話をしよう」
「前に伝えた通りだ。武器をくれ。こっちのお宝は、あるだけ渡す」
「信用払いはしないのが流儀なんだがね。たとえそれが、目の前に見えていたとしても、だ」
温和な笑みを浮かべたまま皮肉っぽいセリフを吐いて、爺さんは銀色の銃を手渡してくる。
文無しには何も与えないというのが爺さんの――ビジネスマンとしての――信条だそうな。がめついが、正論ではある。それはいいんだけど……
「……なんだよ、これ」
「スタームルガー・レッドホーク。シンプルで、美しく、強靭で、強力だ。銃身は5・5インチ」
「いや、うん。そういうことじゃなくて、なんで持つとこが紅いんだ?」
「その銃把は、レッドホークに合わせて特注したオイルフィニッシュのパダウ材だ。コンバットグリップで、指にフィットして反動を制御しやすい。その紅は、君の瞳によく似合うよ、シェーナ」
そこだけ聞いてると、まるで古臭い口説き文句だ。
パダウってのが何かは知らんしコンバットなんだかにも興味はないけど、要は握った指がピッタリ合うような溝状の加工がしてあるわけだ。なんで紅くしたんだとは思うが、色はこの際どうでもいい。撃てて殺れれば、なんだってな。
「射撃の経験は」
「あるわけないだろ。日本人だぞ」
爺さんは驚いたふうでもなく肩をすくめる。銃なんて撃つどころか触ったこともない状態で、初体験が命懸けの実戦なんて笑える。
「そいつの使用弾薬は357マグナム、もしくは38スペシャル。いまはシリンダーに六発の357が装填されている。引き金を引くだけで撃てるよ。確実性が信条のリボルバーだ。作動不良の心配はない」
「……うん、そう願うよ。でも、その六発を撃ち尽くしたら? この砦にいる兵士、目に入っただけで五人いるんだけど」
御者台にいるデブも含めたら、すでに一発も外せない。
「銃と弾薬の代金を渡してくれたら、予備弾薬の装填をレクチャーしよう」
つまり、金目のものを手に入れるまでは装填された六発で対処しろと。
「かつて西部開拓時代、銃は“イコライザー”と呼ばれていたそうだ」
「あ?」
「弱者と強者の、力の差を平等化するという意味だ。君のいる世界では、それどころの話ではないがね。銃を持たない者たちのなかで、君はすべてを狩り、追い詰めて屠る――」
爺さんはあたしを見る。本性を剥き出しにした酷薄な笑みを浮かべて。
「捕食者になるんだ」
◇ ◇
「では、健闘を祈るよ」
ふざけんなと応える間もなく、爺さんとの接続は切られて時間が動き出す。待ってたところで助けなんてない。状況が好転することなんてありえない。
立ち上がったあたしを見て、ババアがなにか叫びかけた。
「アンタなにし、ゲぶッ⁉︎」
「うるせぇ」
その鼻面を思い切り蹴り上げて、馬車の縁から飛び降りる。死角になった位置で周囲を見渡し、対処すべき脅威の優先順位を探る。
最初に反応したのは、長剣を持った護衛兵士。隣にいる中年男が護衛対象なのだろうけど、そちらは反応どころか荷台から降ろされた赤毛の女しか見ていない。弛んだ体にだらしないニヤケ顔。ひとりだけ小綺麗な格好をしているところからして、辺境の砦に赴任した貴族か金持ちのボンボンとか? なんにしろ、大した男には見えん。
「止まれ!」
「そうなるよな」
距離は、五メートルくらいか。とはいえ外した時点で詰みだ。あたしは両手で“レッドホーク”を構え、よく狙って引き金を引く。
バゴン!
「……ッ痛ってェ……!」
両手を思い切り蹴り上げられたような衝撃。それ以上の衝撃を喰らった護衛兵士は、吹っ飛んで動かなくなった。
いきなり響いた轟音に、さすがの鈍チンもこちらを向く。目を瞠り口を半開きにしてこちらを見たまま硬直している。
「……なんだ、おまッ」
バゴン!
中年男の頭が傾き、後頭部から中身が噴き出す。グロいとかなんだとか考える暇はない。生きるか死ぬか。殺すか殺されるかだ。周囲を警戒しながら建物に向かう。槍を持った門番が駆けてくるのが見えた。
「貴様、そこを動くな!」
止まれば殺されるのに従うわけねえだろうが、アホか。門番との距離は、まだ二十メートル近くある。建物に駆け込めばどうにか……
「死ェんネッ!」
裏返った声に思わず身を引くと、目の前で銀色の線がきらめく。それが振り抜かれた剣先だと、一瞬後になって気付いた。血走った目でこちらを睨みつけているのは、さっきまで下卑た野次を飛ばしていた若い兵士。泳いだ身体が剣を切り返すより前に、胸元に突きつけた銃の引き金を引く。
バゴン!
キョトンとした顔のまま目から光が消える。兵士はそのまま膝から落ちて突っ伏した。
「貴ッ、様あぁッ!」
ようやく近付いてきた門番の兵士が槍を抱えて突進してくる。足を止めて振り上げた穂先がこちらに振り下ろされることはわかるけど、その間合いが読めずに焦る。避けるか、逃げるか、それとも……
ああ、もういいや。
バゴン!
少し流れた身体の左肩に着弾して、門番はクルッと半回転しながら倒れて動かなくなる。死んだかどうかはわからないけど、止めを刺している余裕はない。ここまでで四発。残りは二発しかないのだ。
周囲を見て、残りの兵士に動く気配がないのを確認する。隠れている兵士や、増援がないことを祈る。
ここがチャンスと、あたしは建物に駆け込んで扉を閉める。ショボい閂を掛けてはみたものの、こんな安普請の扉は兵士が蹴ったらひとたまりもない。転がってた短剣を隙間に刺して心張り棒の代わりにするが、気休めにもならないことは明らかだ。
「ああクソッ、“市場”! サッサと出てこい、ジジイ!」