◇【Esther's Side】ブラック・ジャックアス
奥にいた男の首が傾いて、白目を剝いたまま倒れ込んだ。振り返りかけた手前のふたりも、首を傾けて崩れ落ちる。いつの間に地下室まで降りてきたのか、音もなく姿を現したのは見慣れた巨漢だった。
「……テオおじちゃん?」
「嬢ちゃんが出かけた後になって、島に妙な連中が入り込んでるって聞いたんでな。慌てて追っかけてきたんだが」
手のひらに握り込んでいるのは、殴打用砂入り革袋。男たちを一瞬で昏倒させた武器だ。なぜか銃器やナイフを好まないテオおじちゃんは、昔からこれだけを愛用してきたらしい。
「怪我は?」
「大丈夫。おじちゃんが来てくれなかったら、危なかった」
「そいつはよかった。嬢ちゃんになんかあったら、アニキに殺されちまう」
倒した男たちに意識がないことを確認すると、手際よく武器を奪って懐を探る。財布を取り出したのは奪うためというよりも身元を探るためだろう。
「……また、こいつらか」
静かな声で言うが、顔には忌々しそうな表情が浮かんでいる。
「知り合い?」
「ああ、アニキのな」
「それって、事故とは……」
「おそらく、だが関係ねえ。もっと前の……古い商売がらみの厄種だ」
きっちり片ァつけたハズだったんだけどな、と小さな声でつぶやくとテオおじちゃんは男たちの両手を結束バンドで手際よく拘束してゆく。
それで気づいた。まだ男たちは、誰ひとり死んではいない。
こう見えて、この巨漢は若い頃から殺しを避けてきた。正確に言えば、敵対者を殺さず無力化するのを誇りにしてきたようだ。彼の役目は基本的に曾祖父の護衛だったので、行うべきは脅威の排除であって抹殺ではない。殺さなければいけないのだとしたら己の実力が足りないか、手段が誤っていたか、状況や相手の地力を読み違えていたかだと。そこだけ聞けば理知的に思えるけれども、おそらくは単に嫌いなのだ。なんというか、護衛である自分の手に余る状態を。
「尋問するの?」
「あいにく、嬢ちゃんの前でもできるようなお優しいやり方は知らねえ」
軽い口調で言いながら手を振る。口を割らせること自体は簡単だというように。実際、そうなのだろう。殺人の経験こそ少ないようだが、くぐってきた修羅場の数など百や二百では済まない。ある意味で世界を敵に回してきた曾祖父の最も近くで、実に半世紀以上も護衛を続けてきたのだから。
「私のことは気にしないで。やるべきことをやって」
「そうか」
言うなりブラックジャックが振り抜かれて、男のひとりが目を覚ました。覚醒早々へし折られた自分の下腕部を見て息を吞み、叫び声を上げかけて止まる。さらに一箇所、下腕部に関節が増えたからだ。身じろぎする間もなく、さらに一箇所。まだ尋問は始まってもいない。
「なに、心配はいらねえ。用が済んだら、楽にしてやる」
ムチャクチャだ。私は、自分を殺そうとした男たちだというのに、少なからず彼らに同情した。
「お前らの飼い主は?」
曲がりなりにも特殊工作員なのだから、素直に答えるわけもない。そんなことはわかっているだろうに、テオおじちゃんは気にした風もない。
ひとつずつ候補を挙げ、その度に、男の腕に関節が増える。候補になっていたのは、曾祖父の出身国と、その隣国、そしてそれらの宗主国だ。
「みっつ数える間に答えろ。いち、にい……」
前置き抜きでブラックジャックが男のこめかみに叩きつけられ、ガクリと頭を傾けて動かなくなる。死んではいないんだろうけど、無事に目覚められるのかは、わからない。テオおじちゃんは、過剰に上機嫌な顔を残るふたりの男たちに向けた。彼らが目覚めていることはわかっていたし、男たちもそれを認識していた。
「お前らの飼い主は?」
改めての問いとともに、ブラックジャックが右拳を粉砕する。カウントもなしに、もうひとりの男の拳も砕かれた。悲鳴とも罵倒とも判別しにくい声を上げて男たちが転げ回り、テオおじちゃんは満足げにうなずいた。
「そうか。なるほどな」
国か組織かの名前を叫んでいたらしいが、私にはまったく聞き取れていなかった。ひと振りで男たちの意識を――あるいは命を――刈り取り、テオおじちゃんは私を立ち上がらせる。
「俺とアニキがやり残した仕事だ。悪いがエステル嬢ちゃんは……」
言いながら私を胸元に抱え込んで地下室の隅に転がる。一拍遅れて轟音が響き、それが連続して周囲にきな臭い匂いが広がってゆく。いまのが手榴弾の爆発だと、そこでようやく気付いた。
「ちッ」
テオおじちゃんが地下室の壁に拳を叩きつけると、えらく小さな扉が姿を現す。核シェルターみたいな部屋の、さらに住居侵入者対策空間か。
「俺がいいと言うまで出てくるなよ」
扉が閉まると、自動で鍵が掛かる音がした。光も音も消えて、しんと静まり返った。慌てて起き上がるものの、どこになにがあるのかも扉の開き方も解錠方法もわからない。外からわずかに聞こえてくるのは銃声と思われるざわめきと、誰かの吠える声だけだ。
「テオおじちゃん!」
手当たり次第に探っているうちに、小さなライトが点灯した。狭い部屋の内部が見えるようになって、ここにも銃と銃弾がストックされているのがわかった。とはいえ銃器は一挺だけ。それも古臭い西部開拓時代のリボルバーだ。いや、ステンレス仕上げなので、そのレプリカかなにかか。銃には詳しくない私でも、これがサブマシンガンで襲ってくるような連中を相手に戦える武器ではないことくらいは理解できた。
「……そんなの、知ったことじゃない」
部屋の外では、いまテオおじちゃんが戦っているんだから。私を助けに来てくれて、そのせいで絶体絶命のピンチに陥ってる。いいというまで出てくるなと言っていたけど。きっと私がこのまま逃げ隠れている限り、そんなときは永遠に訪れない。
銃が装弾済みなのを確認して、私は静かに覚悟を決めた。
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